今回の遺跡見学でエッ!?と思ったことはいくつもありますが、博物館前の土産物店の千木(伊勢神宮、出雲大社などに見られる)には、びっくりしました。

土産物店は、現代風に改築されていますが、明らかに屋根と彫りのある千木は古いまま大小3つ(ギザのピラミッドのようでもあり、また、この数も意味あり?)大事に残されていますところに、心を見た感じです。

土産者店千木

学校の憩いの場でしょうか、スンダ2段屋根のみならず上部に千木もあったことです(写真は見えにくいですが)。また、幹線道沿いの旧バス停を集めたんでしょうか、わらぶき小屋にも千木があるものが車窓から見えました(写真に撮れず)。

学校2段屋根千木  古いバス停

そして、私には不思議な手間をかけている町の普通の新築の民家と出雲大社(wikipedia mery.jpから)の一部が、その重なりにおいて似ているように見えました。

バンチェン民家  imagesI8S3QO2F

また、町の工房土産店のライオン、2段屋根の千木ではないが機能が同じ装飾(ジャワのバドゥイ族の場合は丸輪)もジャワ島・スンダを思い起こさせます。

工房千木工房

タイやラオス、カンボジアの寺院で普通に見られる建物構造は、2段屋根、屋根の重なり、千木機能などにおいてジャワや日本のものとその一部ではあっても共通性があるということが、強く感じられました。

タイ寺院

本でも書きましたが、日本では大変精神性の高い高貴な建造物にのみ見られる様式が、広いアジアの楽園では普通に多くあるということが、私が万年の文化を有する楽園の地を本家と考える所以です。

そして、日本の学界にこのことを学問的に研究した資料の無いことが不思議であり、私を動き回らせるエネルギーになっています。

期(学年)末試験を終え、早速、遺跡見学にアジアの楽園北部、タイ東北にある東南アジア最古という世界遺産バンチェン遺跡(7-5,000年前頃~1,800年前頃まで)を見学に行って来ました。旅行社で格安バンコク行きを買い、試験前なので遺跡の概要と行き方とバンコクでの見物をチェックしたくらいで出かけました。

ところが、ジャカルタの空港で便予定を確認したところ、時間、便名はいいのですが、行き先はこれまで何回かトランジットしたことがある市街東部の空港ではなく、北部の空港であることが分かりました。確かにバンコクの国際空港だそうですが、いやはやです。

バンコクなので、お寿司は控えるにしても旨いうどんにはありつけるだろうというささやかな期待はしぼみました。それはさておき、言葉も字も全く分からないタイ東北ウドンターニー(以下、ウドン)の田舎に行くプランは変更を余儀なくされました。大体、東京から青森に行く感じです。

今は海の上、かってはアジアの楽園だった上空を飛びますと生き残った島々が見えます。それにしても楽園は広かったなあ、多分何か痕跡はあるのだろうなと思いつつ。4時間で正午前に北部空港に着きましたが、駐機の飛行機も少なく記憶にあるあのバンコク空港での各国機の賑わいはなく、港内の店数も比較になりません。

うどんは全く無理と諦めました。Informationで行き方を聞きましたところ、お嬢さんが私の行きたい所をあの難しいタイ字で書いてくれ、外のバス乗り場〇番で〇〇行きに乗り運転手、車掌に見せなさいと言ってくれました(私にとっては通行手形)。

空港からの町のバス停と東北行き長距離バス乗り場は離れていますが、我々を町で降ろした後、空港へ戻るバスが、あんたはそのまま乗っていなさいと言い、途中、近い所で降ろしてくれる親切でした。

あとは、近くの店、バス乗り場、窓口、・・手形を見せて少しづつ進み、昼パンを買って便数の少ない出発10分前の東北行バスに乗れました。(実際の出発は、予定の20分後)

バスの予定では、到着は正に真夜中ですが何とかなるだろうです。実際、バスが着けば3輪トゥクトゥクの運ちゃん達が来て、値段を交渉して近くの適当な宿まで連れて行ってくれました。

出発してしばらく窓外を見てましたら、1時間ほどするとアレッ!?ラオスかな?カンボジアかな?という景色になってきました。

そして、ホントにびっくりしました。幹線道沿いに点々とあるローカルバス停らしき小屋があのバンドゥン・スンダの2段式屋根なんです。そして、看板で地名を確認すると(右下)ウドンにもバンドゥンがあります。

考えてみれば、バン コクなんですから、行きたい遺跡バン チェンがあり、バン ドゥンがあって不思議はない訳です。何せ楽園内のことですので!!。違う国、遠い遠い違う所というこれまでのイメージが、現場で変わりました。旅程は長かったですが。

2段屋根  タイのバンドゥン

2段式屋根、地名について、どっちからどっちに伝わったのかですが、アジアの楽園が沈んだ(7,000年前)後、3,500年前頃以降、学界では台湾-フィリッピン経由でアジアの楽園南部に人の大きな移動があったと考えられていますので、これもそのある時期ウドンターニー方面の方から南下し、ジャワ島スンダに伝わったのではないかと考えられます。

