北海道史、祖代・縄文~~松前藩、開拓の“一気通貫の中軸史”へ!

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北からマンモスハンターは来なかった。図右下約4万年前に現生人類・新人が北部九州に渡海し、3.5-3万年前には沖縄から北海道にまで拡がったことは1万件を超える旧石器遺跡が示しています。

そして図右上北海道祖人Proto-Japanese Hokkaidoは、伊豆の海をも越えて黒耀石を求めた海民の子孫としてそこで留まった理由もなく北上を続けたと考えられます。東京帝大の鳥居龍蔵は明治~大正の北千島調査と分析から最終的には師の坪井正五郎が祖人について研究・議論するために提唱したアイヌ伝承のコロボックルこそ古い第1アイヌ・留頓ルートンで、樺太からの第2アイヌと違うという認識を記述(注:第2アイヌは得撫、77kmの新知島へは越えない)し、近年、北大の高瀬克範はカムチャッカ南部の遺跡研究から、むしろ北千島アイヌ(留頓)の本拠地はアムチャッカ側にあったとの認識を記述していますが、このことは、古い時代には更にカムチャッカ北部に居てカムチャダールの進出で圧迫されて最南端のロパトカ岬に後退してきたことをうかがわせます。他方、「最初のアメリカ先住民」研究の米学者は、北米大陸が厚い氷床で覆われている時代の遺跡(1.6万年前級)が処々に、また、その時代の南米チリにすら遺跡が発見され、北太平洋沿岸の食豊かな「昆布ハイウェイ」からフネで南下して来たと考えるようになり、「北海道ルート説」を唱える複数の学者が現れました。昨年9月末のニューメキシコにおける驚きの2.3万年前の足跡発見は、それまでの進入定説を数千年遡らせる氷期最寒期(LGM)にというもので説を補強、「誰が」来たのかはまだ米学者から定説化に至る論が出ていません。

さて今回、巷間の北海道史年表に強い疑問を抱いた中村恵子氏(北大)が、本来は中軸として記述されるべき幕府の松前藩・東北諸藩の行動とアイヌ配意の対応などに光を当てて歪められた北海道史を正す労作を発表されましたが、やって来たロシアも「日本の島々」と認識していました。このことによって、祖人から、坪井正五郎の本州同様のコロボックル石器(縄文)人時代、古代・中世の倭人・擦文人・蝦夷人(鳥居龍蔵命名の第2アイヌ含む)、近世の幕府・藩人
(第2アイヌ含む) 、そして北海道人と呼ばれる一連の歴史が理解できます。この間、樺太の方から2万年前頃の細石刃文化の影響が言われ、最寄人、アイヌの進入がありますが、征服や民族の大移動などは確認されません。年表には近世「「松前時代」を。子供に教え、世界に発信、更なる研究とウポポイ館を充実の北海道北海道記念館に改装を。

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