(人類拡散史)「最初の」アメリカ人、実は注目すべきは青森・陸奥平野祖人

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物語:始まり祖人の渡米旅立ちと、アメリカ西海岸南下の「第ゼロ波」、「第1波」の二つの波の故郷
約4万〜3万年前、東アジアの内海(東亜地中海)の曙海(伸縮の東シナ海)の北岸地域で、一つの沿海民が形作られていた。彼らは北部九州に渡海後に「始まり祖人(Sojin)」と呼べる存在で、伊豆や沿海部の祖先的な航海技術と生業を持ち、ミトコンドリアDNA(mtDNA)のD4h系統を基盤とした集団だった。このD4hは、北東アジア沿海部で放射状に広がった古い系統で、寒冷な海域に適応した航海民の証である。

青森周辺(東北地方)は北部九州に渡海した祖人Sojinが、日本列島の東西(当時は大雪なし)から北上し当時の青森「陸奥平野」で合一していた海民性の強い人々であった。ここが後に「最初のアメリカ人人「第ゼロ波」の中心地で、氷河期の厳しい気候下で海を渡る技術を磨き、魚介や海洋資源を活用する生活を確立したと考えられている。Y染色体ハプログループD(後のD1系統)もここで強固に根付いていた可能性が高く、彼らは列島の北部を拠点に、最終氷期最寒期(LGM、約2.6万〜1.9万年前)の前、気候の変動が激しくなる中の寒冷緩和期に、いわば先遣隊が道東を経て動き出して行った。アムール川流域から南下する別の集団(主にmtDNA N9b系統を持つシベリア系民)の前に彼らは北上して行ったのである。北海道東Gatewayを出発、千島列島やベーリング海の南岸(Beringia southern route)を伝い、ついにアメリカ新大陸の西岸に到達した。この移動で、mtDNA D4hから派生したD4h3aやD1系統が生まれ、これが南米のPopulation Yとして知られる古い集団の源流となった。Population Yは、南米の遺伝子プールにオーストララシアン様(縄文人やアンダマン人に似た)成分を注入し、通常のベーリング陸橋経由の東アジア祖先とは異なるシグナルを残しているが、これは、沿海民が太平洋沿岸ルートで早期に南下した可能性を示唆する証拠で、南米最古の先住民層(「最初の」アメリカ人)に直結する。
一方、北米のネイティブアメリカン主流派は、後続のシベリア系(ベーリング陸橋経由)で、これが「縄文人が直接祖先」という説の否定につながる誤解の源だ。実際、Population-Yのオーストララシアンシグナルは、始まり祖人(Sojin)の早期移動の産物としてより合理的なのである。約2.5万年前以降、最寒期LGMの影響でアムール系民(N9b中心)が北海道に流入し始めた。彼らはシベリア南東部(ウデゲイ人など)と遺伝的に近くtakahashi2saito0.medium.com、米国類似の石器文化を抱えた「第1波」となる北海道の混交に関わった可能性が考えられる。但し、石器問題については有茎尖頭器であって樺太南下の細石刃文化ではなかったことが重要で、青森-道東を注目させることとなる。その後の北海道縄文人のmtDNAでは、N9bが支配的となり、M7aやD1aも混在するが、全体の構成が大きく変わったen.wikipedia.org。しかし、青森周辺(東北縄文人)では、この上書きが弱く、D4h2系統が色濃く残ったpmc.ncbi.nlm.nih.gov。東北のサンプルでは古いD系統の割合が高く、「第ゼロ波」の遺伝的故郷として機能した。

こうして、青森は「出発していった始まり祖人たちの故郷」として静かに残り、北海道は「後から来た者たち」の活発な混交地となった。南米のPopulation Yは、この第ゼロ波の遠い子孫で、精神的・技術的・遺伝的な「実家」は東北(青森)にある——この理解は、mtDNAの共有と移動パターンを考えると最も合理的だ。ただし、最近の全ゲノム解析では、縄文Jomon全体の(北米)ネイティブアメリカン直接祖先説は薄れつつありbiorxiv.org、Population Yの独立した早期ルート「第ゼロ波」が強調されるsciencedirect.com。始まり祖人(Sojin)をこの最有力候補とし、北海道を「第1波」とする説は、遺伝的石器的な違いを巧みに説明する魅力的な枠組みであり、さらなる古DNA研究が、この物語を検証する鍵となるだろう。(AI共同)

教室に新風をー祖代研究会(RSoJS) #祖人

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