かって万年の昔、北上して行った人たちの子孫が、気候風土の違いから肌の色や容貌もすっかり変わり新たな経験を携え、長い年月の里帰り移動南下したのでしょう。そして、タイ東北のバンチェン遺跡などが川沿いにありますので、家財具・動物を積んだ船が活躍したと思います。

タイ東北遺跡 川沿い遺跡

タイ東北のバンチェン遺跡など  同遺跡は、川沿い(バンチェン国立博物館から)

棚田式の基本構造とは別に、そもそも多くのピラミッドは、選ばれた少数の者が俗世を脱するように階段を上って高みの頂上部に至り、崇める天・神とのコミュニケーションの中で祈りを捧げて宗教的行事や天文活動を行うものです。この点でも強力ファラオのギザの角錐ピラミッドは、内部に意義がある少数派です。この流れで外形が同じものとしては、中国(青い目のミイラも多数あり)西安地区のものや、論議のあるボスニアなどのものがあります。その古さと内部がどうなのかは、これからの課題です。

images[1] 中国のピラミッド

news.ameda.jpから

グヌン・パダン聖地ピラミッドは、そこに人の居住の無かったことが確認されています。しかし、マチュピチュは、他と違って選ばれた神官などだけでなくいわば一族郎党がその高みに上がり居住したという点においてユニークです。

また、階段を上がって俗世を脱し、高みの施設で同種の活動をした本質に着目しますと、古代の出雲大社を最古最大の木造ピラミッドと私が称していますこともご理解いただけると思います。

Izumo-taisha_scale_model_121281969_6127ff6b17_o[1] 古代の出雲大社

Wikipediaから

そして、縄文の三内丸山も、高みにおいて八甲田山に向かい同種活動をしたと考えられ広義の小ピラミッドでしょう。広島の葦獄山は、階段ではなく俗世を脱する長い山道を登ってその頂上で同種活動を行った山ピラミッドでしょう。これらは、人類にとって重要な精神性において超古代から、その造形に通底するものを感じさせます。

そして、人類の百貨店であるアジアの楽園には、これらとは違った造形の注目すべき重要な建造物がジャワ島にあり、調査後報告します。

ピラミッドと聞くとあのエジプトのギザのものが思い浮かべられます。世界的に有名な正に傑作の金字塔ですが、実はピラミッド仲間では少数派です。それは、当地で普通にどこにでも見られるような、崇める天、神の造った火山として安定した造形の数多の山々と類似しています。それだけに人間が造る場合は大変です。

ピラミッド山1 ピラミッド山2

我がシェアハウス丘上から見える     ブリトゥン島のピラミッド山

ピラミッド山

しかし、学界では最古とされるエジプトの最初のものは、4,650年前頃のサッカラのジェゼル王のピラミッドで、階段ピラミッドと呼ばれています。

120px-DjoserPyramid[1] サッカルのピラミッド Wikipediaから

当地のグヌン・パダン、レバッ・チベドゥなどや中南米のものと類似の造形です。当地では、半年以上の雨季には、正に天、神が怒っていると感じるような雷が轟き、1-2時間の強く激しい雨が降ります。それはピラミッド角柱の角を丸くするほどのものです。そして当地は地震があり、これを恐れればかなり平たい構造のものすら当地にはあります。

この雨と地震の揺れのもたらす土石の緩みによる斜面の地滑り崩れは大きな問題です。グヌン・パダンではこの対策として、当地の人なら普通に思いつく棚田式にし、垂直と水平の石積みを工夫しています。

棚田 西ジャワの棚田 3層石 雨などで丸くなった角柱と水平積み

グヌン・パダンは、近年の調査により斜面のすそ野まで棚田式になっていることが明らかになりました。また、南米の世界遺産マチュピチュも農耕生活の必要もあり、棚田式になっています。

GP棚田 グヌン・パダンの棚田式斜面(アリ・アクバル教授「遺跡グヌン・パダン」から)

220px-80_-_Machu_Picchu_-_Juin_2009_-_edit[1] マチュピチュ Wikipediaから

そこで問題は、当時、エジプトのナイル河畔は雨の少ない、地震もたいしたことない地域であるのに何故、棚田風にしたかです。グヌン・パダンの造形を採り入れたのでは?と考えさせられます。案の定その時代後には失敗もありましたが、強大な権力のクフ王は、天・神の造形をめざし、あの角錐金字塔の造形を完成させています。

グヌン・パダンは、表面の第1層は裾野まで棚田式ですが、内部の2層、3層もやはり棚田式であったのかという問題があります。これらの建造時代と造形の重要さからグヌン・パダン内部の形態の解明が注目されます。

1週間の期(学年)末試験が終わりました。やはり試験はそれなりに集中しますし、教室を出て2-3分で、あ!?間違えたと気づくことはしっかり覚えるでしょう。また、研究に向かえるウキウキ感もあります。さて、

