(東京・札幌五輪) 驚きの米太平洋岸DNA、祖人の可能性に注目!

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1図現生人類のアメリカ新大陸への移住は、当時は海水面が低下(時代により異なる、数十m~120m)していたためベーリング「地峡」となっていましたが、米・伊3大学チームの研究により、南沿岸には小島が連なって“一時的な列島”transitory archipelagoの状況にあり、フネで入って行ったのであろうと発表されました。

花綵(かさい)・花綱列島と称されるアリューシャン甲に比し甲-2(北部九州へは北東ア平野東岸・曙海西岸地域も同様の丁-2)のルートをフネで入って来たのが、「最初のアメリカ人・先住民」という訳です。他方、この進入と移住についての考古学的エヴィデンスの発見は、現在は海面下で困難ですが、2図、米南北新大陸のDNA調査から、太平洋岸の人々の当時の古い痕跡と現在の状況から赤丸のように、母系ミトコンドリアDNA―D4h3aグループのきわめて特異な発見があり、第一人者の篠田博士も注目しています。これは沿岸進入のみならず、「かなり早いスピードで南下した」と学界で言われるフネによる沿岸移住として注目されます。

それでは誰が、いつ、となりますが、1図右下このハプログループの大元Mそして下位のDは出アフリカ後のインド洋沿岸、直結のD4h3は、タイのバンコック西方約80km赤丸(40,900~36,600年前に発現)で見つかっており、北上してベーリング地峡南岸域”列島”を通過していることになります。1図右下のように内陸ルートだけでなく、近親のD4h4が発見されている日本列島(他にチベット、ウイグル)の沿岸ルートをも挙げるべきでしょう。未だ見つかっていないか既に消えてしまっているのかも知れませんが。なぜなら日本列島の“祖人“は、約4万年前に①北部九州にフネで海峡を渡海し、②38,000年前にはフネで伊豆の海を行き来し、③津軽海峡を越えて雪と寒気の昆布ハイウェイ沿いの北海道に3万年前には拡がっており、④昆布ハイウェイ沿いの食が豊かで次々に島が見えていた千島列島を、舟で越えて行ったであろう海の民性があったからなのです。

いずれにしてもDNA分析から、米新大陸への初期の移住はアジアに由来し複数回、かなり早いスピードで南下しており、異なる独自の遺伝的な構成(新大陸太平洋沿岸のD4h3-a諸タイプなど)を獲得したとみられています。祝世界遺産勧告の縄文人の両親である「祖人」の特性、D4h3の日本列島・沿岸ルートの可能性を含め、子供に教え世界に発信を。

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