コロナ自粛の夏に創作のこの1冊をどうぞ!

カテゴリー: 最新情報,祖代(Sodai)・祖人(Sojin)

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以下、読み易い最新内容のブログ版でゆっくりお楽しみください。

脱 線 の 海 道                    亜 希 楽

序 章

梅雨時の伊豆東部海岸の岩礁に、今日も穏やかな波が寄せて白い飛沫を散らせている。覆う雲に晴れ間がのぞいているが、これからお陽様が天頂に達しても、そう暑くはならないだろう。

男はいつものように車窓の海を見つめているが、今日は浮き立つ感じはない。これまでは来るたびに、伊豆に来られている喜びをしみじみ噛みしめていた。それは通勤電車で都心を行き来する都会の暮らしからしばし解放されるという事だけではなく、昔は思いもしなかった今の身の上の幸せに対してでもであった。


横浜下町の小学生の頃には、仲間と泳ぎ水遊びするだけで楽しいプールっ子だったが、兄貴分に連れられて、〈真鶴〉のきれいな海と緊張の岩場で泳げて、ホントに嬉しかった想い出が蘇ったものである。

そして時を経て、そこを越えたもっと向こうの伊豆の海、小説で読んだ伊豆の山や峠などが、今は行くことが出来る現実のものとして感じられるのである。これまでは初島や大島を眺めながら、大抵はこのような過去の事か仕事の未来を考えながら此処にやって来ていた。

ところが今日は、現在の悩ましい状況で頭が一杯なのである。

電車が伊東駅に着いた。令和が始まって1ケ月あまり、まだあちこちの掲示物や車内にも新たな始まりと、自分も伝統に属しているという興奮の余韻が感じられる。考えてみればこの男にとっては、令和の始まりなのに何とも目出度くない、因果応報と言える状況に立ち至っているのである。

思いがけず訪れた人生の変化の波は、最初は張りを感ずる楽しい湧きたつ日々だった。しかし、その流れに乗っているうちにスピードが速まり、気が付いた頃にはどうにも制御できなくなって来ていた。

駅の階段を降りて海側に出てから、いつものように右手に大きく回って狭いガードを山側に抜け、左手に少し上がって行く。駐車場で待つ青いボックスカーに近づいて行き、助手席に乗り込んだ。これからプレジャーボートで遠出すべく、海辺の伊東マリンタウンに向かうのである。

今、隣で車のハンドルを握っている女は、40の大台は越えたが7つ歳が離れている。小顔の若づくりで中背、肩までの髪に皆とそんなに変わらない恰好だが、都会の雰囲気を感じさせる此処の地主名家の一人娘である。机に向かっているタイプではないが、理屈も言える単純じゃないお嬢さん文学少女、一歩下がっている感じというのが高校時代の同級生の印象である。東京渋谷の大学を出た後、地元に帰らずに父親のコネでそのまま〈三軒茶屋〉にある銀行に勤めた。親がまとめたエリート会社員と結婚をしたが、夫の浮気と時にはDVもありで、我慢したらしいが2年半で破れ、子供はいなかったので、東京で働いたり戻ったりしていた。

6年前に陶芸を教えてくれていた父親が亡くなり、それから2年ほどして母親が弱ったので出戻って面倒をみていたが、1年半前に亡くしている。伊豆に残されたいくつかの別荘やアパートを含めた資産は、叔父が小さな会社を興して管理している。独りで広い親の家に住み、二階屋10室アパートの挙がりを受け、気ままに叔父の事務を手伝い、陶芸とゴルフなどを趣味にする生活に苦労は無い。

それでも地元では、車も服装も暮らしぶりそのものも余り目立たないようにし、買い物や陶芸の集いで東京に出たときに、トランクルームから自由の羽を出し伸ばしている。容姿と家柄は申し分なく、叔父・叔母のところには再婚話が持ち込まれているが、皆どれも柔らかく断って来ている。子供もいないので、東京で同棲していたこともあった。

男の方は高円寺のマンション暮らしで、2年少し前に妻を乳ガンで亡くし、一人息子は仙台で大学3年になっていたこともあり、2人は独り身同士、ひょんな行事から去年の秋に趣味の仲間のような付き合いを始めた。

心の交流と言える関係が生まれ、暮れには成るようになっていた。二人にとって新しい濃密なこの変化は半年近く続いたが、最近は訳がありぎくしゃくしている。いつものように女の方からの提案で、今日は2人で伊東マリンタウンからボートで、雑音の無い広い海に、抱えた問題に何とかケリをつけるため、舟出するのである。男は関係の改善と安定化を望み、女は少なくとも想い出づくりをし、悶々とした日々に決着をつける旅を考えている。

ボートに乗る前に、店を開けた海鮮和食屋で早昼をちょっと豪勢に食べてから、舟出しようというプランである。女にはこれも想い出づくりの一環に含まれている。広くはない駐車場に車を入れ、店の入り口に廻った。庇に黒い瓦をあしらい、格子戸入り口の横壁に屋号の筆字が泳ぐ。暖簾をくぐって入り、今日はゆっくり出来ないので、テーブル席にする。

「お刺身盛り合わせ、金目鯛の煮つけ、それと、タコのみそ酢和え、・・・」、てきぱきと女が、佳い物をどんどん選んでいる。男はボートのハンドルを握る今日は、ビールを控えている。注文をシメて女がチラッと見ると、男がそれくらいでもう十分だよと頷いた。

「……、お天気の方は、まあ良さそうね」、メニューを横に置いて女がボソッと言った。

「多少照っても曇っても、風さえ無ければね」

「……いよいよなんですね」、ボートで動いてからの大島での1泊観光旅なので、本来は華やいでいいのだが、声を潜めて思いのほか淡々と言った。

「そうだね」、男の方も遠足に行く感じとは違う抑揚のない低音である。メニューは豪華と言えるが、食事中の会話の方は、訳ありのおとなしいまま終えたが、抱えた悩みと遠出の高ぶりで、ブレーキとアクセルを同時に踏んでいるような状況だからなのである。

国道を渡った向こうに、青い屋根の連なるマリンタウンがあり、ボートを係留している。男は、自動式の出港手続きをするため、三角屋根のポートセンター棟の前で降りた。そしてボートの始動前の点検などをしている間に、女の方は駐車場に車を留めて、長屋のようなバザール棟に入り、スナック菓子や飲み物をあれこれ買ってボートに乗り込むことになる。

暫くして手提げバッグを手にした女が、ふくらんだビニールの買い物袋を下げてボートのところにやって来た。荷物を渡し、男の手を借りてボートに乗り込むと、男がルーティンの操作でゆっくりボートを発進させた。

正午を過ぎた海は、輝いている。女はキャビン(小船室)を出て船尾に立って、海から見る地元の家並みの中に自分の家あたりを確認し、じっとその背景の緑の拡がりを眺めている。町が遠ざかって行く。陽ざしに映えて旅を見送ってくれているようだと感じながら、風に髪をそよがせている。左手に初島を見ながら、いいスピードでボートは走り出して行く。女は、キャビンの中で考え事をしたり、外では景色を眺めたりというよりも、アタマを冷やしていたが、キャビン後部のドアが開いて、また、入って来た。

 男が座っている右手の操縦席から離れた左手の小テーブルの席に、どすんという感じで座り、かりんとう菓子を出し、ペットボトルのお茶を飲み始めた。

 「どうだい、そよ風に吹かれて眺めるのは」、男が声をかけた。

 「ええ」

 「ん?どした」

 「……、やっぱり、私ダメです。ムリです」

 「どした、何が」

 「……、私、やっぱり、陰の女みたいな事って出来ません」

 「ええっ、……」

 「ムリです。……、私、もう、どうしていいか、……」、すすり泣き始めた。

 「……」、男はなんとも言いようがない。

 時々会う趣味の仲間以上、夫婦未満の関係が双方に具合が良く、二人の暗黙の了解が出来ていた仲なのに、今更どうしたという男の思いはある。女の方も、持ち込まれる再婚話にも乗らずに来ているのは、そういう事情なのだが、叔父・叔母さんたちは、彼女の東京での辛いバツ経験の痛みのためだろうと考えて、無理強いはせず、話を持ち掛けて打診を重ねるといったところで来ているのである。

 さて、男は、取り乱した女に正直打つ手がない。その後、叫びと泣きと収まりのジェットコースターのような上下動が始まり続いて行く。すすり泣きが止んでやっと下りに入っておさまったようだ、男はほっとした。女が、立ち上がった。「はい」、と菓子をティッシューに載せ、ボトルコーヒーを男の横に置いて、また外へ出て行った。コーヒーを飲む男の目に、明るかった海が、気が付けば雲で陰ってきているように見える。

「やっぱり、私、ムリです」、また、少し荒々しくドアを開けて入って来て、ドスンと座った。

「困ったねえ、…」

「…、私、再婚しちゃおうかな。叔母さんに言われているの」

「そう、……」

「いや、ダメ、ムリ、……。どうしよう、分かんない。……、もう死んじゃいたい」

「ええっ」、びっくりすることを言い出す女に、驚く男は何も言えずに、ただ、ともかく聞いている。近頃のぎくしゃくの関係改善の旅は、どうなるのだろうかという思いが頭を駆け巡る。見れば、鈍色の雲が低く垂れこめるようになってきた。再び女のボルテージが上がって来た。揺れ動くもの言いが、機関銃の連射である。前を向いたまま男が訊いた。

「どうすればいいの」

「……、もう、私を消して―」、低い声でボソッと言った。

「ええっ、……」、大海原に、たった二人で放り出されているが、男は「ええっ」というばかりであり、とても舟出の前に心づもりした悩みの解決、関係改善の軟着陸なんてもんじゃない。実は男も揺れているのだが、女のはっきりした思いをぶつけられ、打たれっ放しのサンドバッグになっている。ともかく、こんなジェットコースターの女を自分と離れた街に帰して、一人にはとてもしておけない。騒ぎになったら、もう何もかも終わりだ。男はただ、そう思い詰めてきた。

 最早、この後に東京で〈伊東〉からの電話に応えて、話なんかしてなだめたところでどうなるものじゃない事は確かである。この航海で、此の海道で何とか、何としても問題にケリをつけねば帰れない。焦りだけが立ち上って来た。

 「ほら、島が見えて来たよ」

「えっ」、女が立ち上がってその方を見たが遠くで小さい。立ったまま見つめている。

3時を回っていて、釣り漁船が、引き上げて帰って行くのが遠くに見える。島付近には船は見えない。ぐっと島に近づきコースに入ると、男はギアをニュートラルにして、ゆっくりと上がれる所に近づいて行った。舳先のロープを手にまず男が岩場に飛び降り、女の飛び降りの手を取って支えた。

 ボートが岩に当たって、ゴツンゴツン言っている。島に上がり、それぞれの感懐を込めてゆっくり島と遥かな周りの景色を眺めた。女は、水辺に田植えのような格好でかがんであれこれ採り上げ、投げ捨ててはまた新しい物を拾い上げている。男が静かに、その背後に進んで行った。

 全てを終えた男は、満ちて来ている海水で手を洗い、汗でにじむ顔を手で拭ってボートに乗り込んだ。向こうに東京に向かって行く飛行機が見える。届を切り上げるのは目立つし、暗い中、コンテナ船通りを帰るのは危ない。マリンタウンでも目立つだろう。ともかく普通に帰ることだと自分に言い聞かせた。

 岩場を離れたボートは予定通り、係留地である大島の波浮港を目指す。磯の鵜の鳥は、日暮れの夕焼け小焼けには帰るのだ。男は思いつき、波浮のホテルに電話して急な都合で行けなくなった、宿泊料は明日全額を送金するとキャンセルを入れた。ホテルの夕食準備を気遣ったのだが、不自然に一人でホテルをウロついて目立つ分けにはいかない。

 勿論、明日は予定していた波浮レトロの見物であちこちに顔を売る事はせずに、早めに港を出て、大島に長居せずに帰ろうと考えている。黒潮に押されて、ボートはいいスピードで進んで行く。向かって走って行きたい沈んでいく夕日に背を向ける方向だが、これはやむを得ない。

 大島東南部の波浮港の突堤灯台を、右から回るように進入して行く。湾の背景は、緑の帯が貼られた崖に取り巻かれており、その東方の出入口から産道を入って行くようになっている。入って右手の引っ込んだ指定係留場所Aの空いた所にボートを着けて係留し、一息入れることにした。キャビンに出て暫しの間、昔の写真で見た風景を想い出しながら、入って来た湾口からぐるっと湾内を見た。往時は肩を寄せ合うように多くの風待ち船が湾内にひしめき、浜の近くに並んだ店の夜の嬌声は、朝まで続いていたことだろう。

 8時近くになって、すっかり陽は落ちて辺りは暗く人通りもない。腹が無性に減って来た。どうしようか迷ったが、まあいいやとサングラスを持って出かけることにした。ボートから出て歩いて、ネットで見た鮨屋に向かった。戸を開けて入ると左手にオヤジが一人、包丁を持ってさばいている。客が3組くらいテーブルについているようだ。

 男は、持ち帰りで上握り一人前を頼み、オヤジの「はいよ」を聞くと「用を足してくる」と外に出た。辺りの店は閉まっているし、岸壁に座って心地よい汐風に吹かれ、波浮の夜景と星空に見入りながら、これから何をすべきか、注意すべきかをゆっくり考えた。30分ほどして出来上がっているだろうと店に戻り、若い娘に支払って受け取り、うす暗い通りをボートに戻った。

 まぶしい朝日に起こされ、未だ眠っているような湾を見やった。ゆっくりボトルコーヒーを飲んで煎餅朝食にし、すっかり町が起き出したようなのでエンジンを始動し、舟出することにした。

 島の汐風 御神火おろし 島の娘たちゃ 出船の時にゃ 船のとも綱 ヤレホンニサ 泣いて解く

 踊り子に会うどころではなかった大島を、自分で綱を解いて出港した。灯台を抜けて右折し、いつかゆっくり会いに来たいものだと思いつつ、男は湾と丘を暫し見つめた。

 ボートは、伊東へ向けて滑り出した。暫らく進むと、左手にコンテナ船が迫ってくるように見えた。燃料節約の遅いもので時速30キロ、高速のものは50キロ位のスピードで海上を迫って来る。図体は大きいが実際は速い。落ち着いて大型船に進路を譲る『避航』をせねばならない。左にハンドルを切って西向きにして行き交うようにし、十分な間隔を取って進んで行った。再び舳を戻して、進路を伊東方向に戻した。

後はボートを無事に着けたら、先ずは車の始末である。女の車をマリンタウンにそのまま放置して、不審車からボートと海の方に目が向いて探されるのは何ともまずい。 伊東マリンでタクシーを呼んで顔を覚えられてしまうことを避け、駅の辺でもたもたして人と会わないためにも、早いとこ車を何事もなく運んで、熱海の駐車場に放って新幹線でさっさと帰ればいい。女が熱海で消えた感じが出るだろう。

 ボート内をきれいに片付け、身づくろいをチェックして、10時前に無事に帰港した。店が開いた駐車場には既にかなり車が入っていて、中の店にさえ行かなければ紛れやすく問題ない。自動帰港届をしてから、振り返って島々に別れを告げた。

駐車してある女の車に鍵を差し込み始動すると、慎重に熱海駅に向かった。交通事故は、例え接触だろうとゼッタイに起こせない。気持ちはせくが、スピード違反もご法度である。熱海の駅の正面から200メートルほど離れているネットで見た人けの無い有料駐車場に車を入れた。早々に警察が調べに来るのは困る。車内外の指紋やゴミなどをきれいにしてから駅に向かった。

 混み合うほどでもない新幹線では、3人がけの自由席に紛れて座り込んだ。品川駅で下車して緑の山手線に乗り換え、少しほっとした。休日の行楽や買い物などの客で混む電車の吊り革に摑まって、男は初めて「終わった」と実感し、肩の力が抜けた。途中の渋谷、かつて女と泊った駅のそばの新しい高層ホテルを見上げると、上から睨まれた。

第1章 事案の調査

 女の不在が問題になったのは、ゴルフに現れないことからである。高い崖の上の伊豆の名門ゴルフコース、伊豆東カントリークラブの1階には、海が見えるガラス張りの広いレストランがある。

「おかしいわねえ、『姉貴』から何の連絡も無いわ。第一、連絡がつかないなんてアリエナイんだけどなあ、……」と、妹分で町の小さなホテルの跡継ぎ娘の『渚』(32)が、髪を手でかいて、スマホを見ながら呟いた。『姉貴』の木浜完菜(41)から連絡が無いだけでなく、電話もメールも家の方にも全く連絡がつかないのだ。こんなことはこれまで一度も無い。完菜は〈伊東〉の名家の美人だが、偉ぶったりルーズだったりということはないし、今回のゴルフを連絡したときは寝起きだったかも知れないが、その後の返信もちゃんとあって日時を間違うようなことはない。

 コーヒーを飲み一服しながら聞いていた寿司屋の『ご隠居』、老人ホーム経営の『若旦那』たちも、そりゃ、おかしいなあと首を傾げている。『ご隠居』がテーブルに手をつき立ち上がって、「わしら先に行って、パターしとくわ」と言い、『若旦那』がついて出て行った。

 結局その後も連絡はつかず、3人のプレイで、渚はOB2発、3度のショートパット外しなどという散々なスコアで終わった。今回は取り返す予定で勇んで出て来たが、大違いの一日となった。

 ゲームを終えてそれぞれが家に帰って来てから、頼まれた暇な『ご隠居』が動いた。 息子に言われて渚に聞いた木浜の家に出掛け、門に貼られたシールのセキュリティ会

社〈シーズ・サービス〉に連絡し、事情を説明した。地元シーズの訪問を受けた渚は、「こんなに連絡がつかないのは、今まで全くないし何かおかしい。早くよく調べてください」、と言い張った。

 地元シーズは本社を動かすと約束し、海と大島を背景にした木浜のお出掛け恰好のゴルフ場での全身写真を借りて引き上げた。伊東シーズの曽我支社長の連絡を受けた静岡の本社は、40年の実績を誇る調査の県内最大手である。大地主の娘が行方不明ということなので、早速、エース級の第3課長と女性問題担当を送った。

課長の鶴沼重穂(56)は、警察を辞めざるを得なくなって途中入社した8年のベテランで、定年まであと3年、頭に白いものが大分混じった中背の小太りで、柔道耳のオヤジである。強面と優しい顔の二面切り替えが得意で、カンのいい粘り強い調査が身上である。妻帯子無しで、酒に強い喫煙者である。

 女性問題担当の水希里美(34)は、鶴沼よりも少し背が低いが高校時代はバスケットで鳴らし、短めの髪に普段は黒紺系のパンツスーツ姿で、同色系のカバンを肩に、細いメタルフレームの眼鏡をかけて動いている。人柄は可愛い方で気働きができ、当たりの柔らかい実務派だが芯はしっかりしている。池袋の私大を出て、新宿の弁護士事務所に女性問題の補助や事務で勤めていた。結婚を前提に付き合っていた男の二股のゴタゴタと猥雑な都会にも嫌気がさし、辞めて地元に帰って来てこの勤めも6年になる。

 時々帰る実家は遠く離れてはいないが、静かな街中の自由な一人暮らしは変えていない。学生時代の仲間と関わることもあまり無く、むしろ会社のつながりが主体でキャリアを積もうと考えているようだ。

 このペアは、いつでもどこへでも出掛けて何にでも対応できる、会社の使い勝手の良い頼れる実戦力である。日没後になったが、シーズ・サービスは木浜完菜の家の上に飛ばしたドローンで、車の無い事と家に居る気配が感じられない事を確認した。近くの同姓木浜である叔父・叔母さんに状況を説明し連絡してもらったが、やはり反応が無い。調査契約にサインをもらい、叔父さんと家に向かった。着くと、本社の鶴沼が持ってきた折り畳みの簡易はしごを車から降ろした。

「佐藤君、ちょっと中を見てくれ」

「分かりました」

 支社の若い小柄な佐藤が、叔父さんも見ている前で昇って中に入り一応見回った。「新聞受けに、(6月)9(日)、10、と今日(11日)の分が溜まってます。居る気配は無いですね」、門の中から伝えた。

「分かった。玄関の鍵を見てくれ。そしたら出て来ていいよ」

新聞屋に連絡して配達員に聞いてもらったところ、何とか3日分は押し込んだが、明日取られてなければ預かろうと思っていたと言う。連絡なしのこんなことは、これまで全く無かったとのことである。明日の朝一で自宅を調べることとし、叔父さんの所で木浜の人となりや立ち回り先などを聞き出し、借りた写真を手にシーズは引き上げた。

 翌朝は、叔母さんが目を見張る中、門横と家の玄関の鍵をわずかな時間で開けた鶴沼の指示に従いつつ、皆でゆっくり中に入って行った。

8日(土曜)の伊豆新聞が、読まれて一階の庭に面したリビングのソファテーブルの上にある。1階の大型冷蔵庫と台所廻りや2階の木浜の浴室傍の洗濯物を若い水希と一緒に見た叔母さんが、「旅行のスーツケースなどは有るし、これは普通のお出掛けの様子だ」と言った。家に繋がる陶芸場も鶴沼たちが見たが、変わった様子は無く、2階の木浜の書斎の机とパソコンなどに取り掛かった。

 一方、水希と叔母さんは、タンスなどに取り掛かり始めた。水希には服も下着も羨ましい上物で、ため息が出ている。暫くして水希が、「叔母さん、これ何ですか」と聞いた。

「アンタ~、ちょっと来て~」、叔母さんの叫び声がして叔父さんが下りて行った。

「なんだ、それ、新しいし兄貴んじゃないぞ。お~い、ちょっと来てくれ~」。今度は鶴沼たちが、降りて行く番だ。

「これは分からんなあ」、叔父さんが藍色の新しい作務衣の上衣を持って前後を回して見ながら言った。

「男のお友達の物って訳ですか」、鶴沼が叔父さんたちに訊いた。

 叔母さんは目を見開いてびっくりしているが、叔父さんは「……、そうだろうなあ」と、首をかしげながら答えた。

「陶芸をするお友達って訳ですね」、鶴沼が訊いた。

「そうだろうなあ、……、庭仕事は職人が通いで来るからこんなとこに置いたりはしないからな。それにしても、家の中に男を入れていたとはなあ……」、水希が持って、作務衣の上下をさっと鶴沼に当てた。

「1メートル75くらいですかね。鶴沼さんほど太ってはいないようですが」、叔父さんたちがいるので、いつもの『おやっさん』とは言わなかった。

「そういう目で、また探しましょう」、鶴沼が言って叔父さんと若いのを連れて階段を上がって行った。

「おい、名刺入れを何とか探そう。本棚の方を見てくれ」、鶴沼が佐藤にハッパをかけ、自身は机と周りのバッグなどに取り掛かかる。

 昨夜遅くなってやって来た技術課の山本哲男は、パソコンと格闘している。厚めの新書くらいの外付けハードディスクに、パソコンの中身のメモリーの吸い取り作業を続けており、地元の佐藤に、本棚の方の写真を撮ってデータを送るよう指示した。

「はい」、と答えた佐藤は、本箱の本や雑誌、大学と地元高校の卒業名簿の同窓生関係などの撮影を進めて行く。

鶴沼が、机の右の一番下の鍵がかかっていない大き目の引き出しから、「おい、あったぞ」、と抜き出した名刺入れをパラパラとめくっている。

「佐藤君、これを写真撮って送ってくれ」

「はい、分かりました」、パチパチ撮りだしたところで、下の方で電話が鳴った。

「アンタ~、ちょっと~、警察さんよ」

「ええっ、…」叔父さんが下りて行くのに、鶴沼が付いていく。電話を手にした叔父さんがアタマを下げている、「ええ、そうです。……、ええ、分かりました。直ぐ行きます」、と答えた。

「どしました」、鶴沼が訊くと、「完菜の車が、熱海駅のそばの駐車場で発見されたそうだ」、と叔父さんが答えた。叔母さんの口が少し震えている。

「お~い、熱海で車が見つかった、叔父さんとちょっと行ってくるからな~」、鶴沼が叫んだ。

「は~い、分かりました~」、哲男が答えた。その後、リビングの雑誌などから木浜のモノでない男のものも含まれる指紋も採れたが、いろいろで今は何とも言えない。

 熱海の駐車場に着いた鶴沼が、既に概略の調べを終えた所轄の年配の刑事に、事情を説明し状況を尋ねた。鶴沼は、県警にいた時代に調べに行き過ぎがあり、地元の国会議員から抗議され、それまでにも独断で動いて問題を起こしていたりで、辞めざるを得なくなった。「県警のマムシ」と恐れられたそんな鶴沼の話は、若い現役の者たちでさえも聞いている。そんなことから、警官との話は早い。「いやあ、本人じゃない、ちょっと変ですね」という建前の簡単な情報を告げられた。警官と誰にも聞かれないように車の周りを廻りながら、少しづつ補足を受けた。

 指紋が拭き取られている。此処に入れたのは、9日1044、ペダル周りの砂が此処のじゃない、どこもきれい過ぎる、も少し調べたい、だった。

 今度は鶴沼がサービスする番である。心配そうな顔の叔父さんに訊いた。 

「完菜さんは、結構あちこち車で遠くへ行くんですか」

「いやあ、出歩いてはいるが、車ではこの辺じゃないかなあ。遠出するなら東京などは列車だねえ。車で遠出しているとは聞いたことないなあ。買い物やゴルフのためのみんなと同じボックスカーだしねえ」

 東京での木浜は、陶芸品がある場合などは会場や店やホテルに宅急便を使って送り、ちょっと必要が生じたり強い雨の時はタクシー券を使って自由に動いていたが、そこまでは叔父さんも知らない。

「叔父さん、車は急がないですよね。も少し調べてみないとちょっとですね」

「ええ、勿論いいですよ、よく調べてください」、結局、熱海署がも少し詳しく調べることになったので、叔父さんと鶴沼は〈伊東〉に戻って行った。車中、鶴沼は叔父さんに、木浜資産の別荘や知人の所などで立ち回る可能性のある所の調べをやってもらうよう頼んだので、叔父さんが、会社と何ケ所かに連絡を入れた。

 鶴沼たちが探し物の木浜の家に戻って来た。

 水希はやはり女なんで、木浜の靴、バッグ、食器から化粧品に至るまで、その質と量のレベルの違いにうっとりで、目は半分そっちに行っている。尤も、それではと鶴沼や佐藤が替わったところで、碌な物に目が行かないだろう。それでも水希は、大き目の白いタオル地のガウン、比較的新しい男物のスリッパを玄関で見つけていた。そのほかには特に引っ掛かるモノは見つからない、普通のお出掛けのままの不在だと答えた。

 訊かれれば、私なら遠くへ行ってしまう場合、あんな洗濯物をそのままにはしていかないと答えるつもりでいた。名刺の中に作務衣を着て陶芸をしそうなそれ系のものが、5~6枚あると水希が言い、哲男の方は、PCは調べものと資料保管で、ちょっと見たところでは引っ掛かりそうな男は見つからないと答えた。顔を曇らせている叔父さんたちを元気づけるためにも、鶴沼はこれから名刺の中の作務衣やガウンを着た陶芸男の線で、東京へ行って当たって来ると伝えた。自宅の調査は写真をいろいろ撮ってあるし、パソコンの中も押さえたので、一旦切り上げることにして、皆で家を出た。以後も叔父さんと一緒でないと家には入らないとその点は伝えた。鶴沼は、木浜と男の8、9日前後のとりあえずの熱海や伊東での足取り調査を会社に任せ、警察にはよく説明しておくからと佐藤に指示した。「ご内聞に」と言う叔父さんから捜索願を出してもらうことになる。まあ、大人の女が一寸見当たりませんというくらいでは、忙しい警察は相手にしてくれないが、何かと役に立つだろうから、クライアントのためでもある。

 鶴沼・水希組は、クサそうな男と陶芸店の名刺の写真を佐藤に撮って送るよう指示し、出張バッグを積んだ社の車で、東京へ向かった。何しろ大地主の娘の調査なので、会社も出張の経費がどうのこうのとは言わないと分かっている。抑えても分かるウキウキ顔の助手席の水希は、転送された名刺写真を、木浜の男という視点からスマホでチェックしている。車は順調に走れており、混んでいないので、店で当たれるだろうと鶴沼は考えている。

「おやっさん、木浜さんの車の方はどうでした」

「うん、彼女がいなくなったように装っているが、おかしいね。手袋していたようで指紋はこすって分からなくしているし、靴の砂がどこか他所の物らしい。叔父さんは、車であんまり遠出はしないと言っているから、よそ者が転がしたなあ。会社の方に、熱海駅付近と地元での聞き込みを頼んどいたわ。」

「そうですか。そりゃやっぱり、男の影がチラつきますよねえ」

「ああ、間違いないね」

「おやっさん、まずは表参道の新進気鋭、期待の実業家さんでやり手です。他の店も廻ると言うことで、とりあえず渋谷のシティ・ホテルを2泊押さえました」、こういう事は素早い。東名のサービスエリアに入ってレストランで昼食をとり、水希はついでに『東京ウオーキング』を買い込んだ。東名から246号線を来て〈骨董通り〉傍の駐車場に車を入れ、アポなしで店に入ることにしている。通りから一本入った目当ての二階建ての店スガカマは、大きなガラス戸の入口を、茶と金色横文字で社名〈Sugakama〉を渋くまとめ、ドアの両脇にオリーブの鉢植えを置いている。入ると大小の陶器が、大きくはない緑の観葉植物を交えて所狭しと陳列されている。カップ、湯呑、お銚子、とっくり、花瓶、壺・・・多種多様である。ゆったりした薄地の羽衣のような緑の上下を身にまとい、白い大きな腕輪をし細身で髪の短い中年女性が立っている。

 「あの~、丘山田さんはいますか」、鶴沼が聞いた。

 「いえ、外に出ていますが何でしょうか」、鶴沼のボサっとした髪、何よりもくたびれ気味の背広とネクタイ、そして安物の靴を見てとった。まともな営業の格好をしている水希との組み合わせが理解できない。いずれにしろ客ではないと判断したが、おくびにも出さない。

 「何かお探し物でも?」

 「いや、ちょっと此処の作品などについてお話を伺おうと思いまして」、鶴沼が名刺を出さずに応じた。

 「ところで、丘山田先生なんですけど…」、水希は、ネットで此処は土・日もやっており月曜が休みで店は8時までなのを、調べて既に鶴沼に伝えてある。

 「先生は、先週の土・日曜はお店におられましたか。ちょっと覗いたらおられないようでしたので」、さらっとアリバイに関して当てた。

 「ええ、熱海の方で呼ばれているとおっしゃっていましたから」、驚きの声は抑えたが、丘山田が熱海へとはびっくりした。

 「そうですか。ところで何時ごろ戻られますか」

 「そうですねえ、4時ごろにはと言ってましたが、ちょっと確かなお時間は分りかねるんですが」

 「じゃあ、あと1時間半ほどですね。すみませんが戻られたら電話貰えるでしょうか。鶴沼と言います。ちょっとお伺いしたいことが有りまして、数分で来られる所に居ますから。どうも、じゃあ宜しくお願いします。また来ます」、と言って電話番号のメモを置いて、二人は店を離れた。

 「それじゃあ折角だから、この辺を見ながら待つとするか」

 「はい、そうですね」、抑えて嬉しさを感じさせない。

 鶴沼は今回の出張では、水希に何処へ行ったのかとか、何を買ったのかとか言わないように決めている。作務衣を見つけたお手柄の若い女の都心への出張なのだ。久しぶりに、少しは日頃の骨休めがあってもいいと思っている。しかしまあこの辺を、こんなペアで動き回ることがそぐわない。水希が鶴沼と組んだ2年前、仕事の途中で実家に寄った時、母親から変な人と付き合ってないでしょうねと言われたらしい。どうも服に安いタバコの臭いが残っていたためのようだ。それで、素直に鶴沼と組んで動き廻っていることを説明して、何とか納得させたそうだが、東京の弁護士事務所とは全然違う仕事ぶりに、母親は眉をひそめたと言う。

 鶴沼にとっては表参道は初めてだが、道を訊く訳でない交番の横から何となく歩き出した。どっかで聞いたことがあるなという名の店が、並木の通りに実際にデンと軒を連ねている。ブランド名をはっきり出して、意匠を凝らした構えをしているんでびっくりした。何か買って帰れば、明らかにカミさんの点数は稼げるのだろうが、とても入れるもんじゃないし、慣れないことはやめた方がいいと思っている。水希は〈表参道ヒルズ〉に入ると言うので、鶴沼は裏の県特産品の出店の方にした。 酒やビールに惹かれたが、流石に仕事中なのでサイダーにして外で一服休憩とした。

 3時40分を回ったので水希の方へ行って見たが、こっちはとてもとても鶴沼の来る所じゃないと思った。陶芸店に電話を入れたら、もうすぐ戻るでしょうという事だったので、水希を呼んで並んで向かうことにした。歩いている途中も何か買ったのかとは訊かないでおいた。2人が、クリスマスはネオンできれいだという通りを歩いていると、会社から鶴沼に連絡が入った。木浜が、県内からと羽田や成田から「高飛び」した線は無いと言う。水希に伝えて、2人は顔を見合わせて納得した。

 鶴沼は、叔父さんが『2週間ほど前、完菜を食事に招んでやった時、ちょっと涙目になっていた』と言っていたが、実はもしかしたらお別れの気持ちだったのかもと気にはなっていた。しかし、これまで調べた様子からもお金持ちのお嬢さんの高飛びじゃ無さそうで、あっても国内となる。それにしても豪邸も何も捨てて、お出かけ風に消えてしまうなんて事は、車の様子からもやはり何とも不自然だ。変だろうと水希に言ったら、「まあ、あの家や車の様子じゃ、そんなことは無いですよ」、としっかり同意した。

 事件となると、そんなヤバイことを身代金も獲らずに共犯でというのも、やっぱりどうかだし、数日経っても何の要求も無いのである。ここは普通に考えて、車を乗り捨てた、作務衣も着た男に注目ということになるだろう。そんな話を二人でしながら、賑やかな通りを歩いたが、もうブランド店は目に入らなかった。大通り(246号線)を渡って右折し少し歩いて左折して行き、店のドアを押して入った。

 店主の丘山田は、無論、陶芸の初心者指導くらいは出来るが、作品創りのプロではない。その理解がある作品売りの壮年実業家と言う方が適している。培った芸術に対する目で数人の作陶プロと関係を持って、基本的には此処を拠点とする販売とその企画が仕事なのだ。大阪で使われてから築地、そして此処へと上がって来ている。時には海外展開を図り、そのためには作品に鮮やかな色付けをする流派の物も扱っている。正に新時代のやり手の実業家といったところである。という事なので、陶芸に関心がある伊豆の大地主の娘の来店は歓迎、他方、木浜にとっても、こんなところの店と芸術系の壮年実業家はぴったりだ。

 スガカマ店番の女性が既に丘山田には話しているだろうから、鶴沼たちは、入って並んでいる作品を一つ一つじっくり見てみることにした。暫くして入り口の大きなガラスドアが開いた。水希が見ると、鶴沼と対照的で背が高い40代半ばのスラッとしたイケメン男だ。長めのウェーブの髪で、目鼻立ちが整っている。サングラスを胸に差した麻の紺ジャケットにTシャツ、細身のグリーンのズボン、カバンを手に爽やかな風のように入って来た。

 店番の女性が我々の方を目配せしたので、「どうぞ奥に」、と鶴沼たちを手招きした。 デスクと三人掛けの対のソファセット、間の小テーブル、周りに本などと幾つかの陶芸作品に、花瓶の花だけが机に飾られている散らかった小さな部屋だ。

 「お待たせしました。何でしょうか」、ソファで向き合った丘山田が口を開いた。客だとは思っていない感じが出ている。 鶴沼たちが名刺を渡しても、見て別に驚いたふうは無い。

 「いや、先生が陶芸品の販売と教室などで、言わば中心的なお店だと聞いて、静岡から出かけて来ました。此処の主催で展示会や講習会をすることもあるようですが」

 「はい。年に何回かホテルなどで一流の先生の展示会をしますし、2階で講習会もやってますよ」

「そうですか。先生は、熱海でも活動なさっていると」

 「ええ、熱海のホテルが展示販売に関心があるという事なんで、打ち合わせに行って来たんですよ。お蔭様でこの頃では、インバウンドの外人さんが好調になって来たんで、うちの扱っているモノも日本らしい物としてあらためて評判が上がってましてね。最近はお店などでのインテリアとしても、外人客向けに関心が出てきてるんです。そこからイベントをというセールスを、ネットや個別にしてるんです。幾つか実際に作品を持って行ってるんですよ」

 「成る程、流石に新進気鋭の実業家さんですね~。じゃあ、打ち合わせの後は、ゆっくりお湯につかって手足を伸ばしてというところですか」

 「ええ、泊まって向こう様にも好感を持っていただきませんとね。まあ熱海ですからね。打合せしてそれじゃサヨナラ、ではホテル様に失礼でしょう。帰った翌日はこっちが休みですしね。ともかく実際に客筋をこの目で見たかったんですよ。熱海もひと頃に比べると、すっかり活気が出てますねえ」

 「伊豆の方の生徒さんって言ったら、覚えありますか」

 「ああ、木浜さんですか。ええ熱心な方でよく通って来られてますよ。時々は少量ですが新作を買い上げて貰っています」

 「そうですか。あっちでお会いになられましたか」

 「えっ、…、木浜さんですか。いや、向こうではお会いしてません。ま、熱海ですから伊東は近いんですが、彼女とのビジネスや特段の大型の紹介は有り得ませんしね。私も打ち合わせが順調だったんで、一杯やってひと風呂浴びてのんびりしたかったですから、声を掛ける事のほどでもなかったんですよ」

 「木浜さんの陶芸は、どうなんですか」

 「窯も持たれて土もいいですね。薪焼きの伝統派で、う~ん、で、鋭い質問もする熱心な方ですよ。考えて工夫している作品で、お嬢様の趣味のレベルは越えてますね」   

「そうですか、此処の2階の陶芸教室の生徒さんは、男性の方も当然入ってますよね。作陶プロの先生方も出入りされていると聞いてますが、木浜さんが特に親しくしていた方っていましたか。」

 「さあ、どうでしょうか。特に親しいという方は分りませんね。彼女は此処の作品が欲しいという伊豆の方を教えてくれて、買い上げてもらったことも何回かありますが、あくまでも紹介小売り程度の事でした。彼女には、ビジネスでという考えは有りませんから。 それもあって、彼女の物を教室に通う人の作品として、ここで少し並べてあげたことはあります。幸いに面白いと言って買ってくれた人がいました。でも、そういうのは普通の生徒さんの物を扱ってあげる売り買いの話ですから、ビジネスにはなりませんし、親しいと言う訳でもないですよ」

 「彼女は陶芸関係でかなり頻繁に上京していたと聞いてますが、出て来た時にご一緒に他の展示に行くとか、食事や見物とかされたことはありますか」

 「いいえ、プライベートでお付き合いしたことは有りませんね。此処に関わる場合は、私もそういう時は忙しいもんですから」

 「ここに出入りされる先生やお客さん、生徒さんたちで、講習会の後に流れるといったことはあるんでしょうね」 

 「女性同士では、何人かで行ってはいるようですね。木浜さんのことはよくは知りませんし。男性方も一緒なのかどうかもよく分かりません。私は行く事は有りませんから」

 「そうですか。すると特に思い当たる男の人はいないという事ですか?」

 「ええ、此処に関してはね。彼女は他の所へも顔を出しているでしょうし、美人ですからね。まあ、よく分かりませんがね。なんですか、彼女にいい話でも出てるんですか、それは結構ですね」

