文明の原点を探る(3)―タミルに注目Tertarik Tamil !

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前回お伝えしましたように、インド亜大陸地域では、近年驚くべき古さ、数の遺跡が発見されています。

まず注目されるのは、アフガニスタン国境に近い古いメーガルMehgaruh遺跡と衛星写真分析に連携したサラスヴァタ川(現在は干上がっている)流域の多数の遺跡群です。

印遺跡群jpeg10.20

メーガル遺跡は、フランスチームが、9,000年前から3,000年前ころまでのものと報告しています。当時は今と違って、森林と水が豊かな地域だったようです。

現在と変わらぬような泥土の家での定住、初期農耕・家畜、新石器のほかに人骨、装身具、小立像などが発掘されています。

歯が西方ではなく東方(アジアの楽園Sundaland系)の人たちと類似であることが注目されます。

有名なインダス遺跡モヘンジョ・ダロMohenjo-daro(4,500-3,800年前、約4万人)からアフガニスタン南部のカンダハルに至る経路沿い地域でもあります。

そして何よりも、パキスタンにあって今もドラヴィダ族語が話されている地域の近傍です。

ドラヴィダ・タミル言語遺跡peg

サラスヴァタ川沿いは、かねてハラッパ遺跡として知られていましたが、リグ・ヴェーダの記述を裏付ける広域にわたる驚きの数の遺跡群です。

更に、海岸地域でも海中を含め遺跡が発見されてきています。

そして、万年前は大陸と陸続きだったスリランカの中央山地に残るドラヴィダ語族の状況から、万年前のインド亜大陸地域は、ドラヴィダ系語族に占められていたことが窺われます。

近年の研究により、上図の北西のカイバル峠方向からのアーリア族が侵入した(3,500年前頃から)ことによる大きな変化というこれまでの見方は修正され、もっと緩やかな自然な変化であったようです。

丁度、我が国における縄文人と新たに入って来た弥生人の緩やかな移り変わりという近年の新たな歴史認識への変化のようです。

違いは、言わば縄文タミルが今もインド亜大陸南部と一部、スリランカ、ネパールなどにしっかり残っていることです。

理由の一つは、語り伝え守ってきたタミルの古く高い精神性、長く活躍してきた優れた海洋交易、造船の民という特性によるものでしょう。

インド中央・北部のサンスクリット語と南部のタミル語を比較した場合、遙かに多くのタミル語がサンスクリット語に採り入れられていることからもその事情がよく窺われます。

ドラヴィダ・タミルは、地域西部のメーガル遺跡の方から東部へ移って行き、また、北部から南部へと縮小して行ったとみられています。

但し、上図ようにインド西部沿岸で数千年前の海底遺跡が発見され、更にドゥワルカ遺跡はもっと沖にも海底遺跡があるのではないかとみられていますので、タミル人は東漸してデカン高原南部に来たと言えるだろうかという状況です。

今やインダス文明と言って片づけている状況ではないでしょう。

メーガルや海底遺跡の古さや近年新たに発掘が進んだサラスヴァタ川沿いの遺跡の豊富さとそれらの遺跡の拡がりの広域さから、ヒマラヤ南西流域文明とでも呼ぶべき状況と考えます。

更に、古い海底遺跡と海洋での国際交易活動が注目されます。

種々の言語との基本的な語彙の共通性などから言葉の面でもタミル語こそ母なる言語と言われるようになってきています。

ところで、インドネシアは、正に多様な人々の島々から成る国であり、それだけに多様な中の「統一」という標語を掲げ建国以来、大変な努力をしてきています。

問題の多い現在の国際連合UNが、範として研究すべき国と私は思っています。

国は一つの言葉インドネシア語ですが、例えば西ジャワ州では地方の言葉を大事に守っており、州庁教育局に地方の言語文化振興の部課があります。

 

JB教育局peg

アルファベットの下に見えるのが、この地域のスンダ語のスンダ文字です。そして、近隣のタイなどのどこよりもタミル文字に似ています。

このようなタミルは、古い時代に彼らの父祖の進んだ王国Kumari Kandamが(破滅的に)海に没したという語り継いできた神話を有しています。

また、古い時代から場所を換えても守ってきた文芸アカデミーSangamに咲いた文学も評価されています。

更に次回も、タミルを追って探究を続けます。

 

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