(夏休み宿題準備)始まりをよく理解し踏まえてその後を作業、まずは日本祖史が基本!

カテゴリー: 最新情報,祖代(Sodai)・祖人(Sojin)

北海道白滝石器群の国宝指定で注目の日本史始まり時代は左図、多様な用語がありますが、結論的に始まりは約4万年前からの祖代Sodai・祖人Sojinの用語が適切で、2代目の縄文Jomonに繋がります。

明治時代の文明開化で、お雇い外国人学者の(米)エドワード・モース(日本考古学の祖)が紹介したダーウィンの進化論は、「猿から人へ」の受け止めで学界に衝撃を与えました。大森貝塚の発見や北海道の竪穴住居はプレ(前)・アイヌと主張し、科学的な人類・歴史考古の学の扉を開き、この刺激で図下、東京帝大の坪井教授(日本人類学の祖)は、プレ・アイヌについてアイヌ伝承のコロボックル(蕗・ふきの下の人の意)を学術用語とし、当時の学界は日本史は4千年くらいと考えていましたが、真実探求の活発な議論と学会を興したのです。弟子の鳥居龍蔵による北千島の現地調査(明治32年)報告から、彼の地の人々はコロボックルではないと世に広まり、その後コロボックルは可愛い蕗の下の小人としておとぎ話になって大正時代に巷間の人気になりました。鳥居自身は、その後の研究も踏まえ大正6年に北千島の人々(6千年前の縄文痕跡も確認され、留頓・ルートン・Routonと仮称)はコロボックルであるとはっきり師の坪井説を認め訂正しましたが、最初に広まった巷間の誤解は今も続いていて学術的に採り挙げられていません。図右上、祖代の期間は日本史の60%(教室で語られぬ宇宙のダークマターのよう)で、人と文化の基層として、「縄文文明」と言われるようになった今、重要です。最古の痕跡は、伊豆・神津島(当時は海水面低下で恩馳も含む)から生業航海で採取した黒耀石が3.8万年前、長野高地石器3.7万年前、沖縄人骨3.6万年前、熊本石器3.5万年前などから、沿岸民の家族が対馬海峡を渡海した日本史の始まりは約4万年前からの列島拡がりというのが学界認識で、北海道は3.5万年前後です。

他方、日本には無いとされていた旧石器が戦後、相沢忠洋によって群馬・岩宿で発見されて国際意識の幕が開き各地で続々と発見され、時代と人の名称・用語に使用されるようになりました。しかし実は、英語にすれば世界と期間は違って誤解を与え、後期旧石器としてもそもそも日本固有の歴史なので新石器時代が縄文に含まれて合わず使われず、当然にして縄文、鎌倉、江戸などの他の時代用語と合わない違和感であり、また、用語が長すぎて教室での説明・議論にも不適で低調な一因となっています。相沢忠洋ゆかりの「岩宿」も学術名称にすれば、沖縄人骨や白滝石器を岩宿人で語る混乱となることから、沖縄祖人、白滝祖人が適切です。伊豆の海で世界最古の生業航海をし、大規模な陥し穴猟や環状キャンプで世界より万年早い磨製石器を製作していた祖人は、海民性・製作技術力・社会性を示し、毛皮のパンツに槍を持ったひげもじゃイメージの「原始人」ではアリマセン。今、祖人は北海道から北上を継続して、人類史注目の「最初のアメリカ新大陸移住」に関わった可能性が挙げられるに至っていることなど、世界を視野に誤解無い固有の確立と説明が国際的であるとして定めるべきです。これらのことを教室に、世界に。

↑トップへ