 「いや~、まあ分かりました。有難うございました。いずれにしても、ご内聞でお願いします」

 「はい。大丈夫ですよ、よく分かっています」と、愛想笑いで丘山田が胸を叩かんばかりに答えた。鶴沼は水希とのペアだし、向こうが結婚話の調査かと思ってくれているなら、それはそれでいいのである。2人が、立ち上がった。

 丘山田が「どこかでヘンな噂があれば、はっきり打ち消してください。大事な時期のご迷惑になりますから」、と逆に言う始末で、2人は送り出された。

 しかし期待の大本命が、隠し事が有るようには見えないあっけらかんとした対応に、わざわざ出かけて来たのに、正直言って目の前が真っ暗のがっかりだ。2人は、重いガラスドアを開けて西陽が眩しい外に出た。気を取り直して代官山に向かうべく駐車場の方へとぼとぼと歩きながら、会社に丘山田の熱海のホテルでの行動を説明し、裏取りを頼んだ。後にした店では、丘山田が早速、店番の女性にペラペラと木浜の事をしゃべっているとは知らずに。

 日も陰って来た頃に代官山に来た。鶴沼には、この街では乳母車を押している若いお母さんが、乳母車・赤ちゃんごと雑誌から抜け出てきているような恰好なので驚かされる。店に入って長身の50台とみえる女主人と陶芸の話などしながら、木浜の事に踏み込んで行った。

「此処での彼女の人付き合いはどうでしたか」

「ええ、リッチな伊豆の方ということで、何人かのお馴染みさんは知り合ってますし、ここでも彼女に頼まれて生活用品を少し置いてあげて売れた事も有りました。でも売り買いとも深い付き合いにはなっていません。やはり、芸術家、プロという方では有りませんからね。まあ、若くはないですがリッチなお嬢様の『自分探し』の趣味ってとこかしら」

 「そうですか。そのお馴染みさんて、どういう人たちですか」

 「いやあ、この辺にお住いの陶芸好きの人たちですよ。年配者や妻帯者や女性など、うちで特売などを企画した時に出会って、お話しする程度の事です」

 「そうなんですか。ところで、〈青山〉の丘山田さんの評判はどうなんでしょう」

 「まあ、私たちとは全然違う商売のやり手ですよ」という素っ気ない答えが返った。

 「木浜さんとの噂などは聞かれたことはありますか」

 「丘山田さんは結構お盛んらしいとは聞いてますが、木浜さんの名が挙がったことはないですね。でも2ケ月くらい前だったかしら、木浜さんがちょっと艶っぽくなったなあと思いましたね。あの後は知りませんけど」

 「これらの方々は、どういう方でしょうか」と、鶴沼が陶芸関係者の名刺の数名分を彼女に見せた。見知っているとは言うが、特段の男女関係の噂も持って無く、まして木浜に繋がる話は聞けなかった。

 鶴沼がボヤいた。「彼女は、伊豆から結構東京に来てるんで、きっと誰かいるんだろうなと、我々は思って出て来たんですがね。ホントに何の噂も無かったんですかね~」、

 「そこはお上手だったんじゃないですか。でもホントに業界絡みの噂を聞いたことは全くないですよ。他じゃないんですか」と逆に鶴沼たちに水を向けた。

 「いやいや、陶芸関連くらいしか考えつかないんですよ」、あれこれ話題を変えて食い下がってみたが、結局、隠している訳でもなく何も出て来なかった。

 「ま、いいじゃないですか。男の影は無かったで」

 「ところで、では女性の方というのはどうでしょうか」、水希が眼鏡を上げながら口を挟んだ。水希の目力に、女主人が一瞬ひるんだが、「いや、それは無いですね。はっきりイケメン好きな人ですよ」、と言い返すように答えた。

 「そうですか、有難うございました」、鶴沼たちは退散することにした。店を出てから、水希のことを考えて晩飯はこの辺にしてから宿に戻ることにした。途中の店の外で煙草を吸う所ですら、罪悪感を感じさせずに吸えるシャレた造りになっている。まあ、何という街だ。

 明日は銀座の店に行くから朝はゆっくりだなと言っておいたので、どうも水希は代官山で別れた後、夜遅くまで友達とどこかで過ごしていたようだ。出掛けた銀座の店は、ショーウィンドーに各種の物が陳列され、店の中には大きな天然木のテーブルと椅子があり、隅にはソファセットが有る。壁側には、商品が並んでいるので、商談をしっかり出来る所なのだろう。鶴沼よりかなり年輩の女性は、耳・首・指に色々な飾りを付け、小柄な太めで声が少し野太い。

「伊豆の陶芸家の木浜さんですか。ええ、個展などがあるとよく来られたし、そこそこのモノを買い上げることも以前はありましたよ。深い付き合いではないです。無論、素人の彼女の物を此処に置いたことはありません」

「業界のどなたか、彼女に親しい人はいましたでしょうか。丘山田さんはどうですか」、鶴沼が訊いてみた。

「彼女が業界の誰かと関係があるのかなんて分りませんね。丘山田さんは、此処と客層が全く違いますし付き合いは無いです。うちでは色付け物は扱わないし、基本がデパートや海外に企業、古い馴染みのお客様などとの商売で、資料を見てここに来られる外人バイヤーなどが主なんですよ」

 鶴沼が名を挙げた陶芸関係の数名については、知ってますよと言う者もあったが、ギョロっとした目で睨む、木で鼻をくくったような答えしか返らない。彼女は、要はあなた方が何を知りたがってるのかは知らないが、此処は入って来るような所ではないですよという応対の感じなのだ。はっきり言って取り付く島もない。塩を撒かれないうちに2人は外へ出た。その後、名刺から選んだ2人を訪ねたが該当せず、途方に暮れた。水希が調べておいたのをスマホで確認し、大きなデパートの陶芸関係を見に行こうとなった。何か拾いものがあるかもしれないと言う。銀座4丁目から丸の内を廻った。

 新宿の方へ向かっていると鶴沼の電話が鳴った。会社からだ。

 「スガカマの丘山田を名乗る男が、確かに8日の土曜の午前に、熱海のホテルに来て打ち合わせをしてます。物を陳列作業して夜泊って次の日の昼前に挨拶して車で出て行ってます。夜は風呂に入ってから食事して呑んで寝ていて、外を動き廻るなんて事は有り得ませんね。従業員の複数から裏が取れました」、との事だった。期待を込めていた丘山田の線が、霧の向こうに消えて行った。結局、デパートや専門店も当たったが、木浜に関わる男について、意味ある事は何も得られなかった。鶴沼はくたびれ果て、新宿で土産でも買ってオヤジ飯にして宿に帰ろうと思った。水希は好きでいい。会社に連絡し、明日の朝にチェックアウトして、現場と考えられる伊豆の調べに帰ることにした。

 夜も煌々と明るいビル街が、働きの成果が無いのはお前たちだけだぞと言うように、高い所から見下ろしている。

 朝から垂れこめた雲から雨が降り出した帰りの東名高速は、水希がハンドルを握り、2人とも話す元気も無かった。鶴沼がスマホを取り出した。

 「おい、哲ちゃんよ、なんか引っ掛かりはないかね。……、う~ん、じゃあ本棚周りの写真を送ってくれ。……、うん、じゃあ宜しく」、スマホを胸にしまって体を倒し、椅子を少し引いて足を伸ばし、目をつぶった。水希は考え込んでいる風で、時々ドリンクホルダーのお茶に手を伸ばしながら運転している。一休みした鶴沼が、スマホを取り出して見始めた。幸い雨は強くなることも無く、水希が入れたクラシックのBGMに合っている。暫くいろいろ画面を見ていた鶴沼が、思いついたように声を挙げた。

 「水ちゃん、木浜の専攻はなんだっけ」

 「国文科でしたよね」

 「う~ん、で、陶芸の伝統派かあ」

 「どしたんですか」

 「いやね、この『旧石器時代』、『黒耀石に見る先史』っていう2冊が、ちょっと毛色が変わってるんでね。学問関係は殆どが古典文学や近現代の小説で、陶芸や美術関係のものと女性ものが多い本棚じゃあ、浮いてるし新品で真ん中だし目立つよなあ」

 「でもまあ、どっちも古い歴史的なことに関りがあるじゃないですか」

 「う~ん、そうだなあ」、と言って鶴沼が電話し始めた。

 「佐藤君、もうすぐ東名の海老名なんだけどね、そっち着いたらちょっと本棚を見たいんだ。叔父さんに話を通しておいてくれ。……、うん、すぐ終わるから、宜しく」

 「何か、気になるんですか」

「な~に、もうワラでもってやつだよ。陶芸の本なんかには引っ掛かりがないからね」、と言ってまた電話し始めた。

 「哲ちゃん、本棚の『黒耀石に見る先史』に絡むことを調べてくれ。今から自宅に本棚周りをチェックしに行くから、……、うん、なんでもいいよ、宜しく」

 鶴沼を先頭に、どかどかとみんなで木浜の家の2階に上がった。本棚に近づいた鶴沼が、5段の中央からお目当てを抜き出しめくった。「う~ん」と言いながら顔色が変わっているので、叔父さん、佐藤、水希が寄って来た。

 「叔父さん、サイン入りですよ、ほら」

 「ん?去年の7月21日というと、按針祭りの夢花火大会の日だねえ」

 「何ですかそれ。あ、水ちゃん、哲に聞いてくれ」

 「いえね、ほら、イギリス人の三浦按針がいるでしょ、ここの松川の河口で日本最初の洋式帆船を造ったんですよ。それを記念した《按針祭》の最後を飾る花火大会でしてね。伊東の最大の賑わいのイベントなんですよ」、

 「そうなんですか、で、なんでそんな日がここに」

 「…、さあ、何、ですかねえ」、二人は他の本を見るが、陶芸関係はもう見る気がしないし、文学関係もまあ専攻した者のモノであり、女性物は違うので他に手が伸びそうなものはない。水希が、階段を上がって来た。

 「鶴沼さん、去年のその日に、その先生が伊東の生涯学習センターで講演してますよ。

その時に本を買ってサインしてもらったんですよ」

 「何~。水ちゃん、哲に言って東京のダブル・アイ(シーズとの提携社)にこの先生を調べてもらってくれ。佐藤君、ここの去年のこの講演会に詳しい人から、話を聞けるようにしてくれ」、そして叔父さんを振り向いて言った。

 「手がかりが出てくるかも知れません、ともかく引っ掛かりは何でも手繰っていきますから」、叔父さんが、ああとええの中間のような返事で頷いて、この場はお開きとなった。鶴沼のテキパキした指示に感心している風の叔父さんの様子から、経費請求は問題なく、大丈夫だなと水希は思った。

 昼食後、鶴沼たちは、ガラス張りのモダンな伊東市庁舎5階の小会議室で、生涯学習課長の話を聞くこととした。まず、鶴沼が口火を切った。  

 「お忙しいところ,申し訳ありません。ちょっと勉強しませんと仕事しにくいところが出てきたもんですから、宜しくお願いいたします。ところで、去年の夢花火の講演は、例年恒例のモノですか」

 「いえ、初めての試みなんです。教育面と観光を繋げる何か新しいモノはということで、かねて観光協会とも話し合って来たイベント企画の中から出てきたものです。海上花火大会の口開けとして、郷土史関係の講演はいいねとなりました。実は先人が、縄文時代に河津に黒耀石の工房を作って、当時の交易の拠点だったらしいですし、もっと大昔には海の向こうの島に地元の伊豆から舟で行き来していたとかで、本を書かれた先生を呼んで話を聞こうとなりました。結構最近は、生涯学習でも郷土の歴史ものに関心が出てますので、観光協会も目新しい挑戦だと乗ってくれました。尤も、これほど古いのはまだまだですが、それだけに知られていないのはいいだろうと」

 「誰か先生と近しい人でもいたんですか」

 「いえ、特にいません。歴史好きで本を読んだ者が、アイデアを挙げました。で、大学の方に連絡したらいいですよとなったものです」

 「課長さんは、先生とは話されましたか」

 「ええ、観光協会の方と4人で昼食をしたときに、色々聞かせていただきました。関東の武蔵野などの発掘から、今後は伊豆などの海に向かいたいというようなことでした」

 「では、本もその時に販売されて、サインなんかもされたんでしょうか」

 「ええ、1時間の講演と質疑応答を終えてから、演壇下のフロアに長机をセットして、あらかじめ書いておいた分も含めてサイン販売しました」

 「聴衆はどんな人たちですか」

 「約200名で、年配の男性が多かったですが、中高年女性も結構いましたし、学生・生徒も50名くらいおりました」

 「どのくらい売れたんでしょうか。一人一人は、先生と握手でも」

 「50冊くらいでした。握手は有りません。支払いしてから横に座っている先生の前で、サイン本を受け取っただけです」

 「聴衆のどなたかと親しくお話しされたようなことは」

 「いや、残った方々も先生を拍手で見送っただけで、お話しされた方はいません」

 「今年もまた、企画されてるんですか」

 「ええ、盛況でしたので。令和になりましたし、始りの神武朝の国造の設置や大和武尊の東征などの頃の話になります」

 「お忙しいところありがとうございました」、礼を言って3人は出てきた。車に乗って鶴沼が、「まあ、40の美人は目に着いたろうな。木浜と教授は、一言くらいは交したんじゃないかなあ。ま、追ってみよう」と言った。

 鶴沼が月曜に出社すると、支社が訊いて廻ったところでは次のとおりであるということが分かった。

 1.木浜には、口さがないこの辺で深い付き合いのある男はいないようであり、噂も聞いていない。

 2.いいとこのお嬢様だがしっかりしていて気配りもできる。結婚した旦那は建設関係のエリート社員だったが、人間性に問題がありDVもあったようで不運だった。

 3.東京によく出ているので仮に男がいればそちらだろうという事であり、女友達の一人が、昨年末くらいから木浜に張りと艶が出て来たと感じているのでいたのであろう。

 4.偉ぶらないし商売もしてないので、事件になるような誰かの恨みを買ったりはしないだろう。常識があり、投げやりな自殺や失踪は、ちょっと考えられない。

 5.地元で定期的に通うサークルやその仲間というような者たちもいないようである。

 6.反社会的勢力との関連は無い。仮に犯行があれば、車も消えているだろうし、何らかの要求があるものとみられるが、そういう事は今もってない。

 7.隣家の話では、陶芸の煙はまあ、ペースが少しあがっていたかなというくらいで他に特に感じた変化はない。

 東京の提携社ダブル・アイからは、男の顔写真付きのファイルが会社に届いており目を通した。

 MS大考古学教授の沢坪正吾(48)は、2年前に奥さんを亡くしていて、息子が仙台で大学4年生。身長176センチ、横浜下町出身。神奈川のS高校、ハンドボール部。趣味は、スキー、囲碁。日本先史の研究で期待されている卒業生で改革派。長野・関東に新たに伊豆・三浦・房総の各半島と東京諸島地域の総合的な研究を構想しており、学部けん引の実力は認められているが、内外に批判も多い学者。高円寺駅傍のマンションから、お茶の水に通勤。写真を見ると、まあ整った顔立ちの二枚目の部類であり、作務衣がぴったり合う。

 鶴沼たちが出張中における本社からの増員と支社の者による熱海駅付近と地元の調べで、9日日曜の11時過ぎに、熱海駅員が、似たような男を見たような気がするがはっきりはしないと言っている。タクシーやバスなどには情報が無い。しかし、木浜の方は、地元の伊東はもちろんのこと、熱海駅やバス、タクシーに付近のホテルや店、連絡船や長距離バスなどのどこにも情報が無い。鶴沼は、3階踊り場で一服しながら、教授のプロフィールと学習センターでの講演及び熱海駅での動き、更に木浜の状況と車を絡めて考えていたが、いい線だと感じられてきた。デスクに戻って、撮り溜めた木浜の自宅の写真を眺めていたら、4階から哲男が下りて来たので、水希を誘って3人で小部屋に入った。

 「PCは、何か見つけたかい」、鶴沼が哲男に水を向けた。

 「衣食住の特にファッションや食事などの女性ものに、ゴルフ、旅、映画、ですね。PCでのメールは殆どやってません。幾つかのメルマガは、さっき言った内容と英会話、金融関係といったところです。何といっても、スマホの無いのが調査には痛過ぎますね。ちょっとした引っ掛かりを木浜のパソコンで見つけたんです。見てください、いろんなプレジャーボート写真を集めてますよ」

 「う~ん、そうだなあ、海チームに言ってボートの線で、木浜と教授の関わりが出ないか頼んでみよう。水ちやんは、何かないかい」

 「教授と木浜さん、自宅に入れての作務衣ということになれば、お付き合いしてますよね。この辺で2人してお出掛けすれば、当然、いいレストランへ行ってると思うんですよ」

 「そりゃそうだなあ、哲ちゃんとリストを作って、独りでいいからまずは東伊豆で当たってみてくれ。ただ話を訊くだけじゃ辛い所は、遠慮せんで食い物を注文していいからな」

 「はい。廻ってみます」、頬が緩みそうなのを抑えた。

 「オレは、作務衣で気が付いたんだが、確かあそこの陶芸場の棚には作品が並んでたから、教授の物があるかも知れんぞとね。専門家を連れて行ってみるわ」

 鶴沼が2人を見回しながら、ところでと訊いた。

 「仮に教授がやらかしてだな、熱海に車を放たらかして逃げ帰ったとすれば、どこでどうやらかすかね」、水希が乗って来た。

 「おやっさん、それなんですよ。熱海のあの車で動いたところで伊豆半島でしょう。しかし、タイヤに山の中を動き廻った痕跡はないですよね。別荘や倉庫かなんかでも、木浜さんの息のかかった所でしょうし、立派な住まいがあるのに何しにそんな所へ行くかですよねえ。それじゃあ海辺のデートでとしても、木浜さんに不自然でなく誰も見てない時と所となりますけど、埋めるスコップ道具はどうしますか。日が経ってますけど、普通に人が動く所に遺体を見つけたっていう話が全くないですよね」

 「そうだなあ。哲っちゃんよ、どうかいな」

「……、そうですねえ。他と違って目立つというなら、やはりさっきのボートですかねえ。でも、土堀りの考古学者ですけどね」

 「木浜はボートを買おうとでもしてたんかなあ。ま、その辺のとこも海チームには言っとこう。但しな、ボートでって簡単に言うけどな、浮いて来るし、服の残片なんかが漂ったりするし、舟に必ず何か痕跡が残るんよ。特に、浮いて来ないようにする錘をどうするかだなあ。積んでりゃ、「それ何」ってなるし、やっちまってから何処かに積みに行くのもどうかいな。それに、借りた舟ならアタマのいい人ほど痕跡が心配になるもんだからな。しかも、買った高いボートでやらかして、そんなのに乗り続けられるかい?自分の車でやらかして、その後ずっと夜も走れるかだ。後ろの席からお化けに首絞められないかい。ボートで出かけて行ってバレない陸地でやって、海へ引っ張ってって事かなあ。ま、海チームとも相談して、材料をもっと集めてからだなあ」

 「そうですねえ」、水希が首を振った。

 「じゃ、そういう線で気合を入れて材料を集めよう」、鶴沼が立ち上がった。

 海チームが提携のダブル・アイ社とも連携して、翌日の夕刻に鶴沼に驚きの情報を持ってきた。

 1.木浜完菜は、本年2月、小型船舶免許二級を取得した。

 2.MS大教授 沢坪正吾は、昨秋の小型船舶免許一級の取得に加え、静岡県登録の限定沿海型(伊東~大島の渡航可能)の29フィート級プレジャーボートを購入取得し、伊東港と下田港を係留地としており、現在、伊東港に係留している。

 3.海チームと科捜班は、教授ボートを秘密調査するよう部長から指示され、伊東の

曽我支社長が叔父さんと調整する。

 鶴沼はショックの波が鎮まると、教授の高額ボートについて曽我支社長に電話し、木浜の預金出納を知りたいので、叔父さんとこの話もつけるよう頼んだ。そして、向こうへ行く機会に陶芸のプロに教授の作品が無いか見てもらい、指紋もチェックしようと考えた。作務衣を見つけたものの、教授と木浜の関係がどれほどのモノか、まだはっきり絞り切れていないのである。伊東に着いた鶴沼は、曽我支社長と会社にいる木浜叔父さんとで打ち合わせた。何とか叔父さんの力で、8日、9日、土・日の教授ボートの係留地である伊東及び下田での動きに関して明らかにしてもらうことも付け加えた。 

 係留事務所は、プライバシーを盾に教えてくれないだろうが、地元の有力者親族なら、何とかなるかも知れないと期待した。そして、教授のボート旅のいい宿の8日泊まり情報がないか、大島の方と下田や西伊豆を調べるよう会社に頼んだ。

 鶴沼たちは、上手に地元の情報を収集してくれる木浜の妹分の『渚』のホテルを拠点にしている。やって来た陶芸のプロである菅野と一品サービスの昼食の後、叔父さんを伴って裏山に接する陶芸場に直接向かった。ガラス窓に囲まれた、東西に長い形の小屋である。東側の入口を開いて入った土間の手前両側には松割り木が沢山積まれ、母屋に通ずる開けた中央中程の右手北側には大きな窯が尻を山に上げていて、左手に並ぶ3段の棚には作品が載っている。湿った空気の中を進んで棚に近づいた。濃い茶色が黒ずんでいたり、薄い銀色の帯のある物や丸く青や黄色っぽい目玉のような模様がついている物などいろいろある。

 手袋をした菅野が、上の段の花瓶のような物を手にした。

 「分かりますか、竹筒のような上部に粘土をつけ足して装飾にしているこの形が、とても斬新です。藁を混ぜて焼いただけの自然なものなんですよ。ここの物は見たところどれもなかなかのもので、鶴沼さんが言うような、昨日今日に作務衣を着た人が創れる物は無いですよ」、傍で聞いている叔父さんが頷いた。

 「そうですか、じゃあ教授が試しに作ってれば、もうもらってるんでしょうね」、気落ちを隠した鶴沼の同意を求めるような物言いに、2人が頷いた。

 「それにしても、これなんかは焼きも模様の気配も、放っていなくなるには惜しいほどのいい出来ですね~」、と1番下の段の大き目の壺を手にした菅野が言った。

 「放っていなくなった訳じゃないと?」、鶴沼が突っ込みを入れる。

 「いやまあ、ですね」

 気になったと見えて、菅野が後方の窯の傍に割れて散らばった破片をじっと見ている。

 見とめた鶴沼が、「やっぱり芸術家は、納得できないと壊しちゃうんですね~」、言ってるそばから、菅野がその方に近寄って行って覗き込んでいる。

 かがんでいくつか破片を手に取って、調べるようにみている。あれこれを暫く手に取って見て、立ち上がって言った。

 「いや、棚のこっちから寄っていって投げつけたもので、出来が不満足だったとは思えませんね」

 「えっ、どういうことで」

 「ほら、2段目の右端が空いてるでしょう。なんか、日が経ってから癇癪起こして当たったんじゃないですか。斬新ないい出来だったようですよ。惜しいです」

 「ええっ、出来が悪くて腹立てたんじゃないんですか」

 「これだけですから、木浜さんは出来が悪いからって投げつけて壊すような人じゃないですよ」

 「……、佐藤君、そっちはいいから、コレの指紋を先に取ってみてよ」

 振り返って、「何か後で腹を立てて壊したとは、…‥、そうですか」、呟いた。

 「いや、まあそう断定はできませんがね」

 「ふ~ん、じゃあ、例えば男と女のいさかいとか売り買いのモメとか相当の喧嘩でもやらかして怒ったと」

 「まあ、私に訊かれてもちょっと、私は調査員じゃないんでなんとも」

 「……、もしかしたらあの2人は喧嘩してたのか―」、鶴沼が独り言のように呟いた。菅野は困ったような顔をし、叔父さんの方は心配そうな顔になっている。暫く沈黙の空気が漂ったところで、鶴沼のスマホが鳴った。

 「はい。……、どした。……、分かった行くわ」

 作業していた佐藤が立ち上がって、鶴沼に言った。

「鶴沼さん、指紋はどうも木浜さんのモノだけですね」

 「そうか、木浜さんが作って、そして怒って投げつけた訳だ」、これも独り言のように呟いた。そして、叔父さんに向かって言った。

 「今、確認が取れましたが、教授と完菜さんは新年9日に、城ケ崎で一緒に旨い昼を食べてます。街は《いとう日》(1月10日)前後のイベントだったそうですが」

 「えっ、……、そう」、先ほどからすっかり気落ちしている。

 「どうも2人はレンタルボートで動いてますね。1月には仲良くクルージングして高級海鮮料理のデート食で、その後、時が経って喧嘩になって癇癪起こしの作品投げつけって訳でしょうか。教授にプレゼントする物だったんですかねえ、勝手な推測ですが」

 「……」、叔父さんは鶴沼の絵解きに言葉も無い。

 「叔父さん、お手間かけました。佐藤君、とりあえずもういいわ」、陶芸場の調べを終えて、鶴沼は水希の待つ城ケ崎に向かった。

 叔父さんから話を聞いた叔母さんは、びっくりして言葉も無い。そんな素振りは何も気づかずに、時々は見合いの話を完菜に匂わせていたのである。

 鶴沼は水希の所に向かう海岸で、とりあえず海を見ながら一服つけた。クライアントの叔父叔母さんが、こっちの仕事ぶりはよく理解してくれているし、どんな事態もまあ受け入れる心積りが少しづつ出来ていると、部長に状況と共に報告した。

 水希が、藁ぶき屋根の大きな古民家風の和食処の前、小さなあずま屋で鶴沼を迎えた。

 「仲居さんが、間違いないって言うんですよ。ナイスミドルのカップルで、刺身や金目鯛などを豪勢に注文してくれたそうです。訊けば男性の方がアルコールを飲まなかったそうです。で、女性の方は大き目の麦わら帽にサングラス、顔に日焼け止めを厚く塗って手袋も持っていたました。それと2人が、ほら、そこの水道で濡らしたらしいタオルで汗を拭きながら入って来たんだそうです。で、おそらく、ボートで下の港に着けて、坂を歩いて上がって来たんだろうって。車なら、向こうの吊り橋を歩くくらいじゃあ、ああはならないし、あんな様子の客は見ないって言うんですよ。今はもう遊覧船を運航してないんだそうです。で、マリンタウンの方に行って、レンタルボート屋に当たってたら、真冬は珍しいし、《いとう日》の事なんで覚えてる人がいたんです。歳と格好もまあ合ってます。戻ったら仲居さんがまだいるんで、おやっさんに電話した訳なんですよ」 

 「分かった。じゃあ、中に入って仲居さんに注文してから訊いて、メシにしようか」

 「はい。もう席を押さえて少し味見しておきました」

 仲居さんの話を確認し、食事を終えて伊東に帰る途中で木浜叔父さんから電話が入り、事務所に寄ると、2人は8日出港、大島係留で泊、9日帰港の届け出だと伝えられたので、会社に報告した。

 翌日は、銀行が開いて間もなく、叔父さんが鶴沼を連れる形で支店長を訪れた。

「内聞にしてほしいんですが、行方不明の姪の口座について、今年になってから大金の出金が有ったか、それだけ何とか教えて欲しい」、という頼み込みを試みた。伊東に所在する銀行の2つ目で、木浜口座から2月に800万の出金があったことが分かった。叔父さんはただもうびっくりだが、鶴沼の方は、これで2人に深い男女関係があったことを確信した。ところが昼食後に会社から、教授ボートに犯行を窺わせる痕跡は無し、海の上ではなく陸で犯行があった模様との連絡が入った。ということは、やらかしてからボートで曳航して海中遺棄したか、可能性は少ないがどこかの宿や観光地辺りでやらかして、藪にでも遺棄したのか、そんなことを考えながら、長い伊豆の山道を修善寺の方に越えて帰途についた。山を抜け三島に来たところで会社から連絡が入った。

「ダブル・アイ現地の三原支社長からだが、大島のボート係留届出地である波浮港付近のホテルに8日午後4時半頃、予約と違って男の沢坪からキャンセルが入っている。それ以外に島のホテルには該当する情報はなく、タクシーにも2人の動きに関する情報が無く、どう夜を過ごしたのか引き続き調べている」、鶴沼は首をかしげた。まさか、島に知人がいるわけでもあるまいに。ともかくこんな状況で、明日の午後一、部長報告会議だと告げられた。

 部長から宿題が出ていた犯行の場所と要領に関する報告に、各課長等が会議室に集まった。まず、関連内容を取りまとめた主管課長等が報告し、今後の活動方針が示される。 小太りの清水野部長が辺りを見回しながら着席すると、まず、伊豆東部と諸島を中心とする房総までも含む地域の地図がスクリーンに映し出され、その横に立っている鶴沼が、これまでの調査概要をパワーポイントで報告した。

 「教授と木浜が、昨年から深い付き合いであったことは間違いなく、家に入れるし2人で城ケ崎などデート旅をし、高額のボートも購入していますが、最近になって亀裂が生じていたようにもみられます。で、木浜にスマホ連絡も出来ない異常が生じ、新聞が取られず不在で、不審な状況で車が放置され高飛びもしていないようです。8日土曜以降の犯行と考えられます。そして、ボートで8日出港し大島係留の1泊、9日帰港の届け出であり、通常の係留地の下田への出入りは無いそうです。木浜の車が、熱海駅前の駐車場に9日10時44分に入っていますから、伊東マリンタウンへは、10時前の帰港となります。9時に開店しています。ダブル・アイ情報から、1泊予定の大島のホテルに8日4時半キャンセルが入っていますので、入港したのか、夜を過ごしたのが大島かどうかも不明で調べが必要です。

 9日の日曜は逃走の移動とみられ、大島での観光予定を、切り上げて帰って来たのでしょう。伊東帰港後については支社が、マリンタウンでの2人に関する動きと時間について、情報が無いか更に当たっています。

犯行の場所は、ボートの中に痕跡がありませんので、ボート旅の動線付近となります。立ち寄って上陸して動いた場合、観光地付近という事では、近場は車で行くでしょうから例えば西伊豆が考えられますが、波浮係留ならちょっと遠いです。近場は車で行くでしょう。なお、木浜資産関連の建物も叔父さんの調べでは、変わった点は見当たらないということです。暗くなってからは、港でない所での上陸は普通でないですし、明るい時に人が動いている沿岸でやらかして始末の作業をするのは、土工具も無いですしやはり難しいでしょう。海が絡めば、浮いてこないための錘の問題もあります。初めから積んでいれば、『これは何』となるでしょうし、やってしまってから何処かに取りに行くのも大変です。また、目立たない所と言っても、昼だって意味ある所でなければ、『何でこんな所に上陸するの』と木浜がいぶかるでしょう」

 「でも男と女でしょう」、部長が一息入れる合いの手を、ニヤっとしながら入れた。

 「はい。ですが、地元の木浜はやぶ蚊が酷いことは知ってますし、ボートの中の方がよっぽど快適で相応しいでしょう。以上から、錘が得られて明るい時でも作業できる目立たたない無人の島のような犯行が目立たない条件を満たし、それでいてデート場として2人が行動する魅力のある所ということで、伊豆の海で候補探しを狩野チーム長にお願いしました」

 続いて、海チーム長の狩野が、替わって説明した。

 「科調班((科学調査班)との調べでは、まず、ボート内の痕跡は発見できませんでした。教授の新品ボートのハル、ボート外側面の下部ですが、普通のカップルのものにしては傷が多いですので、かなり普通でなく岩場を行動しています。場所は、鶴沼さんが言われたことですが、上がれて目立たず魅力がある事と25から30キロくらいの錘となる岩石が得られる現場などを考えました。それに私たちのエリアの調査ということを考慮すれば、灯台はありますが無人島の神子元(みこもと)島が挙がります。下田から11キロです。午後3時頃には釣り客も引き上げますので、その後、上陸し1時間足らずで終わらせて、係留場所の波浮港には日暮れには入れます。島は、最も長い所は約400メートルで、水源が無いのでキャンプする者もおらず、釣り客以外はまず行きません。伊東マリンタウンを出て東進し、富士山を見せて釣り船が引き上げる3時過ぎに島に上がり、二人で石廊崎や東京諸島の眺めを楽しみ、それからやらかします。島の岩石を抱かせて曳航し、駿河湾南方で切り離して沈めればもう心配有りません。その後は黒潮に押してもらって、予定である大島の波浮港に行きます。翌9日には、伊東マリンに10時前ならば普通に帰れます。教授のレベルなら、三浦半島の城ヶ島は行くなら伊東から沿岸を直接でしょう。房総南端の野島崎や東京諸島南西域の場合は、ボートは規定でまず大島に渡ってから行くことになります」、と言って着席した。

 立ち上がった鶴沼が、野島崎の写真を出しチャート棒で指しながら、説明した。

「房総の野島崎は、岬の首元の岸壁から上がり、周回路から岩場へ出るのは普通でなく、まして一帯の見晴らしがよいので、やらかして始末するのはまずムリです」

 清水野部長が、立ち上がった。

 「なるほど、そういうことになるか。では、狩野君のとこは漁船をチャーターして、3課の者と科調班を神子元島に上げて痕跡を探させてくれ。何か見つけたら、大金星だね。鶴沼さんとこは、後でダブル・アイから大島の方に連絡してもらっておくので、大島の三原支社長と連携して当たってみてください。房総の方も一応提携社に、目撃情報を当たってもらうことにしよう。それ以外は、8日夕方~夜、この海域で29フィートボートの不審な動きが無かったか地域割して当たってみてくれ」

 部長が引き上げた後、課長以下でいろいろツメてお開きとなった。金星をぶら下げられた者たちは目に光が宿り、まずは大島行きを告げられた水希は、明日の朝は早いが、旅のような出張である。うれし笑いを噛み殺しながら、汽船や宿を調べ始めた。

 水希は、伊東を出航して直接波浮港に行く便は無いので、大島西部の元町港に入る熱海から来るジェット船とした。調査の時間を十分に取るため、明日朝九時半発の早い予約を入れた。ホテルは、教授が予約をキャンセルしたのと同じ波浮ホテルとしたが、良いホテルは西北部に多いのになあと、この点はちょっとがっかりした。タクシー会社に連絡を入れ、10時過ぎに大島に着くことで元町港に手配した。着けば、まずはダブル・アイの大島支社に向かうことになる。

 6時起きで伊豆の山越えをして伊東港から出た鶴沼たちは、教授が泊った「波浮ホテル」で、既に向かっている三原支社長と会うようにと、船の中であっさり指示が来た。 タクシー会社に、港からの行先変更を伝え、鶴沼と水希は、フェリーのデッキから海からの景色を楽しんだ。伊豆の東部はもとより、諸島の島々が船から見ると大きくて印象が違う。そして、行き交う大型コンテナ船が思ったより早い。港に着き、手配のタクシーで波浮港に向かった。ホテルは、湾北西部の奥まった位置の崖の上に建っている2棟の二階屋である。ここまで島を動いた感じでは、なんとも閑散としている。着いて、ホテルの看板が生け垣に掛けられた奥に、青屋根が見える。フロントに年配の者はいるが、広いロビーに客はいない。鶴沼は三原支社長と挨拶を交してソファテーブルを挟み座って世間話をしていると、奥の方から戻って来た水希が、コーヒーを3つ置いて座った。

「で、教授は、どういう状況でしたでしょうか」、鶴沼が口火を切った。

「ええ。5月27日に1泊2名で、女性から沢坪名で予約があったそうです。そして、6月8日当日の4時半過ぎに、都合が悪くて来れなくなったと今度は男(沢坪教授)の方から連絡が入ったんだそうですよ。で、教授は電話したとおりに翌日の月曜には連れのキャンセル料も含め全額きちんと入金したと連絡を寄越したそうです。それで、宿としては特に何も問題がないと言っています」

 「そうですか、ところで大島に来ていれば何処で夜を過ごしたんでしょうかね」

「それなんですが、島の北西の方のホテルにも8日夜の飛び込み情報は無いですし、タクシー、バスにも乗ってないようです。ホテルを予約してますから、知人がいるとも思われませんし、まあ、ひっそりとボートに居たんじゃないですかねえ」

 「やはり港付近を当たってみないと、ということですかね」

 「そうですねえ」、それからは鶴沼と水希で、波浮や大島全体に関していろいろ訊いて土地の様子を把握した。

 「なるほど、そうですか、いや、お忙しいところどうも有難うございました」と、鶴沼は、水希が持ってきた静岡のうなぎパイを支社長に持たせて見送った。

 鶴沼たちは、フロントで観光パンフをもらって一服し、ロビーで検討した。

 「さて、それじゃあ湾内をまずこの見晴らし台で一望して、昼を食べてからボートと人の目撃を浜で探すとしよう」

 「はい、ですね」、歩き出してみると、晴れた日差しは強くなってきたが、風があるのが救いである。南に数分歩いた見晴台は、石柱の標示と幾つか長椅子がある。視界が開けて座って湾内と海を俯瞰し一望できるので休憩である。向こう岸側の張り出した緑の丘の台上に家々が並び、下の港に並ぶ舟や建物の帯で2層になっており、挟まれた森は緑が濃く明るい。レトロエリアが、よく見える。この辺も向こうも、無論、緑は多いが崖か家並みであり、男女2人で入って行くようなものではない。暫く景色を満喫して、後方の休憩所に入った。横長で2階があるし広く、シーズンにはかなりの客が入るのだろう。店長の爺さんが居るので、鶴沼が近寄って行って声をかけた。 

 80歳を過ぎていると言うが、そうは見えない。訊けば海外駐在を11年経験して、この店を18年やっていると言うので納得した。で、念のため写真を見せて訊いた。

 「いや、見てませんねえ。ま、この頃はつり銭も間違えちゃうんで、よく分かりませんがね」

 「またあ、ところで此処が忙しいのはいつ頃ですか」

 「2月、3月の椿の時節と7,8,9、と年末だね」

 「そうですか、じゃあ、ラーメンを2つお願いします」

 「あいよ」、と爺さんが支度にかかった。なるほど、それでどこも閑散とした感じなのだと鶴沼も納得した。出てきたラーメンは、チャーシュー、シナ竹に岩のりと地元の〈あした葉〉に鳴門がなんともレトロな、あっさりしょう油味が、鶴沼を喜ばせた。水希には、夕食でしっかり海鮮料理でも返せばいいのである。ゆっくりしたところにタクシーが来たので、爺さんに礼を言って2人はレトロエリアに向かった。鶴沼は運ちゃんに当たったが、見ていないと言うので、仲間に当たってもらうよう礼はするからと名刺を渡した。折角来たので、まずはレトロ代表格の「みなとや旅館」だが、石段を上がって行くと松と門柱の構えに、屋号入りの大きなガラス戸玄関、上には庇飾りがいかにも古風である。昭和を知る鶴沼はもとより、水希も仕事を忘れて目を見開いている。マネキン女性よりも、柱や手すりなどの一寸した傷に見入っていて、当時の踊子たちの哀しみを感じているのだろうか。次に向かった(旧)甚の丸邸は、2階の繭生産の設備も階下の住居も明治時代に建造されたもので歴史を感じさせる。しかし、鶴沼にとっては、旅館同様にここも自由見学なため、教授たちが来たかどうか尋ねる相手がいない。かつては島の政治経済の中心地だったこの辺は、土地の人だけでなく、不意の見学者も動く所なので、教授も悪さは出来ないだろう。