インドネシアは、香港、オランダ、タイなどに次ぐ錦鯉の輸入国だそうで、アジアの楽園地区の伸びは大きいそうです。当地でも洋風ホテルのロビーとレストランの間に見つけて、へ~と思いました。水の流れは滝風で、そしてやはり船があるのが此処らしい。それらを佳しと感ずるところが楽園らしく、また、我が国の心情に通ずるものと感じます。

鯉 船鯉

同じく、やはり目貫通りのレストラン喫茶は、ゴルフ用品販売などと併設された当地ではこじゃれた店です。そのインテリアは、壁にはアート写真、そして日本では考えられない万年前からのくり抜きの舟と農作業の笠・竹籠です。外では、子供のおもちゃですが、竹のバネを利用したスタビライザー付きのよくできた物運び(写真では小石)で、大型の実物は、グヌン・パダン遺跡造りにも使われたんだろうなと思わせられます。

農漁舟 竹橇

Frame-work of theory

カテゴリー: English,前線ルポ,最新情報

Frame-work

Manusia-Modern

大学入学式

カテゴリー: こぼれ話

此処の入学式は、かなり晴れやかで業者による記念撮影場が準備され、花ゲートを入ると背景は蔵書に囲まれた書斎セットになっています。家族総出の人も多く、今日ばかりは、私の撮影もどうぞとなりますので、女性の服装などご覧ください。バンドゥンに集まる娘さんのレベルが高い、という世評も確かに事実です。

撮影場 入学1

入学2 入学

母の日

カテゴリー: こぼれ話

当地では、大抵のお母さんはクルドゥンを着用して外に出ますので控え目に見え、欧米人には女性が抑圧されていると見えるようです。家事育児をこなし、息子、孫の大学入学式ともなれば結婚とともに一世一代のハレの日で、長い間の苦労も報われましたねと傍目にも見えます。が、バス通り裏の決して豊かな暮らしではない長屋地区で伸び伸びとママさんバレーに興じ、楽しそうに応援しているお母さんたちの光景を目にしたとき、やはりアジアのお母さんは山の神だと感じ(私だけではないと思います)ました。お母さん、お疲れ様です、ありがとうございます。

 

入学母 ママバレー

日本の皆さんも連休で行楽地に行かれていることでしょう。

先般、半年の学期に1度の日帰り研修バス旅行に行き、レポートも提出終わりましたので、ご報告です。前回の旅行は、学生がルーズで7時出発予定が9時近くになり、5時起きで示された集合時間前に来ていた日本人組をあきれさせましたが、今回は名簿確認、Tシャツ及び朝食受領などの後、7時過ぎに出発できました。向かったのは、バンドゥン南東約2時間のGarut地区で、お菓子工場見学と観光施設でした。学生は遠足気分ですが、企業の工場管理、販促、問題点、助言など5枚以上書いて提出というのが気になります。

それはさておき、観光施設はNaga村でした。入口に此処スンダの人が大切にする小刀Kujangが飾られ、土産物店が並ぶ中を通り、川のある低地(比高差約15m)まで階段を降ります。途中で視界が開けると、教室で教わったように、川のそばに家々が並び田畑がある伝統の風景が目に入ります。130人くらいの人たちが今も電気の無い(!)昔の生活をしています。そして、やはりここでも家には日本の神宮・大社と同じく千木があります。

朝食 Kujangnaga村 千木

ウガンダからのイブラヒム君は、国のと同じようなものだと懐かしそうに杵を手にします。人だかりで見えませんでしたが、ナイジェリアからのファルーク君は、村の人が20cm位の竹楽器を口元で演奏している(写真は、budaya-Indonesia.orgから)と合わせてスンダの歌を歌って驚かせてくれます。西アフリカとアジアの楽園のスンダは近いです。

杵 imagesFGBI2U3W

お日様とともに暮らし、隣も分かる長屋で農耕と民芸品作りが生計を支え、子供たちは階段を上り下りして通学していますが、町の騒音とは無縁、リストラもいじめも殺伐とした事件もない穏やかな生活です。途中休憩のガソリンスタンド前の空き地には、グヌン・パダン遺跡と同じ柱状節理の石柱を輪切りにした造形の敷石が作業を待っており、雨で霞む遠方にはピラミッド山が見えました。

生活 6角柱

見学を終えてスンダレストランで夕食し帰りました。たまたま着席し撮った写真を見ますと、手前2人がアフリカ、次の右は高地人が万年の暮らしをしているパプア、左は黒潮先の薩摩おごじょ、奥の隣の席の向うむき最右がエジプト、こちらを見ている右はアジアの楽園、マレーシア国境に近いタイ、左はアイヌの展示の充実を発表した北海道の道産子と、人類の旅さながらのものとなっています。現在、日本と韓国がダントツで学生多数派の双璧です。なお、今回のnaga村は、川そば低地でしたが、この国には山中で今も頑なに昔ながらの生活を守っているバドゥイ族の人々もいます(写真下右)。そこは、天国への橋を渡って行く聖地ピラミッド地区に入った外部の者は生きては帰れないと言われる所です。正に多様で昔が残っている国です。

夕食 バドゥイ

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