今、百田尚樹さんの「日本国記」が、未だ発売もされていないのにamazon1位を走っているそうです。

その副題は、私たちは何者かとなっています。

最近の研究で、「弥生人」はいなかったという研究者が出てきています。

即ち、お米にしろ鉄器にしろ渡来して大きく社会が変わって行きましたが、別に大量の人々が入ってきた訳ではなく北九州の当時のお墓など見ても縄文人が沢山いるという訳です。

考えれば納得で、よく「明治人」と言いますが、英人、仏人、米人などが大量に入って来た訳でなく、チョンマゲこそすっかり減りましたが、「江戸人」とどれだけ違うのかを考えれば分ります。

それならば、教科書も大書し話題の縄文人ですが、4万年前~縄文時代までの2万数千年の「日本祖代」の人々とどこが違うのかと言えば、縄文人と言う程の事は有りません。

日本史を見ると、2万年前頃の氷河期が終わって温暖化して行く大変化の時代に、シベリアなど内陸の文化が北から西から入って来たインパクトこそ明らかに特筆すべきで、旧石器遺跡にもよく表れています。

人も入って来たでしょう、その流入の変化を吸収した「日本祖人」の流れが縄文時代人であり、「江戸人」と呼ぶのが奇妙なように「縄文人」と呼ぶのは実は奇妙なことです。

縄文時代に大量の人々が渡来して来た痕跡は見当たりません。

むしろ、海水面が80m近くも上昇して始まった、切り離された江戸時代的な熟成の時代であったようです。

百田本の副題が問う、私たちは何者か。

それは、南方Sundalandから北上し、曙海を渡って来て北海道にまで拡がった初代「日本祖人」の子孫であり「伊豆海峡」を行き来したことで世界的に実証されています。

長い歴史であり、「先住民」などと言える人も居ません。

(学界の現状では、書けないのでしょうが)

(了)

アフリカを出た現生人類が世界に拡がったという通説に異論も一部でてきているようですが、南方Sundaland地域から4万年前の九州、3万年前の北海道、そして「昆布ハイウェイ」をアメリカ沿岸にという環太平洋移住MPOR説(下写真左)が注目されてきています。

この環太平洋は火山の連なりで、地震津波の苦難が背中合わせであり、最近もインドネシア・スラウェシ島、熊本、北海道、ペルー、エクアドル・・・が被災しています。

その苦しみを石像にすがるように優しいスラウェシ像が有名ですが、お地蔵様や今回ローマ法王に文大統領が贈ったマリア様の造形が類似です。

どういう造形に佳さを感じ尊ぶかは、宗教名の区分に拘らず、歴史を共有する心の深い所での共通性が感じられるものです。

(了)

「日本国記」は凄いらしい!

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未だ出版もされていない、私たちに中味も分からない日本史の本が、amazonの驚きのトップを走っているらしいです。

アフリカを出た現生人類が、南方から北上して来て、4万年前頃に多くの家族が舟で曙海を渡って九州に来て、その「日本祖人」が3万年前頃には北海道にまで拡がっていました。

今や優れた文化が有った事で何かと話題になる縄文人の先代、私たちの祖先です。

日本祖人は、海水面が低下して陸地が増していた伊豆諸島へ黒耀石を採りに舟で37,000年前頃から行き来していて、世界の考古学会を驚かせています。

今、高校生が、いや大学生が、黒潮分岐流の流れる20~50kmの「伊豆海峡」を手作り舟で、帰りには黒耀石をたっぷり積んで行き来できるでしょうか?鹿の通り道に陥とし穴を何個もちゃんと上手く作って、家族に食べさせられるでしょうか?

始まり祖先の知的・体力的な能力にも目を向けましよう。

当時の赤ん坊を今、東京に連れて来て育てて、林修先生に教えてもらったら、大学に合格しちゃうでしょう。

あ、それとその後のいろいろな混じり合いで、僕は私は「先住民」だぞなんて言える人はまずいませんね、長い歴史ですから。

(了)

日本列島史は、アフリカを出た現生人類が、南方Sundalandを経て北上して台湾山地に至り、下写真の「北東ア平野」沿岸を更に北上して、「曙海」を舟で家族が渡って4万年前頃、九州に来て始まりました。

その「日本祖人」(縄文人の先代)は、当時対馬暖流が未だ無く、日本海側に大雪が降らない状況であったので、太平洋側と日本海側の両方から3万年前頃には北海道にまで拡がっていました。

この間、関東・甲信越は連接され、また、海水面の数十mの低下で陸地が増していた伊豆諸島の神津・恩馳島に、37,000年前頃から貴重な黒耀石を採取するため、舟で黒潮分岐流の「伊豆海峡」を渡り伊豆半島との間を行き来していた事が、世界の考古学会を驚かせています。

列島に拡がった約1万件の旧石器遺跡を元に、4万年前頃の始まりから自国の歴史が描けることは、正に特筆すべき事でしょう。

仮にそれ以前の人類の痕跡が発見されることが出て来ても、旧人や原人であって直接の祖先では有りません。

勿論、こんな永い歴史を有する人々とその子孫の集合体ですから、自分は「先住民」などと言える人はいません。

(了)

Youtube の標題について、2017年11月投稿の中に千島列島からベーリング地峡南岸を経て「昆布ハイウェイ」Kelp highwayを行った線が、初めて紹介されて描かれているのを見つけ、それは「日本祖人」(縄文人の先代)によるものとの下記の自説(MPOR説 2016年)を投稿しました。

A Japanese aged private historian, Nara Akira, has already proposed MPOR(Migration along Pacific Ocean Rim, from Sundaland~Japanese archipelago~Beringia~ seashore of North, South American continents) Theory since 2016, after studying theoretical examining the route of the “Kelp highway” from Hokkaido , Chishima(Kuril) archipelago , seashore of Beringia to Alaska.

The environment around the sea of Bering was much different at that era, because ice cold water of North Pole was stopped to flaw in Bering sea by Beringia.

So It was directly connected with the warm sea of Hawaii. Chishima archipelago could be seen from Hokkaido to Kamcatka, one by one.

Original Japanese, Nihon Sojin, before Jomon had reached Hokkaido by 30,000 BP and got accustomed to the similar life style to that of Queen Charlotte islands.

The history of Homo Sapience Sapience in Japanese Archipelago was originated in 40,000 BP, recognized by 10,000 Paleolithic sites in all over Japan.

It was also proved that Nihon Sojin crossed sea to Izu islands for collecting obsidian back to main land from 37,000 BP.

I think that they probably reached American continent through ”Kelp highway” before Last Glacial Maximum.
ブログ:新風アジアの楽園
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