 下りてバス停の方から、浜通りに続く店の方に行くことにした。浜に接した両側が家々の通りは、道幅が狭い上にガラス戸の二階屋が連なり、かつては黄色い声がかかり袖を引かれ、男たちはとても素通りなど出来なかっただろうと思わせる。しかもその嬌声の町は、木造家屋で通りが緩やかにカーブしており、昭和の温かみと哀しみを感じさせて何とも言えない風情がある。風待ちの船が湾を埋めていた全盛時代には、さぞや賑やかで男と女のいろいろなドラマがあったことだったろう。残念ながら今はほとんど店も無く、人が見えた所では写真を出して聞いてみたが、やはり反応は得られない。通りを抜けて進んで行く。名物のコロッケ屋の赤い旗が、ヒラヒラと呼んでいる。入るとズラッとソースを並べてあり、売っているのがメンチカツやコロッケなのにはぴったりのなんとも昭和である。

 「すいませ~ん」、鶴沼の呼ぶ声でオジさんが出てきた。

 「コロッケを2つお願いします。すいませんが、その前にちょっとコレを見て欲しいんです。2週間ほど前ですが、この2人がお店に来なかったでしょうか」、オジさんが、大きな透明プラスチックの駄菓子容器の横から前に顔を乗り出した。

 「見ませんねえ」

 「男の方だけでもどうでしょう、身長は176センチです」

 「いや~、見ませんねえ」、オジさんが仕事に取り掛かった。

 「お~い」、オジさんが声を挙げたら、奥の方からオバさんが出てきた。オジさんが相手してあげてくれと言った。 鶴沼が、写真を出して訊いた。

「すみません、8日土曜日なんですけど、この2人を見ませんでしたでしょうか」

 「いや~、見ませんねえ」

 「そうですか。で、ここは何時までですか」   

 「6時までです」、ならば閉まっていた可能性もある。来たとしても、戸を叩いて開けさせる騒ぎを、教授は起こさなかっただろう。

 「この辺は、大体6時で閉まりますか」

 「向こうの通りに、お酒に雑貨の店と駄菓子なんかの店がありますが、みんな早いですよ」、と言ってるところに、オジさんが「はいよ」と出来立てを差し出した。アツアツのホクホクで、垂らしたソースもマッチした昔の味だ。外へ出て湾を見ながらかぶりついたが、今の鶴沼にはほろ苦い。岸壁沿いに歩いていくと、『波浮の港』の歌碑がある。全く鶴沼には、ヤレホンニサ、どうなることやらだ。が、かぶりついているうちに思いついて戻った。

「すいません。あの土曜日の夕方に、浜に出てそうな人っていますか」

 「いやあ~、みんな店仕舞いだねえ」、オジさんが言った。

 「そうですか、……」

 「あの夕方なら、珍しいボートが入って来ましたよ」

 「ええっ、オバさん、それって何時ごろですか」

 「いやあ、店閉めてる時ですよ、港の方で一寸音が聞こえて、見たらいいスピードでこっちにボートが入って来てました」、直ぐに鶴沼がバッグをごそごそして、ボートの写真を見せた。

 「よくは分かんないですけど、ええ、白いので屋根があってこんな感じでしたね」

 オジさんが、「いやあ、まずそんな時間に此処に、ボートが来るなんて見たことないわ。アンタが思うそれなんじゃないの」、横から口をはさんだ。

 「で、ボートはこっちの方に来たか、まっすぐ奥へ行ったか、左に曲がって向こうの方へ行ったか、それはどうでしたか」

 「こっちの方の遠くない所だねえ」

 「いやあ、有難うございました」、鶴沼と水希の声が揃っている。外に出て、湾情報をチェックしたら係留場所Aだろう。やっと影が見えて来たと会社に連絡した。それから2人は、小走りで家並みが続く細い通りの方に行った。確かに酒屋と駄菓子屋があり、押しかけた。2店とも「見ていない。その頃ですと店を閉めた後でしょう」と答えた。観光客が、今頃の時間に此処に来て、何処か行くところはないかと訊いたら、苦笑しながら「夕日を見るだけ」だと笑って言う。それからは、ボートの係留場所に近い民家を当たって行った。やっと3軒目の2階に居る者から話が聞けた。6時過ぎに入って来て、男が一人、係留作業をしたり湾内を見たりしていたそうで、朝は、7時半の前にエンジン音をさせて出かけて行ったということである。会社に状況を伝えたら、神子元島の調査の方は、何らの痕跡も見つけられず、そう簡単ではなさそうだという第一報とのことだ。あとは夜も店を開いている鮨屋である。水希の昼への挽回と元気づけに予約を入れおいた店に向かった。水希は手回し良く、広めの店内のゆっくり出来る座敷の席を頼んでいて、とりあえずビールと刺身などの注文も入れていた。店に入ると、オヤジが見える一角は更に明るく照らされ、透明なガラスケースにネタを並べた所で包丁をふるっている。まあ、話を訊くのは食べてからオヤジの手の空く頃でいいだろう。後はホテルに寝に帰るだけなので、ゆっくりやればいいのだ。まずは二人で目出度くも無いが、乾杯して始めた。

 「神子元島の方は、結局、どうも何も見つからなかったらしいぞ。時が経ってるからなあ、難しいよなあ」

 「えっ、ホントですかあ、困りましたねえ」

 「こっちは4時半にキャンセルを入れで、6時過ぎ入港かあ。野島崎、神子元島じゃなければ、諸島の南西の方になるかなあ。ま、オヤジの手が空いたから訊きに行こう」

 2人が来たんでちょっと緊張した感じのオヤジが、訊かれて答えた。

「(8日夜)8時過ぎ頃、それらしい男が持ち帰りの上1人前の注文だけして、用足してまた来ると出て行き、30分ほどして来たんで、若いとし子が相手した」と言う。敏子さんに来てもらった。

「オヤジさんから言われてたサングラスの人が入ってきたんで行ったら、さっと2千円出されたんで、釣り銭に気を取られて鮨と一緒に渡したんですけど、受け取ってすぐ出て行ったんで、……どうも、男は他所者で、身長・歳はそんなものです、サングラスで紺のポロシャツ・紺ズボンだったですねえ」、と言った。店の2人は、もう1回、目の前で見てもはっきり分かるか自信ないと言う。鶴沼は、まあ沢坪だろうと受け止めた。オヤジさんにその夜の3ケ組の客に電話連絡してもらったら、そのうちの一人が、入って来たよそ者の男がオヤジと話しているのを見ていた。身長・歳の感じは、鶴沼が訊いてる通りのようだったと答えた。

 「ボートは見られているし、まあ、これで波浮入りは間違いないな」

 「おやっさん、6時頃に入港してから、この辺で夜にやらかすことはないんですかねえ」 

 「そりゃあ、夕日を見てじゃあ、明るいなあ。月見してかあ。待てよ、んじゃあ、なんで木浜はホテルに泊まらないことに同意したんだい」

 「……ですよねえ。やっぱり他所で終わって、キャンセルして一人で目立たないように係留したんですねえ。でも、係留しないで外で過ごせばバレ無かったですよね」

「そりゃあ、大変な1日を過ごしてきてるからなあ。数時間、うとうと寝ちまったらボートがどうなるか分からんぞ。明日はまた、危ないコンテナ船銀座を横切って帰らなきゃいかんしなあ。夜にボートがトラブルを起こしたらバレちまうからなあ。ゆっくり安心して寝たかったろうよ」

 「そうですねえ。でも、何でこそこそ鮨なんか買いに来て身を晒したんでしょうねえ」

「犯罪を仕出かすとなあ、興奮して無性に腹が減ったり、性欲が亢進するんよ。泥棒が、折角盗ったんで逃げりゃいいのに、そこで目についた飯を食ったり、女を襲ったりして足がついて御用になるのがいるのよ。」

「そうなんですかあ。そんなもんなんですかねえ」

「ま、サングラスでよくは分からんし、店にいなけりゃと思ったんかもな。でも、こそこそがやっぱり怪しいよな」、 食いと呑みが進む。夜も更けてタクシーを呼んでホテルへ向かった。運ちゃんにこんな2人を、いや男だけでも8・9日頃、見たと言うおお仲間の情報があれば、お礼するから教えてくれと頼んで名刺を渡した。

 鶴沼は、朝食前に7時半頃の浜の状況を見に行ったが、場所を変えて砂を幾つかのビニール袋に回収する以外の収穫は無かった。そして、鶴沼たちが帰りの便に乗るために移動した元町で、タクシー会社に行き2週間前の客について、運転手に当たってもらった。しかし、やはり三原支社長が言っていたように、それらしい何も出てこなかった。 ナイスミドルのペアで、沢坪一人でも、客は少ない時期なので分かり易い状況であるにも拘わらずである。

 帰りの船で、此処をボートで渡ったんだろうなあと、コンテナ船などを見ていると佐藤から連絡が入った。

 「伊東マリンタウンの店に8日土曜昼前、かりんとう菓子などを買いに来た女性が木浜に似ていて、服装はベージュのジーンズにブルーの綿シャツだったそうです。はっきり断定は出来ませんが。で、9日日曜は、2人の情報は店などでは得られてません。車で熱海に向かっている訳なんですが、見た人を掴めず分かりません。引き続き調べます」

 結局タクシーの運ちゃんからは、その後も何の連絡も無かった。

 大島から帰った鶴沼たちは、休み明けの午後一で、部長報告会議があるからとだけ告げられて家へ帰った。鶴沼が大島行きを何も話してこないので、カミさんの方も調査の様子を察して何も訊かない。鶴沼が一息ついたところで、カミさんが、土産の大島〈あした葉〉菓子を出して、アフタヌーンお茶にした。

 「なかなか伊豆も捨てもんじゃないわね」

 「えっ、何が」

 「だってさあ、3万8千年も前の大昔に、舟で神津島までこっちから行き来してたって言うんだからさ。もうびっくりよ」

 「うん?」

 「えっ、アンタあれ読んでないの」、寝室の2人の間のナイトテーブルに、鶴沼が読みかけて出かけた沢坪本のことである。

 「あの本、そんな事が書いてあるんか。読みだすと眠くなってよ」、そういえば生涯学習センターの課長が何か言ってたなあと想い出し、立ち上がって寝室の方へ行った。戻って来ない。

 「アンタあ、お茶が冷めるわよ、後にしたら~、逃げ出さないんだからさあ」、言ってはみたが、いつものことと諦めて、カミさんは夕餉の買い物に出ることにした。

 鶴沼はカミさんが言っていた個所を、やっと見つけ出して前後を読んだ。間違いない、確かである。しかも実際は神津島ではなく、沖に四キロほど離れた無人島の恩馳(おんばせ)島なのだ。東京諸島西端域の無人の岩礁島、木浜には魅力あふれる黒耀石の夢の島、ピッタリなのだ。よし、これで明日の発表のシメは出来たと一人ごちた。尤も、神子元島が空振りだった現地から、海チーム長が部長に既にその名を挙げていたことまでは、思いが至らなかったのだが。

 月曜午後一の会議では、海チーム長がまず説明した。スクリーンに地域と神子元島の全景の二つの写真を映し、チャーターした漁船による上陸してからの調査行動の概要を述べて結論づけた。

「波で洗われて表面が滑らかになっている島で、水際付近に錘になるような岩はころがっておりません。ずっと上がって行って探さないといけません。どこにも人の手で岩を削り取った痕跡は発見できませんでした。無論、雨と波で2週間前の人体や人の動きなどに繋がるモノも見つかりませんでした。近くの駿河湾は水深が深いですから、沈めば浮かび上がる事は無いでしょうが、やらかす者としては、錘が無いのはやはり不安になるでしょう。島から見える9キロ先の標高55メートルの石廊埼灯台は、広い駐車場も整備されて、この4月から灯台地区が一般公開されており、遊歩道のある岬突端と共に特にあの日のような土・日は、見学者が東京諸島のパノラマを楽しんでいます。標高32メートルの神子元島は、石廊埼灯台からの調べでもボートは小さくまあ見えます。また、数10名乗りの遊覧船が、毎日30分毎に下田発で石廊崎を巡っていますし、1時間に2~3隻の貨物船が、ボートを視認できる距離で行き来していますので、ボートの出入りは見られる可能性があります。釣り時間を過ぎた難所の石廊崎でのプレジャーボートの行動は珍しく、見学者も来る石廊埼灯台公園から見下ろされることは、やはり心理負担です。遊覧船、貨物船の通過でボートが見られることもです。

 以上のことから、やれないと言うほどではないですし、やってしまって始末してもバレない可能性はありますが、事の重大さから心理負担が大きい犯行は疑問です」

 次いで、鶴沼が説明に立ち上がり、スクリーンは、房総から東京諸島、伊豆半島のエリア図に切り替わった。こちらも調査行動の概要を述べて結論づけた。

 「教授と木浜は、8日昼に伊東マリンタウンでスナック菓子や飲み物を買って出港し、4時半までにどこかでやらかしてホテルにキャンセルを連絡。夕日の6時過ぎに係留届出地の波浮港に入港して係留作業をし、8時頃に沢坪らしい男がこそこそと鮨屋に現れて持ち帰り上1人前を買い上げ、8時半頃、店を出て行っています。夜を含めタクシーで島内を動いた情報は有りません。朝は7時半前に出港し、10時前にマリンタウン、帰港届、木浜車で移動、そして熱海駅と流れて動いています。9日のマリンタウンでの目撃情報は有りません。また、房総南端は秘匿しての実行が難しいですので、結論的には、東京諸島西端域の神津島村の恩馳岩礁島の可能性が高いと考えています。理由は、世界的に有名な黒耀石のある魅力の島であり、教授と木浜が知り合うきっかけとなった講演で、木浜はサイン入りの教授本を買って、前に立っているのです。犯行の実施と始末の秘匿の点で難がありません」、鶴沼が、恩馳島地区の写真に画面を切り替えて島を巡る状況を述べ、説明を終えた。

 部長が座ったままマイクを握り、いつもの低い声で話し始めた。

「分かった、ご苦労さん。だいぶ絞られたし、当時の教授の行動が見えて来たね。実は、教授をずっと追っていた、ダブル・アイから耳よりの情報が入った。教授は7月末に国際考古学会(IAM)で発表する期待のエリートで、政治家に太いパイプのある学長の秘蔵っ子らしい。それと、その学長の押しで往年のテレビ女優の橋高明穂との交際が進んでいて、広尾の自宅にもちょくちょく行っており、逆玉になるとみられる仲だという事だ。即ち、大事な時期のエリートが二股かけた状態から、木浜との関係が厄介になって来ていたそうだ。これまで深く付き合って来た木浜を何とかという状況にあったんだよ。これで、教授の動機面もまあ見えて来た。他方、出港後の木浜については、教授が大島のホテルにキャンセルを入れて一人で泊まったほか、動静についての情報は無いということだね。仮に二人が喧嘩でもして海の旅で木浜が自殺するなり失踪でもしているなら、家族にも警察にも知らんぷりなのは、いずれバレるのに同伴の社会人として、余りにお粗末でおかしい。また、教授が木浜がやったかように車を熱海に放ったらかしたのに、指紋などの痕跡を消して分からなくしようとしたのが怪しい。これだけ調べても、ボートで出掛けた昼以降の木浜の情報が全く無い。これらの不自然さがなんともだ。やはり舟旅の間に重大な犯行があったものと考えざるを得ないし、場所としては東京諸島西端域が。納得できる状況にあるね。調査は既に3週間に迫っている。今日までの皆の努力の成果は、クライアントの叔父・叔母さんに極秘で説明し、そろそろ警察さんに渡すことを執行役員に具申する時期に来ているので、週半ばには渡そうと考えている。警察さんが本格的に乗り出してダッシュできるような最後のツメをやってくれ。騒ぎになるのはご法度だから、慎重にムリせずできる範囲でね」、各課長等が頷いた。部長の判断が下り、指示が出されたのである。鶴沼が言う恩馳島は国立公園だし大島も東京都だから、〈静岡シーズ〉が勝手に行って踏み荒らす訳には最早いかない。熱いタオルを持ち過ぎれば、火傷する。何故、警察に渡さなかったのかと世間から後で非難されるからである。会議はお開きになり、後は担当間の打ち合わせが続けられた。そして、鶴沼たちと増員2名、海チームから2名が休暇と称して早々と帰って行った。

 会議後に東京に向かった鶴沼たちは、新宿で一泊した。

 翌日、JR中央線の御茶ノ水と高円寺駅を下見と打ち合わせで動いた。高円寺駅は、鉄道のガード下を南北に行き来でき、それぞれの側に商店街が伸びている賑わいである。夜8時ともなれば呑んだり買い物したりの若者が多い。近年は阿波踊りが有名で、外人さんの姿も目立つようになっている。

 沢坪教授が、クールビズで黒カバンを手に硬い仕事の帰りだとよく分かる格好で、いつものように帰宅する駅を出てきた。実は教授稼業は、教えたり研究したりだけじゃない校務の会議などかなり忙しい。部門の統廃合による人員削減や経費節約を巡る相変わらずの会議で、帰宅の駅に着けばほっとして、はっきり疲れが顔に出る。南口を出て少し右手に回ってから、通りの緩やかな坂を緊張を解いた中年男の歩みで下って来ている。明るいコンビニに近づいたところで、マスクをした女性が突然、右横から不意に出て来た。びっくりして目を見開いた教授が、立ち止まった。

 肩までの髪に、ブルーの綿シャツとベージュのジーンズ、ビーチサンダルの飾りも似ていて、ヴィトンのバッグを下げている。ボートから出てきた、あの日の木浜の格好そのままである。女性が「すみません、駅は」、小さな声で訊いた。教授は、びっくりして声が出ないのか、後方を振り向いて指し示し、黙ってそのまま横を下りて行き、女性は指さされた方にゆっくり上がって行った。10メートルほど下がって行った教授が、ゆっくり後ろを振り向き、上がって行く女の後ろ姿をじっと見つめた。すると、突然、女が振り返り教授に向かって右手で「ピース」の恰好をしたので、またまたびっくり驚天の教授は、慌てて振り返り、また自宅の方へ急ぎ足で下りて行った。

 じっと見送った水希は、緊張の糸が切れてその場にしゃがみ込みそうになった。教授は、マンションのエレベーターに乗ってもまだ、興奮は収まらなかった。何だ、何なんだ、駅なんてすぐ前で分かってるだろうが。それに、あの格好は何なんだ、ピース?フザケルナ。部屋に着くまで、声には出さないが一人毒づき続けた。

 鶴沼は昼食後、清水野部長室に入った。高円寺駅のそばで撮られた沢坪教授の驚いている2カットの大判写真を、ゆっくりテーブルに並べ部長を見た。写真に目を落とした部長が、目を見開きじっと見つめている。そして犯行の心証を得て満足げに見上げ、頷いて見返した。次いで海チーム長が、「神津島の漁師が、8日土曜午後3時20分頃、珍しくプレジャーボートが恩馳島の方に向かっているのを、島での釣りから戻るときに見ています。写真で教授ボートのようだと認めました」と報告した。 部長がこれにも満足そうに頷き、2人を見渡して「ご苦労様、良くやってくれたね」、と言った。

 「鶴沼さん、後は警察さんの邪魔をしないようにクライアントをフォローしてください」と言ったので、鶴沼は「分かりました」と答えた。

 「や、ホントにご苦労様。執行役員の所へ行ってくるわ」、部長が立ち上がった。

 満足気な目をした部長に見送られる感じで、鶴沼は写真をそのままに海チーム長と一礼して室を出た。

 鶴沼たちと海チームの休暇者は、独断で勝手に機微な調査行動を仕出かした訳だが、結果はオーライで、期待に応えてゴールテープを切ったのである。

 鶴沼は、3階の踊り場で一服してもまだほてりが残っている。戻った室のテレビニュースは参議院選挙の告示を伝えていて、これから世の中は騒がしくなって行く。

第2章 出逢いの回想(*印の用語は、文末の用語の解を参照)

 沢坪は、研究室に出て来てもまだ、あの帰宅時の驚きが落ち着かない。どうして完菜のあの日の恰好でヘンな女が出て来たのか、人をバカにしたあの「ピース」は何だ。ともかく、状況は始まった。立ち上がって明るい日差しの窓辺に行き、見下ろした。無論、5階の沢坪を誰が見張っている訳もない。通りのプラタナスが、陽ざしを受け風に揺れている。

 沢坪は、2年4ケ月前の大寒を越えて間もなく、妻を乳ガンで亡くした。今年の国際学会の話が出てきた頃で、「凄いことですね。発表が見られたら」、と病床で自分の明日への期待を込めて思いを語っていた。息子の雪雄は、妻が入院することなど想像もできなかったので。当人の希望に異を唱えず、既に仙台の大学に送り出していたのだった。

 別にやもめ暮らしが寂しいという訳ではなかった。だが、昨年夏の〈伊東〉での講演が縁で、完菜と知り合うようになった。

(沢坪教授の一年ほど前からの回想)

 始まりは、「伊豆の黒耀石に見る先史」の講話を終えた後の著者本のサイン販売で、前に立った完菜が、書き終えて顔を上げた沢坪を、少し微笑んで見下ろしていたのだった。年配の者が多く、はにかんだ生徒や学生も時に前に来る中で、完菜はちょっと異彩を放った。講演は、伊東市の方から大学の総務課に依頼があり、いい機会だからと引き受けた。沢坪が伊東駅のホームを出ると、迎える黒い車が既に駅東口に来ている。車は一旦北東のビーチに向かい、出ると右折して沿岸を南下した。

 ゆったりした気分でウィンドーを下げ、左手の海辺を眺めていたが、夏の伊豆のビーチは、穏やかな波が寄せている。しかし、後で知ることになる城ケ崎などでは、岸に寄せた波が岩場で白い水しぶきを挙げている。そして、波止場で大きく時計回りに走って山の手のホテルに向かった。講演会の協賛企業から、話をする前にホテルのレストランで、海鮮料理の昼食をと伝えられていた。伊豆の海辺の景色を見て地元の食を味わって、少しでも土地に馴染んでもらってから話をという有難い配慮である。都心の通勤電車で大学の考古学研究室に通い、若い人たちを指導しながら講義と研究に管理の日々を送る者にとっては、ある意味で命の洗濯と言っていい機会である。既にレストランに来ていて迎えてくれた市の課長や企業の関係者と、流石に新鮮で旨い伊豆の料理を目と舌で十二分に堪能した。

 7月も終わりに近づいた週末の今夜は、いよいよ「夢花火大会」が始まるそうで、多くの人出で賑やかな事になるそうだ。伊東市の生涯学習センターでは、200人くらい入る会場が準備されていて、2時の開演を前に席は概ね埋まっている。演題が身近な伊豆に関わる歴史話だからだろう。沢坪は会場に入って一息ついた後、覗いた客の入りにほっとすると共に、まあ、伊東海岸での大イベントの皮切り、いや前座に当ててもらったからなのかも知れないと思った。

 1時間の話を終えたその後の質疑応答も、ではこの辺でと司会が予定の時間が来た旨を告げて、沢坪は拍手の中をゆっくりと演壇を降りた。前席の幾人かの招待客と名刺交換の挨拶を交している間に、演壇前に長テーブルが運ばれ、サイン本の販売準備も整った。テーブルには、演題から「伊豆」を外した一般向けの沢坪の著作が積み上げられている。会場の中央通路に列を成した人が、次々にテーブル前にやって来る。横で支払われた本を受けてサインをし、前に立った購入者に頼まれれば領収証と共に手渡し、受け取った人は本を見たりしながら演壇に向かって右手に去って行く、流れ作業の動きだ。

 ほのかな香りに沢坪が顔を上げて見ると、ちょっと他と違う若い女性が上から微笑んでいる。書籍の販売サイン会も終わって、沢坪は、関係者などに会釈しながら出口に向かったが、残っていて拍手で送ってくれている人たちが、結構いたのは有難い事だった。

 その中に先程の若い女性も出口そばの壁のところで、バッグを小脇に挟んで拍手してくれているのが目に入った。好評のうちに無事に講演を終えた。もうひとつの楽しみである伊東の温泉で、都会の垢を落とさせてもらおうと思っている。

 沢坪の夏は授業の勤めが無くなる。従って、本来なら先ずは休みらしい息抜きの行楽と研究の整理や今後の準備という事になる。しかし、なかなか行楽とはいかず、結局、研究室に顔を出したり、自宅でも読書を含め仕事絡みになってしまう。普段は雑務と言っていいことに結構な時間を取られるし、大学改革のご時世に、肩に懸った成果を挙げろのプレッシャーは、相当なものだからである。新しい世間受けもする成果を出さねばならず、予定されている来年の国際学会を見据えた今年は、何とか目途を付けねばならずレジャーで息抜きどころではないのだ。この点で沢坪は、先日の講演の際の質疑に応じていて、これまでの関東・信州の先史と伊豆半島・東京諸島に三浦・房総両半島を含めた太平洋岸の先史を、いずれは統一的に捉えて説明することが重要だと改めて思わされた。個々の遺跡の重箱の隅をつつくのではなく、この国の始まりである約四万年前から縄文時代の前まで、後期旧石器時代と呼ばれている時代を焦点に、広いエリアを、総合的に考えて先人の暮らしに迫ろうという行き方である。

 約4万年前のこの始まり時代は氷河期であり、海水面が数十メートル下がっていた。そのために陸地部分が今よりも拡大していた。特に、東シナ海の海岸線が、概ね韓国西南部の沿岸から台湾まで結んだ線であったため、*1曙海と呼ぶ小海域となっており、海岸線の西側には*2北東アジア平野が広がっていたのである。南方から冬の寒さに適応しつつ北上してきた現生人類は、海を家族がフネで越えておそらく対馬からやがて北部九州に至ったものと考えられる。当時は五島から壱岐、出雲まで対馬からほど遠からぬ陸続きであったので、本土の初上陸地点については何とも言えない。そしてその後は、北海道に向かって北上し、沖縄に向かって曙海東岸沿いに南下して行ったわけである。

 対馬暖流がまだ流れ込んでいなかったため、日本海側に大雪が降ることも無く、祖先の*3日本祖人は、列島東西、低地の瀬戸内を逐次に拡がって行き、遂には狭くなっていた津軽海峡を渡って、3万年前には道東にまで拡がって*4北海道祖人となっていた。

そして、1万数千年前の縄文時代となるまで、始りの*5日本祖代は2万5千年弱の長い時代として日本文化の基層となっている。これまではこの時代を原始の時代として扱ってきた。しかし、沢坪は造舟・操舟で家族で海を越える、海象・気象も理解した認知力ある祖先の正に日本史の始まりの事であり、原始観から脱皮しなくてはと思い詰めていて、学内いや学会の強い抵抗に立ち向かい、北海道を含めて日本祖代・祖人を打ち出している。

 そんな夏の休みも後半に入ったある日、研究室に顔を出したら伊豆の木浜完菜という陶芸家からメールが入っていた。講演の際に関係者に渡した名刺を見せてもらったのだろう。講演を絶賛し、簡単な本人の自己紹介とサイン本販売の内容に触れた文面から、あの若い女性だなと思った。メールでは、東京の数人の親しい仲間が、是非、先生の話を聞きたいと言っているので、何とかお願いできないかというものだ。断る理由も無く、その後のメールのやり取りで段取りを決めた。

 そう、仕事の方では、国際学会に備えるあの頃から、学長の沢坪たちに対するプレッシャーは強まっていた。ライバルである関西のK大学などが地元のみならず、沖縄における人骨発見を含む研究で大きな成果を発表している。これまではMS大の自分たちが、こっちの旧石器遺跡研究を基礎にリードして来たが、西に逆転されたと今では学内外で陰口をたたかれる始末である。この事は研究費の配分や学生の獲得にも影響し、下手をすれば下降衰退のスパイラルに陥りかねない。また、こんな状況から、学部の看板であるこれまで恵まれてきた沢坪研究室に対する他科、いや他学部による部内の風当たりも強まって来ている。ともかく西を跳ね返す成果を、何としても挙げなければならないのである。そういう背景から、来年の国際学会は、これまでの仲良し研究会とは、意味合いを異にしている。

 「黒耀石」を中心に置いた駿河湾の沼津から房総に至る太平洋沿岸と関東・信州の広域にわたる研究である。これまでの内陸における研究「ホップ」に次ぐ第2段階沿岸の「ステップ」であり、将来はそれらを総合して「ジャンプ」する日本始まり時代の解明という大きな構想なのである。沢坪研究室が、新たな研究へと大きく舵を切って行くものであり、4万年前頃から始まった日本列島史のその時代のことを論ずるため、沢坪研究室では、縄文時代より前の現生人類の日本祖代、そしてご先祖の日本祖人を日本史の始まりだとはっきり位置づけ認識して教育もしている。

 特に3万8千年前から、東京諸島の恩馳島は良質の黒耀石の産地として、採取に伊豆からフネで行き来していたことが既に実証されている。これは、世界の考古学会の驚きになっており、日本祖代を認識する一つの核なのである。日本祖代は長い期間であるので、火山の大噴火などの転変地異や終期には氷河期の寒冷から温暖化という激動ががみられ、北から西から新たな人と文化の流入もあった。これらの多様で豊富な体験を脳に刻みながら、次の縄文へと断絶無く繋がりは保たれて、今日に至っているのである。

 問題は海水面の数10メートルの上昇で、沿岸状況の解明は容易でないが、それでも内陸で発見されたものから、実証研究を進めて来てはいる。

 前の年の5月の連休後には、自分の教室関係の准教授、院生、学部生の17名を連れて、伊豆の下田からフェリーで東京諸島の神津島に渡り、漁船をチャーターして西南西約4キロの恩馳島に上がって黒耀石の調査をした。

「教授、ご指示の夏島研究についての打ち合わせ全体会合を、年明け(平成31年)の2月初めに計画したいと思いますが如何でしょうか」、中堅の名輪准教授(42)が、室に入って来るなりそう言った。名輪は、奥さんと小学生の娘とともにカリフォルニア大で2年間の研究を積み、現在は、充実してきた我が国の日本祖代の遺跡資料を元に、コンピューターを駆使して環状のムラにおける暮らしの状況や人口推計を分析する研究を進めている。向こうで学んで来た事を深めつつ教育にも当たり、また、沢坪と主に院生の間に立って、若い人たちの兄貴分の働きをしている。

 沢坪は、来春には三浦半島研究の地域対策やPRとして、夏島貝塚の一般公開も企画しているが、名輪を中心にして進めさせている。そういうことで、皆の尻を叩いてでも、新たな成果を求めて進めなければならないのだと、学内他部科の冷ややかな目の中で気負っていた。

 伊東の陶芸家の木浜完菜とメールでやり取りしていたミニ講話については、彼女が沢坪の都合を考えて、大学と彼の自宅マンションの中間の新宿とし、ホテルレストランの一室でセットした。 木浜は、教授の話が良かったのは事実だが、少し皆に誇りたかったのと正直に言えば教授の世界に魅力を感じ、近づきたかったのである。それで大学時代の親友でリーダー格の渡辺麻衣に動員を頼んだのだった。田園調布に住む医者の娘の麻衣は明るくて何事にもセンスが良く、大学時代には、地方から出て来た木浜たちをあちこちに案内し、女子会や時に合コンをセットしたりと親分肌でリードしてくれた。 今は地元のクリニックの子供のいない有閑マダムである。少し肥えた貫録を備えて、当時よりはすっかり少なくなった機会だが、あまり変わらぬ役割を時に果たしてくれている。

 今回は、男3人、女4人という、友人とその知り合いたちに、沢坪から地図と要点を書いた2枚紙のレジメを配ってもらって先ず30分の話とした。そして食事をしながらとその後のコーヒーの時間を質疑応答と雑談とし、都合約2時間、沢坪の方も様々な職業の人たちの話を聞き質問もした。無論、集まった人たちは、正に『日本人は何処から』に答える、約4万年前から南方より北上して渡海して来たこの国の始まりである『日本祖代』の話は初めて細かく聞く驚きである。

 しかも最近の世界の研究で、北海道から*6『昆布ハイウェイ』ルートで「最初のアメリカ人」になった可能性があると言うのだから驚きで、質問も活発だ。沢坪の方も違う職域の新しい世の中の様々な動きを聞かせてもらって、楽しく過ごした。終わると、完菜が先生を送るからと2人で歩き出すと、沢坪は断ったのだが御車代として押しつけるようにのし袋を持たされた。既に話がついている麻衣と美香が後を追って来て、4人でエレベーターを降りた。中で女3人が、今日はホントにいい話を有難うございましたとそれぞれが印象的だった内容を沢坪に告げた。香水が漂う箱の中で囲まれた沢坪も機嫌よく、若い皆さんの話が勉強になりましたと返した。ロビーを通って出て、入り口でタクシーを呼び、木浜が沢坪に「〈阿佐ヶ谷〉の美香さんがお送りしますから」と言い、振り向いて美香に「宜しくお願いね」と言って2人を乗せ、麻衣と並んで見送った。

 ということで、何が御車代かだが、沢坪はほろ酔いの気持ち良さでタクシーに背をもたれての安らいだ帰宅となった。やはり車だと、高架の電車で見るネオンの街が、全く違って見え何とも心地良かった。美香は、聴いたいい話を保険のセールスでも蘊蓄語りに使わせていただきますと言って、幾つか質問してきて時間が過ぎた。沢坪には絶えて無かった、若い女性の香りに包まれての帰還となった。

 その後、仲間からの質問だということで、実際はどうだったのか分からないが、何度か木浜からの質問メールが来て、やり取りを続けることになった。そして、やがてスマホメールのやりとりは、伊豆の様子や趣味などの私的な話に、少しづつ内容も言葉遣いもくだけて変わっていった。沢坪にとっては、授業などの準備や次の発掘計画などの忙しい日々の中、世界が違う若い完菜とのメールのやりとりは、伊豆の島や海に想いを馳せる気分転換になった。そして、素直に関心を示し称賛してくれるので、話をするほど研究の進め方に自信を深めることになった。

 いつものように新宿で本屋に寄って見ていたら、気になっていた「海人の文化」に手が伸びていた。本は古代と中世を対象にしているが、まあ参考にはなるだろうとの考えからだ。先ずは、潮の香りを頭にたっぷりかけてやる事だという訳である。

 沢坪と完菜との最初の2人だけの一歩は、完菜から、10月の初めに上京する用事があるので、皆から感謝されたミニ講話会のお礼をさせて下さい、そして先史の話をも少し教えて下さいとメールが来た。

「お礼なんて」と返したが、「大したことじゃありませんから」と、結局、やりとりした時間と場所の連絡が来た。新宿三丁目の彼女が知っているこじんまりした和風店で、2人で会ったのだった。沢坪はビールの後は日本酒を重ね、彼女はあまり呑めないとカンパリソーダを頼み、ゆっくり先史の話などをしながら夕食をとった。食事も呑みも進んだところで、話が変わって完菜が身の上を語り出した。

 「父が結構な土地と資産を〈伊東〉で持ってましたんで、一人娘ですが地元を離れて渋谷に近い私大へ行き、そのまま〈三茶〉の銀行に勤めたんです。2年程して親の勧めで会った人と一緒になって暫く〈自由が丘〉で暮らしました。親しい友達たちと動いてたのが、田園調布から渋谷、青山、赤坂見附の狭い範囲でした。それで今も女友達からは、東横線と銀座線でしか動けない女と言われていて、他の地域はあまり知らないんです。夫と別れる事になって、また、こっちで会社勤めして、伊東に戻ったりこっちに来たりの歳月でした。陶芸を教えてくれた父が亡くなり、老けこんで弱ってしまった母も1年半前に亡くして、さてどうしようとなって、それまで手すさびだった陶芸に身を入れるようになったんです。仲間の伝手で、時々は売れているんですよ。まあ、伝統の技芸を商売にする気は全くありませんけど。陶芸の事や買い物と娯楽で、時々は東京に出て来てます。かつて暮らしていた時代に馴染んだ所が、やはり安気で気分転換になりますね」

 彼女は何不自由もないようだし、陶芸も見せてくれた作品冊子では、大昔からの伝統を感じさせる流派のようである。造形が素朴で派手な色彩の無い、自然な焼き上がりの地模様の妙を愛でるものである。一息つくようにして、完菜がちょっと真面目な口調で語った。

「地元と東京の陶芸仲間や同好の士と、古来の伝統文化を大切にする、自然を大切にするということでやってきました。後は伝統の陶芸を広め、その道を究められるように生きて行きたいと思っています。でも実は何となく、も一つ心の中でもやもやしたものが、ずっとあったんです。それが何なのかが、よく分からなかったんです。その意味で、3万8千年前という大昔に、黒耀石を見出して地域の海を行き来していた先人の話は、大いにロマンを感じました。この研究は、地元の伊豆で暮らした祖先との繋がりが感じられて大変興味深く、揺るがない歴史の重みが、何か心の拠り所になるものを強く感じます」と熱い興味を示している。

 そのもの言いは、沢坪に合わせた世辞でもなければ、ワインに換えたアルコールのせいでもない、独り身の彼女の溜めていた心の叫びのように聞こえた。そして同時に、資産があれば幸せという訳でもないことを、あらためて言葉の端々から感じさせた。

 沢坪は、「これから進めていく研究の関係上、先ずは海に向かい、海を実際に動いてみたいものだと思うようになっているんですよ」と、自身の前向きな気持ちを語って彼女の心の叫びに応えた。大学での日頃のうっ憤を吹き飛ばす、夢を自由に語り出した。

 完菜が、「それは、素晴らしいです。象牙の塔だけじゃないんですね」と眼を輝かせ、沢坪が「ええ、先ずは小型船舶免許を取ってからの話ですけどね」と頭をかいた。そしてそんな話の続くうちに完菜が、ぽつりと心情を吐露した感じになって言った。

 「今夜は何か心の中の本音を気兼ねなく語れて、こんな事ず~と絶えて無かったことですよ。関心が同じでちゃんと話し合える相手を見つけたような気がして、ホントに嬉しいんです。まあ、陶芸の方についていえば、土を練って形を創って焼き上がって作品が出来て手にした時に、何とも言えない長い年月を経た、受け継いできた不思議な感じがあるんですよ。もしかしたら、人が生まれ出るのは十月十日かかりますから、作品を授かった時に似たような感じがあるのかも知れませんね。陶芸作品には、物が硬いからということじゃない、土だからか何か揺るぎない、頼れて信じられる確かな感じがあるんですよ。それが歴史の重みなんだとこの頃になって分かって来ました。これまで上手く友達には伝えられなかったんですけど」と、少し涙ぐんだのだ。

 そして、「祖先の3万8千年前の黒耀石の話って、何か生きていく確かな方向を、見つけたような気がしてるんです」とも言った。

 沢坪の方も「私たち考古学徒が掘って探し求めているのも、結局、そういう歳月の重みという確かなものとの出会いの感激かも知れませんね。普段は意識していませんが」、と応じた。そして、自分の仕事に関して前向きに進んでいく、若い女性からの新しいエネルギーを完菜から受け取っているように感じていたが、それは言うのを控えた。完菜は途中から注文してワインを呑み出したせいなのか、沢坪が気圧されるくらいに言葉を替えて熱い思いを語り続けた。それは、何年もずっとため込んで来たものを吐き出すと言っていいようなものだった。派手なネオン、賑やかな人通りの新宿三丁目の喧騒の中、其々の家と宿に向かう満ち足りた2人の足取りは軽かった。

