(東京・札幌五輪)世界人類史注目の痕跡、祖人系の北の遊動海民!

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右上1図米国学界では、「最初のアメリカ人」に、既に北海道祖人Proto-Japanese Hokkaidoの関りが出ています。

更に深堀りで注目すべきは、その下図のルートン地域人で、千島湖地域のカムチャッカ半島南部から北千島地域に住んでいました。明治8年(1875年)の樺太千島交換条約で、半島側と北千島側に分けられ、ロシアの半島側の人々は結局、半島の南西部で、日本側は色丹島に居を移しましたが現在は日ロ地域の人波の中に消えて行ったようで、辿れないとみられていますが。そして北のカムチャッカ中央部のウシュキUshki遺跡(13,000年前)が、石器などでアラスカと繋がっているのみならず、道南函館地区の知内町遺跡(約2万年前)の墓の副葬品との類似性が注目されており、北海道祖人、ルートン地域人が進出していたことをうかがわせ、カムチャッカ半島中部迄もとなれば、もうベーリング地峡へは指呼の間ですから重要で、「最初のアメリカ人」に関わっていたと考えられます。

図左、明治時代に北千島の調査に当たった鳥居龍蔵の「アイヌより古いかも」は、①人類がアフリカ発で日本列島にやって来たなんて想像もできなかった、②縄文時代ですら分からなかった時代に、慧眼の調査所見です。石・木・骨・土器の道具を使い、縄文的な竪穴住居に住み、当時の外国人が「未開」と報告した旧石器時代的な「遊動」海民の暮らしぶりから、ムリなく導かれた直感は妥当です。アイヌ伝承のアイヌに追われて北に逃げて行った小人「コロボックルであろう」と報告していれば完璧だったのです。更に、東京大学名誉教授自然人類学者の埴原和郎らの図左下、頭蓋形質分析によるルートン地域人は、「北のオホーツク人と最も遠く、北の影響を受けているアイヌ、本州人とも離れている」という事は、約4万年前に北九州に渡海して拡がった日本祖人の北上系であることを示す極めて重要なものなのです。

1.南方から北上した祖人系の人々、2.カムチャッカ半島中部にまで関わっていたとみられる人々、「遊動」海民ルートン地域人は、ベリンジアに行っていておかしくない、アメリカ先住民祖先に関わっていておかしくない、今、注目の痕跡なのです。子供に教え、世界に発信、ウポポイ予算から充当して更なる国際共同研究による解明を。

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