 沢坪は、海に向かうという新たな挑戦を掲げ、努力するという気持ちが強まって来た。学内の抵抗を押して始めている、伊豆・相模・房総に向かう研究は、何と言っても大昔の海辺の話である。大昔はむしろ海辺の暮らしが、その後よりもはるかに比率が高かったとみている。貝塚を作り舟を操る漁撈採集と交換の民の研究に、もっとウエイトをかけるべきだと考えているのである。そして人々はその後、河川を遡行しあるいは植生の疎な所へ進出して行ったのであり、ともかくまずは海辺の暮らしを理解することが、先史の理解においては大変重要なことと沢坪は考えている。それが舟を造る木のある山に早い時期に人が入って行き、交易で繫がったものとみている。従って、先ずは海に親しまないとホントに理解することはできず、それには自分がボートで海を動き廻る事が一番であり、いわゆる『塩っけ』をつけることが必要なのだと思っている。

 その具体的な第一歩である小型船舶免許については、3週間ほどではあるが暇があればネットでいろいろ自学してきていた。そして、10月中旬の金・土・日とその次の土・日に、〈勝どき〉のスクールに免許の習得に通った。一級を目指したのは、いずれ伊豆半島から大島へ渡り、黒耀石の恩馳島など東京諸島に行きたいからである。二級の航行区域制限である5海里・約9キロメートルではムリだからだ。手にしたいプレジャーボートは、「限定沿海区域」にある大島に安全に渡れる力があって高価でないものを考えている。無事に航行することしか考えていない。

 試験の内容は、基本的には車の免許を取ることとあまり変わらない。運転は、ハンドルとクラッチ・レバーで、要は、海でおぼれている人が居れば付近の流れを読み、その人にぶつけないで、横にボートを付けて助けられればいいのである。海に出るので天気や風や海流、ボートを係留するロープの結び方などがある。船同士が近づいた場合、どうすべきかは小回りの利く小型ボートがよける「避航」をするのである。違いの極めつけは、海の地図である海図を読み、その上で北緯と東経でどうなのかといった内容である。三角定規とコンパスを駆使する此の海図課目は、二級資格との大きな違いでもある。

 それでも沢坪は、自学していたのとスクールの5日間の懇切な教えで、試験を受けてから約10日、15万円ほどかけて一級免許証を手にすることができた。そして次の週の土曜日に、品川の東京ベイ・レンタルボートで、風は冷たかったが早速初乗りして海の上を満喫した。ともかく天気の良い日だけ、安全な場所でムリなく慣れていくことだ。ペーパードライバーにはならないということが、当面の目標だ。いずれクルージングを趣味と言えるものにしたいものだと思っている。無論、こんな事は皆には言わない。ともかく動き回って何か仕事につながる成果らしいものが見つかってからの話だ。皆に分かってしまったら、言おうと思っている。マリン・クルージングは贅沢なモノじゃない、日本祖人の暮らしを理解するには、先ずは潮の香りのする海に寄り添う事なのだと。

 沢坪は完菜と付き合い始めて意欲も高まり、小型船舶免許を取ってから大きな転機を迎える事となった。完菜が学校時代の友人と会うため上京するので、遅ればせながら免許合格のお祝いをしたいとメールが来た。

「いや、それほどのコトじゃない」と言ったのだが、ともかくさせてくださいと言うのだから断れない。新宿のホテルの高層階のレストランで、フランス料理の夕食となった。

 食事の前にお祝いだと言って、派手な金刺繍の無い落ち着いた紺に白いアゴ紐、帽章は丸いブランドマークのマドロス帽と、同じく紺のケースに入ったレーバンのサングラスをもらった。

 「ホントに船乗りになった気分になりましたよ」と、帽子を被って喜び礼を言った。

 「私だって、家の前の大海原を、自由にボートで廻れるなんて夢のようです。早く乗せてもらって舟出したいわ」と興奮している。

 「子供の頃、従兄たちに真鶴に連れて行ってもらった事があるけど、水がきれいだったことをよく覚えてますよ。その先の伊豆の海でボートに乗れるなんて夢のようですよ」、と応じた。

 「いつか海の向こうの島々に渡ってみたいし、そう、海の方から富士山が見たいなあ」

 「いずれにしても、伊豆の海に少しづつチャレンジですね、安全運転で」

 結局、12月初旬にも出て来るので、また語らって欲しいと約束させられて店を出た。モスグリーンのスーツにベージュのコートを着てすっと立つ彼女に、改めて目を見張る思いだった。7歳は離れているのだから、まあ当然だ。これからの年末は忙しいでしょうと、10数枚のタクシー券のたばを握らされた。そして再び「ホントにおめでとうございました」と言われ、彼女が手を挙げて拾ったタクシーに乗せられた。師走の迫る街、都庁などのビルにはまだ灯かりが残っている。通りをタクシーの背にもたれて、ほろ酔い加減の満ち足りた気分で走り抜ける。窓から脇を過ぎていく街の灯を眺めながら、沢坪は何となく肩透かしを食らったような気分にもなっていた。こんな気持ちはもう何年振りのことだろう。力のつく肉と効いて来たワインのディナーのせいかもしれない。 スマホが鳴った。メールだ。

 「今夜は、有難うございました」、慌てて返信のキーを打った。

 「こちらこそ有難う。ご馳走様」まだ、指が少し震えている。しっかりしろ、学生じゃないんだぞ。自分に言い聞かせて頭を振ったのだった。

 完菜からのメールに、東京に出ることが有るからと来た。前回約束させられた語らいを、忘年会にということだ。沢坪の方の忘年会は以前に比べればすっかり減っている。12月6日に陶芸の用事があり、翌日、日中は買い物をしたいので、夕方会って今年の新たな感激の忘年会にして欲しいと言うので、OKした。仕事の合間に、来年の三浦半島と伊豆地域の活動プランを1枚にして、話材作りとした。その中には、3月下旬の夏島貝塚の一般公開情報も含めた。店は今度は新宿の西口側で、灯が点るぼんぼりに屋号が書かれた店の前には、小さいながら石と竹でしつらえた小さな庭に風情がある。通されて部屋に着くと、先に居て振り返った完菜がニコッと微笑んだ。コートをハンガーに掛け、床の間を背に4人用の掘りこたつ式の卓に向かい合って座った。先ずはグラスビールで乾杯したほかは、前回同様のペースで懐石料理を味わった。いろいろな話をしながら食べたが、彼女は伊豆にいるような魚料理を、沢坪に合わせて選んでくれていると感じていた。

 「先生、金目鯛ってどうして目が大きくて金色かご存知ですか」

 「えっ、よく知らないなあ……」

 「光が届きにくい深海の魚の特有の目の色素らしいですよ。水深も200メートルになると、水圧でビール瓶が割れちゃうそうですから、別世界でお魚さんも違うようになるんだそうです」 

 「へえ~、知らなかったね」、機嫌のよい完菜が上京して来た理由を聞けば、どうも陶芸の店に幾つか出品できることになったようで、欲の薄い彼女もまあ嬉しそうにはしゃいでいる感じだ。 沢坪は陶芸の話には、なかなか付いていけない。従って、自然と歴史考古学の事になるのだが、彼女の方がむしろ興味を持って聞いてくれている風なので、会話が途絶えることが無い。彼女が「バツ」の独り者なので、沢坪は昔の事を訊かない。彼女も沢坪の家庭について、踏み込んで聞くことはして来ない。2人は、もっぱら歴史考古学や伝統陶芸など、家族や普通の友達には余り聞いてもらえない話に終始していて、浮世離れしたおとぎ話の時間を過ごしているので、ただ楽しい盛り上がりになっている。

 「夏島貝塚は、海の中の島なんですか」

 「以前はそうだったけど、今はもう周りを埋め立てられて工場などが出来てますよ。尤も、更にずっと大昔に海水面が下がっていた時には、逆に今のようだったんですがね」

 「どんな物が見つかってるんですか」

 「ハマグリやあさりといった貝だけじゃなくて、マグロなど外洋の魚や猪や鹿の骨も出てますよ。そして勿論、石器や骨の釣り針が出てるし、何と言っても9千5百年前の土器が出てるんで、興味深いんですよ」

 「ふ~ん。凄いんですね」、彼女にとって夏島貝塚の一般公開については、初めて具体的に考古学上の実物に接することなので、もの珍しくて根掘り葉掘りいろいろ聞く。 好きに振舞っているように見えて、地元じゃあ一応近所の目を意識せざるを得ないので、新しい公の所へ行く事は、自分に対しても縛りを解ける楽しみのようでもある。その後も沢坪の作ったペーパーについて話が弾んでいるが、自分のやりたい構想を、何の気兼ねも無く語れる。沢坪の話は、何と言っても彼女にとっては身近な伊豆に関わるもので、世界的に重要な史実ということが何とも誇らしいようだ。万年の昔は文字が無いから詳しく分かっている訳ではないので、まあ関係ないし聞いてもしょうがないと思うか、祖先の始まりのロマン溢れる凄い事だと思うかだが、2人は揃って後者なので話が合って盛り上がる。そしてそれが時代的に古い知らない事への興味と言うだけでなく、今に繋がる自分たちの祖先のことと実感できることが、口で表現できない二人の共通点である。

 つまり、沢坪が『日本祖代・祖人』と表現し、追い求めて行く見方考え方が、完菜が陶芸をしながら何となく感じていたことと、明らかに精神性における方向の一致が感じられるのである。完菜がこれまで、誰とも心の中から共有できなかったものと言える。 全く違った意味で、最近の若い男女がビビッと来たという類のものなのである。特に、沢坪にはしっかりした理論や知識の裏付けがある事が、完菜が惹かれたところである。

 沢坪が説明した。「ヒトは、実はそんなに進化していないんだよ。そして、既に認知力を向上させた4万年前程度であれば、赤子の素質は殆ど今と変わらず、そして何よりもそのころ長い時間をかけて培った心理的なモノは今の我々の奥底に残っているいるようで、皆で事を決めて行く民主制の日本では、重要だね。歴史は『応仁の乱』くらいから知れば十分というのは、傲慢だね」、いずれにしても、こんなテーマで語り合って2人の心が通じ合う事に、深い喜びと安らぎが得られるコトが重要で、まあ、ある種の宗教的なモノに似ている。世間によくある中年の男女の関係というのとは、ちょっと違う付き合い方になっている。食事を終えてお茶がきた。

 「発掘ってやっぱり宝探しのようなものなんでしょう?」

 「いや、最初はそういうもんだけど、責任を持もってやって行くとなると、実際のところは建築みたいなもんかな。建築が上にしていくのを皆で下にしていくようなもんですよ。一人で仕上げる貴女の陶芸は、ある意味で羨ましいね。何から何まで自分の自由ですからね。他人の評価で左右されるということはあるんでしょうけど」

 「まあそれはそうですけど、焼き上がってくるまでは何とも言えないんですよ。同じ温度や火加減にしたって、同じ物は2度と出来ませんからね。そこが楽しみではあるんですけど、もう一段上のものをと思っても道筋が単純な一筋縄じゃないんですよ」

 「そうなんですか。まあ、私ら素人には、何となくこれが好きだ、とは言えますけど」

 「それでいいんですよ。評価は、多数決みたいなところはありますよ。ただ、創る方としては、自分が良いと思う、納得できるというのが一番ですね」

 「そうですね」、沢坪も最近は余りに他の期待や評価を気にし過ぎているかなと思った。

 「ところで先生、この後、ちょっと呑みませんか」

 「えっ、ええ、いいですね」、彼女はあまり呑めない筈なのに、あれっと沢坪は思った。彼女が手洗いに立ったが、しっかりした足取りで廊下へ出て行った。ホントは呑める口なのかも知れないと思った。時間は8時を過ぎている。明日は土曜で新宿なので沢坪には何の問題も無いが、完菜はどうなんだろうとちょっと思った。暫くして戻った完菜は、膝をついてグリーンのバッグからA4のクリアファイルを取り出すと、沢坪が説明したプリントを丁寧にしまった。

「じゃあ、行きましょう」と立ち上がり、「どうぞ」と彼女は沢坪を先に立て、二人は店を出て人々が行き交う夜の街へ出たら、風が冷たい。

 「わあ、寒いわ~」と襟を立て沢坪の左腕にすがるようにしたので、カバンを持ち換えて彼女の歩く方に付いて行った。

 「ホントにもう、クリスマスですね~」彼女が当たりを見回しながら言った。

 「この1年はあっという間でしたね」、新たな変化が沢坪の人生時間を早めていた。

 足早に行き交う人、忘年会後のコート姿のサラリーマンの男女グループ、通りに木の葉が舞っている。完菜が、あそこの上に先に行ってますからと離れた高層ビルを指さしながら、「46階のブルースカイの窓側です」、と言って早足に歩いていく。沢坪は、まあ、我が仲間で今時あんな所に居る者はいないと思うが、企業や出版社などで見知った者が、ロビーなどにいないとも限らない。彼女が気を使ってくれているのだろうと思い、真直ぐ歩いていく彼女を見つめていた。

 距離をとって後をついて行ってホテルに入ると、ロビーには天井のシャンデリアに届こうかという電飾の付いたツリーが、雪に囲われた煉瓦を模した台の上に鎮座している。

結構、アジア系のお客も居てざわざわと賑わっているのは、正に年末からの休みの雰囲気である。エレベーターで上がり、バー・ラウンジに入ってコートを預けて彼女の所へ行くと、2人が窓の方を向いて、大きなガラス窓の前に並んで座って呑むタイプになっている。

 「伊豆にいるでしょ、やっぱり東京に来るとこういうビル街を見るのが好きなんですよ。特に、こんな夜景が素敵ですね」

 「いや~、これは綺麗だ」沢坪も素直にそう言った。

 電車で通う見知った街だが、百数十メートルの上から、ガラスの大枠越しに見る下界に散らばった光の造形はきらびやかだ。しかも、若い女性と2人で酒を飲みながら眺めるという贅沢なのだ。既に彼女がオーダーしていたので、飲み物のカクテルとオードブルが直ぐに来て、グラスを合わせた。

 「ロビーのツリーも凄いね。いやあ、ホントに年末年始の休みが始まったんだねえ」

 「伊豆の森のクリスマスもそれなりですけど、都会のものは、やっぱり心をときめかせるものがありますよ。それにしてもまだ灯かりがついていて、皆さん働いてるんですね~。私は、殆ど時間に縛られることが無いんで、気を付けていないとボケてしまいますよ」

 「通勤で擦り切れるのも問題、緑の中でのんびり恵まれていてボケるのも困るって、人間は難しい生き物ですよね」

 「私、これからは陶芸だけじゃなく、先史研究もしっかり加えようと決めてるんですよ」

 「それはいい、立派なもんですね。そうだね~。いくら忙しいと言っても、やっぱり仕事だけじゃダメだよなあ」、と言ってゆっくりまた一口飲んだ。

 「石器や土器の研究をされてるんですから、陶芸もされたらどうですか。そうだ、一度、伊豆に焼きに来られたらいいですよ!」

 「そうですね~。人間は幅が必要ですよね」、完菜がニコッと微笑んで、「やはり遊びから仕事の幅が出るんですよ。一念発起、是非、いらしてくださいな」と合わせた。

 「ホントですか」、と沢坪も満更ではない。仕事で伊豆の方に行ったときに、楽しみの息抜きになると思いながら、心の中でニンマリした。街の灯りを見ていると年の瀬だと感じて来た。仕事の方はまあなんとか、新たな構想の一部を押しこんで、足掛かりは付けられたし、実際に海に関われる私生活の道筋も出来た。それに何よりも、年初には想像も出来なかった若い女性の友人が研究地域に出来て、こんな忘年の状況で何とも旨い酒が飲めている。夜景を楽しみ飲んでおしゃべりし、心地よく酔いも回って来た。

 「私、実は差し上げたいものがあるんです。ちょっと来て選んでいただけますでしょうか」彼女が静かに言った。

 「えっ、なんだろう?」

 「いや大した物じゃないんで、見ていただいてからですわ。それをお飲みになってからゆっくりいらして下さい。部屋では寛いだ格好にさせてもらいますが、勘弁して下さいね」と部屋番号を書いた小さなメモを渡して、うつむき加減で席を立って出て行った。

 気が付くと、ビル街の灯も大分少なくなっている。年の瀬である。時計を見ると9時を過ぎている。グッと飲み干して、立ち上がってゆっくり入口へ向かった。

 エレベーターを出て書かれた部屋の前に来て、小さく2回ノックすると、ドアは間もなく開けられた。完菜は部屋の白いガウンになっていて、髪の裾が前に出ている。1メートル程の距離で、沢坪は一寸ドキっとした。

 「どうぞ」と言われて入って行って、手にしたコートを掛けてもらった。ほんわり温かみを感ずる空調の効いた部屋だ。窓辺のテーブルの所に案内された。

 横の床にダンボールが一つ置かれている。

 「お気に召すか分かりませんが、気に入った物を是非、見つけて下さいな。日常使っていただくと、間違いなく味が出てきますから」と言ってニコッとした。成る程、出品する物をチェックしてもらうために、持って来た品々なんだろうと沢坪は思った。

 彼女が、四の五の言うのが好きでないのは何となく分かっている。

 「じゃ、遠慮なく見させてもらいます」、と一つずつ丁寧に包み紙を解いて、テーブルに載せて見始めた。彼女が、「ちょっと失礼します」と言ってバスルームの方へ向かった。包みを解いて行くと、小さなぐい呑みや湯呑茶碗、カップ、中皿、大きくない花瓶などいろいろな物が入っている。どれも微妙に曲面の地肌の味と独特の文様を出していて、土器に比べれば明らかに洗練された造りであり、硬質の手触りが何とも言えない高級感ある安らぎを与える。どれか一つという事だろうが、正直言って甲乙つけがたい。恐らく大きい物の方が高価なのだろうと見当をつけ、小さめのカップと湯呑みを手にして見ていたら彼女が出て来た。

 「お気に召した物は有りましたか」と言われて、「う~ん、どれもいいですね」と答えて、これがいいですかねと湯呑よりも少し大きめのマグカップを手にした。

 「どうしてですか」と彼女が聞いた。

 「普通に家で使って、味が出そうだからですよ」と振り返ると、覗き込んでいだ彼女の顔が直ぐ傍にあった。顔というよりも体から、香水の混じった湯上がりのような女の香りが漂ってきた。そのまま立ち上がると2人が見つめ合うことになった。絶えてこんな事の無かった沢坪は、息苦しくなって視線を外し窓の夜景の方を見た。

 「いや~、こっちはずっと遠くまで見通せるんですね~」声が上ずっているのが自分でも分かる。寄って来た完菜が、「そうなんですよ」と静かに言って、外を見た。沢坪は振り向くように体を完菜の方に向け、両腕を伸ばしそのままゆっくり彼女を抱きしめた。厚いガラス窓の外の木枯らしの音は聞こえない、時間も止まった。完菜の吐く息にアルコールを感じた。

 大きな窓からの光で目覚めた沢坪は、時計を見ると朝の六時半過ぎだ。シャワーを浴びようと体を起こした。完菜は、既にテーブルの所で窓の外を見ながらジュースを飲んでいて、「お早ようございます」と声を掛けてきた。

 「お早うございます」、と答えてなぜか気恥ずかしくなり、そそくさとベッドから出て、バスルームに向かった。何でオレが小娘のように気恥ずかしくなるんだ、しっかりしろと自分を励ましつつ。出て来て沢坪も冷蔵庫からパインジュースを取りグラスに注いで窓辺に行ったが、既に完菜は、髪も整えメークも出来ていて、ベッドへ移り半身を起してスマホを観ている。土曜の朝、窓の下には陽光の街、満ち足りた気分と言うのはこういう事なんだろうと思いながらジュースを味わった。このまま部屋を出て何となく朝帰りというのは、マンションの住民を考えて気が引けるので、どこかで朝食をとってコーヒーでも飲んでから本でも探し、一息入れてから帰る事にしなくちゃなと考えていた。

 「朝は、此処で頂きますけど何にされますか」、スマホを観ながら完菜が、さらっと声を掛けてきた。

 「えっ、ええ、一緒のものでいいですよ」と、まだ上ずって答えると、分かりましたと言って彼女が横の電話を取り、洋食を2つオーダーした。これはもう、完全に世間の言う早めのクリスマス・イブをしたんだと沢坪は思った。窓の下の車の数も少なく、明るい静かな休みの朝となっている。

 「出品のめども立って、ホントに幸せないい朝ですわ」と、スマホを置いて沢坪の方を見ている。

 「ホントにそうだね~」、振り返りながら言って立ち上がった。カップにコーヒーとクリープを入れて再びテーブルに戻って座った。なんとこの後、何を、話していいのか気恥ずかしさは続いている。彼女の方もずっとスマホを観ていて、話しかけては来ないでいる。ドアがノックされ、完菜がベッドから出て行って、朝食が運び込まれた。今朝は、オレンジジュースが旨い。腹がすいていた沢坪は残さず全部平らげたが、彼女の方はパンやハム、ソーセージもサラダも少し残っている。彼女が立ち上って行ってもう一度、二人分のコーヒーを作って来て、反対側の椅子を窓に向けて座った。

 「東京は広いですね。ずっと向こうまでビルやマンションなどですね。それに意外と結構な緑もありますよね」、昨夜の余韻を残しながらも、昼の顔になろうとしてるのが感じられる。朝食をとってコーヒーを飲んで、また、伊豆の話をしたりしてすっかり落ち着いた。

 「じゃあ、また。カップありがとう、大そうご馳走様でした」とガウンのままの完菜に言って、沢坪は部屋を出た。ホテルを出たら陽が眩しい。地上を駅の方に向かって歩きながら、先ずは角筈ガードを通って東口側の本屋に行こうと決めた。お休みには良い本でも読んで下さいなんて、彼女に図書券を持たされたからという訳ではない。

 スマホが鳴った。「カップ、可愛がって下さい」

 「はい。いつも有難う」、スマホを打つ指が、やっぱりまだ少し震えている。

 街の浮き立つ賑やかさとは裏腹に、大学業務の年末の仕事納めが意識される頃となった。沢坪は来年の事業準備などでやきもきして叱咤し、つい声を荒げてしまうという日々が続いた。そして、今年の講義も終わりになった。

 「―従って、残された石器が円形に並ぶ*7環状ブロック群は、集落跡の《ムラ》とみなすことができる。また、Aから15メートル離れたBと石器同士が、破片で接合できることが沢山発見されているが、それは両者の同時性を、作業の連続性を示すものである。次に、このようなムラの様子と当時の人々の《活動領域》を見ていくことにする―」

 教壇を降りて研究室へ向かい、ドアを開け、コーヒーメーカーの方に行ってから、カップを持って椅子にどっかり腰を落として一息ついた。机の周りにまで本や雑誌が増えて積み重なり、応接ソファが少し狭苦しくなってきている。あらためて昨夜の広めの落ち着いた、空調が心地よく効いたホテルの部屋を想い出した。絶えて無かった、肉感を伴った女性との接触が、体のみならず頭の中に変化を生じさせていることを感ずる。

 カップを持って立ち上がって窓辺に寄る。見下ろす外の木々は葉を落としているが、こっちは芽吹いてきた不思議な感じだ。室の関係者に今年の総括と来年に向けての挨拶をして、休暇に入った。

 家で海外資料などを見ていたら、完菜からメールが入った。

 年の暮れに新年向けの最後の縁起物を創るので、今年ご縁を戴いた沢坪にも一つ作って欲しい。忙しい事とは思うが、何とかお付き合い願えないかというものだ。掃除などもあるしと返信したら、寝る前の一杯やってるところにまた、メールが来た。結局、29日の昼間ならとなり、朝行って夕方までには帰るということで押し切られることになった。早めに掃除を進めようと腹を決めた。息子の雪雄は、大晦日に帰ると言ってきたが、お節は仕出しを注文してるし、帰ってもどうせこっちの仲間と会うのであまり家にはいない。従って、正月の手間がいろいろある訳ではない。沢坪は考えてみれば、29日に出掛けるとなったので、返ってしっかり掃除や準備を捗らせることが出来た。それが良かったかもしれないと、伊東に向かう列車の窓から海を眺めつつ独りごちた。

 初めての完菜宅の訪問である。ブランチをと言われたので10時大分前に着き、駅を出て冬の陽ざしの中を離れているが、歩いて花屋で買って戻り連絡を入れた。線路のガードを抜けて山側に越え、言われた駐車場に行くと、紺のボックスカーの中で完菜が待っていた。乗って曲がりくねった道を上がって行くと2分足らずで着いた家は、車内から自動で門が開閉し、駐車場は門から入って奥右、緑のコニファー樹の生垣の裏側になっており、外から覗いても分からない。塀と緑に囲まれた敷地の南向きの二階家は、高いエレガンテシマ樹の高い植栽で玄関が外からは見えない。北側は裏山の疎林だ。東西両隣りの広い敷地の家はそれぞれ離れている。東側玄関を入ると1階には南向きの広いLDKがある。沢坪は、花を渡し先ずはリビングのソファに落ち着き、水面が光る池と築山のある庭を見ながらコーヒーをゆっくり飲んで一息ついだ。2階が完菜の書斎と寝室で、トレーニング・ルームがあって、長いゴルフのパターマットや素振り用具があると言う。以前は上下を娘と母親で使い分けていたのだそうだ。作務衣に着替えて2階から下りてきた完菜は髪をアップしており、見違えるシャキっとした雰囲気である。

「ブランチを整えるので、向こうの寝室でこれに着替えてから見ていて下さい」、と作務衣と陶芸の写真集を2冊置いてキッチンの方に行った。着替えに行くと、既にうっすら暖房が入っている広い部屋には、窓辺の机とソファセットやベッドとクローゼットなどがあり、大きな壺が飾られている。着替えて戻った沢坪が渡された本を見ていたら、じゃあこちらへと、完菜がダイニングに誘って先に立って行った。

 トマトベースでエビ、アサリ、帆立などに野菜が刻んで入れられたタップリ海鮮スパゲッティに、ワカメスープと貝柱やツナの海藻サラダが3種のドレッシングと共に並べられている。グラスのオレンジジュースがあって、若い女性らしい彩のテーブルになっている。

 「いやいや、潮の香りのするおいしそうなものだね。伊豆に来たからという訳じゃないけど、やっぱり海のものが一番だよね」

 「私も、海の幸が好きですね。バーガーやカレーも食べますけどね」

 「何と言っても、海を渡って来て始まった、4万年前の日本祖人の浜辺の暮らしが、安らぎの基盤になってるだろうからね」

 男やもめの外食の多い暮らしなんで、手作りのこういう料理は、何ともたまらないねとは言わなかった。

 「本で見た陶芸作品の作りは素朴だけど、ほんとに色々あって、伝統芸術の発展を感じさせるね~」

 「ええ、日常の生活用品が多くなってますけど、花器や壺などの大物芸術もありますしね」、久し振りにゆったりした家庭の気分を味わった後、いよいよ陶芸体験だ。巻き付けるための少し大きめのグラスを選び、新聞紙と共に持たされて陶芸場に向かった。2階に昇る階段前の東側のドアの鍵を開けて、下りると陶芸場になっている。石油ストーブで暖められている陶芸場に案内されて、彼女の指導で初めて手ひねりでマグカップを作った。自宅の分は貰っているので研究室用である。粘土を伸ばして平板を作り、グラスに巻いて、これも大きめの取っ手を付けた。優しくいろいろ教えてくれたが、きちんと成形して仕上げるのは、なかなか難しいものだと分かった。まあ、一応それらしい素朴なカップに成った。後は乾燥させてから、彼女が上手く焼いて仕上げてくれるだろう。各種の物が並ぶ棚の端の方に、沢坪の物が加わった。こうして見ると、子供が生まれてくるのを待つような気分になる。陶芸場を出たら、手を洗ってお待ち下さいと完菜がダイニングの奥を示して、2階に上がって行った。沢坪が洗面所から出て来てシャツに着替え、ソファの窓辺に大きな壺を見に行った。自分で小さなマグカップを作ってみて、初めてその凄さが分かったような気がして持ち上げて、窓辺の光でその地肌と模様をじっくりと鑑賞した。薄物の部屋着に着替えた完菜が入って来た。

 「その大壺は、気に入りましたか」

 「カップを作ってみて、凄さがよく分ったよ」、壺を置き、寄って来ていた完菜の肩に手を回して、あらためて2人で壺を見た。窓の外の温かい陽差しに木々が光っている。

 「お宅の植栽も凄いもんだね」

 「父が凝っていたのと、植木屋さんが来て、ちゃんとしてくれているからですよ」

 はっきり彼女の香水の匂いが感じられる距離だ。沢坪は彼女を自分の方に向かせて抱きしめると、完菜も腕を回してきた。

 沢坪の回想も年が明けた頃のことについては、正に輝かしい新年を迎えていた。旧年中に思いもよらず、若い木浜と船舶免許証の両手に花を得て、思いがけない順風満帆の滑り出しに恵まれた。木浜との付き合いは生活の大変化であり、それに押される形で小型船舶免許一級の取得を果たした。これは、密かに考えている海に向かう研究の具体的な一歩となる。胸を張って新年の出勤をすると、ショールを纏った和装の女性たちが、大学のガラスの城でも見られ、迎えられているように感じて仕事が始まった。

 考古学関係者は、どこでも今夏の国際学会の準備を進めている。このため沢坪は、これまでの長野や武蔵野における発掘の成果に、太平洋岸の海辺に向かう研究を加えて、総合的に考察する事を目指して来ている。尤もそんな発表の構想に対し、噂を聞いた学会や学内にさえ、跳ね上がりの大風呂敷との受け止めで、抵抗があるのが悩みの種ではある。翌日、准教授の名輪がやって来て、伊豆重視と言う沢坪が年末に示した事を考えてみたと説明に来た。

 「教授、当時は海水面が下がっていました(3万8千年前、約60メートル)ので、東京諸島も陸地がかなり現れて、大島以外は今よりずっと繋がりが感じられてましたね。従って、伊豆半島と諸島側の陸地との間の海域を、一般向けに何か表現したらと思うんです。それと、当時は黒潮分岐流が北上していたんではなくて、今とは逆に親潮分岐流が南下していたようです」

 「表現か、そうだなあ。認識するにはそれが一番だなあ。さて、う~ん、日本祖人がフネで行き来した偉業の地域をどう呼ぶかだな。陸地の方は既に名があるから、海域に名があればいいだろう。水道と言うのは、飲み水と紛らわしいから、まあ海峡だな~。あの戦争があったフォークランドなんかも、島と島の間を海峡って呼んでるから、まあいいだろう。じゃあ、陸地の両方のアタマを取って、東伊か。なんか遠いなあ。東豆か。どうもだなあ。う~ん、東京と静岡で、普通に東静だなあ。*8東静海峡の地域だろう。そうだよ、おい、普通に『東静海峡』だろう。海水面が下がり親潮流が南下した当時の状況を、まず教育ではっきり認識するためにいいね」

「東静海峡ですか、そうですねえ、それぞれの頭をとってムリはないですね」、名輪が素直に賛同した。

 「万年の大昔、貴重な交換財だった黒耀石を求めて海峡を越えて行き来していたし、河津・見高段間の縄文中期の工房もある。地域の『光の時代』であったことは間違いない。時代が下っても伊豆の山の船材は有名で、狩野がカヌーになったと言う人がいるくらいだからね。海峡を行く江戸への物流も盛んで、幕末には再び下田に外国の注目も集まったという訳だ。何度も光の時代があった東静海峡の地域なんだよ。そうだろ。今また我々が、この地域に光を当てるんだよ」、言って沢坪は、一人で感心している。

「教授、川端康成の『伊豆の踊子』も大島から渡って行き来してますよ」、名輪も調子を合わせる。「そうなると、誰か『東静海峡夏景色』かなんか歌ってくれないもんかなあ、ハハハ」と、沢坪が笑い出してなんともハイテンションだ。

 そして、この名前が定着すれば、新構想の分かり易い肝になる。それになんだかんだと理由を付けて、伊東の方にも行き易くなるしと、一人ニンマリした。あの辺は海の幸が楽しめる。まあ、みんなにも評判がいいだろう。ともかく当時を認識する命名は斬新だから、学内とも闘い易くなったと悦に入った。

 年末に行った時には何も言ってなかったが、完菜から「1月10日は、『いとう』の日」なんで、是非、新年6日からの期間中に来て下さいというメールが入っている。確かに語呂合わせはいい。割安でお得な期間のようだが、買い物などしないこんなオヤジが騒ぐイベントではないようだ。それでも完菜に会えるし、東静海峡の様々な見聞を容易に広めることが出来るチャンスではある。何よりも彼女に、早速新しいアイデアをPRできる。それに、そろそろ50を意識する歳になって、子供の頃からの憧れである〈真鶴〉より向こうの伊豆の海に出られる期待がある。「海峡最狭部のこちら側で、行ったことのない観光地の城ケ崎を、ゆっくりボートで海からも観たい」と返したら、「喜んで」というOKが返って来た。

 松が取れてからと思い、天気予報も大丈夫だし9日火曜日で、休みを取る事にした。

 それからは、天気とボートで行くための調べものをし、完菜にも手伝ってもらって係留などの手続きもした。沢坪と完菜は正月気分の残る9日、陽が上がって行く伊東マリンタウンで貸ボートに乗り込み、出港のルーティンを終えてエンジンを始動、ゆっくりとハンドルを右に回しながら出て、富士山の肩から上を眺めてから城ケ崎に向かった。 マドロス帽にサングラスである。小学校の遠足で横浜港に行き、沢山の外国貨物船などを見て心を躍らせた頃から、沢坪の心の片隅に沈んでいた夢を果たすことができた喜びが湧いて来ている。

 無論、岩礁には近寄らないが、岩礁と崖が見える陸地をよく見ながら行った。完菜が声を挙げている。城ケ崎の下の係留する富戸港は、狭く感じる入り口であり、岸壁から坂を上がって家並や道路となる。

ボートを付けて草木の中の坂を上って行くと、雲間に陽射しが現れて来て汗が出て来た。

昼食にする大きな藁ぶきの家の食事処を目指し、店の前の東屋に汗をかいて辿り着いたら、有りがたいことに水道の蛇口が見える。濡らしたタオルで汗を拭きながら店に入った。

「いらっしゃいませと」、小太りの中年の女性が、店の揃いの絣の割烹着で明るく案内してくれる。沢坪はサングラスを取ってポロシャツの胸ポケットに入れて彼女に続き、完菜を後ろに従えるようにして進んで行った。元々は、漁師たちの小屋だったそうだが、畳の大広間が雰囲気を醸し出しており、客が既に六割ほど入っている。食事の方は勿論、金目鯛の煮物や刺身などの新鮮な魚料理で、あら汁が実に旨いので沢坪はお替りした。

 食後は、傍の有名な吊り橋の観光に出掛けた。木々を抜けて吊り橋に至る。高さ23メートルあり、下で波が騒いでいるが、3人並んで歩ける幅がある。床板も横の掴まり綱もしっかりしていて、掴まらずとも女性もまあ怖さを感じないだろう。風が冷たいが、下のごつごつした岩肌の岬に白い波が弾けている海を見ながら、完菜を腕にすがらせてゆっくり渡った。立ち止まって見ると、はっきり大島が見える。20キロメートルくらいの東静海峡の最狭部であり、確かにどっしりとした大きい島である。

 完菜も、「忘れません。2人でしっかり見たこの景色」、と言う。あらためて2人で下をよく見ると、波が岩で砕けて小さな白い花火を打ち上げてくれている。再びゆっくり橋を戻ってから、ずっと下って港のボートの方へ、だいぶ歩いて向かった。動き廻った後のお茶は家でと完菜が言うので、何処にも寄らずにボートに乗り込んだ。帰りは行きよりもスピードを上げて、早めに安全にマリンタウンに戻るべくボートを走らせた。

 戻った沢坪は、なんだか我が家で休みの日を過ごしているという感じがしてきていた。

 「外を廻って汗をかいて来られたんで、軽く流してさっぱりしてからお帰りになってくださいな」、と彼女に言われ、タオルを渡された。沢坪は、これからの方が汗になるんだがなあと思いつつ、シャワールームに向かった。

 完菜の登場による毎日のメールのやり取りがあり、沢坪にとっては大学との2つの全く違う世界を、同時に生きているような不思議な気持ちの生活に変わった。大学では新たな年の講義で若い人たちと接し、企画の会議や準備を指示して忙しく立ち働く日々が続いた。1月も終わろうというところで、完菜から数葉の写真と共にこんなボートがいいんじゃないかというメールが届いた。落ち着いたら何とか自分のボートを、中古でいいからとぼんやり考えていたが、先を越されたと感じた。いずれにしても彼女の案は問題にもならない。ちょっと見栄えのいいものは、3LDKのマンションを買うくらいの値段だ。ずっと安いものだって高級な外車並みなのだ。沢坪が考えているのは、大島に渡ってから黒耀石の島に行けるボートで、晴天の日にしか乗らない。まあ、雨風と直射日光は防げる最小限の屋根囲いキャビン(小船室)がある、波や揺れに耐える中古のモノでいいのである。海を越えて島に女性と行くことの安全は十分考慮するが、完菜の送って来たものは、明らかにゴージャス過ぎる。

 「初夢としてはいいね。でも天気のいい日に半日2人で遊べればいいんだから、シンプルな違うタイプを中古で探しますよ。夜は研究できないので乗らないし」と笑いの顔文字を2つ付けて送り返した。ホントは、日本祖人は星空を見て夜も動いていたのかも知れないが、それは伏せた。彼女だって落ち着いてよく考えれば、「誰も乗せずに」2人だけで、要は海に浮かべばいいのだと思い至るだろう。高過ぎるとか、豪華過ぎるだとか余分な言い訳で話をかわすより、効果がある筈だ。ともかく日本祖人があの大昔にしていたように、今は安心してコンテナ船の行き交う黒潮流を渡れるボートで、神津・恩馳島へ東静海峡を行き来してみたいものである。完菜と遊覧にゆっくり乗ってという事なら、西伊豆へ行って富士山を沖から見ることや三浦半島に足を伸ばすこともなかなかのものでいいだろう。研究にも合う。そんなやりとりのメールも、いい大人の2人には、それまで思いもしなかった楽しい事だ。何となく、城か新居を選んでいるような気分にさせてくれる。結局、伊豆の半島から諸島という『近海区域』にも安心して行ける29フィート(約9m)型が適当ということで探してみることになった。

 そのうちに話が妙な方に発展して行って、東京で会った時に完菜が語った。

 「私にも夢だったの。一人でも気晴らしに家の前の伊豆の海で気ままに乗ってみたい。二級免許でいいの。のんびり海から伊豆を見てみたいの。時にはお天気のいい日に、気が向いたらサッと一人で乗りに行けたら最高なんです。私、地元で父の知り合いだった伝手があるから、係留地の押さえは任せてください。それと保険や整備などの方もね。ともかく私も時には一人で乗せてもらいますから、請求書は頂きます」

 沢坪はおいおい本気かよと思ったが、彼女にすればサラリーマン教授が買える中古のボートじゃ嫌なのは、考えてみれば最初からはっきりしていたのである。維持使用経費は、年間3~40万円くらいだろうか。沢坪としては、中古を調べたりして、まあ、輝子の保険が入った手持ちの貯金で3分の1ほど使えばなんとかなるだろうと思って話をしてきた。それにしても、完菜にとってもボートは夢だった、時に気ままに乗りたいから請求書は回せか。傷つけたら保険で直すから心配しないでって、まあよく言うもんだ。いい支払い理屈を出してきたもんだ。これじゃあもう助けは要らないよ、なんて言って断れないなあと思った。どっちにしても、彼女の伊豆パワーを借りれば、事がスムーズに運ぶのは確かである。結局、諸島へ行ける安定性のあるタイプで、彼女のパワーでいろいろやってみることになった。

 10日程すると、平日で申し訳ないが実印と印鑑証明、住民票とボートの免許証を持って都合つけて来てくださいとメールが入り、休みを取って伊東に向かった。駅に着いて彼女の車で港に行って暫く桟橋を歩いていくと、メールで見たのに似た新しいボートがあることに気づいた。ボートの横に入っている字模様で、「おいおい。あれじゃないか」と沢坪が言うと、完菜はただ笑っている。小走りにボートに近づいて行って、「やあ、凄いなあ」、と言って早速乗り込んだ。もらった鍵でキャビンの後部ドアを開けて中へ入り、操縦椅子に座ってハンドルやレバーに触り、あちこち見てからデッキを動き回って子供のようなものだ。 完菜は乗らずに腕を組んでニコニコ見ている。そして、沢坪に向かってフロントガラス越しに、食事の手真似をしたので出て来た。

 「後でゆっくり乗れますよ。お昼にしましょう」

 「うん、分った」と言いながらもまだ名残り惜しそうな様子で、降りてからも振り返っている。2人で歩いて車に戻ってレストランに向かった。テーブルについて、注文をしてから完菜が言った。

 「免許証は?」

 「うん、ほら」、とセカンドバッグから取り出した。その写真を見て彼女が、「真面目な顔しちゃってますね」と言いながらハンドバッグから取り出して横に並べた。

 「えっ、免許証か」びっくりした沢坪が、手に取ってまじまじと見た。確かに彼女の二級の免許証だ。車と違って写真が左で、名前や本籍・住所が真ん中にはっきりあり、下には国土交通大臣と書かれ職印が押されている立派なものである。

 「ねえ、写真撮らせて下さいな」

 「あっ、ごめんご免」と戻すと、きちんと2つを並べてスマホで2回、嬉しそうに写真を撮っている。 

 「凄いなあ、よくやったね。おめでとう」

 「アリガト様です」

 料理が運ばれてくると、いただきますと食べだしながら、完菜が教習での失敗談を始め、2人して笑った。ボートの行き足を加減できずに、教官の言ったところを遥かに越えた所で止まったら、教官が、「あそこは何かお気に召しませんでしたか」ととぼけて言ったとかで、2人して大笑いした。あれやこれや、彼女はしゃべり通しだった。そして、沢坪も「あるある」の合いの手を入れて笑った。食べ終わったら、完菜が笑いを止めてバッグからぶ厚い書類ファイルを取り出して話をし出した。

 「これが今回の契約書の一式です。これがボートの保有関係です。これが伊東と下田の係留関係です。他に必要な場所があれば追加します。そして、これが貴方と私の操縦と乗る人たちの保険関係です。貴方のボートに、傷つけたりしちゃっても勘弁してくださいね。すぐ直しますから。勿論、貴方が一人で乗って何処へ行こうと勝手ですけど、出る場合は一応、私に連絡してくださいな」と言って、皮のキーホルダーについた鍵をその上に載せて沢坪に渡した。受け取って、正直この手筈にびっくりしている。

「何で君が持たないの」と訊いた。

 「ええ、考えたんです。二級の私が事務所に行って、外海に出る届けは書けないわ。代わりに貴方に行ってもらうと、ボート所有者の承認文書が要って、面倒になるだろうと。それに地元のしかも船関係のグループに、貴方と私が結びついて海で遠距離の何処を動いてるかという文書が残るのは、ちょっと嫌なの。貴方がボートを持って、遠くの何処へでも行く所を届け出て、名前の要らない同乗の私が乗り込む、それが一番だと思うのよ。逆に私が一人で乗りたいときは、貴方の承認書を持って所有者がOKですって、伝手が有る事務所に免許証を見せればいいだけ。一人で岸辺を届けてその通りちゃぷちゃぷ近場を乗って帰って来る分には、問題も変な噂も立たないのよ」、参った、なんとも上手く知恵が回る人なのだと沢坪は感心した。。

 「そういう事情なのか。ま、ともかくご苦労様でした」と言って、ホントにプレジャーボートをゲットした、舞い上がった気を落ち着かせようとコーヒーを飲んだ。

 「取り敢えず必要な分の署名と捺印をしてもらって、先ずは登録のための分を、此処のJCI(小型船舶検査機構)に提出することになります。これから代行センターに一緒に行ってください」

 沢坪はファイルの書類を見ながら、これで好きな時に乗れる一国一城の主の感じがしてきた。しかも実際は、購入から保有の一切の面倒と心配はなしになのである。完菜を見ながら頬をつねったので、彼女もニコッとした。

 「いやいや、何から何までホントに有難う。心から厚く御礼申し上げます」、掛け値なしの礼を言った。

 「代行センターがちゃんと教えてくれてやってくれますから、そんなにお礼されると照れるわ。ともかくこれで、少しでもあの海を行き来した先人に迫りましょうよ」

 1週間程して完菜から、手続きが終わったという連絡が来たので、土曜日に勇んで出掛けた。港の傍、空色の木造の建物が日射しで眩しい洋風の喫茶店で会って、手続きなどあれやこれやの彼女の話を聞き、書類ファイルを受け取った。

 「じゃあ折角来られたんだから、これから早速ちょっと初乗りしましょうよ。近場の初島方向ということで、今回は私の出港届けを出してありますから」

 外に出てから、完菜が嬉しそうに電話連絡している。「点検は終わっていますよね。……、分かりました、はい。予定どおりです」

 水面がキラキラ輝いている港の白い桟橋を歩いて行って、ボートの前に立つ。沢坪は、真新しい船体番号や船籍地の静岡、検査済年票、次の検査時期指定票、などが貼られているのをしっかり確認した。最敬礼してから係留しているもやい綱を解き、彼女を先にしてボートに二人で乗り込んで、救命胴衣を装着した。そして、届け出の完菜に右ハンドルのエンジンを始動させた。彼女がゆっくりレバー引き戻して後進で桟橋を離れ、ハンドルを右に回して、舳を進む方に向けていくのを見ていた。付近に動いているボートは無いが、あたりを警戒しながら出港の喜びにひたった。完菜に聞いたら、「まだ動かしたことはないです、初めてです。やっぱり初めはアナタについていてもらわないと」と答えた。海図と定期航路を確認し、初島の3マイルくらい南を目指した。二級で行ける所なのだ。暫く行ってから、また、完菜から贈られた青いマドロス帽子とサングラスを、バッグから出した。

「替わろう」、と言ってハンドルを握った。

 「わ~。素敵。いよいよホントの船長さんですね」と完菜が手を叩いて喜んだ。

 替わった完菜が、頼もしそうにハンドルとレバーの操作を見ながら、ドリンクホルダーに缶ジュースを入れたり、かいがいしく立ち廻り始めた。

 「貨物船やジェット船にはよく注意するんだよ。初島付近の南へ行けば島が壁になって、貨物船も来ないからのんびりできるよ」、一級と二級の違いだよと言わんばかりの、操縦席からの教官口調である。完菜はキャビンを出て、陸地の方を見て声をあげている。 すっかり海上に出てしばらくしたら、レバーをニュートラルに入れて行き足を止めた。流石に海は広い、漕いで渡って行った先人のことを思った。少し冷たい風はあるが、完菜は、外で髪をなびかせてずっと景色を見ている。沢坪はまさか初島に、自分のプレジャーボートで来れたなんて全く信じられない思いで、実に大きい緑の島を見つめた。 初乗りを堪能して戻って来て港に近づいた。沢坪が、「やってご覧」と立ち上がってハンドルから離れ、彼女に席を譲った。完菜は、沢坪のお気に召す所にボートをちゃんと横付けした。

 「少し泳げるようになった時が一番危ないんだからね。ゼッタイに海をなめないで、よくよく注意して運航するんだよ」と言うのに、完菜は素直に「はい教官、分かりました」、と口だけは素直に答えた。

 沢坪は、計画どおりに準備してきた夏島会議を終えて、何とか先ずは夏島から、東静海峡話を軌道に乗せる目途を立てないといけない。そんな時に完菜が現れて、ボートを与えてくれたのは天の配剤だ。ボートで潮の香りを嗅いで地域の海図を見て、土地勘も少しずつ増していって、何とかなるだろうと沢坪は期待している。先々は分からないが、動きだした今日は、高円寺の北口の方の駅の近くの小さくてレトロなスナックで、一杯やってからだと思ってドアを押した。

 「あら、サーさん、お久しぶり」という同年輩の真理ママの明るい声に迎えられると、やはりほっとする。長めの髪に細面で小柄な和風の人だが、白地に紺模様の洋装のワンピースである。客は居ないし、カラオケが聞こえないのがいい。ストゥールに座れば、何も言わなくとも出るべき物が出て、その日の気分を察してくれて構ってくれたり、放っといてくれたりしてくれる。久し振りに語り、後から加わった旧知の客を交えて呑み過ぎたが、数分歩いて商店街を抜けた我が部屋に帰るだけである。そして、帰って水を飲みぐっすりと寝入った。

 完菜から絵が一杯入ったメールが来てる。素晴らしい伊豆の桜は、東京よりも早いですから、是非、観にお越しください。お土産もありますよと書いてある。伊豆の桜なら、これはもう見高段間遺跡に近い〈河津桜〉だ。今はもう満開だろう。東静海峡に注ぐ〈河津川〉沿いに河口から6キロくらいの範囲で咲き誇り、海岸付近も3キロくらいの幅で咲いているらしい。 名木はもう、観たら言葉もないほどのモノと言われている。見高段間と言って来られたんじゃ、お土産が無くとも今の自分には断れないと思った。

 「分かりました、出掛けますから宜しく」と返して日取りを決めた。

 やはり、伊豆、河津方面へは大変な人の出だ。

 沢坪は、いつものように完菜の車に乗り、先ずは彼女に既に十分説明した見高段間丘陵を、実際に見せて教えようと目指した。今では緑に囲まれた小学校が建っている高台だ。ところが東伊豆道路が混んでいる。それでも何とか上がって見ると、河津方向に見える遠浅の砂浜が伸びる〈今井浜〉とその背後の小山の緑の景色が明るく輝いている。 海面が下がっていた大昔は、一帯がおそらく今井浜のようだったろうし、この丘陵は海に張り出して聳え立ち、遥か遠くからでも目立って見えたことだろう。

 「ほら、これだけ目立ってれば、黒耀石を積んで帰って来た舟は、迷うことなくこの浜に辿り着けただろうね。」と完菜に説明した。

 「成る程、納得で~す」とおどけて言って同意した。

 「この小学校は黒耀石が運動場でも出て、拾わないと危なくてしょうがなかったというんだから大変なものだよ」

 「へ~、凄いですね。でも、漕いで海を行き来したんですから、黒潮に押されて漕いで渡るのも大変だったでしょうねえ」

 「まあね。知らないだろうが、当時は黒潮分岐流が北上してたんじゃなくて、親潮分岐流の方が南下してたようなんだよ。だから、恩馳へは実は押してくれてたのさ」

 「えっ、じゃあ、重い石を積んで帰ってくるときは超大変ですね。まあ、大昔の人は腕力が、今のもやしっ子よりずっと強かったんでしょうけどね」

 「……」

 「どしたんですか」

 「ん、……、いや、なんでもない」、確かに重い帰りは大変だ!

 〈河津〉の街の店は混んでるだろうし、まあこの辺でと、二人は今井浜の店に入って昼食にした。その後、川沿いにびっしり咲いている桜を見せてくれたが、これまでに見たことも無い圧巻の連なりの桜景色だ。川の流れのせせらぎに岸辺の菜の花が桜を引き立て、背景の山の緑の稜線と共に、正に日本の和風景である。色々な角度での写真も撮れて大いに満足したし、この分では帰りは大変だろうと、彼女も少し観て帰りましょうかと言ったので、3時前に引き返すことにした。戻って行って城ケ崎の更にずっと手前で、南伊東に抜ける近道を走って家に帰った。実は2人とも人出の中を動くのはあまり好きではないので、家のリビングのソファに落ち着いてほっとした。一息入れてから完菜が陶芸場に案内して、焼き上げてやすりもきれいにかけた、沢坪の研究室用のマグカップを見せた。これがお土産という訳だ。沢坪にとっては初めての子供のようなものである。よく仕上がっている、可愛いものだ。気にはなっていたが催促はしなかった。焦る事はないし彼女のペースでいいのである。ただ、前に来た時でさえとっくに出来上がっていた筈だから、呼び出しのネタだったのかなとも思った。 文様は、角々が丸味を帯びた黄色味がかったものである。

 「どうですか。菜の花を咲かせたんですけど」

 「だねえ。凄いねえ」

 成る程、此の文様を得る喜びも苦労のある作り手のやり甲斐であり、共有する買い手の喜びでもあるのだろう。完菜が土と道具を揃えてくれて、初めて出来上がった子供で、共同作業のような感じがしてきた。完菜が、じゃあそれをもって戻りましょうと言った。沢坪は、出来上がったマグカップを大事に手にして、後について陶芸場を出た。〈河津〉を廻って来ましたので、夕食前に汗を流してくださいなとタオルを渡された。そして、ワイシャツじゃ疲れますからこれをと、白いタオル地のガウンも持たせてくれた。2人はさっぱりし、リラックスしたガウン姿でテーブルに着き、まずはビールで乾杯して、完菜が準備した刺身定食に金目鯛の煮つけが添えられた夕食を食べた。沢坪が、東静海峡の見高段間遺跡についての縄文の蘊蓄を語り、彼女が驚いて聞いていたが、その後、河津桜と地域についていろいろ補足した。それぞれが初めての見物をしたので、完菜も口にしている冷えた白ワインに夕食の会話が弾んだ。

 「ねえねえ、小学校の丘でだまりこんじゃったけど、どしたんですか」

 「うん、キミはああ言ったけど、確かに沢山で重くなった石を出来るだけ積んで帰って来る訳だからとてもとても並みの腕力じゃムリだねえ……」

 「ええっ、じゃあ話は怪しくなるんですか……」

 「いや、あの時代のあそこの黒耀石がこっちに渡ってるのは、原産地と年代の分析で間違いない」

 「そうですよね。それならまあいいじゃないですか」

 「いやあ、そうはいかないんだよ―」

 今日は暖かい方の陽気で、ガウンでいて寒さを感じる事は無いが、見ると既に暖炉に火がともっている。前には長めの毛の敷物が拡がっている。

 「薪が燃えてる火を見てると、炎がゆらゆらと刻々変化するのでいいね。大昔の人たちも、この火を中心に団らんがあったことだろうね」、話題を変えたが、思考もゆらゆらと揺れている。

 「そうですよね。薪が燃えている火は格別ですよね。やっぱり私たちのDNAが反応してるんでしょうね」

 「石器よりも火を自由に操る方がずっと後だったようなんだが、ヒトにとってこれは大きいよね。動物は逃げる事はあっても、火を操るなんて事は全く有り得ないからね」

 「灯かりと調理と暖房、そして闘いなんかにも使われましたから、大変な事ですよね。それで遠い記憶から、火を見て暖められると中から沸き立つように、心が反応するんでしょうね。初めてのキャンプファイヤーは忘れられませんよね」

 「そうだなあ、悩みも忘れるよね」

 でもとつい、沢坪が学内の抵抗の愚痴をこぼすと、完菜が我が事のように「サポートしますから」と力が入り、原始の昔に帰ったような素朴な会話が続いた。

 「今日は久しぶりに今井浜を歩いたからかしら、足が疲れちゃったわ」、と言って完菜が敷物の方に行って横になったので、沢坪も傍で腰を下ろした。完菜がしな垂れかかって来て、沢坪が受け止めた。

 「ちょっと、地図もってきてくれる?」

 「えっ、チーズ?ワインも?」

 「いやいや、ほら地図、マップだよ」、ムードを壊された完菜は、少しムクレてガウンの前を合わせて立ち上がり、二階に上がって行った。下りてきたら沢坪が胡坐をかいていて、「見えた、見えたよ」と叫んでいる。完菜の持ってきた高等地図帳をもどかしそうに開いて、伊豆の海の見えるページを開いて説明した。

 「ほら、行くときは例えば今井浜からだとキミが言うように諸島に向かえば、北からの流れに押されて恩馳に行けるよね。問題は重い石を積んだ帰りなんだけどね、海面が下がって概ねずっと東京諸島の砂浜が拡がっていたんだ。で、当時の島々が結構つながっていた西側の浜を、歩ける所は綱で舟を曳いて歩いて行くのよ。利島と大島の間ははっきり漕がないといけないんだが、大島から城ケ崎の方に向かって漕いでいけば北からの流れに押されて丁度、今井浜に帰り着くんだよ、ねっ。無論、最初も大島に向かって漕いで、流されて利島あたりに着いたら舟を曳いて砂浜を歩いて恩馳へ行けばいいのさ。途中、いくらかは漕ぐにしてもね」

「うわっ、ホントですね。流れに乗れば超人の腕力が無くても行き来できますね」

「特に、帰りは出た所に着きたいね。他所のムラや訳の分からん所に着いたら、襲われて大事な宝物を奪われるかも知れないからね」

 「そうですね、凄いわ」

 「有難う。ホントにお陰様で、行き来のルートが見えたよ」、と興奮しながら言って地図を脇に置いた。そして、沢坪は、暖炉の火と研究室用のマグカップで呑んでみたビールで、既にすっかり温まっている。今度は、完菜の方のルートのページを開いて辿って行った。2人は静かに窯の薪のように燃え上がっていった。

 沢坪には完菜との楽しかった日々が続いていた。そこに、2月のあの電話から、学長と個人的に直接関わることが加わった。そして、普通の生活から一段高い世界に、思いもかけず引き上げられることになったのである。

 研究室の電話が鳴ったので沢坪が取ると、なんと学長からである。ちょっと来てくれという事で、初めて一人で学長室に出向いたのだった。沢坪が入ると、まあ座りなさいとソファを勧められて、大柄でどっしりと座った学長に向かい合う形で座った。

 「今回の夏島会議は、なかなかのものだったらしいね。『東静海峡』とかも飛び出したんだそうだね」、学長が親しく声をかけるように口を開いた。

 「はい」、緊張しながら続けた。

「学長も期待されておられると虎の威を借りさせていただきました。お陰様で幅広い分野の者を集められましたので、いろいろと活発な提案が出ました」

 「うん、それは何よりだったね。国際学会の方は、準備はどうかね」

 「はい。なんとか、世界に出せるようなものでと、若い者とも一緒に考えながら準備を進めております。東静海峡の方は、当時行き来したルートも見えて来ました」

 「そうか、そりゃいいね。やっぱり内輪の仲間だけに通ずるようなものでなく、世界が関心を向けてくれるようなものでないとね。目玉は、どういうことになりそうかね」

 「はい。日本祖代の伊豆の海の行き来に、駿河湾の方から相模灘の方も含めます。そして、更に房総に関東・信州を加えた地域としての総合的な将来構想を紹介して発表したいと考えております」

 「おお、そりゃあ大技だねえ、永田町の先生方の受けも良さそうだ。そりゃ、いい」

「何とかご期待に沿うように頑張ります」

 「ああ、大いに期待してるよ。ところで、此の金曜の夜は空いてるかね」

 「はい。特にありません」、チェックするまでも無い。どんなスケジュールがあろうと入ってこようとも敵わない。最優先である。

 「そうか、それはいい。ちょっと一杯付き合ってくれないか」

 「はい。有難うございます」

 「うん、じゃあ、場所と時間を後で知らせるよ」

 「はい、分かりました」

 部屋に帰ってからも何だろうと思ったが、まあ、会議も順調に終わったのでご馳走でもしてくれるのかなと思いながら、もう2ケ月先に迫った国際学会(7月30・31日)の準備を、また続けた。暫くして、名輪が飛んできた。

 「何か学長からお話がありましたか」

 「いやいや、『夏島会議も順調そうだね。金曜の夜に付き合え』という事だったよ」

「そうですか。凄いですね―」

 沢坪は、言われた当日には早めに仕事を片付けて、時間に遅れないようにと日本橋近くのその店に行った。

 今も残る古民家のような造りの店で、2階に案内された。なんと床の間がある畳の座敷の上にテーブルが置かれて、4人掛けのテーブルに椅子が3つ置かれている。確か織田信長の時代の頃か、外人さんと武士がこんなテーブルセットで、ワインを飲みながら食事しているのを何かで見たような気もする。正座でも胡坐でも結構足が疲れる時代に、掘り炬燵式が受けているが、成る程こんなスタイルもあるのだと思った。少し待っていると、大柄な学長が階段をきしませて上がって来る気配がした。テーブルの上には3人分のグラス、箸と付き出しが並べられており、床の間の方の向かって左に学長が座って沢坪に手前右に座れと指示されたので、学長とは斜めで空いた席に向かい合う格好になった。ビールが持ってこられ、2人のグラスに仲居さんが注いで下がっていった。学長がご苦労さんとグラスを挙げ、沢坪が応じた。どういうことなんだろう、誰かエラそうな人が来そうだが呑んでいていいのだろうかと、沢坪は不思議に思いながら飲み始め、学長が先に口を開いた。

 「まあ、夏島会議は上手くいっているとして、実際に手を付け出したら何とか成果に繋がる物が出て欲しいもんだね。文科省の大学改革も本格化するし、『選択と集中』はどこでも原則だからね。これまでのように自分の気に入ったことを、陽だまりで長閑にやってはおれない競争の時代だ。成果第一主義で、人も予算も選別されて行くことになる。何よりも永田町の先生方の我々に対する対応が変わって来る。最初が大変重要だ。初めに差がついてみんなに見えてしまったら、この競争は挽回が難しいからね。まあ、大いに頑張ってくれ」

 「はい学長、これまでのようにいかない事は、よく分かっております。今までの成果を固めながら、何とか新たな成果を求めて行きたいと考えております」 

 「うん。実は政界の先生方も競争の時代に入って来ていてね。一般受けする有望な成果を早急に求めておられる。先生方にとってもいい成果を見出してそこと組む事が、発展に直結するからね。まあ、こっちとしても先生方との太いパイプが無けりゃ、気が付いた時には自然と置いて行かれていることにもなるからね。そこへ行くと、K大なんかはもう露骨と言っていいくらいの政界アプローチでね。うちもうかうかしてはおれんのだよ。ま、先生方にはキミの方の頑張りは伝えてあるからね」

 「はい、恐れ入ります」

 「ところで、君の息子さんはどうしてるのかね」

 「はい、仙台の方で3年生になっております」

 「ほう、春には4年生か。君も独りで大変だが、もう一息だね」

 「はい。まあ……」

 そんな話を15分ほど続けていると、薄緑の京染小紋の女性が上って来て、「遅れました、失礼いたします」と明るい声で挨拶した。学長が立ち上がり、やあやあどうぞこちらへと沢坪の前の席に手招きした。二人は既によく見知っているようだ。沢坪も立ち上がっている。

 「橋高と申します。宜しくお願いいたします」

 「沢坪です。宜しくお願いいたします」

 学長がさあさあと2人を座らせて、「はい。駆け付け三杯」と言いながら、橋高のグラスにビールを注いだ。此処のグラスは小さめなので一気に飲み干し、学長がまた注いでやっている。沢坪は、名前であれッと思っていたが、待てよ、そうだ、昔は午後のテレビのドラマによく出ていた女優だ。実際に見ると上背が思っていたよりもあり、小顔だ。 色白で和風の穏やかな語り口が誰とも合わせられ、常連だった。沢坪が、感じ入ったように話しかけた。

 「いやあ、驚きました。実物を間近で見られるなんて」

「まあ、おバアさんでがっかりしました?」

「しかし、観ていたそのままですね。びっくりですよ」

 「まあ、お上手なこと」

 学長は、2人のやりとりをニコニコしながら聞いている。

 「橋高さんは、演技や歌だけでなく絵も上手くてね。大したもんなんだよ」、と沢坪の方を向いて言った。

 「そうなんですか。知りませんでした。凄いですね」

 「まあ学長さんったら。大したこと無いんですよ、絵筆持つのは、子供の頃からの下手の横好きなんですよ」

 「描かれるのは、主にどういったものですか」

 「水彩画です。静物や風景が多いですが、人物も描きます」

 「まあ、キミも時には音楽会や美術館にでも行って、幅を拡げることだよ」、学長が沢坪の方を向いて言った。

 「はい、心掛けます」と沢坪が答えた。

 話をしているうちにも懐石の食事が運ばれて整えられ、笑いも出る3人の箸が進み、替わったグラスにはワインが注がれた。

 「沢坪さんのご専門は、どういう内容なんですか」

 「ええまあ、土掘りの石いじり考古学でして、最近は机上の屁理屈も言いますが、基本的には泥臭いもんです」

 「あらまあ、じゃあ野山を巡る自然派ということですね」

 「ええ、近ごろは、海辺の貝塚などにも目を向けていますが」

 「あら、野も海もですか。ホントの野外派なんですね」

 「若い人は、いいねえ。それぞれ未来がたっぷりですなあ」と、学長が合いの手を入れた。そして、「すまないけど、一寸この後、予定が入ってましてね。お先に失礼させていただきますよ」と席を立った。橋高も立ち上がって付いて行き、沢坪も従った。

「まあ、頼むよ」、ポンと学長に肩を叩かれた沢坪と一緒に橋高も頭を下げて、学長が階段を下りて行くのを見送った。残された2人は、また、昔の橋高のドラマ、絵や考古学などについて、訊いたり答えたりしながら時間を過ごした。沢坪は、実際に会って話をしていると、橋高が少し年上のためか姉さんのように感じられる。春の絵画展を勧められ予定を告げられた。沢坪も展示の中のルノアールは好きな画家だし、何とか出掛けますと答えた。美味しいご馳走と注ぎ合ったワインのためか、橋高もすっかり出来上がり、連絡先を求めて交換し、また一杯やりましょうよと言ってお開きになった。橋高がタクシーに乗るのを見送ってから、沢坪はゆっくり八重洲口に向かった。もうすぐこの通りには華やかな桜が、狭い通りの上を塞いでしまうほどの季節がやって来る。

 そして、今夜のことはどういう事なんだろうと思った。学長がこのご時世の研究や政界へのアプローチの重要性を語るのは分るが、橋高の登場はそれとどう関係するのか。

 いずれにしても、学長が途中で出て行ったことから、2人を引き合わせて様子を見たように感じられた。沢坪は、ともかくこれまでと違う気疲れする重要なことが、よく分からない所で動き出しているのだと感じた。その夜、家について一息入れて、あらためてネットで橋高の事をいろいろ調べた。地元出身で都心の女子大で学んでいたが、子供の頃から多少の縁があった演劇の研究会に入り、やがて劇団で芝居に出るようになって直ぐスカウトされている。演技がしっかり出来て歌えるということで、タレント事務所に所属することになり、テレビドラマへの抜擢を振り出しに、女優として売り出して行ったようだ。これまでスキャンダルや浮いた噂で世間を賑わすことは全く無く、結婚はしていないようだ。今夜の引き会わせは、何か上の方に通ずる狭い階段を、手を引かれるように上がり始めているんだと思った。但し、上がったその辺りは、明るく輝く所と言うより、高級そうだがよく分からない、うす暗い所のように感じられる。

 春休みになれば東京も桜の事が話題になって来ていて、開花が例年よりも早そうだとマスコミが伝えている。上野の公園には、外人が沢山登場するようになってきて、彼ら同士が席を取り合う争いになっていることも、まあ、ほほえましいことだ。橋高が話していたルノアールなどの巨匠の展覧会が、上野の西郷さんの傍で開かれている。招待券を送られた沢坪は、観たら連絡をと言われていたが、この時期がいいだろうと思い行くことにした。成る程、ゴッホやモネなども飾られている巨匠展だ。ルノアールも人物、静物、風景などが展示されている。沢坪が観て来たましたとメールすると、橋高から、いいですね一緒にお茶でもと返しが来て、広尾の目立たない小さな喫茶店を言われ、休みの午後、出かけて行って話をした。

 「いやあ、久しぶりにいい絵を観れました。ルノアールでは、自分は『草原の坂道』が気に入ってます」

 「あら、絵の好みが合っていて嬉しいわ」

「穏やかな色使いがやっぱりいいですね。それに光の表現が、・・・・・・」

「そうね」、沢坪は、つい素人が調子に乗って言い過ぎたかなと反省した。

 「派手さの無い場所の自然を描いた風景に目をつけたのは、なかなかのものですよ」、橋高が世辞を言った。

 「ところで、あたし、此処もよく描いてるんですよ」と、目の前の緑と池の〈有栖川公園〉に顔を向けて言った。

 「そうですか……。実は横須賀の方の夏島遺跡で、地元の方々を主体に近く遺跡公開の説明会をするんです。150名ぐらいですけどね。緑のこんもりした小山に縄文貝塚があるんです。普段は人が入れない所で、木々や貝塚、土器などいろいろあります。ま、旧軍の砲台跡だったんですが。いや、今、思いついたんですけど、人が入らない緑の野山ですから、ご覧になったら絵になるんじゃないかと」

 「あら、それは面白そうね。」

 「まあ、気軽なハイキングの恰好で来ていただけばいいんですよ」

 「そう。じゃあ、行ってみましょうか」

 「計画が出来上がりましたら案内状をお送りします。大学の業務車でどうですか」

 「そう。そうしてもらえるの?悪いわねえ~」

 沢坪は、橋高から葉書大の水彩のバラの花の絵をもらった。赤、ピンク、白の違った色合いが、緑の葉と共に柔らかく描かれている。写実的というよりも少しデフォルメされている。沢坪は、招待状を貰っていい展覧会に行けたし、彼女が気に入る何かをと思っていたが、夏島案内で何とかなりそうだとほっとした。それにこれは学長にも胸張って報告できるし、研究の推進にも役立つだろうと感じた。

 年度末ともなれば、大学では4月の入学式からの業務の準備もあるが、沢坪のところは、それらに加えて地元と連携した夏島貝塚の春休み一般公開をやろうとしているのである。学生たちが新たな学業をする心構えになっていることから、硬いテーマでも関心を持たれ易く、また、秋以降の三浦半島と夏島遺跡の新研究に向けた地元対策ということでもあるので重要である。この公開は、マスコミも採り上げてくれるだろうと期待している。準備も進んでいて実施の案内広報も行われ、有力者への招待状の発送なども進んでいる。重要イベントなので、これが実地教育にもなるゼミの者や院生という手足の助けで、何とかやれる訳である。そしてこういうことも、後継者の育成に繋がる今後に役立つ学ぶべき実務なのである。知己の者10数名に混ぜて橋高はもとより、完菜にも招待状を送ってメールで補足した。完菜には電車で来てもらって、地元の人と説明会場から大型バスで行動してもらう。当日はVIP客対応で相手出来ないが、ご勘弁をと書き添えた。橋高の方は、沢坪の業務車で自分が行って乗せて、首都高速湾岸線で東京湾の様子を見ながら往復する。 現場では一応地元有力者グループに入れるが、ルート上で画材収集のために自由に行動してもらうことを伝えた。彼女が楽しみにして大変喜んでいる。学長に、いや、大学にとって大きなポイントを挙げることに繋がるだろうと思った。

 いよいよ夏島遺跡の一般公開日である。

 春休みの初めは、桜はつぼみだが幸い天気は晴れている。野外を楽しみながらの考古学イベントが期待できそうである。広尾の自宅で乗せた橋高は見違えるような野外スタイルで、布の帽子にジャンパー、レギンスに短パンツ、スニーカー、ナップザックといういで立ちである。よく和服で登場した、あのドラマの人物とはとても思えない。これに薄いサングラスだから、橋高とはまず分からないハイキング恰好だ。聞けば、自分でよく景色を見て感じることと、カメラでも撮ると言っている。走り出して間もなく、沢坪がブリーフィング資料や現場のパンフを渡して、遺跡について簡単に説明した。彼女は結構、事前勉強を良くしてきている。橋高を湾岸側に座らせたので、窓外を観ている。太古の昔を想いながら海辺を眺め、発想が湧いて何か後で絵になるかも知れない。事前に伝えてあったとおり、追浜に入る直前でお昼にした。その後、先ず夏島の現場へ送り込んだ。受付準備の者に事情を言ってリボンを付けさせ、時程を確認し自由に放し、沢坪は駅の方の説明会場に向かった。橋高は、パンフに詳しい地図が有るので、絵心を持ってゆっくりあちこちを観れるだろう。何かあればスマホで連絡できる。さて、今年の夏島研究の皮切りとなる一般公開行事は、まずは追浜会場における1時半からのブリーフィングで始まった。幸いに地元メディアが、報じてくれた。会場には予定の150名近い人が既に入っている。地域の住民であっても夏島の内容については、よく知らないという人が多い。ざわざわしている会場は、期待で熱気に包まれた雰囲気になっている。

 主体は年配の人達だが、高校・中学生が3~4十名ほどおり、親と来たのであろう、小学生も見える。完菜の目が行く沢坪は、前の方の席の専門家や地元の有力者と思しき2~3の人たちと特に親しげに話し込んでいる。始まったブリーフィングは、写真や図表を交えて分かり易く行われた。種々の形式の夏島土器が明らかになり、貝や魚、他の陸上動物、石斧や石鏃などの石器や釣り針などの骨角器も出土しており、写真が示された。この9千5百年前の遺跡で、初めて飼い犬が発見されたという話に、ペット好きの人たちがどっと湧いた。完菜にとっては、沢坪にいろいろ聞いてはいたが、一つ一つが写真で示されて目を見張るばかりだ。今日は公開の活動なので、彼に近づくことはしないことに決めている。沢坪の説明が終わった後の質疑応答も活発だった。

 参加者たちは会場で手洗いを済ませた者から、番号入りの色リボンをもらって胸に付け、グループ別に大型バス等で現地に向かった。現地に着いて見ると、標高48メートルという緑の小山が通りの南側に拡がっている。完菜は、鉄柱に夏島貝塚通りという細長い看板が懸った所に、3段の石段を上がった一画に明治憲法起草記念碑があるので、説明を聞いてその辺を見たりして開場受付の順番を待った。金網の門が開錠された内側に、テントと長テーブルが2つ置かれている。リボンで簡単にグループチェックが行われ、色の旗を持った引率者に従って、15名くらいのグループが次々に歩き出した。

 完菜のグループは、若い名輪という名札の准教授が溌剌と説明している。動き出してから、どうしてもそれとなく沢坪たちの方に注意が向いてしまっていた。遺跡地域の北端から下って左折、再び左折して上が手曲折を繰り返し第二貝塚で、また下り上がりして第一貝塚に至り、種々の形式の土器やシジミ、マガキ主体の貝層などが見つかっていて、じっくり説明された。再び来た道を戻って広まった所に来た。出入門の方へ下りて行く帰りの曲がりくねった道の手前になる。北西の一番高い所には、旧軍施設の観測所などがある見晴らしの良い所とのことで、今3時20分、行って戻る自由行動で、4時に此処に集合して下さいと示された。

 中年の女性が何となく完菜の目に留まった。布の帽子を被り薄いサングラスをかけ、シャレたハイキング姿で群れに入らずに一人で写真を撮ったり、花に近づいてじっと眺めたりしている。学生たちが元気よく観測所の方へ上がって行き、みんなが仲間とおしゃべりしながらゆっくりそれに続いて動き出した。完菜はまた沢坪がグループの人たちと話しているのをじっと目で追っていたが、上へ行く自分のグループに追いつこうと急いだ。大半の者が観測所の方に上がって行き、高所の見学を終えて戻って来た。それぞれのグループの群れが、同じ色テープの仲間を確認しつつ、引率者の辺りに三々五々集まって来ている。完菜は、さっき見た中年女性が、サングラスを外して沢坪に何か告げ、先に下りて行くのが見えた。赤いVIPリボンだが、追浜会場では見なかった。その後、年輩の男性たちが沢坪に質問しているのか、4~5人が取り囲んで話し込んでいる。

 完菜は、4時になって同じグループの者が集まった場所で、「出入り口前の机で名簿チェックされたら、来た時の番号のバスに乗ってください。降りるときにリボンを返してください」と言われた。彼女は、初めて参加した野外の遺跡研修を反芻しながら、万年の昔の往時の様子を想いつつ、今ではすっかり変わった窓外の景色を見ていた。

 一方、帰りの沢坪の車の方では、橋高の機嫌が良かった。

 「いや~、やっぱり野外に出るのはいいですね~。緑と海は生き返りますね。お陰様でいい素材が獲れましたよ」

 「そりゃ、良かった。ご案内した甲斐がありましたね」

 「しかし、縄文の古い時代の遺跡って言われるとちょっと感動しますね。更に古い祖代だともっと海側にも人が住んでいたのでしょうからね。伊豆の方からずっと祖先の暮らしが繋がっていたんでしょうしね」

 「そうですね。遠~いご先祖の始まりを追ってますので、子孫の務めと思って探りを進めて行ってるって訳です」

 「ホントにご苦労様です。でも、分かったら凄い事ですね」

 「そう言ってもらえれば、有難い事です」

 向こうの車線は、東京へ行った車が帰り出して増えてきている。橋高も野山を歩き回った疲れが出たのか、静かになって首を少し曲げてうつらうつらしている。沢坪は、まあ、盛況のうちに夏島公開を無事に終えることが出来た事に安堵し、後は夏休み明けの一部の者の予備発掘と秋本番での本格研究だと思いを巡らせた。スマホが震えた、完菜のメールだ。

 「お仕事は終わりましたか」

 「お陰様で、順調でした」

 「もうすぐ熱海で、家に近づいています」

 「いいですね。こっちはまだ、湾岸線羽田です」

 「えっ、飛ぶの?」と冗談を打って来た。

 「はっ?先ずは大学に帰るんです」

 「お疲れ様でした。アリガトです」

 「どういたしまして。お疲れ様」

 横の橋高は、寝顔を見ているとやはり完菜とは10歳違うことになるので、若いとは言っても肌の張りや何やらの違いは目立つ。疲れたのだろう、格好も少し崩れている。 浮いた噂も無いようだが、どうなんだろう。政界に顔が広いそうだが、広尾の高級マンションに住んで、外に普通に出ればまだ目立つから、日々どうして暮らしているんだろう、やはり夜光虫なのかなあと沢坪は思った。そしてその時は、この見学イベントが、盛況のうちに無事に終わっただけでは済まない事に、未だ全く気付いていなかった。

第三章 緊張の回想

 あの頃は、重要な国際会議が近づき、私生活の方も活発になって来ていたなあと沢坪は想い起こしている。

 沢坪は、若い者の仕事の手際が悪くぶつぶつ言って返した。大勝負の国際学会も近いのである。それに向けた恩馳島補備調査の行動概要図を見ながら、簡易潜水具などの必要かつ適切な道具が抜けている。ったく、海辺の活動の知見がない。名輪たちもこの程度のことが、サッと出来なくてどうすると、また、一人で毒づいた。気持ちを切り替えるべく来ているメールを見ていたら、橋高からのものが混じっている。「見ていただきたいものがあるので連絡下さい」というものだ。

 メールを返すと、「休みのお昼に、この間迎えに来てもらった広尾のマンションに来て欲しい」というものだ。

 直ぐに、分かりました行きます、当方の都合のいい日はこれですと2つ入れて返すと、暫くしてから、日時、マンションでの連絡法の返事が図入りで来た。若い者のよりも上手いくらいである。

 沢坪は、広尾駅の橋高のマンションに近い方の出口から出て歩いた。けやきの葉の緑が鮮やかに陽に照らされている坂道を、ゆっくり見ながら木陰を高台に上がって行った。

 数分で着いてメールした。エンジ色の煉瓦造りの3階の部屋は、離れているが有栖川公園を望む日当たりの良い、正に日本の「億ション」の名に相応しい。初めて見たが、こんな所からの眺めなら絵心も湧くというものだ。自分の所で見るビルと電線の景色とは雲泥の違いがあると感じさせられた。

 リビングに通された沢坪が、「陽当たりの良い所ですね~。それに公園の緑もいいですから、これなら絵が描けますよね」、と世辞でなく本音を言った。

 「ええ、まあ。何をお飲みになります?」

 「はい。コーヒーを」と言うと、「分かりました」と下がって行った。

 若草色のTシャツに茶のパンツ、薄地の白いカーデガンを羽織り髪はアップにしている。化粧と装飾品も控え目だ。流石に女優で、動きに歳を感じさせない。

 2人でソファに並んで座って、時にカップを持っておしゃべりとなった。

 「ホントにこの間の見学は、寿命が伸びましたよ。潮の香りも良かった」

 「そうですか。それは、結構でしたね」

 「離れた所から見た小山の全体もよかったですし、まだ枯葉が残っている中から緑が出て来ているのもよかったですよ。貝塚って初めて見ましたけど、凄いものですね。沢坪さん、土掘り人なんかじゃないですよ」

 「まあ、見ていただくとああいう事ですが、調査となると一刷け、一品、手間のかかることでしてね。それに私らが探る縄文の前の祖代は、夏島土器のような派手な物は何も出ないんですよ」

 「いいですよ。地道に調べられてそんな古い時代の事が、少しでも分れば立派な事ですよ。私たちの歌やお芝居だって、ホントのところは、派手なもんじゃないんですよ」

 沢坪は、そうなんだろうなあと思った。世の中、どんな世界もそうそう派手なものじゃない筈だ。

 「じゃあ、ちょっとこちらへどうぞ」、と隣の部屋へ案内した。

 12畳くらいの日が当たる書斎アトリエといったところだろうか。デスクと本棚が並び、床にも雑誌などが溢れていて、窓の方を向いた一人用の小さなソファセットもある。 窓辺の画架に1枚載っており、8号(約45×33センチ)くらいだ。夏島の林の中を描いたものである。

 「いや~、立派に出来ましたね~」

 それぞれの色は淡く抑え目で、幹や付き始めた緑の葉と白い花が少しデフォルメされ遠方を薄い色にして上手く遠近を表現している。土が見え確かに枯葉が所々に見える。

 「我ながら描き上げて見て、気に入っています。保たれた自然な場所を歩き廻れたことが良かったからなんですが」

 「やはり研究で行く私たちとは、見るところが全然違いますね~。こういういい自然に目が行かないですから。見せられないと気付きませんよ。こんな色使いもいいですね」、沢坪が近づいて指さした。橋高も寄って来て観た。香水の香りと共に、女性が寄って来た感じが波のように伝わって、沢坪はちょっとドキッとした。2人でそこの所をよく見て顔を上げた時、一緒に上がって見つめ合う感じになり、テレあうことになった。

 「何もありませんが、ささやかなお礼のつもりです。あちらでお食事にしましょう」

 焼き魚、キュウリなどの酢の物の和食にサイコロステーキが三つ、ソースと共に横に加わっている。いろいろ並べて沢坪を偵察しているかのようなものだ。

 「沢山お食べになりそうですのでごてごてしてしまいましたが、どうぞ遠慮なくお替わりしてくださいね。何がお好きかよく分かりませんでしたので」

 「いや~、有難うございます。勿体ないくらいです」

 会話も弾んで楽しい昼食となった。途中スマホが震えて、完菜から「何してますか」とメールが入ったが、そのまま食事の会話を続けた。忘れていたスマホを切った。橋高が、ポツンと言った。

 「手元に置いてあの絵を見ながら、夏島と沢坪さんの事を考えるようになってますわ」

 帰りにまた、今度は葉書大よりも2回りくらい大きい、これも夏島の風景だが、煉瓦の壁も描き込まれているモノをもらい、「すいません、額はお願いしますね」と、さらっと言われて部屋を後にした。

 あの夏島での一般公開を終えて暫くしてから、沢坪が完菜に対してちょっと「あれっ、どうしちゃったの」と思ったのは、渋谷で2人が過ごした後だった。完菜が陶芸教室に出て来て渋谷で一緒に呑んだ後、駅近くで246号沿いの彼女が泊っている新しい高層ホテルに行くことになった。そして、寝物語りで完菜が一寸厄介なことを言い出した。

 「先生からそろそろ新しいのに挑戦しなさいって言われたの。で、先生が言うには、普通の人のマンションで、カップやお酒道具やお皿といったような生活用品じゃない、見て楽しむ、心の潤いになる物を作って来なさいって。要するに都会に住む多くの普通の人に、新たな種類の陶芸品を広めて行こうって言うのよ。でも普通に住んでる所って、上がり込めるそんな気易い心当たりの人はいないし、貴方にお願いするしかないの」

 沢坪は、これまで訊かれもしなかったし、妻の輝子や雪雄の話はして来なかった。まあ、女のカンってやつで、こっちが独り者だと分かってはいたことだろう。しかしそんな普通の部屋の心当たりが無いって、そりゃないだろう。女友達くらいはいるだろうに。

 「いや、それはちょっとだね~。とても人様に見せられるもんじゃないんだよ」

 「どうして」

 「だって散らかってるしね~」

 「それでいいのよ。しっかり構えたものじゃない。普通に暮らしている所に合う物っていうのが課題なのよ。お願い」

 「我が家なんて誰も来た人はいないし、若い女性だなんて、この歳でお隣さんなんかの手前もあるしね~」

 「ホントにそれが理由ですか?まさか、私が住みつきたいと言い出すとでも疑ってるんじゃないでしょうね。私は陶芸の出来るあの家を出ることは、ゼッタイに出来ないわ。ただ、ちょっと見せてもらって、イメージ作りしたいだけなのよ。お部屋に違和感なく飾れるものを考えたいだけなのよ。冷たいこと言わないで、ねえ、いいでしょ、お願い。ほかに頼める人なんていないのよ」

 確かに完菜には、窯で焼く陶芸の出来ない〈高円寺〉の沢坪が住むサラリーマン・マンションに入って一緒に暮らすなどということは、全く考えられない。沢坪の方も今更この歳で、〈伊東〉名家の年若い出戻り一人娘の所に潜り込むことは、大学に通えないし、息子の手前もこれあり考え難い。ということで、時々、伊豆を主に東京でもデートすることが、2人の暗黙の了解で幸せにやって来たのだった。それが家を見たい深く入り込みたいとはどういうことだ、ルール違反じゃないかと沢坪は言いたい。しかし、大したことじゃないと言われ、段々抵抗しているのが変な感じになって来た。

 「床の間だってすごく小さいんだよ」

 「それでいいのよ。無い人だっているんだから、問題ないのよ。それに合わせる訳だから。来週の土曜日、宜しくお願いしますね」、もはや有効な反対理由も見当たらない。

 「う~ん。しょうがないなあ」、完菜が抱きついてきた。

 沢坪は、もう昼近くなってからホテルを出て帰途に着いた。今なら、ネットで見ればいろんなパターンの3LDKの部屋の写真くらいあるだろうに。普通の学友だってこっちに居るだろうしと言いたいのである。いずれにしても困った事だが、それから毎日、少しずつ掃除と片づけをした。考えてから仏壇や輝子の物は、普通に片づけてそのまま置いておこうと思った。当然、妻や息子のことを訊かれればもう正直に言わざるを得ない。今更ウソついても次の攻め手を打たれれば、いつかは破綻するのである。

 土曜日の昼を完菜と一緒に外で食べた後、部屋を見せることにし、エントランスの入り方と部屋の番号を教えて別々に行動した。チャイムが鳴ってドアを開けると、完菜がキョロキョロしながら入り、後ろ手に締めて、「失礼しま~す」と明るく言って、靴を脱いで上がって来た。そして床の間はもとより、寝室さえも全て見たいと言うので、沢坪は少し抵抗したが直ぐに破れた。

 「なんですか。散らかってるって言うから、もっとすごいと思って来たら、片付いちゃっているじゃないですか。先生にこれで普通の部屋って言えるのかなあ」、と完菜がボヤいてみせた。

 「女性が来るのに、掃除しない訳にはいかないじゃないか、もう」、と沢坪は一応怒る素振りを見せた。

 だが驚いたことには、一通り見た完菜が、「分かりました。有難うございました」、とあっさり言ったのである。

 「はい。これで、床の間、書斎、寝室の分を何か考えます」

 「そんな、気を使わなくていいよ」、と沢坪が遠慮の言葉を返した。すると完菜は、あくまで見学の建前を維持した。

「まあ、先生は貴方の所に合う物をと指定した訳じゃないですから、参考にだけさせていただきます。お邪魔いたしました。お隣さんのこともおありのようですから、さっさと引き揚げます。どうもお手間かけました」、と言ってバッグを手にした。

 今度は沢坪が、ええっと拍子抜けした。まだ、お茶も出していない。

 「お茶は?ホントに、こんなんでいいのかい」

 「はい、有難うございました」

「……、お粗末様でした」と返した。

 「じゃあ、また連絡しますね、ご面倒かけました」

 「うん。気を付けてね」

 完菜は、まあ、スキップでも、ハミングでもしそうなすっきりした様子で出て行った。

 ま、完菜は訊かなかったが、仏壇はしっかり見たし、慌てて掃除した『やもめ』であることは、はっきり分ったことだろう。そして、ツインベッドの寝室の輝子の分はカバーで覆われ、大事にそのままにしているのを見て行ったんで、他の女の影が全く無い事もはっきり確認したことだろう。問題は、何だってまたそんな事が気になり、知りたくなったんだろうかということである。いずれにしてもこういう事になると、完菜は実によく理屈の智恵が回るものだと感心させられた。

 沢坪は、国際学会までに残された期間は少ないが、まあ夏島研究を動き出させ、神津・恩馳島の調査計画も出来上がって、現場に関する話の中身も固まって来たことにほっとしていた。新学期行事をこなし印刷原稿を創っていき、発表のシメを考えたりして、名輪たちと集中した日々を過ごしていた。完菜から『来てメール』が入った。

 「先日お部屋を見せてもらって、一応出来たので見て下さい」、ということで出掛けることにした。最近は、ちょっと気にかかる。休みの日や夜などのメールの数が以前より遥かに多くなってきている。何なんだろう?ま、その辺も今日は分るだろう。

 いつもの駐車場で乗り込んだら、彼女が初めからちょっとはしゃいでいて饒舌だ。家までの道も、地元の話題をずっとしゃべっていた。上着を脱いで、リビングに落ち着いた。コーヒーが出る。陽が差す庭に、緑の鮮やかさの増している大振りな植栽が、輝いて見える。

 「この頃は忙しいんですか」

 「そうだね~。学術調査の検討会議や夏休み前の大きな国際学会の準備などが、目白押しだしね。それらに関連する資料作りだけじゃなくて、印刷物にしないといけないんで、直しとか細かい作業が必要になってきてるしね」

 「ふ~ん。そうなんだ」

 「ところで、我が家を見てアイデアはどんなのが浮かんだの?」

 「ええ、じゃあ早速、陶芸場に行って見てくださいな」

 付いて行って、作品が並んでいる棚を見た。

 「どれか分かりますか」

 「これかなあ」、沢坪が一番上に並ぶ中のふっくらして上の口が小さくなっている物を指した。

 「いいえ。これたちなの」と、2番目の棚の右の方から3つの物を順に指した。右端は太い竹の下を節底にして30センチくらい、スパッと切ったような花瓶の造形だ。

 開いている上の部分には更に数センチ半円の切り込みが二つ入っているので、残った両サイドが、そそり立ってるように見える。

 その隣2つは、床の間用なのか平たい花器とその隣は書斎用だろう、細長く丸味を帯びた小ぶりの物だ。じっと見ていた沢坪が言った。

 「成る程、形が斬新で模様は落ち着いて良く出来てるねえ。でもどこが普通の部屋に合ってるの」

 沢坪は、別にあんな自分の部屋に入る必要があったのかと、ジャブをかました。

 「ええ、大変に参考になったんですよ。大き過ぎると焼き物に部屋が負けてしまいますよね。普通の部屋ならこのくらいの大きさになるでしょう。とすれば結局のところ、何と言っても形の新しさです。それに派手で大柄のモノじゃない焼き上がりの紋様付けになると思ったんです。正に、貴方がそう評してくれたのは、まずは成功だと思っているんです。やはり見た甲斐が有ったんですよ。この焼き上がりも見てください」

 「成る程ねえ~。言われてみればそうだねえ。大き過ぎずピリっとパンチが効いてるねえ」

 「でしょう。自分の目で部屋の大きさや普通に物が置かれている状況を、知ってと言うより感じて発想する必要があったんですよ。それに床の間が無いお家もあるので、何処に置きたいかとなります」

 「それでここんとこメールがよく来てたんだ」、沢坪がそれもチクリと刺して言った。

 「えっ、ええ。じゃあ、手を洗ってお昼にしましょう」

 ダイニングに入って、テーブルを見たら、今日はステーキだ。沢坪は、オッと思いながら見つめた。ナイフとフォークが輝いている。

 「伊豆の海鮮というのじゃなくて、今日は、斬新なモノにしました。それに大変お忙しい中で、少しお疲れのようですし」

 「いいね。意外にステーキは食べてないんだよ」、久しぶりの輝くナイフとフォークに、赤ワインが出てる。

 「自分一人の食事でもナイフとフォークって、結構やるの?」

 「いえ、あんまりしないですね。普段は、簡単なものが多いですよ」

 ワインを飲み、肉を切って口に運んで食事が進んだ。半分くらい食べたところで、確かに沢坪は元気が湧いてきた。ワインのためなのかもしれないが。完菜の方も、今日は少し飲みが進んでいて、顔に赤みがさして目がうっとりしてきているようだ。

 「いや~、御馳走様でした」、沢坪は大いに満足して、リビングに移動した。

 完菜が今夜は、食後のブランディを持って来てくれた。それに、ちょっと今日は香水が強いようだ。ハッキリ分る。そして、差し込む陽ざしが暖かくなったからか、ノースリーブのラフな薄い物になっている。

 「いや~、お腹が一杯だ」

 「ご自分の家だと思って、少しゆっくりされたらどうですか」

 「うん。お言葉に甘えさせてもらうよ」

 彼女がカップを置いて隣の寝室の方へ行った。離れて静かについていって見てると、部屋に入りエアコンを入れ、ベッドカバーを外していて、気配に振り向くと沢坪が近づいて来ているので、ちょっと驚いている。沢坪は、そのまま受け止めて抱きしめた。完菜もしっかり体を押し付けてきて、回した手にいつもより力が入っている。

 完菜を手枕して天井を見ていたら、彼女が呟くように言った。

 「メールしたら、直ぐ応えて欲しいな」

 「まあ、いろいろあるからね~」

 「お休みの時も?」

 「うん、まあね」

 完菜ががばっと覆いかぶさって来て、「いや」っと言ったままじっとしていて 顔は見えない。まさか、泣いてるのか。沢坪は、ちょっと驚いた。結局、5月連休の中日は何もないのでしょうということで、完菜の所で1泊の骨休めをすることを約束させられて、沢坪は帰って来たのだった。そしてその後、確かにやもめの身には、3食昼寝付きという贅沢な中休みとなったが、骨休みになったのかと訊かれれば、そこは違ったのだった。そして、沢坪はよく認識できていなかったが、橋高明穂が登場したことで、完菜との楽しいだけの男と女の関係は、仕事の忙しさも加わって、実は峠を越えていたのである。

 完菜との逢瀬の間にも、新たな年度のプレッシャーのかかった仕事、橋高との関係の進み、日々のいろいろな事に流されていたが、今考えれば、状況というスキーの走りに、体が段々ついて行かなくなって来ていたのである。

 神津島における黒耀石の補備調査は、連休の行楽で人々のエネルギーが放出された後で、新入生関連の業務が落ち着く時期ということから5月中旬でセットされている。 沢坪は、太平洋沿岸のプロジェクトを担う2人の准教授と院生の一団6名を率いて、前日に車で下田にやって来て、翌朝の9時半発の神津島直行の汽船で下田を発った。

 250人乗りフェリーには、名輪たちが大型ワゴン車を積み、心地よい風と気分で振り返った半島の天城山地や段間丘陵などの眺めをそれぞれが楽しみながらの船旅だ。

 ひとり沢坪だけは、連休中日の完菜の所でのゆっくりということにはならなかった、腹一杯の変わった休暇を想い出していた。フェリーは曇空の中、順調に『東静海峡』を渡り、2時間20分であっという間に神津島に着いた。降りて車に乗って、やはり昼は寿司屋にしようとなっていて、若い者がネットで調べて既に電話を入れてある。港から程遠からぬ店に直行し昼食にした。一息入れた後、良質で実際に大昔に出回った黒耀石が採れる恩馳島へ先ずは行くということで準備して、4キロほど離れた岩礁の島にチャーター漁船で向かった。海域に着いて、反時計回りに2つの大きな岩礁の小島をゆっくり見て回ったが、無数の小さな岩が周りに点在していて一つ一つがよい釣場でもあり、あちこちに漁船が出て釣りをしている。漁師が時化に遭ったときはこの島に避難して、神津島に帰る思いを馳せていたことから恩馳島の名前がついたとされている。北東小島と南西小島の二つの岩礁は、砂浜という所が無い。国際学会向けに現況を撮影し、将来を担う者たちに初体験させると共に、各種教育用にサンプルを採集するのである。

 学会後には、外国人でどうしても見たいと言う者がいれば、今日のメンバーの中から選んで、案内しないといけないだろう。島は上陸のためのルートが限られている。漁船のベテラン船長が縫うように水路を進んで標高60メートルの大きい方の南西小島に近づき、まず小さな岩場に飛び移って上陸し、荷物は投げ渡しだ。島はそれでも所々に灌木が生えている。大小無数の岩石が、数10センチから小さいものまで、上の方から波打ち際にまで形も様々にゴロゴロしている。3名分準備して持って来た簡易潜水器具などを身に付け、スェットを着た者が、潜って海底の岩脈や無数の転がっている黒耀石を、交代で心を弾ませながら確認し採集した。沢坪も水中眼鏡をつけ、潜って海底の採集を自ら体験した。海の下が黒耀石の岩床だが、浜辺の木切れと共に拳大の黒耀石が散在している。各種の物を採集し手際よく標本カードに書きこんでビニール袋に詰めて口を縛っていく。両方の小島を行動し、何とか40くらい良い物が採集できた。ともかく初めての者たちに海辺の現場の様子を見せ、しっかり状況を認識させることが出来た。

 天気が良く波も穏やかで、お目当ての黒耀石を何とか採集することが出来たので、皆が安堵した。今晩は教授も機嫌よく、安心してみんなで旨い酒が呑めるだろうと誰もが胸をなでおろした。明日は帰る汽船が着く14時までに、朝早くから神津島の方を廻って採集する予定だ。何はともあれ、本命の調査は順調に所期の目的を達して終わった。舌鼓も打った若い者が、いつもの土掘りじゃない海辺の新たな調査に、大いに喜んでいたのも良かった。国際学会に向けた大きな準備の一つが終わった。

 沢坪が恩馳調査の整理をしていたら、橋高からメールが入った。電話に切り替えて聞くと、一気に語り出した。

 「最近、人物を描きはじめてるんですけど、なかなか気に入った出来にならないんですよ。街で見て来た人の印象と現場の様子も大切にして描いているんですが、どうも今一つなんです。ついては、お忙しいところ誠に申し訳ないんですが、30分ほど窓辺の光の下で座っていただくモデルを、お願い出来ないでしょうか。やはり全く知らない人は絵にしたときに、も一つ訴えかけるモノが出て来ないんですよ。よく知らない人を部屋に入れる訳にもいきませんし」

 沢坪は、参ったなあと思った。

「私なんかでいいんですか」と、抵抗も試みたが、柔らかく押し切られてしまった。

 5月の下旬、まあ天気は大丈夫と思われるが、陽射しの良い4時頃に描きたいのだと言う。いわゆる直射日光というのではなく、傾いていく時の光の下にしたいのだそうだ。

 橋高から先ずは土曜ということで宜しくお願いしますとなった。その後、完菜からも土曜か、日曜にと誘いが来たが、どうしても外せない用事があるので次にしてくれと断った。資料を読んで直しを入れないといけないモノがある。そんなことはこれ迄に無かった沢坪だから、男冥利の嬉しい悲鳴と言うべきである。だが、実際に身に降りかかれば、悲鳴であることに変わりはない。完菜は、流石に何でとは聞いて来ないが、中々諦めずにまだブツブツとプランの良さを説明するメールを寄越してくる。沢坪は、なだめるのに大いに苦労した。こんな苦労をするとは思ってもいなかった人生の筈なのにである。仕事の方はあれこれと、そしてレディの方はまるで二股のドンファンのように、大事な時に限って重なってこういうことになるから、神は無慈悲なものだと思った。

 直前の予報から天気は土曜が良くなく日曜がいいので、橋高から日曜でお願いしますと変更の連絡メールが入った。それが早く分っていれば、完菜に、日曜はゆっくり出来ないと事情を言って、土曜に出掛けることが出来たのに、ブツブツ言われなくて済んだのにと思うが、人生なんてこんなものだ。土曜に完菜からメールが入ったので、詫びの気持ちで直ぐ返信したら、「あらっ、出来るんじゃないの」と、電話で皮肉をたっぷり言われてしまった。「資料を直していても、メールには出れるさ」、と返したが効果は弱い。沢坪には、今まで味わったことの無い厄介な経験が始まっていた。こんな事は、学生時代に卒業して置かなくちゃならんのにと自分に呆れた。

 橋高の所に3時半に着くように言われて、出掛けた。ドアを開けた橋高は、今日も髪をヘアクリップでアップしたリラックスした格好だが、絵筆をとるためか七分袖の物を着ている。コーヒーを飲んで、近況とよもやま話をしてから書斎アトリエに向かい、途中、スマホを切った。入って、簡単な注意を受けた。上着を取り、ネクタイとワイシャツの第一ボタンを外しリラックスさせられた。窓辺に対して少し内側を向くように椅子に座らされ、画架に橋高が向かうように位置を占めた。光の加減も見ている。早速、橋高がデッサンの諸道具を右手側の台に整えて、サラサラと描き始めた。沢坪は初体験だが、リラックスして視界に入る部屋の物を見て気を紛らわしていた。

 「背筋を曲げないで下さいね。顔を動かさないで下さい」、優しい注意が発せられる。

 かなり進んだようだ。時々筆のような消しゴムも取り上げて使っている。最終のちょっとした修正、追加に入ったようだ。「お疲れ様でした」となった。立って行って観ると、沢坪の目にはもう、正にプロのデッサンだ。

 「いや~、いいですね。自分にご対面と言うのも変な気がしますね」、陰影が表現され、頬や顎に沢坪の気づかない特徴がよく捉えられているし、量感がある。

 ラフだがこれはこれでよくできている。これから形をしっかりさせて色付けをしていくのか、どうなるんだろう。

 「仕上がりを楽しみにしてくださいね」、橋高からリビングに促され、沢坪は首や肩を回しながら手洗いに行かせて貰った。

 完菜からメールが入っているので返信し、切って戻った。リビングに戻りコーヒーが出ているのでゆっくり飲み始めていると、橋高が水彩の名画集を持ってきた。ちょっと観ていてください、夕餉に簡単なものを用意しますからと言って、向こうに行った。

画集を見終わって、外の景色を見ていたら呼ばれた。行って見ると、刺身と肉じゃがなどだ。モデルが終わった後の冷たいビールの喉越しがたまらない。そして、出してくれた新潟の辛口系の冷酒がまた何とも旨く、心地よく酔いが回るいい味だ。

 「ご馳走様でした」、で、また、リビングに戻った。

 沢坪が、画集の中から橋高のものと似た系統と思われたのをじっくり見ていると、片付けを終えて隣に座った橋高が、「まあ~」と言って沢坪の膝に手を置いて笑った。

 沢坪が「仕上がりが楽しみですね。じゃあそろそろ」と言って立ち上がった時、ちょっとよろっとしたので、橋高が手を差し伸べて腕を取った。

 そのまま今度は橋高の方が、反動で引かれるように沢坪に寄りかかった。寄り添った2人、橋高が腕を回し唇が重ねられた。見つめた橋高が沢坪の手を取って、ゆっくり歩きだし寝室へ導いた。橋高は、沢坪がちょっと驚いて、でくのぼうのように突っ立ったままなのを子供のように扱った。ワイシャツのボタンを一つ一つゆっくり外し、ズボンのベルトを緩め、振り向いてタンスの方へ行き、手際よく自分が寝間着になった。ベッドで抱き合って暫くしたら、橋高が腰紐を解いて渡して小さな声で「手を後ろで縛って」と言ったので、沢坪は驚いたが言われた通りにした。うつ伏せの橋高の着物が乱れ、下には何も着けていない。

 エレベーターでは、起こったことを考える不思議な気分だった。ああなって、橋高はほっとしたようにも見える。初めてのことだが、何とか沢坪は言われる通りにお付き合いが出来た。先生に褒められて家に向かう、塾帰りの子のように見える。それに初めてモデルになったが、描かれるという事は、裸にされていくような感じを味わった。それにしても、橋高には芸能界に有りがちな華々しい噂もなく独り身で来たようだが、これまで誰もいなかった筈は無いだろう。どんなパートナーだったんだろうか―。

 そうだ、寄って見ようと思いつき、出た大通りで手を挙げてタクシーを止めた。しかし、完菜に貰ったタクシー券で、女の所から帰るという、おかしなことになっていた。

 自分のマンションではなく駅前広場で、時々寄るスナックに近い方に止めてもらったが、呑み足りない訳ではない。たまたま聞いた話だがと、橋高についてボカして真理ママや馴染み客がいれば見解をいろいろ承ろうと考えながら、ドアを引いて入った。

 有難い、ママは、お茶をひいている。じっくり訊けそうである。

 完菜が、〈青山〉の陶芸教室が終わったら付き合ってくださいと強い調子でメールしてきた。だが、休みの日じゃない。まあ、夕方だから何とかなるが、先日の休みの橋高宅ではスマホを切っていたので、無論直ぐには応じていない。文句を言われたって、とてもじゃないがいつも即応出来る訳ではないので、分からせないといけない。仕事を終えてから渋谷に行き、蒸し暑い街を歩いて、言われた店で一緒に食事した。その後、完菜が泊るホテルの部屋に、別々に時間差でエレベーターで上がって行った。ガラス窓から通勤の山手線の灯りが見え、新たな駅ビルの建設工事が間近に見える。湿気の多い騒音の街から冷房の効いた柔らかいカーペットの静かなエリアに入ると、汗が引いて行き、何とも心地がよい別世界である。さて、会った時からちょっと完菜の様子がおかしい。

 「どうしたの、今日は元気ないようだけど」、部屋に入って、沢坪が声を掛けた。

 完菜が〈夏島貝塚〉見学で見たVIPグループの中年女性を、ネットでああ橋高明穂だと探し当てていたことは、沢坪には全く思いもよらない。何も言わずに、彼女が飛びつくように抱きついてきて腕を回して求めてきた。離れてから、また、沢坪が「どうしたの」と聞いたが、立ったまま答えはない。難しい歳ごろの少女だ。完菜が窓の方へ歩いて行って、テーブルのソファ椅子に座った。向こうには下の方に駅の周りの灯かりのビル街が見える。そして、声こそ挙げていないが、外を見て泣いているようだ。沢坪は、上着を脱いで寄って行って反対側のソファに座って、また、「どしたの」と言った。今夜は3度目だ。

 「どうして直ぐメールに出てくれないの」と完菜が問い詰めるように聞いてきた。

 「女学生じゃないんだからさあ、勘弁してよ。人と話していて失礼な事は、しにくいからさあ」

 「休みの日に、人って誰なの」

 沢坪も出れなかった時の事を咄嗟に考えた。夜もあるが、遅い午後もある。

 「本屋のオヤジさんとちょっと大事な話をしていたり、スナックで隣の知った客やママさんといい感じで話していたり、いろいろあるんだよ。完菜の方は、まず急な要件じゃないしさ。30分、1時間後でも問題ないでしょが」

 「でも、独りで伊東に居ると、話したい時ってあるからしてるのよ」

 「そりゃ分るけどさ、こっちも事情があるんだよ」

 「それに、貴方の方からメールしてくれることって、殆ど無いし」

 「……、今あれやこれやでさあ……」、全部を説明できないのが、二股なのである。

 当然、完菜は橋高の事については何も言わないのだから、何度も「どうしたの」と訊いた沢坪だが分りようもない。手が無いと思って立ち上がって傍に行って、被さるように抱きしめた。

 終わって沢坪がシャワーを浴びていると、完菜が入って来て、「洗ってあげる」と言った。まあ、沢坪は任せることにした。 出てから身繕いをしていると、「何してるの」って聞いて来た。

 「帰るんだよ」

 「ウソ、どうして」

 「おいおい。明日は仕事だよ。朝帰り出勤なんて出来ないよ」

 「服ちゃんとしてるじゃない。問題ないわよ。いつもじゃないのよ、一日くらいいいじゃない。此処なら近いから朝出たって何の問題もないわよ」、もう、駄々っ子だ。いくら言っても聞かない。遂に、諦めた。勝ち誇ったようにガウン姿の完菜が、鼻歌でネクタイを外しに掛かっている。沢坪はされるがままに、まあまあ可愛いものだとため息をついた。次の日のことは、沢坪自身は知らなかったが、実はちょっとしたことにはなっていた。

給湯室で若いK代が、洗い物をしているかなり先輩のM子に「教授のあれ、気が付きました?」と話かけた。

 「えっ、何が」、M子がとぼけて洗いを続けている。

 「沢坪教授、今日のネクタイは昨日と同じのですよ」、声を落として秘密めかした。

 「そんな事くらいあるでしょう」、振り向きもせず、全く表情も変えずに返した。

 「いいえ、教授は今までそんなことは、一度も有りませんでしたよ」

 M子が、手を止めて振り向いた。

 「あのね、教授はお一人なの。貴女ね、そんなつまらない事を言ってるって分かると、田舎の方に飛ばされるわよ」

 「は、はい。分かりました」、としおらしく答えて頭を下げた。

男性陣で気が付いた者は居なかった。みんな研究会の準備で、それどころじゃない。尤も当の沢坪自身はその事を十分に意識していたので、あまり研究室を出ず部下を呼びつけることも控えていた。しかし、『ゼッタイに此処だけよ』のK代の話は、総務課のR恵などを経て、沢坪ライバルのアジア史学科の木村准教授が寝物語で耳にするところとなり、上司の村藤教授にご注進された。その話は、沢坪のお疲れの顔色と珍しく部下を呼ばない室ごもりの様子の信ぴょう性で、しっかり味付けされた。村藤が満足そうに太めの体をゆすり,笑いが漏れた。

 調査会社が、沢坪のライバルと知って村藤に接触を図って来ていたという事情があるのだから、この『ネクタイ事件』は、スキャンダル含みの意味合いを持って使われることになる。そこで村藤は、以前やって来た、ダブル・アイの枝山部長に連絡した。少なくなった髪を撫でつけ、もみ手の腰は低い抜け目が無さそうな男であり、沢坪とやり合うには役に立つだろうと考えた。村藤は、六本木ヒルズの傍で、ムリが効く高級中華料理店を指定した。枝山は先に来ていて、前回の礼を言い、「今日は、また、何でしょう」、と訊いた。

「沢坪は、ホテルからそのまま出勤することがあるよ」、枝山の反応を窺った。

「えっ、先生がそんなことしていいんですか」、木浜の事は既に知っているから、ニュースでも何でもないが、大仰に驚いて見せた。

「ネクタイが前の日と同じなんで、部下も呼びつけずにずっと室に閉じこもっていたそうで、女の子たちの噂になってるよ。ワハハ」

「そりゃまた、沢坪先生はご自分で白状しちゃいましたね~。教授、実はご内聞に願いたいんですが、沢坪教授は、ほら、橋高明穂って、テレビによく出ていた女優がいましたでしょう。時々仕事帰りに、彼女の広尾のマンションに通っているんですよ。逆玉になるんじゃないんですか」

 「ええっ、それじゃあキミ、二股というより浮気かね」、仕事一筋の堅物に見える沢坪のお盛んな三角関係に驚いた。新たな大きな攻め手を得て、何が学長の虎の威だと、ニンマリして老酒の盃が進む。

 「まあ、私たちの頃も真面目な顔をした教授たちは、そうだったんですかねえ。とても考えられません。ヘヘへ」、枝山は一応嘆いてみせた。

 「バカ言っちゃいかんよキミ、二股なんて、あいつは特別なんだよ。いくら奥さんを亡くしてるからと言ってもね」

「教授、冗談はさて置きまして、また、いいお話を持って来れるように頑張りますよ」

「うん、永田町の先生に持ち込めるようないいネタを期待してるよ。調査料は心配ないからね」

「はい。しっかり調べますんで、宜しくお願いいたします」

枝山は、これで仕事の上で沢坪に更にライバルから反対圧力が懸かる。仕事と女の両プレッシャーで、ちょっと呑み過ぎるくらいじゃない、間違いなくボロが出て来るだろうとほくそ笑んだ。

 それを掴んで教授と静岡の同業に、状況によっちゃ沢坪自身にぶつけて一挙三得の可能性だってある。更に、木浜の方にも圧力をかければ、2人のボートの揺れは激しくなって漂流、いや座礁する賑やかなことにもなるだろう。ネタ取りどころか、私的なご褒美にもあずかれるだろうとソロバンを弾いた。部下の津田と溝山の尻を叩かなくちゃと思いながら、下がったメガネを上げた。

「教授、大船に乗られた気でいてください」、教授の陶器の盃に並々と注いだ。

 久し振りに橋高に呼び出された沢坪は、その日は仕事を早めに切り上げて出かけ、坂を上がって行く頃にはもうあたりも薄暗くなってきているが、空気は生暖かい。沢坪の足どりはゆっくりで、いそいそという感じはない。橋高が嬉しそうに微笑みながら、ドアを開けてた。そして、沢坪はちょっとびっくりしたが、ドアを閉めて靴を脱いで直ぐその場で抱きしめられた。リビングに座り、持って来てくれたコーヒーを飲み、呼ばれて行くと、やもめには有りがたい品々がテーブルに並び、美味しい東北の冷酒が注がれた。橋高は、「やっと『東静海峡』って実感として分かって来ましたよ。夏島もそういう関わりの島なんですね。海峡を見に早く行きたいものだわ」、と水を向けた。

 「そうですか。東静海峡の方は、島々の景色もいいですし、海の幸と温泉もいいですからね」

 橋高には、事務所の方も含めて2人の事の公表の事が頭にあるので、外に出る事への期待が高まって来ている。そして、この辺の店や買い物やジムなどの事はもとより、隣近所のプライバシーの話題やそれまで沢坪が全く無縁で知らない芸能事務所の事や芸能界の話などを面白おかしく聞かせた。テレビを視ているくらいでは想像できない裏話も出て来た。沢坪にはそんな仲間たちと付き合うのは、政界絡みも含めてちょっとまだ自分のこととして受け止められない。将来を考える橋高の一歩進んだ話題で、食も呑みも進み程よく酔いも回って来た。そんな気持ちの高ぶりのまま、橋高が食後の沢坪の手を引いて行った。

 沢坪がシャワーを浴びて戻ってきて、ベッドで半身を起して一息入れていると橋高が見上げて話しかけた。

 「ねえ、沢坪さん、公表はやはり8月前の大きな学会の後なんでしょうねえ」

 「えっ、ええ。今、マスコミに追われるのは仕事上もちょっと困りますね」

 「そうよねえ、すると、学生たちの夏休みが本格的になってからね」

 「……、そっ、そういうことになりますね。橋高さんの事で沢坪って何者なんだと、大学の方まで追っかけられるのはどうも」

 「そうかあ、そうよねえ」

「まあ、国際学会が終わっていれば、東静海峡の沢坪かあ、となりますからね」

 「あら、それっていいわねえ」

 沢坪がベッドから出て、帰り支度を始めた。 終わって寝室をゆっくり出て行く沢坪に、橋高もついてきた。そして、沢坪の背に独り言のように呟いた。

「そうかあ、『海の日』の3連休はまだムリなんだわねえ」、沢坪は何とも言えなかった。状況の列車は、スピードを上げて来ていると感じた。沢坪は玄関に向かっており、その話で2人が盛り上がるという事は無く、橋高の思惑は外れた。

 国際学会を前に、部内の抵抗のある中、一応、沢坪の進める方向が通っているのは、何しろ時々学長に直に呼ばれたりしている様子の虎の威の影響は大きい。テーマには、東静海峡における黒耀石の原産地への分析された行き来と夏島と3万年に遡るものもある*9陥し穴猟の三浦半島、箱根、三島、などの遺跡との関連を絡めることにした。

 また、当時既に*10本州中央横断路が開通していて、活発な関東と合わせて現在の列島中央部の骨格が出来ていたことも注目すべき事として紹介しようと考えている。 これら幾つかの意義深い内容は、正に列島史の始りの初め時代である日本祖代の前葉は、特に*11日本祖史の名を付し、約4万年前から姶良大噴火の2万9千年前までの期間を対象として研究の重点を指向することも明らかにしようと考えている。そして、約4万年前からの日本の始まり時代に、北部九州から北海道・沖縄にまで拡がった日本祖人の最も興味深い、東海から房総に関東と信州を総合した地域の研究という、将来にわたる中期的な研究構想を紹介するのである。特に、新たな研究の一つの核となる東静海峡地域の行き来のルートとして、北からの親潮分岐流を考慮した、ボートを綱で曳いて歩くことも含めたものを案出している。重要な方向維持も、往路は大島や太陽が、復路は伊豆の山々と夜なら北極星が利用できるので全く問題ない。最後は、見高段間の張り出した丘が素晴らしい目標になる。ところが今後の発掘成果や理論面の実証性が未だ不十分なのに、薬が効き過ぎた学長が、部外に過剰に宣伝しているという問題が出て来ていた。伝え聞いた部内外から沢坪グループに批判が出ていることに対し、学内いやグループ内からさえ一部に不満が生じ、名輪には遠慮なくそれがぶつけられた。学会の大勢の支持が得られない研究に属していれば、将来が危ういから下の者達も真剣なのである。

 そんなガスが溜まってくれば、やがて沢坪も感ずるところとなる。発表の配布資料やパンフレットの作成に、わさびを効かせる『やり直し』の声を荒げたりすることが増してきていた。国際学会なのでその成否優劣は、極めて重要だ。内容も勿論だが、分かり易くて見栄えのすることも劣らず重要な事だ。図や写真の表現とアンダーラインを引く所、着色する所、字の大きさに至るまで、沢坪の指導は及んだ。何しろ、今後の盛衰が掛かっているのだから力が入る。そんな準備を皆でしている所に、学長が学部長などと回ってきた。

 「いや~、御苦労さん。〈甲子園〉、是非とも頑張ってくれ」、学長が言って回った。

 「はい。何とか計画どおり、順調に進めております」、沢坪が答えた。

 しかし、聞いた他部科とグループの一部の者たちは、陰で「何が甲子園だ」とブツブツ言っていた。大風呂敷でやっていらんないとボヤいているという事が、他所から沢坪の耳にも入って来るようになった。

 そもそも東静海峡の行き来のルートだと勝手に張り切ってるが、当時を見て来た訳じゃない。マスコミが勝手に走らないように、いろいろな考慮ファクターがあるとだけ示せばいいと言うのだ。 沢坪はこんな調子じゃ、いつかアジア専攻科などの反対派によって東静海峡論が、『わさび抜きの寿司』にされかねないと悲観せざるを得ないものを感じ始めていた。印刷原稿の指導が続いたので、3日と空けずに帰りはあの駅傍の真理ママのスナックで、つい呑み過ぎてしまったりしていた。店で呑んでいる沢坪の会話に、ダブル・アイの津田課長は、振られれば調子を合わせていた。無論お互いに、本人がしゃべった以上の身元は詮索して訊かないマナーのサラリーマン同士である。津田は、沢坪が大きなストレスを抱えているような呑み方だと感じながら、酔っぱらって出て行くのを見送った。ママさんが、客に関してプライバシーを語ることは無い。津田は、20分くらい世間話を続けてから小柄な体をストゥールからピョンと降ろすと、勘定して店を出て、此処での様子の一報を枝山部長に伝えた。

 枝山の指示が木浜担当の溝山課長に出た。渋谷に近い大学の木浜の友人に当たる必要から、同窓ということで普段の経済調査から引き抜かれた。髪を分け紺のスーツで小指を立てるタイプ、いつものように動く仕事ぶりはあまり変わらない。以前、沢坪の新宿ホテルでのミニ講話会の情報を貰った後輩になる田中美香を、阿佐ヶ谷へ出かけて中華料理店の〈緑海〉に誘った。

「沢坪教授に女優の橋高との交際の噂があるんだが、内密で確認を取れないだろうか」、と酒が嫌いじゃない、元演劇研究会のマドンナの一人だった美香に盛んに勧めた。確認もさることなのだが、噂がグループの中を伝わって橋高の事が、木浜に届くことが重要だと枝山に言われている。これまでの美香の木浜について語る感じから、内心面白がって調べ、必ず仲間に伝えると思っている。

「えっ、ホントですか、それはビッグニュースですね。分かりました、内密で当たってみますよ」、無論、前回以上の謝礼が見込めそうなこともさることながら、調べの内容が実に興味深い。いつまでも私をパシリ役にさせておくものかと思っている。その後、美香は久しぶりに演劇の街〈下北〉に出掛け、見違えるように立派になった小屋の営業部長に収まっているやり手の塚田を誘って頼み込んだ。かつて演技派の塚田は、助演だが舞台で橋高と一緒したこともある業界の情報通で、見込みのある新人発掘と売り込みだけじゃない力を持っている。2日して、美香が渋谷でセットした食事の中で、塚田から付き合いがあるという答えを得た。食後の呑みに流れた後の久しぶりの寝物語で、塚田が「野杉社長から、なんでアンタがそんなことを知っているんだと逆に訊かれて、きつく口止めされたよ。何処で聞いたかは言わなかったけどね」、と語った。 

「やっぱりそうなんだ。どんなお付き合いなんかなあ」、薄々は分かるが確認だ。

「そりゃ、ズバリは訊けなかったよ。ま、橋高も赤坂で先生方から店出させてもらってるが、そろそろ卒業という事じゃないのかなあ」

「えっ、それって、一緒になるってことですか」

「じゃないんか」

「そうなんだ」、聞いた美香も、まあそういう事もある話と納得して何も言わなかった。

 美香は、事を溝山に伝えて新規保険加入の小企業主2人と夏休み一泊の美肌箱根ペア旅行をゲットした。そして、下北で小耳にはさんだ極秘の気になる噂なんだけどとして、リーダー格の麻衣に「心配だわ」と伝えた。『仕切りの麻衣』は、木浜が陶芸の事で上京するからとお昼を誘われた際に、ちょっとした情報として、食べながらの話題にして反応を見た。

 「ほら、完菜のお蔭で去年いい話を聞いたじゃない。あの沢坪教授さあ、女優の橋高明穂と結構な付き合いらしいって噂があるわよ、極秘だよ」

 「えっ、ホント、そりゃ凄いわねえ。ところで今度、青山ツィンタワーでのうちの先生の展示即売会に、私のも並べさせてもらえるようになったの」

 「わ~、やったね。じゃあ、観に来れる人を来させなくちゃね。で、どんなのを展示するの」、木浜の素早い話題の切り替えで、麻衣はやっぱりかと思った。ともかく何も知らないままなのはまずい、後は本人が上手く考えて身を処すだろうと考えている。    

「ええ、生活用品じゃなくて、普通の3LDKタイプの部屋に飾れる潤いのモノなの」

 「よ~し、みんなに一品買い上げを勧めるわ」

 「いやいや、麻衣、それはやめてよ、皆が来にくくなるわ。買わなくていいって言って。先生の作品のついでにただ見て楽しんで欲しいわ」

 「そうなの、いいのそれで。はいはい分かったわ」

 それから、伊豆、映画、ゴルフ、衣食住などいつものいろいろな話題に移って行った。

 会話は続いて行く。しかし、木浜の醒めたアタマと心は沢坪についての情報で、築いて来た積木がバラバラに崩れて行っていた。みんなに陶芸の誇らしいお披露目を伝えるべく、麻衣に頼むつもりがとんでもない成り行きになっている。しかし、やはり懸念は当たっていた。神様、こんな辛い食事と会話は、早く終わりにしてください。麻衣の口がパクパクしているのだけが、木浜には、ぼ~と見えて来ていた。ダブル・アイの枝山部長は、麻衣女子会の方に沢坪―橋高の話を投げ込めば、必ず木浜の耳に入り、やがて大きな動きに繋がってボロが出て来る筈だと考えているが、無論、木浜にはそんなことは全く想像もできない。

 どうもよく眠れなかった木浜は、枕もとのスマホの呼び出し音で起こされた。見ると『渚』からだ。もう10時近い。

「もし、もし~」、木浜の声は正直に眠気を残している。

 「姉貴~、来月の11日いい日の火曜にいつものように、『ご隠居』と『若旦那』が廻ろうって言ってきたんだけど、いいですよね」

 「……、いいよ」、スマホを持つ手が頼りない。

 「まさか、寝てたあ。じゃあ、伊豆東の9時ですからね。後でメール入れときますから。ヨロシク~」

 「分かった~……」

「今度は前の分も取り返しますからね」

「は~い、……」

あれっ、いつもの切り返しの軽口が返って来ないなと思いながら、渚は電話を切った。

 木浜の方は、アタマも体も重いがまあ3週間先のことだ、体調も良くなるだろうと思った。たまには広々したグリーンで、気分転換するのもいいのだろうと思いながら、のそのそと起き出した。何となく1日の時が経って陽が落ちる頃、縁側で庭を見ていると雀が2羽、羽を忙しくバタつかせながら嘴を合わせたり離れたり、楽しげにそこかしこに舞っている。スマホを手にして、止めて置いた。が、やっぱり取り上げてキーボードに打ち込んだ。

 沢坪の方は、この間の完菜によるネクタイ外しのムリ強いを思い、少しはおとなしくなるかと期待したが変わりは無かった。それどころか沢坪がこれからもっと忙しくなるのが分かっているし、遅くなると夏の客が押し掛けてくるからと『山の涼しい滝』に誘ってきた。沢坪は、伊東行きは遊び歩いているのじゃない、全ては東静海峡に繋がる事だからと、自分に対して言い訳してきた。しかし今回の山の中への誘いは、もう言い逃れ出来ない物見遊山である。勿論、大いに魅力ある所で観たいという気持ちはあるが、それも国際学会の大きなヤマを越えてからの話だ。完菜も近頃は、多少は理解してきた夏休み前の大仕事を理由に抵抗した。しかし、最近の完菜の様子が気になることも有って、いつものように押し切られてしまった。間が悪い事は重なるもので、橋高からこの間のデッサンの沢坪像が仕上がったので見に来てくださいとメールが入った。それで、2人の所へ行く日程を調整し、完菜には、行くけれど遅くなっても必ず東京に戻りたいと伝えた。実際、月曜の指導のために、どうしてもやっておかねばならない準備がある。

 沢坪が昼食に少し間があると、コーヒーを飲んでいたら名輪が飛び込んできた。 

 訊けば、よそに回した印刷原稿の合議に対し、アジア専攻科から遂に正式に反対意見が出て合議が取れないと言う。

「マスコミに伝わるので、伊豆の海を行き来したというルートを、そう断定的に発表するべきでない」と言っているらしい。

 沢坪は、「今更何を」、となって、それからすったもんだした。分かりもしない者たちが、重要な問題に何を言うかと怒りを露わに抵抗した。名輪が、沢坪の意向を踏まえて若干の修正を施し、再び説明に行った。

 完菜は、階下のキッチンに降りて行き、また、ブランデーでも取ってきて、呑んで眠り薬にしようと思った。ともかくあれこれ考えて夜遅くまで眠れず、気がついたら疲れて寝入っていたというのは、やはりまずいだろうと思うようになっている。それで、夜が更けたら軽く一杯飲んで寝入ることにした。しかし、ここのところ続いている沢坪とのことの堂々巡りの思い悩みと呑んで寝入ることは、流石にまずいと思っている。もう、スタンドの灯りの暗い部屋で堂々巡りする、こんな夜を終わりにしよう。そして、グラスを置いた横の沢坪本を見ていて、思い至った。ボートで一緒に恩馳島に上陸する、思い残すことのない卒業旅行に出よう。3~4個の黒耀石を形見にいい想い出をまず手にし、そして、大島で泊ってレトロなエリアをゆっくり巡ろう。この2人だけの海への一泊旅行で、結論を出そう。翌日、大島の波浮ホテルに確認し2名の予約を入れたが、沢坪のスケジュールがどうしてもダメならキャセルするだけのことである。スケジュールの運を、天に任せた。

 印刷原稿の合議問題は、名輪が向こうに理を尽くして説明したが、ダメだと言う。そして、どうもここへ来て、先輩の藤村教授が、学問の事で沢坪の学長の虎の威なんか全然気にしていないと自信満々で広言しているらしいと名輪が沢坪に報告した。これで部内の潮目が変わった。モメを持ち込まれた学部長は、藤村教授グループが硬い態度で強く反対しているし、それまで沢坪寄りだと見られた日本史専攻科も発表の表現は、マスコミに伝わるから慎重であるべきだと変わった。発表にインパクトをという沢坪の意見は、結局、学部長も「出た意見の通り」という、対メディア慎重派の判断となった。

 沢坪は学部長に、国際学会は研究の細かい内容だけでなく、取り組みの目指すモノや将来の構想なども紹介し合って、比較的自由に話し合うミーティングであると食い下がった。それでも学部長は、大きく書きがちなメディアによって、万が一にも国際的に学問上の誤解が生ずれば対外的にまずい事態になる。問題が起きてしまってから、メディアの誤解だと言い訳して廻るのは避けたいとして退けたのである。

「ここはやはり、皆が納得するものであることが重要じゃないのか」、とぐずぐず言うばかりで、結局、沢坪が降りなければ合議と決裁が進まないのである。で、学部内では、既に警報があったにも拘わらず、強引に突っ込んで行った沢坪の勇み足だという事に落ち着いた。沢坪も事ここに至れば、流石に学部長の判断に異を唱え、学長のところに泣きつくことはとても出来ない。合議文書は、表現が大きく替えられ、図のルートの線が消えるなど、出来上がっていた最終印刷原稿の修正が、研究室レベルでは騒ぎになった。資料は、沢坪の恐れていた新味の薄い『わさび抜き』のモノとなり、名輪が「てにをは」に至るまで、急ぎ他と調整していくことになった。何より、沢坪が突破して行こうとしていた学会の重箱の壁にヒビすら入らず、ひっかき傷くらいでまた何年もあまり変わらないことになるのである。前進は牛歩にされて、角は矯められたという訳である。

 「サーさん、どうしたんですか、もうそれくらいにしたらどうですか」、高円寺北口スナックの真理ママは、客の呑みに何か言うなんてことはまずない。客の方も呑み過ぎて荒れるような者はいない。

 「サーさん、今日はもうそれくらいにした方がいいですよ」、テーブルを拭くことでグラスを取り上げた。沢坪は何も応えず、下を向いたままでいる。

 「サーさん!」

 沢坪が、頷いた。両手をテーブルに突いて立ち上がった。背中を少し丸めてよろよろとドアの方に向かって歩き出した。ママが、様子を見に急ぎカウンターから出て近づいて行ったが、振り返って席のカバンを取って戻った。

 「サーさん、カバン、しっかり持ってね」、と言ってドアの所で持たせた。お勘定は次回だ。まあ、近いし大丈夫だろうと思いつつ、ママはドアを開けて送り出した。千鳥足でよろよろと駅へ続く通りの方へ向かって行くのを暫く見送った。ママさんが初めて見た、単なる酔っぱらい中年オヤジの精気の抜けた姿だった。

 「真理ママ、あの人かい」

 「あら、ケンちゃん。何をバカ言ってるのよ。さあ、入った入った」、今度は女に振られた若者の相手である。

 沢坪は、いつもは歩いて5~6分のところを、長い行軍をすることとなった。通勤の時間帯を過ぎたマンションのエレベーターを独占し、なんとか部屋に辿り着いた。玄関を開けて入ると鍵こそ締めたが、靴も上着も脱ぎ捨てたまま、台所で水を一杯飲み、服を脱ぎ散らかしてベッドにもぐりこんだ。ちょっとしたら、背広のスマホが鳴っているようだと思うが、とてもじゃない、今は勘弁してくれと寝入った。

 完菜は祈るように待っている。スマホは切られておらず確かに呼び出しているが、出ない。こんな時間だ。重要な打ち合わせや会議の筈がない。上着かバッグにでも入れているのだろうが、放ったまま何してるのだろう。本屋のオジさんと話してようが、呑み屋に居ようが出れないことは無い筈だろう。完菜はどう考えてもあれこれ堂々巡りで、分からない。沢坪の本の一寸分かりにくい箇所を訊く話から、肝心の恩馳予約の確認へもって行く事ができないのである。

 沢坪の寝覚めの時間はいつもと変わらなかった。ただ、頭がガンガンする。また、台所に行って水を飲もうとしたら、昨夜は吐いていたのだ。始末してから、出勤のルーティンに入らなくちゃと急ぎ洗面所に行った。そういえば昨夜は、スマホが鳴ってたかなと思いだし、手にすると完菜からだ。

 「ごめん、昨日はちょっと呑み過ぎて失礼したわ」、だみ声で伝えた。

 負い目のスタートだが、完菜は珍しくいつものブツブツ言いがない。

 「国際学会は、近いですよね」、単刀直入の気配である。

 「ああ」

 「中旬からは雨続きになるんだそうですよ」

 「ん、そう。まあ、そりゃ梅雨時だからね」、頭がガンガンしてるのに梅雨の話かよ、今から、出勤なんだから行ってらっしゃいだけでいいでしょがと思う。

 「それで、もうわがままは言いませんから、晴れてるこの週末に、思い出に恩馳島に連れて行ってくださいな。なんとか黒耀石とご対面させてください。丁度、帰りは大島泊まりで波浮が見れますから。混みだしてきてますから向こうに当たったら、わずかまだ空いてるので押さえておきました。お願いしますね」

 「ええっ、恩馳島、大島?……」

 「はい。当分、チャンスはなさそうですのでお願いします」、否応を言わせないはっきりしたもの言いだ。沢坪は、アタマがまだガンガンするし、出勤前に長々と抵抗している状況じゃない。

「……、あ、そう」、

 「8日土曜の昼に出て恩馳島です。日暮れには波浮港で、泊まって翌日に波浮レトロを見学して伊東戻りです。予約やボートの手続きもしておきます」、実は既にしてある。

 「……、2週先だね、分かった。頭がガンガンしてるのでメール入れて」、なんで朝っぱらから重たい話を始めるんだよと呆れる。日々あれこれで、まあ、だいぶ先の話と受け止めた。

 「はい。分かりました。予約は沢坪さんの名ですから、では行ってらっしゃい」

 沢坪はそれでもぶつぶつ言われずに、正直ほっとした。インスタントしじみ汁をゆっくり味わいながら、いよいよ2人の恩馳行きかと目が覚めてきた。完菜の方は、まだ運は残っていたとほっとしてスマホを置き、ブランデーではなくパインジュースを取りに下へ降りて行った。

 沢坪は、完菜のメールや電話が、恩馳行きの話以降はすっかり減ってほっとして来ていた。約束した山の中に行くべく、朝出て伊東駅で降りて、いつものように完菜の車に乗り込んだ。落ち着きを感じさせる完菜の運転で、晴れた山道を西に上って修善寺に行き、天城峠の方に向かって上がって行って1時間足らずで着いた。入り口横に『伊豆の踊子』の男女主人公の立像が建っている。少し急に思える階段を2人は並んでゆっくり降りて行った。上がって来る人たちと行き合うときは、完菜が先になった。沢坪は、彼女から歩き易い靴でと言われたので、いつもの革靴ではなくウォーキング・シューズにジャケットで来ているので動き易い。

 5月が終わった季節の湿気と暑さで汗がにじむ東京の真ん中を、混んだ電車で大学に通勤する都会暮らしの者には此処は別天地だ。やはり一度は来て見たかった観光名所だけのことはある。内心では来れて良かったと素直に思った。向こうにちょっと滝が見え、周りの緑の木々と下を流れる川音が聞こえる水が、涼しいそよ風を送ってくれる。川床の石が見える、浅く流れの早い川でわさび田がある。滝を見る観光客のために設けられた開けたスペースの見晴らし台から、いよいよ伊豆の〈浄蓮の滝〉とご対面である。

 高さ25メートル、幅7メートル、決して驚くスケールの滝ではないが、豊かな流量が強い勢いで滝つぼに真っ逆さまに落ち、水煙を上げている。

 激しい!

 その滝つぼに目をやった時、流れの脇の岩裾が玄武岩の柱状列石で、兜の裾のように逞しく感じられる。つい見入ってしまったのは、沢坪が土や石いじりの考古学者という仕事柄のせいかも知れない。滝は一本の柱のようになって落下しており、滝つぼを囲む岩には苔が生えて覆うように伸びている木々が風情を感じさせ、滝の飛沫がこちらに冷気を送ってくれている。暫し、何もかも忘れて水の動きに見入った。振り返ると完菜が指さすので、その方へ歩いて行って見ると、右手にすっかり周りを苔に覆われた、『天城越え』のタイトルと五線符が見えた。もう歌詞は、ずっと近づかないとよく字が分からない。

 完菜が、碑を見ている沢坪を横から見つめながら、小声で歌い出した。

 ―隠しきれない移り香が いつしかあなたに浸みついた~……。

 「上手いねえ」、と褒めたが、沢坪は何か迫って来るものを感じた。

「男の作った歌はダメですねえ。女って、『心が裏腹』なんですよ」、盗られるくらいならは口にしなかった。沢坪は、何となくこのところ完菜が変なのは、どうも橋高の事を感づいているからのようだと思うようになっていたが、無論、訊くことは出来なかった。但し完菜が、陶芸を、料理を、洗濯などをしている時でも、橋高がサングラスを外して沢坪と話している姿がフッと想い出されて感じる、いがらっぽさまでは到底分らない。まして、完菜本人も分っていない、信仰の対象のような男からこれまでのような心の芯の安らぎが得られず、イラついている事情などは思いもよらなかった。完菜の方は、沢坪が仕事のプレッシャーと足引かれの中で、また、橋高との事があれよあれよと進んで行く中で、苦しみ迷い悩んでいることは分り得なかった。単に、男が新たな女に気が向いて行ってる、としか思えないのである。演歌は作詞も歌い手も男か女かどちらか一人、一人称の心情吐露なので、2人共が納得行く表現で救われる、という風にはなかなかいかない。そして、それが三角関係というものの特徴なのであろう。しかもそれを打ち明けて話し合うという事も出来ないのである。2人はこれまで具合のいい関係で来た。どちらも今の生活を変えたくないし、関係に全く不満なくやって来たのである。

 今、沢坪には、一段高い所に上がってしまった橋高とのことを止めて下りると伝えることは、橋高に対し学長に対し、ひいては大学と仕事の将来を考えると極めて難しい。

 学長は静かに「ああ、そう」と言うかもしれないが、いろんな事情で主流を外れて行った者の光を失った目と荒んだ暮らしぶりは見聞きして来ている。橋高とのことが進んで行って、完菜が時々会うことで納得してくれるなら、難しいが破綻に至らない行けるところまで綱渡りするし、完菜が納得できずに静かに終わらせると言うなら、やむを得ないと思っている。ともかく、修羅場の騒ぎだけは、ゼッタイに避けねばならない。

 一方で完菜の方は、そもそも2人はお互いを束縛しない自由な関係で始まったことを、よく了解している。それならば男に他の女が出来たところで、何か言える筋合いでないことは考えれば分かっている。仮に相手に見合い結婚の話が出たところで、関係をどうするかは、まずは自分自身の問題であることも頭ではよく分かっている。

 沢坪に「会って」と言って、会ってくれる可能な時だけ会えばよいのである。沢坪は、冷たくなって「会えない」と言う男ではないだろう。しかし、新たに登場した女と事情は、沢坪と完菜のこれまでのような会い方は決して許さないだろうこともよく分かっている。それは、沢坪が完菜をどう思い、相手にどう言い繕おうとも、結局は分かってしまうしムリだ。もう何日も前から、歩いていくべき道は頭では分かっているのに、落ち着かない私って何なんだろうと堂々巡りしているのである。実は当人が良く理解していないのだが、沢坪は、もはや単なる交際相手の男ではなく、心の糧の教祖様になっていたのである。他の信徒の方を向くのはいいとしても、自分を向いてくれなくなる、その不安があるというだけで耐えられない状況になって来ているということが分からないのだった。欄間から見つめる写真のお母さんも似たような状況にハマっていたのではと今となっては思うが、無論、何も話してはくれずにいってしまった。問題は、そんな状況にありながら、はっきり状況を悟ることも、思いを語らうこともこれまで無かった事なのである。

 心を少し残したまま歌碑を離れ、来た坂を上がり戻って行った。土産物店でアイスクリームを食べ、一息入れてレストランでお昼にした。それぞれが、あの歌碑を見てから想いに沈み、明るく話が弾む状況ではなかった。沢坪が行く予定の恩馳旅行に話題を振ってみたが、完菜は乗って来ない。食べ終わって一息ついたところで、完菜が提案した。

 「来た道をまた帰るのは何か芸がないですから、天城峠を越えて〈下田〉へ下って、東静海峡沿いのルートにしましょう」

 「そうだなあ、そうしようか。来るときの山道をずっとキミが上がって来たから、此処からは運転するよ」

 「そうですか」

 やりとりに、観光地に来たペアの弾むものは感じられない。車で行く天城峠は新トンネルなのであっけなく、明るくモダンでドラマもない。若い頃にいくつか読んだ本とは、全く違う乾いたコンクリートの天城越えとなった。ただ、2人の緊張は少し和らいで来た。山道を走り終えた下田では、開国博物館などを観て幕末の海峡に想いを巡らせた。その後は、沿岸を所々止まりながら、海峡をいろいろな角度から見て写真も撮って、伊東まで走った。

 「滝で大分歩いたし伊東で温泉に入れてもらって、夕食も手間要らずだから、そこで食事ということにしようよ」

 「そうですね。伊東の露天風呂から海を見るのも格別ですものね……」

 夕日が沈む水平線と同じ海と思わせる湯を上り、レストランで海鮮メニューのゆっくりした夕食とし、完菜の家に帰り着いたのは、8時に近かった。沢坪がコーヒーを飲み終わると、完菜が作品を窯で焼くことについて教えますと言って、そのままの恰好で陶芸場に連れて行った。

 「最初に土をこねて形を作り、棚に置いて乾燥させてその作品候補を、窯で1,200~1,300度の高温で焼き締めますから硬いんです。此処の陶芸場の北は裏山で、登り窯の後ろが高くなっているので、中の熱気の対流がよく回ります。

 父の伝手で、肝心の良い土と赤松の割り木とが仕入れ出来ますので、大変に有り難い事なんです。先ず最初に、あそこのビニール缶の灯油を燃やして窯の中の湿気を取ります。そして、火付きが良く高温が出る割り木をくべていく作業なんです。待ってる間に直ぐ終わる都会の火葬場とは大違いなんですよ。模様は、灰や藁を掛けて作ります。焼き終えれば高温の窯を日にちをかけて、深海から上がって来るようにゆっくり冷やして、作品の割れやひびを避けます。その後、作品にやすりを掛けて付着した灰や藁を取ります。こうしてじっくり硬く作られた大甕が気に入って、中で永遠の眠りについた昔の偉いお方もいるんですよ」

 沢坪は聞きながら、仕上がりは正に神のみぞ知る世界だが、どこまで人が神に近づいていくかが、修行なんだろうと思った。いずれにしても、此処は単に薪をくべて作品を焼いているという所じゃないのだ。今日の完菜の話はどうも不穏だなと思った。そして、話し方と手つきに攻め込んで来る凄みのようなものが感じられた。これは素人に焼くことを教えるというものじゃない、何かを訴えるというものだと感じた。それが、此処を闘いの場のように感じさせる。陶芸師の生みの苦しみ、そんな額の汗が光る。赤松の割り木は、繰り出される刀や槍なのだと沢坪に訴えているように感じられた。今日の完菜が『天城越え』をうなったり、火葬場だの永遠の眠りだという話をすることに、マグマが噴き出る迫力があったからだろう。陶芸場から戻っていつものように沢坪は、リビングのソファでほっとして手足を伸ばし、灯りのともった庭を見ながら呆然とした感じでいた。暫くすると、完菜が盆にビールと切り身、お新香、柿ピーナツなどを持って来て、沢坪のグラスに注いだ。

沢坪は注ぎ返す気配も見せず、一飲みした。完菜が手酌しようとしたので、沢坪が手を止めた。

「ちょっと、後で車だからまずいよ」

「……、はい」、完菜がうつむき加減で、沢坪の呑んでいるのを見ている。

「何か飲まないの」

「ええ、いいの」

「そう、……」

「なんか、一人で呑んじゃって、悪いね」

「いいわよ」

「そう、……」、沢坪は、折角盆に持ってきてくれたので少しつまみながら、目を合わすことも無くグラスを空け、ビンの半分近く呑んだ。

「いや~、ご馳走様。今日はいいもの見せてもらって有難う、そろそろ引き上げることにするわ」

「はい。……」、声に力が無い。

「いよいよ次は、あの恩馳に行くんだね」

「ええ、そうですね」、少しも声に弾むものが感じられない。

駅への道は、語ることもない2分ほどのことである。降りる沢坪は、「今日は、有難う」、と言って出て、駅の方へ行くガード下に向かってゆっくり歩いて行った。車の中の完菜はエンジンをかけて見ていたが、沢坪が曲がる所で振り向いて手を振ったら、振り返すことも無く発進し、ハンドルを回して背中を見せた。沢坪は、後ろ足で砂煙を蹴り出すように帰って行く車を見つめていた。

家に帰った完菜は、玄関に入るとサンダルを脱ぎ捨てるようにして陶芸場の方に向かった。両目の下が濡れている。棚の二段目手前の長めの花瓶を手にすると、二、三歩前に出て、窯に勢いよく投げつけた。確か寝室用だった物の斬新なデザインが、形を崩して飛び散った。 

沢坪は月曜の準備をまずまず終えたが、〈伊東〉からは胃に石を入れて帰って来たし、今日は今日で、日曜出勤する様な気分で身支度を整えている。弱まってきた午後の陽が射しこむ木々のトンネルの坂を上って、橋高の所へ向かった。出来上がった作品は、顔の凹凸の陰影と色付けの仕上がり、薄めの緑の背景の塗りがマッチして、流石に上手い。鏡で見る自分以上の自分に初めて対面した。暫く出来映えを巡り、あれこれ所見を交わした。どうぞと言われダイニングのテーブルに行くと、食器と箸が青と赤のペアになっているのに、沢坪はあっと驚いた。夕食と酒はいつものようにおいしく、話も弾んだ。

そして、奥の部屋で睦あった寝物語に、橋高がベッドで腰紐をいじりながら呟いた。

「いよいよ国際学会が近づいてきましたね。お忙しいことですね」

「ええ、私の案もまとまって、これからよそのOKも取り、印刷へ回すことになります」

「やはり東静海峡話が、中心なの」

「はい」、わさび抜きの原稿を思うと、以前のように胸を張って説明する元気が出ない。

「すると、その世界では全国にお披露目されることになりますわね。凄いですね」

「ええ、まあ」

「じゃあ、いつか一緒に外に出掛けるとするなら、まずはその伊豆だわね」

「……、そうですね」

「一緒にボートで、島にも見に行ってみたいものだわ。そうなると日焼けしないように武装しなくちゃね。フフフ、それで『東静海峡夫人』だなんてどこかで書かれたら、ちょっとテレるわね」

「……、そうですか」

「だって、ほらあの『鎌倉夫人』みたいじゃない」

「……、そうなりますかね」、何とか歪んだ笑顔で返した。

沢坪への学長からの再婚話の仕掛けは、おそらく有力政治家から押し付けられたものであろう。沢坪にとっての学長は、大学と学長にとっての有力政治家という訳である。

今は流れに乗せられてしまって、静かに着々と事が進んでいる。この春からはその方の付き合いとたて混む仕事のため、以前のように木浜とフリーに、スマホのやり取りでさえ出来なくなっている。沢坪は帰りのタクシーに身を沈めてやっとゆったりしたが、ボートか、いやスキーか列車か、ともかく乗り物のスピードがグッと上がったような、そんな落ち着かない感じがしてきた。タクシーは、様々なネオンが瞬く渋谷エリアに入って抜けて行く。沢坪の酔った頭も、様々な原色が点滅し出した。

一方、キッチンで片付けものをしている橋高からは、軽い鼻歌が聞こえる。明日にも事務所の野杉社長に沢坪とのことを話しようと思っている。進み具合を伝えて、社長がどういう反応を見せるか、発表やなんかをいつ、どんな風にするのかを、当たってみなくちゃと考えていた。永田町の先生方を、後で文句を言われないようにどこまで招待するか、式だろうと冗談で何を言いだすか分からない人もいる。この点は悩ましい問題だなあと、ちょっと気が重くなった。

完菜は、浄蓮の滝から戻った日の夜の自分の爆発に実は驚いている。自分の作品を窯に投げつけるなんてことを、どうしてしてやってしまったのか自分が怖くなっている。恩馳に行く日も近づいて来ている。何が有っても落ち着いて対応できないとまずい。 尤も、ここのところ再び続いているアルコールの力で寝入るのも、量が多くはないと言っても褒められたものではない。さて問題は、やはり自分がおとなしく、すっぱりと別に目を向けるべきなのか。それとも、沢坪が目を向けたときにだけ応える待つ女になるのか。いっそ後悔しないように、思い切って沢坪の胸に飛び込んで思いのたけをぶつけてみて、跳ね返されたらそれで諦めるのか―。相談相手もいない状況で、こんな問いをブランデーに訊きながら、酔いが静かに回って来ているアタマで、また考えている。結局は、昨夜と同じ様子になって来ていた。

 沢坪は、昼食を終えて室に戻り、コーヒーを飲みながら名輪が貼ってくれた大地域図を見た。最近は、完菜のメールや電話はすっかり頻度が減って、音なしの構えに近いようになっている。落ち着いてくれたんだろうと思っている。しかし、休火山なのであって安心はできない。付き合い出した頃は、まさか完菜と恩馳島に上がるなんて思いもしなかった先史話の肝の夢の島である。それが自分のボートで動けるようになって、手が届くようになったのである。国立公園であり、ホントは届けも無しに上がったり、しかも石を拾うなどということは許されない。それに伝説の神津島の神様のバチが当たりそうだ。ま、漁船が引き上げている頃なら誰も見てはいないのだが。伊東マリンタウンを出て大島に向かって最短を渡り、次の利(と)島へ越えて一息つき、諸島と平行に奥の神津島を横目に恩馳を目指す。これは、日本祖人が黒耀石を積んで帰ってくる沢坪が考えたコースと逆になる。予約を入れた完菜もよく理解しているようだ。

東静海峡を渡って2時間ほどで恩馳島に達し、カモメたちに守られた岩礁島に感激することだろう。日暮れには波浮の港に入り、波浮のレトロな情緒に浸る旅なのである。

そんな2人の初めての一泊旅行で、ぎくしゃくした関係を、何とか軟着陸させなくてはならないと考えている。浄蓮の滝へ行った日の二の舞は、もう2度と繰り返す訳にはいかない。 講義の合間に名輪が持ち込んでくる資料に赤を入れて指導し、自分の原稿を直し、橋高が一寸寄ってと言うのに付き合い、完菜がおとなしくなったのにはほっとしつつも悩みは変わらず、胸突き八丁を駆け上がる日々である。

 それにしても、資料が回ってくる度に、わさび抜きの味気無さを噛みしめることになっているのが何とも辛い、ほぞを噛むである。

 いよいよ6月8日土曜日、沢坪は恩馳島行きに家を出て、浮き立つことも無い、ちょっと重い足取りで駅に向かった。

しかし、完菜の方が想い出作りと2人の関係を何とかはっきりさせようという、決着の旅と思い定めていることまでは思い致っていない。 

 夢を語り合った島に上がる旅なのに、往時の大島に想いを馳せる初めての一泊旅行なのに、ご馳走が盛られた昼食に話が盛り上がることも無く、2人を乗せたボートは東へ静かに、かりんとう菓子やコーヒーボトルなどを積んで、『東静海峡』へ舟出して行ったのである。

第4章 本格捜査

令和元年六月二十七日

捜索願の出ている木浜完菜の行方不明事案は、発生から2週間半を超えて、〈シーズ・サービス〉の調査資料を提供された静岡県警と警視庁によって、目立たないが本格的な極秘捜査が始まった。高円寺駅の傍で沢坪が見せた驚きの表情の写真は、はっきり犯行を示しており、恩馳島へ向かうボートも漁船に目撃されている。一流大学の教授と往年のテレビ女優の絡むこの事案は、背景にMS大学長と有力政治家がチラつく。しかし、未だ遺体が発見された「事件」という訳ではない。シーズの鶴沼たちの場合は、権限は無いが親が非常に心配していて頼まれて調べている、という泣き落としで動けるところがあった。

しかし、警察となると相手の受け止めも全く異なり、無用な騒ぎが起きかねない別の意味で厄介なものがある。従って、全ては事件そのものではない、単なる関連の参考として訊いてる調べているという説明で捜査が進められた。 両警察とも所轄に対し、ナイスミドルの男女、ボートの動きに関して、6月8、9日頃の情報の特段の収集強化を極秘扱いで指示した。そして先ず、シーズ・サービスの重要な点の確認取りから着手されていった。

鑑識が入って木浜の家や教授ボートなどが、また、大島や神津島、伊東、熱海での2人の目撃情報に関し捜査が行われた。行き来したコンテナ船や木浜の高飛びの可能性に係る長距離輸送機関などにも、捜査の手が伸びた。また、両警察は、それぞれの管内の東京諸島や熱海及び伊豆東部沿岸において、木浜の途中下船の可能性についても情報の収集に努めた。調べが進んでいた木浜の車のフットレストとボートの砂の分析から、シーズが提供した大島の浜を歩いた複数のサンプルのものである事が裏付けられた。2人の小型船舶免許の講習及び取得、ボートの購入資金と諸手続き、係留場所の伊東と下田では、これまでの航行歴などの状況を明らかにしていった。 

静岡県警は神子元島と主に半島沿岸を、警視庁は東京諸島特に恩馳島の釣り人を装う極秘捜査と大島を調べ始めた。いずれも漁船をチャーターし、島の陸地捜査と共にフロッグマンによる海中捜査も含まれた。当日の行動の流れでは、伊東マリンタウンの教授ボートの出港・地域における立ち寄り・帰港の届け出、出港直前の昼食や木浜の乗り込み前の飲食物の購入、神津島の漁船による目撃情報、大島での鮨屋と客、ホテルやタクシー、付近の住民などのほか島内の元町港や観光地の方も立ち寄りの情報が調べられた。 

また、依頼を受けた千葉県警による房総南端での目撃情報の収集も行われた。

以前の2人の城ケ崎行きデートが確認され、自宅の1階寝室の大きな壺の底からボートのモノと同じ教授の指紋が検出されて、作務衣や白ガウン、スリッパなどと共に男女関係が明らかになって来た。また、教授には、7月末の重要な国際学会のプレッシャーが掛かっており、他方、有力政治家絡みで学長紹介の女優の橋高明穂と交際する二股状態であること、木浜の方は、最近の陶芸場における不自然な作品の投げつけ破壊など、2人に修羅場が生じていたとも考えられている。

 一方、ボートの捜査では、ボート底部の岩に当たった多くの傷と舳先ロープを岩に結んだ傷が、岩場の行動と上陸を示すものとみられた。しかし、床面を周到に洗い流したような痕跡は無く、血痕や人体液は勿論、指紋以外は、犯行に関すると言えるものは見つからなかった。

 しかし遂に、現場とみられる干潮の恩馳島の方では、耳を飾る女性用装飾品である新しいノンホールピアスが一つ発見された。学術調査以外で島に上陸すること自体が珍しい上に、小さな女性用品である。上陸を裏付ける物として、これは捜査関係者の間では、密かな「大騒ぎ」となり、教授が手を下したときにもみ合うなどして海中に落ちたものが、干潮で見つかったものと考えられた。1センチくらいの花びらのような形の金属に、真珠の小玉の飾りが散りばめられたハイセンスなデザインで、直ぐにその出所が追われた。結局、4月の20日土曜に、木浜が渋谷駅東側の「モンアン」で購入した物と判明し、木浜が恩馳南小島に上陸し被害に遭った証拠と考えられた。

警視庁・大島署は、8日6時過ぎに浜でボートを係留した男が一人で上陸し、辺りを動き、鮨屋に現れて1人前を注文したやり取りと翌朝の出航や、帰港の際のコンテナ船との遭遇、と確認に努めた駅構内、新幹線などにおける情報などを確認し、木浜の東京での過去や交友などについても調べを進めて行った。しかし、木浜の動静については、情報が依然として全くない。

静岡県警は、伊東駅とマリンタウンの中間で、8日11時に店を開けて直ぐに入って来た2人が、豪勢な海鮮メニューを主に昼食した状況を確認した。楽しそうに話が弾んではいなかった、支払いは木浜のカードであるとの情報を得た。9日日曜の沢坪の動きについては、マリンタウンのボート事務所での帰港の自動届、熱海の駐車場と駅での行動を確認し、木浜の過去と交友を調べて行ったが、動静についてはやはり依然として、全く何も挙がっていない。

 「係長、ちょっと気になるんで出て来ます」、パソコンを見ていた本宮巡査部長が、思いついたように、スカートを直しながら立ち上がって言った。

 「ああ、いいよ。アブナイときは連絡してくれ」、誰に会うんかなとは思ったが、独身とはいえ気になる対象ではないので、谷津係長は簡単にOKを出した。

 「係長~、そんなことしませんよ。じゃあ」

 彼女は、警視庁の交通課からこの事案のために、足で稼ぐ女性メンバーとして入れられて来ていた。街に溶け込む目立たない薄化粧の容貌でちょっと体形は太目、40を超えて判断もできるし、以前は駐車違反を追っていた割には当たりが柔らかく、地道な粘りを買われている。カンがいい方で、何しろ恩馳島に落ちていたノンホールピアスの店を、渋谷で見つけてきた功労者なのだ。尤も、見つけた後で自分へのご褒美に、イチゴやベリーの載った何層か分からない厚いホワイトケーキを、隣の店でゆっくり堪能した事は誰も知らない。

 本宮は、外に出ると霞が関から地下鉄で新宿に出て京王線に乗り換え、西調布で降りて北口に出た。北の方へ15分ほど歩いて、調布飛行場の管制タワーのある搭乗ビルの手前で左折し、青い屋根の長い平屋、飛行場の管理事務所に入って行った。

 此処から飛べば25分で大島に着くから、実は郊外から都心へ満員で揺られる通勤電車より、時間だけなら短いのである。

 「どうでしょう、神津島飛行場に離着陸する時に、恩馳島が見えると思うんですが」

 「何かあったんですか」

 「いや、国立公園に無届けで上がって荒らした者がいるということで、調べてるんです」

 「そうですか。距離的には見えますが、神津島飛行場での離着陸は風向きによるんですよ。また、それによって機体の傾きがありますからね~。機体が島に腹を見せていれば、誰も見えません。あの辺りは方向を変えて曲がる所なんですよ。いずれにしろ、その時のパイロットに訊かないとしょうがないですね」

 「パイロットの正面は、視界の良い広いフロントガラスで、よく見えるでしょうから、2人いますし。期待して来てるんですよ」

 「いやいや、前は計器類で、他の飛行機に注意するのが第一です。下方はず~と遠くしか見えなくてダメなんですよ。見るならサイドですね」

 「えっ、そうなんですか。実は、先月の8日土曜日、3時から4時頃のことなんですが、パイロットはどなたでしょうか」

 「ちょっと待ってください」、席の方に戻って行って、帰って来た。

 「山根なんですが、今は出てまして、向こうから帰ってきて、そう、5時過ぎますね」

 「そうですか、構いませんので待ちますから宜しくお願いします」

 「分かりました。じゃあ、5時半ということでまたお越しください」

 「じゃ、宜しくお願いします」、と言って、本宮は搭乗ビルにあるカフェの方へ向かって歩いて行った。

本宮が戻ると、少しして山根がやって来た。「お待たせしました。山根です」、かなり頭が薄くなっており、優しそうなクリっとした目をして応接ソファに座った。小柄で少し腹が出ている前に、小さい写真パネルを手に持ち、神津島飛行場(東西方向の滑走路)の説明をし始めた。

「8日の便ということですが、西風に向かう離着陸でした。従って、4時5分の離陸が、そのまま西方へ飛び立ち、島を出たら右の方に曲がって北上し、此処に向かいますので、見た可能性があります。これで分かりますように、丁度、恩馳島が見える当たりが離着陸の一番神経を使う所なんです。私は、空中の他の飛行機や前の計器、滑走路周辺を見て、タワーとの通信が有ったりでした。で、3週間前というとそれから何度も飛んでますんで、どうも、申し訳ありませんがお役に立てません。但し、離陸の時にコパイ(副操縦士)と左側の席の人たちがもし外を注意して見ていれば、可能性が無い訳じゃありません。私が申しあげられるのは、これだけです」

 「そうなんですか。有難うございました。お客さんの方は、会社さんと調整させてもらいます」

 翌日、本宮は係長に状況をよく説明し、エアロセンター社に話を通してもらって、副操縦士や当日の該当席の客に当たって行った。何しろ犯行があった時間帯なのである。 そして、副操縦士は、離陸の時に珍しく島に白いボートが着いていたのはチラッと見て覚えているが、人がどうかは、はっきりしないと答えた。本宮は都内だけでなく神津島まで出張せざるを得ず、訊き続けた左側席四人目で、やっと使えそうな話が聞けた。島からポリープ手術で都内に行った大柄な50代の男性で、離陸時の左席7番目の人だった。本宮より年上の大島南駐在所の前浜巡査部長が、海が見える2階の喫茶店で、離陸時の4時で取調べをセットしてくれた。

本宮は、早めに来てトロピカルな感じのメニュー看板横の、白くペンキで塗られたコンクリートの階段を上がって行ったら、先方はもう来ていた。双方が早めに来た訳で、コーヒーを飲みながら挨拶の世間話をしていると、飛行場を離陸し右旋回してきた機が、大きなガラス窓の向こうを調布へ向かって、見ている間に後方に飛んで行った。3人で見送るように見つめてから、本宮が訊くと、男性が様子を語った。

 「離陸の時にいつものようにぼんやり窓の外を見ていたんです。機体が浮いたなあというところで、向こうの恩馳の島に白いボートが見えたんです。ん?と思いました。これまで見た事が無いです。で、機体は右の方に傾きながら曲がって上がって行きました」

 「お天気はどうでしたか」

 「普通に晴れてましたね」

 「島に人は居ましたか、見えましたか」

 「小さくボートのそばに、点のようでしたね」

 「1つですか、2つですか」

 「あれは、1つでしたね」

 「服などの格好はどうでしたか」

 「足は見えたような、いやあよく分かりません」

 「水着だったようなんですね。男か女かはどうですか」

 「いやあ、分かりません。ビキニだったら、きっと真剣に窓に顔付けて見つめたでしょうから、違かったんじゃないですか、ワハハハ」、(オヤジ~、セクハラでしょが)

 「そうですかあ、ほかに何か覚えてること有りませんか。ボートの舳先は、どっち向きでしたか」

 「う~ん、島の方ですかね」、それで点が一つだとすると、木浜は既に海中だったのだろうか、本宮は考えた。

 「なんでもいいんですけど、何か。カモメはどうでしたか」

 「何羽か、普通に上を飛んでいたような。う~ん、そんなとこですねえ」

 「そうですか」

そして、もう意味あることは出てこなかった。で、3人でウーロン茶にところてんを食べながら、雑談となった。本宮は、ところてんがとても酸っぱく感じた。

 「どうも有難うございました」、男性と前浜巡査部長を外で見送り、一報を係長に入れてまた階段を上がると、口直しのソフトクリームを頼んだ。

 まあ、ともかく細い糸ながら、島に上がった人物、教授に繋がる点を捜査線上に捉えたのだった。これまでは漁船から、教授のボート以外に該当が無いという向かうボートの目撃証言は得られているが、恩馳島に上陸したか否かは不明だったのである。そして、警視庁での東京と静岡両警察の合同捜査会議で、係長がこの情報を発表した。

これらの捜査の動きに関連しては、神津島の一部の者の間で話が出た。休み前なのに人が出ているので、ちょっと今年は景気が良さそうだろうとなった。春にも大学関係者が来ていたし、そういう関係の調査でも行われているんじゃないのかとなって、動きについてのそんな噂の波も目立たずに引いて行った。心配して地元の動きに注意していた警視庁も、何とか胸をなでおろした。しかし、警察幹部は、頭を抱えた。依然として遺体も犯行の物証も見つからない事件は、ホントに犯人に迫れるのかという極秘の苦しい匍匐前進が続くのである。

 発生後1ケ月に近づいた焦りの気持ちも出て来た警視庁と静岡県警の極秘の合同捜査会議が開かれ、事案の判断は次のようなことで整理された。恩馳島の新しいノンホールピアスについては木浜の物と言え、上陸を示すとともに犯行に係る普通でない動きがあったことを示すものであろう。ピアスは新しく、渋谷の店の物である。MS大の沢坪考古学チームが、連休明けに何と恩馳島と神津島で調査を行っているが、女性は居なかった。また、このほかの近年の学術調査でも、付けた女性の上陸は無いようである。MS大の調査は、正に沢坪教授の企画で、黒耀石を採取する研究調査を行っていたものであり、ボートでの行動に知見を有する教授には、十分な土地勘があったことを示している。恩馳島での予行ともいえるもので、犯行を支持するものである。

 犯行当日の行動の時程は、概ね次のとおり。8日昼食後の12時頃に伊東マリンタウンを出港し、大島の方から回って3時20分過ぎに恩馳島に北方から至り上陸、犯行に及んで4時過ぎには島に居たがその後離れ、遺体をボートで曳航して付近の深海中に遺棄し、大島に向かっていた4時半頃に宿泊予約をキャンセルした。

夕刻の6時過ぎに波浮港に入って湾口入って右手Aに係留し、8時頃、鮨屋で1人前注文し8時半頃受領し店を出た。翌9日7時20分頃に出港し、8時50分頃にコンテナ船と行き交い、10時6分に伊東マリンタウンで帰港の自動手続きをした。まあ、直行である。そこから駐車しておいた木浜の車で熱海に向かい、10時44分に駅前の駐車場に入庫して車を放置し、駅から11時32分の新幹線で東京に向かった。

 他方、木浜完菜については、出港した後の動静についての情報が全く無い。関連は恩馳島でピアスを残した事、その後宿泊がキャンセルされたことのみで、大島でも全く姿が見えない。木浜の途中下船については、伊豆半島側、東京諸島の島々、相模灘周辺に全く情報が無い。マリンタウンのショップは9日日曜9時から開いていたが、そこと付近からのタクシーやバス、伊東駅や熱海までの沿線の駅などの調べでも2人の目撃情報は得られていない。行動間に教授とのいさかいなどがあり、この航海旅の中での自殺や失踪も有り得るが、同行の教授が、親族への連絡や警察への届けなどを何もしていない。いかに喧嘩していたとしても、あるいは交際を秘密にしたいと考えているとしても、同伴行動を隠し通せるものではなく、社会人としてあまりに不自然で考えにくい。

木浜は、出航前の会食状況や売店での飲食物の購入などから、教授と共に恩馳島へ上陸したとみられるものの、大島からは所在が不明である。教授が車の鍵を得て運行し、放置して引き取りにも来ておらず、その痕跡が人為的に除去されている不自然なものであり、熱海では駅構内とで東京行きの新幹線でも目撃されている。これらの事は、やはり同伴行動した教授による恩馳島での犯行を示すものである。合同の捜査会議は、捜査一課長が発言して締めた。

 「動きについては聞いたとおり、行方不明の木浜と同伴行動した沢坪教授の動線は概ね明らかになった。2人の女性が絡んでいる二股状態の動機も分かった。今回説明のあった動きを踏まえながら、引き続き極秘で慎重に、物証を求め状況証拠の固めの捜査をしていかないといけない。選挙の忙しい時期だが、本件は上の関心も強いので、引き続き頑張ってもらいたい」

 両警察の第一線の捜査員たちは、会議後に流れてきた「警視庁の捜査一課長が、特別な捜査を計画してるらしい」の噂に、さあ、靴底を減らしてもうひと頑張り、ネタを掴もうと出かけて行った。

 「おい、捜査一課長の特別な調べってなんだ」、静岡県警では、上の方で密かなやり取りが行われた。

 「どうも選りすぐりのフロッグマン、海中カメラマンも乗せて、恩馳島において凶器や着衣の断片から髪の毛に至るまで、ボートからの上陸や岩の傷の痕跡など、ともかく犯行に関係すると見做される全ての痕跡の調べのようですよ」

 「じゃあ、課長も相当腹をくくってるんだなあ」

 「ええ、だってモタモタしてますと夏の客がどんどんやってきますからね。そうなったら極秘捜査なんてとてもできないでしょう、今が勝負時ですね」

 「ふ~ん、そうだなあ」

 「それに、向こうは、最初は何となく静岡の事だとだとのんびり構えていたようですが、動きは東京諸島となって来たんで、島の方に関係することや大学の沢坪教授についても密かに探るように、ハッパがかかってるらしいですよ」

 「そうか、まあ、こっちも熱海駅の周りやマリンタウンや沿岸などでの2人の動きと木浜本人に関しても、目立たないように当たって行かないとなあ」

 「そうですねえ、まあ、警視庁に頑張ってもらいたいですね。何しろ選挙どきですからね。手も回りませんよ」

 「だなあ」、2つの捜査関係のあちこちで、密かに似たような警視庁の大勝負話が、期待を込めて交わされた。

 今は7月に入っている。やがて海の日3連休がやって来て、夏休みが近づいて来るという多くの人出が予想される時節になって来ている。教授が犯行を認めざるを得ない決定的な証拠を求めて、言わば勝負を賭けた警視庁による恩馳島の特別捜査が行われた訳である。それは、基本的には釣り人や学術調査を装った要員による活動であり、雨と波に洗われた島における困難な捜査であった。そして、新たに前回の捜査結果の分析に基づく、詳細な画像や微小品の収集チームも組織され、また、それらと共に極秘捜査なので、村の噂対策の専門要員も組織されて加わった。

 陸地における毛髪・衣服等の断片などの遺留品や沢坪ボートの岩などに残された傷跡や残留塗料や係留ロープ結索の痕跡など、ともかく人為的なあらゆる特異なモノを求めるものである。尤も、5月にMS大の研究チームが陸上も海中も動き廻っているので、その点は考慮せねばならない。恩馳島の北とお目当ての南の小岩礁島、そして神津島における関連捜査も行なわれた。

 ところが、島における3日間の集中捜査を終えて疲労の色濃く戻った捜査隊長が、特に目ぼしい獲物を発見できなかったと取り敢えずの報告をしたので、上層部には驚きの衝撃が走った。この大捜査能力を前にして、島に、ボートに、痕跡を何ら残すことなく人間一人を始末するなどという事は有り得ない。噂を耳にした歴戦のツワモノであるエリートの赤バッジ(警視庁捜査一課、選ばれし者の紋章)者たちも、流石に全くアタマを抱えたのである。

 噂を伝えられた静岡県警の者たちも、天下の警視庁捜査陣が大勝負した特別チームで、獲物が無かったらしいとはどういうことだと驚くと共に、乾杯準備で明るく語らいながら挙げたグラスを、再びテーブルに置かされたような気分になった。もう、どこを探せと言うのか、口には出さないが捜査員たちの呻きだった。鐘や太鼓を叩いて派手な捜査はできない両捜査当局は重く沈んだ。後は、やるとすれば、ビール瓶が割れてしまうなんていうもんじゃない、駿河湾南方の千メートル級の真暗闇の海底における極秘のドブさらいだが、これまでやった事どころか聞いたことすらない。

 〈神田川〉をさらうのとは全く訳が違う話なのである。小さな石鹸ではなく、聞いた皆の頭の中がカタカタ鳴った。ま、岩を抱かせて遺体を沈めれば実際は潰れ、魚に喰われるかもだが、いずれにしろ発見して証拠を得るという事は極めて困難である。〈シーズ・サービス〉の報告を読み、恩馳島でピアスを、飛行機から上陸を見つけた捜査員たちは、意気込んで走って来たが鉄壁にぶつかったのだ。捜査員を動員したところで、流れもある千メートルの深海の突破は出来ないし、時が経てば経つほど証拠も分からなくなっていくのである。もうすぐ夏休みだ。釣り客、ダイバー、そして外人さんを交えた観光客が伊豆に諸島に押し寄せる。あらゆることがSNSで世間に出て行く時代に極秘の大捜査はムリだ。時には掴んだ情報に「よくやった」の電話の声や笑い声さえ聞かれた両捜査本部の初動だったが、今やすっかり海底に沈んだようになって行った

 「教授の行動は、国立公園法に違反してるからしょっ引け」、と言う苦し紛れの冗談が、藁にもすがりたい現場の捜査関係者の心を捉えた。

被害者を抱えている静岡県警側では、もはや人の要素である沢坪教授から先ず任意で、説明を求め綻びを捉える段階に来ていると言う意見が強まった。一方、警視庁の現場の捜査陣も直接本人に当たれば必ずボロを出させるから、と同調した。何しろ当時の沢坪とボートに関し、犯行に係る動線は今や靴底を減らして集めたあふれる証拠で固められて来ているのだ。その動機については、エリート教授の三角関係のもつれであり、裏付けの取れている誰にも異論の無いはっきりしたものなのである。ところが上に行く段階で、警視庁の方で反対が出た。本件は、動機はまあ分かるし、動きも押さえられた。しかし、遺体はもとより、凶器や犯行の証拠が何も見つかっていないので、沢坪の供述は公判を考えれば、それほどの意味を持たないだろうというものだ。そんな状況で、背景には与党の有力政治家もチラつくこの事案が、マスコミの騒ぎになる事態は絶対に避けねばならない。何しろ、全国が熱い選挙戦の最中なのである。これには強い反論も出ずに、拳は降ろされ尻尾を巻くようにおさまっていった。

 虎ノ門裏通りの〈清兵衛〉は、捜査員の帰宅前の行きつけの居酒屋で、値段の割に肴が旨い、気の置けない店である。

 「なあ、考えてみれば、ボート経験のある教授がさあ、漁船の引き上げる頃に島に上がると言ってもだよ、誰にも見られないなんて思ってないよな。あの海域をコンテナ船に遭わずに渡れやしないしな。ということはだよ、ボートを他の者に見られたって、島に居ることさえ見られたって、実際の犯行とか遺体や凶器などの物証は見つかりっこないって、相当の自信を持ってやらかしてるよな~」

 「そうだよなあ、何しろこれだけ経っても何の情報も噂も、髪の毛一本、服のきれっぱしすら見つかってないもんな。そもそもオレたちが動き出すには数日はかかるから、島は既に雨風で洗われてるし、何といってもちょっと行けば千メートル級の駿河湾南だしなあ。〈シーズ〉が当たっても、教授が全くオタついて動き出す事も無い訳だよ。自信があるんだよ。教授だろ、アタマいいからな」

 「上ももう、どこを調べろって言わない筈だわ」

 「どうするんだろう。やった奴や手口が分かってたって、やりようがないようなあ」

 「そうだよなあ、ホントのお手上げだわ。大体が、しょっ引いて吐かせたところで、どうもならんだろう。深海底のどこへ行けって言うんだよ。手で首絞めて沈めてりゃ、凶器もないぞ」

 「んだ。んだよなあ。み~~んな流れて沈んで消えちゃってるもんなあ」、飲み食いだけが進んで、話はいつものようには盛り上がらない。

食べ終わって、祝杯祈願の新たな焼酎ボトルを入れ、おあいそして肩を落として引き上げた。「お宮入りかなあ」、だけはかろうじて口にしなかったのだが。

 調べが難航しているが、地道な捜査の中から小さな発見はいくつか出て来た。しかし、特に捜査関係者の大きな話題にはされていない。結局、恩馳島で犯行が行われたが全ては水に流れ、岩を抱かせられた遺体は、駿河湾南方の千メートル級の海底に沈んでいるのだろう。ともかく犯罪も定かと言えず、犯行の物証も無く、被疑者の自信を崩せないという事態は、実は捜査上層部が、密かに恐れていた懸念の様相を呈して来たのである。合同捜査本部は、岩だらけの暗礁に乗り上げた。

 神津島村を廻っている噂対策捜査員の耳に、漁船持ちの人々のひそひそ話が引っかかって来た。

 「今度来た人たちは、なんか逞しい人が多いな。この間の東京の大学の調査の人たちとはどっか違うな」

「それに、こそこそしてないか」

「ふ~ん、何だろね」 

 暫くしてから、東京から帰って来た学生が、7月末に考古学会の大きな集まりが東京であると言っている話が伝わった。聞けばテーマの中には、伊豆の沿岸とこっちの島との関係もあり、うちらにもしっかりおこぼれはあるだろうなと言っているという。

 皆の「夏休みになったらこっちに人が出てほしいね」という望みの話が、「出るのは間違いないだろう」という風に落ち着いて行った。またも噂は、波のように寄せて来て、静かに返して行ったかに見えたが、島のメディアの中に、この話を「ん?」と、気にかけた者がいた。

  鶴沼が珍しく水希に、昼一緒しようとメールをよこした。会社の傍の店には鶴沼が先に着いて、一服していた。

 「お待たせしました」、水希がやって来て注文し、久しぶりの会食である。

 「うん、どう、最近の調子は」

 「ええ、トヨッサンところの若い女子社員が、ストーカーに付け回されているようで調べています。見つけてとっちめればいいっていう簡単なモノじゃなさそうで、勝雄さんと組んでます。忙しくはないんですけど、まあ厄介なことですよ」

 「そうか、なかなかだなあ」、料理が運ばれて食べ出しながらの話となった。

 「おやっさん、請求の方はどうだったんですか」

 「そう、それで誘ったんだよ。叔父さんがこっちの請求の満額に色付けてくれてよ。部長がほくほくだよ。ま、一件落着したら、アンタにもボーナスを出すってよ」

 「わ~い、それはいいですね。よ~し、旅行にでも行こうかな。やっぱり、夏物を揃えようかな~」

 「ところがさあ、警視庁が調べてる恩馳島で、なんか小物を見みつけたらしいんだが、その後はボートもだが島からさっぱり何も見つからないらしくて、天下の警視庁捜査一課が頭抱えてるんだってよ」

 「ええっ、ホントですか。もう進んでるとばっかり思ってましたのに。じゃあ、ボーナスはダメなんですか」

 「いやいや、こっちは頂く物は頂いたんで、そこは問題ないんだよ。ただね、ケリさえつけば、うちの方としてはアンタの活躍なんかの話を持って、実はって大きな営業をかけられるんだけど、そこが滞っていて上の方はちょっと当てが外れてるんだってよ」

 「そうですか、へえ、天下の捜査一課さんが難儀してるんですか、へ~」

 「まあ、そういうとこだ」

 「ふ~ん。私が難儀したのもしょうがないんですねえ」

 「えっ、何が」。いつも一緒にお通夜帰りはしたが、『私が』って何なんだと鶴沼は思った。

 「いえね。実は丘山田に賭けてたんですよ。名刺をチェックしてネットで調べて、まず間違いないなって。2日目におやっさんと新宿で別れたでしょう。話は熱海に丘山田って名乗る男が来たってだけだし、やっぱり諦めきれなくて、表参道の店のそばに行って張ったんですよ。ともかくホントはどんな人なのかなって。かなり待ってたら店が閉まる8時前に丘山田が出て来て、タクシーを拾ったんです。で、私も拾って、後をつけて下さいって運ちゃんに頼んだんですよ」

 「ええっ、そんな事やってたんか」

「高速に乗ったらそれ以上は、追うのはムリだと決めてました。そしたら渋谷の道玄坂で降りて、サテンに入ったんです。これなら待ち合わせで、すぐ出てくるだろうと思って、道の反対でやって来るナンパを無視しながら待ったんです。小雨が降り出して軒に入って。で、30分くらいしたら、丘山田が折り畳み傘を、女の子に差し掛けて出てきました。まだ、20歳過ぎたくらいなんですよ。で、後を付けたら、ネオンはピンクなのに、名前は『私の白い部屋』っていうのに入って行きました。で、まあ、もうこりゃ木浜さんとは違うだろうと諦めをつけたんですよ。あの後は、もう、何を調べたらいいんだろうって、ホントに参りましたね」

「しかし、あの状況でよくそんな事したなあ、何でなのよ」

「だって、スガカマの丘山田って名乗った男だけでしょう。もしかしたら、午前早めの打ち合わせだけ丘山田がやって、後は身代わりを仕立てて動き回らせて引き上げる前に本人がまた登場した可能性もあるんじゃないかと勘ぐったんですよ。それくらい賭けてたんですよ。おやっさんには、ムダ足させられませんからね」

「そうなんかあ。あん時はオレも参ったなア。ちょっと、もうどこ調べりゃいいんだよって、心底思ったんでそこまで気が回らなかったよ」

「もう私たちの車が、『黒い部屋』でしたよね」 

 「だったなあ。ところで、そんな訳で警察のことは超極秘だから、おっかさんにも言っちゃだめだぞ」

 「分かってますよ。面白い話を有難うございました。ふ~ん、警察さんもそうなんだ」

 そんな事で、今日のエビチリは、いつもより酸っぱく感じられる。

警視庁捜査陣による恩馳島での特別捜査で、どうも何も見つからなかった、大勝負は空振りだったらしいという噂が拡がった。上の方からの指示やハッパも下りて来ないことで、誰にも明らかなものになった。そんな空気を感じ取った、警視庁給湯室の小雀たちがさえずっている。

「なんか、みんなすっかりお疲れね。ぐったり落ち込んでるみたい」、洗いながら〈みさき〉が呟くように言った。

「そうですね、すっかり動きが鈍っちゃってますよね~。でもこの頃、課長だけは何か以前と変わらなくないですか?『お早う、元気?』なんて声かけてくれるし、責任者なのに不思議なんですよ」、〈モエ〉が後ろから修正を図った。

「アナタ、ぶりっ子色目を使ってんじゃないの」

「やめて下さいよ~。しませんようそんなこと。でも課長さんは、何でみんなみたいにがっくりしてないんでしょうね」

「人間ってねえ、あんまりがっかりすると、返って開き直っちゃうものなのよ」

「そうなんですか」、いや、ちょっと違うんだけどなあとモエは思った。

孤島の暗礁に乗り上げて打つ手が無いように思われた事件だが、確かにモエが感じたように、捜査一課長の目の光はまだ失われていなかった。

第5章 波乱の対決

 参議院選挙は与党勝利で終えた。選挙報道を夜遅くまで見た人たちの通勤電車は、皆が眠そうな顔で吊り革に捕まっている。休みだが出勤した者も結構いるMS大の給湯室では、朝のニュースに小雀達のさえずりが聞かれたが、それは選挙のことではない。

「ねえ、なんか学部長が、学長に呼ばれてすっ飛んで行ったわよ。長く話し込んでたみたい」、洗い物をしているS子が言った。

「朝一からじゃ選挙のことなんでしょうね。でも、もしかしたら国際学会の発表の資料の事かなあ。もめてたし」、お湯をポットに入れているM絵が呟くように言った。

「じゃあ、沢坪教授がやっぱり納得できないで、選挙予想を見て週末にでも学長のところに直訴でもしたのかしら」、S子が合わせた。

「政治家とパイプが太い学長と教授はツーカーって噂よ。選挙の結果が出て、やっぱり自説を押し通すんじゃないの。相当お怒りだったらしいし」、M絵が内情を暴露する。

「ええっ、やめてよ~。もう、資料の一部は印刷に回ってるわよ~」、傍で順番待ちのN美が悲鳴を上げた。

「教授、学長がお呼びです」と、総務課長から沢坪に連絡が入った。あれっ、来いって、学長が直接電話して来ないのは何だろう、と思った。もしかしたら東静海峡のモメが耳に入っていて、先生の当選と与党勝利で、こっちの苦しい事情でも訊かれるのかなと期待を高めた。カップを置いて室から出て、急ぎ足で向かう廊下の窓から明るい陽ざしが差し込んでいる。室に入ると、学長は広い部屋の窓の傍に立って外を見ている。

「沢坪、参りました」後ろ手に入口のドアを閉め、寄って行く。

しかし、いつもと違って「まあ、座れ」とは言われない。

「うん。……、実は警視庁から木浜完菜さんの行方不明事案について、君から事情聴取したいと言ってきた。向うから連絡があるから、応じなさい」、学長は怒気を含んだ声で、振り向きもせずに窓の方を見たまま言い放った。ガラスに沢坪の様子は、映っている。

 「……は、はい、分かりました。失礼します―」、沢坪は一礼し下がって部屋を出た。遂に、来るべきものが来た。廊下は明るいままである。高円寺の駅前でヘンな女が飛び出して来てからは、特に変わったことは何も無かったが、気にはしていた。室に戻りコーヒーカップを持って窓の外を見ながら電話を待つ間、警察からいろいろ訊かれるだろう事への対応に思いを巡らせた。沢坪は、名輪に作らせた『東静海峡』の地図を見て、海辺に峠に動き廻った所でのことが想い出されたが、感傷に浸っている場合じゃないと思い直し電話を取った。まずは、高校の同窓の1年後輩で、体育館で汗をほとばしらせて共に県大会を目指したOKG法律事務所の萩岡弁護士に連絡した。久しぶりに一杯やりますかというのを制して事情を説明した。仙台の雪雄には、何も心配いらないから自分の暮らしをするようにとメールを入れ、萩岡にもその旨の連絡を頼み、聴取に関してアドヴァイスを受けた。基本的には自分でまずは対応すると伝えた。 読みたい本や書類をとりあえず紙袋に詰め終えて、電話で名輪を呼んだ。走って来たのだろう、息が荒い。

 「教授、学長から何かいい話がありましたか」

 「いや……。ま、しっかり頑張ってくれ、頼むよ」、絞り出すように言った。

 名輪は、教授の様子がちょっと変だと感じて、ただ黙って教授の次の言葉を待っているが、下を向いた教授も暫く何も語らない。

 電話が鳴った、沢坪が取ると警視庁からの連絡だった。名輪は、やりとりを聞きながら、驚きで息を詰め目を見開き、青ざめていった。

 「じゃあ行くよ。後の事は宜しく頼む」

学長室もこの室さえも、おそらくもう2度と見ることはないだろう。完菜と作った菜の花の咲いたこのマグカップは、持って行こうと、沢坪は残っていた醒めたコーヒーを飲み干した。

「じゃあ、頼むよ」

 教授が「行って来るよ」と普通に言わなかったことに驚いて、名輪は返事が出来ず、ただ教授を見つめて言葉も無く見送った。だが、不思議に教授の肩は落ちておらず、背筋はしっかり伸び、取り乱していないが、どういう事なんだろうと思った。

世間には選挙の余韻がまだ残る中、沢坪は生まれて初めての“会議”に出頭する。尤も、出た所のコンビニで泊る日用品を買い、当座の必要な経費も5万円ばかり下ろして臨む初めての経験である。きれいに斜面が刈り込まれた桜田門前の皇居のお堀に、さざ波がキラキラと光を返している。皮肉にも完菜のタクシー券で、今日は警視庁“会議”にやって来た。エレベーターで赤バッジ者に案内される紳士を、たまたまお使い帰りに下に居て珍しいなと思い見つめた〈モエ〉が、〈みさき〉の所に飛んで来てささやいた。

「今日、誰かエライさんでも来るんですか」

「知らないわよ。なんで」

「だって一係の佐藤さんが、見た事も無い紳士を案内してましたよ」

「ほっときなさいよ。そんな事にクビを突っ込まないこと」

確かにみんなは普通にしており、モエは机でいつもの事務に取り掛かった。一課長だけが落ち込んでなくて、皆と違うと感じている事とは結び付かなかったのである。教授に対する捜査一課長の任意の事情聴取が、遂に11時過ぎに窓の無い小会議室で始まった。上の方には聴取することに心配が無い訳ではなかったが、ともかく選挙が終わっていたことは大きい。その日の噂は、密かに驚きのさざ波と共に刑事たちの間を駆け巡った。伝わった静岡県警の方の聞いた者たちの最初の反応は、「ホントか」だった。そして、誰もが狐につままれたような顔をする。駿河湾南方の『神田川のドブさらい』が出来ちゃったのか?ムリだろう?

 沢坪は名刺を交換してから、課長とパソコンを前にした係長の2人に向かい合う形で、2メートルくらい距離のある席に着いた。奥に3メートルくらい離れて1メートル4方ほどのスクリーンが懸かっている。課長が穏やかな調子で訊いた。

「ご連絡しましたように、木浜完菜さんが6月8日以降、行方不明でしてね。お付き合いがあったようですけどご存じないでしょうか」

 「さあちょっと、分かりません」

 「でも、8日に彼女と一緒にボートで伊豆の海に出てますよね。で、どうして、途中、ホテルをキャンセルしたんですか」

 「ちょっと口喧嘩になっちゃいましてね。で、彼女が一緒には泊まれないって言いだして、キャンセルさせられたんです。波浮に着いたら怒ってバッグを持って先に降りて、私がボートを係留したりしている間に何処かへ行っちゃったんですよ」

 「そうですか。実は、大島で船、飛行機、タクシー、バス、ホテルなど調べましたが、木浜さんの痕跡が全くないんですよ」、課長は、浜の2階家の窓に目撃者がいて、木浜など見ていない事は言わなかった。

 「教授が言われる通りだとすると、伊東に泳いで帰ったんですかね」

 「知りませんよ、そんなこと」

 「ほう、じゃあ、彼女の車をどうして熱海で乗りっ放したんですか」

 「ええっ、車が熱海ですか。私は帰港届をしてからタクシーで伊東駅に行って、電車で熱海に出て新幹線に乗り換えて、それで帰って来たんで知りませんよ。彼女の車なんて」

 確かに、タクシーで駅に行っていない、電車に乗っていないということは、言えない。課長はまずは挑発するが、基本的には言わせるだけ言わせようと思っている。

 「彼女の車のフットレストに大島の新しい砂が出てるんですけどね。乗って撒いたんじゃないんですか」

 「そんなこと、私に訊かれても分かりませんよ」

 「ともかく、彼女はスマホも何も連絡は無いし、つかないんですよ。たとえ教授と喧嘩しても、友人家族と連絡も取れないってこと、有りますかね。教授にはどうですか」

 「有りません。何故かなんて私に訊かれても、分かりませんよ」

 「教授の方からはされましたか」

 「かけましたが、やっぱり連絡がつきませんでした」

 「お2人はどういう関係ですか。将来は一緒になられる思いがあるのでは」

 「2人は歴史や伝統の陶芸が取り持つ、自由な友人関係です。一緒になるという思いは有りませんでした」

 「そうですか。数百万円の高級ボートを買ってもらって乗り回せるのは、相当に深い関係だと考えるんですがね」

 「えっ、何のことですか、それ」

「一旦、休憩にしましょう」、と言って課長が立ち上がりながら言った。

「ああ、それとボートで出発する前に、『和食処うみべ』で素晴らしい海鮮料理を、木浜さんにご馳走してもらったようですが、此処の食事はカツ丼も出せなくなって、ホントにお粗末で申し訳ありませんね」、 沢坪はそんな皮肉冗談に反応の言葉は発さず、ただ不快な表情で横を向いた。

 13時半から再び聴取が始まった。

 課長は、当日の沢坪と木浜の行動について、スクリーンに映る地図と描かれた動線に付記した内容で説明していった。伊東駅からマリンタウンに向かう途中の食事処から、コンテナ船と行き交い海を越え、諸島西側を南下して恩馳島、上陸、北上し途中でホテルのキャンセル、波浮港係留A、朝の帰港、木浜車で熱海へ行き駐車場に放置、駅へ行って新幹線で移動、を逐一、位置と時刻と目撃情報や痕跡などを、捜査側の認識だとして説明していった。

「どうですか教授、これらについて何か意見は有りますか。車の痕跡を消したことが不自然なんですよ。やり過ぎましたね」、と挑発した。

 「最初に答えたとおりで、何のことですか」、と沢坪は言ってブスッとした。

 「教授、私たちも調べて来て訊いてますので、ホントのところをお願いします。も一度訊きますが、大島から戻られてからは、木浜さんの車の事なんか知らないと言われるんですか」

 「知りませんよ」、答えの声が弱い。

 「教授、急ぎで気付かなかったんでしょうが、実はあの駐車場には監視カメラが付いてましてね。画像は鮮明とは言えないんですが、分析であの日の10時44分の入庫時刻の後に、身長は教授と同じで髪型や体つきも全く同じ者が、木浜車から降りて出て行ってるんですよ」、余裕を見せる課長のはったりだ。

 「……」、沢坪は、視線を落として否定せず答えない。

「まあ、お疲れでしょうから今夜は此処で寝てもらって、よく思い出してください。では、今日はこれまでとします」、課長が告げて立ち上がり、係長が沢坪の方に移動する気配を背に感じながら、ゆっくり歩いて出て行った。沢坪は、係長によって逮捕手続きがなされ、来た担当官と共に3階に連れられて留置場に入れられた。一晩此処に入れられて休むと、忘れたとか分からないと言う記憶の回復が、インテリほど早い。

 「昨夜はよくお休みになられましたか」

 「ええ」、無論、あれこれ考えて寝付かれなかった。課長が木浜との関係について、「では」と言って、スクリーンの写真で説明した。

「まず木浜宅で発見された物品です。教授にぴったりの作務衣とガウン、寝室の大壺下の指紋はボートのアナタのものと同じです、玄関の新しい教授の文数の男物のスリッパ、ご存じないでしょうが木浜さんが教授に怒って投げつけて壊した出来の良い花瓶、「夢花火」講演の署名本です」、と次々に映していった。新宿ホテルのミニ講話会の部屋、銀行の木浜口座の高額引き出しと新品のボート、城ケ崎の食事処、そして、新たな交際となった橋高のマンション、夏島貝塚の一般公開の沢坪や完菜に橋高の写真、などが映され、1枚1枚にコメントを付しながら説明していった。

「木浜さんとの親密な交際と橋高さんの登場による軋轢などを示す物です」、関係が生まれ、親密化し、新しい有力な女性の登場で、木浜との関係が破綻していく状況として沢坪に迫った。これらに対しても沢坪は黙ったままで、無論、否定する言葉は何もない。むしろ、想い出に浸るような顔で、目を細めてスクリーンの写真を見つめている。 沢坪が説明を聞いているだけでは口が閉じたままなので、次には、大学チームによる恩馳島の黒耀石の補備調査について、課長が質問をした。

 何人で…、装備は…、何時にどこからどこへ移動…、着いた神津島では何を…、恩馳島ヘは何で移動…、波風は…、カモメは…、南小島の上陸点は…、水際の様子は…、水に入ったか、調査員達と教授の島での行動は…、黒耀石は何個…、……、一つ一つ教授の答えを得ながら進められた。黒耀石の位置、採取した行動について、課長が勉強するように教授たちの行動を訊き、恩馳島での活動の詳細を訊いていった。ところが流石に、沢坪の発言と様子には、調査活動と犯行との混線は見られなかった。

 不意に課長が訊いた。

 「ところで、島に上がられたのはこの調査だけじゃないですよね」

 「ええ、2年前にも調査してますから」

 「いえいえ、教授、最近ですよ。木浜さんと。漁船が見てましたよ」

 「近づいて、よく見せただけですよ。届け出をしてませんから」

 「そうですか。島で木浜さんが渋谷で買ったノーホールピアスが見つかってるんですがね~」、スクリーンに映し出された。

 「……、知りませんよ、そんなこと」

 「飛行機、飛んでませんでしたか」

 「……、知りませんね」

 「丁度離陸するところでしてね。神津島在住で左側の席の人が、教授が上陸してるのを見たんですよ。法廷で証言するって言ってます」

 「……」、沢坪は想い出した。確かに終わってほっとした頃、確かに飛び立った飛行機があった。そうかも知れないと、沢坪は思った。

 「実際と違う事を言い続けるのもお疲れでしょう。休憩とします」

 課長は、これで事件の概要、背景、動機などに関して説明したが、沢坪からは実質的な反論は一切なく、これまでの認識に問題はないと判断した。

 いよいよこれから物証について、迫って行くことになる。

午後の課長は前置きも無く、横でパソコンを操作する白髪交じりの小太りの係長に、手で次、次と指示しながら説明を始めた。見ると、出て来る写真や図表の一つ一つに、有名なAI企業であるE・テルエスのクレジットのロゴが、実証資料としてはっきり入っている。見た沢坪も気づいて「オッ」、と注目した。課長は、同じサッカー部員だった理系でAI専門家の真司に相談した。アドヴァイスを受けて密かにAIトップ企業に話を繋いでもらい、分析を頼み込んだ切り札の資料である。

 「教授、恩馳島で写真をともかく沢山撮ってきました。ポイントは、見られている画面のその写真の中、自然界には見られない『人為性』です。E・テルエスのAIが、南北小島の多くの写真から、上から肉眼で見たのでは分からない微細なモノの画像をそう認識しました」、と指摘した。むしろ教授には、AIで示す方が、打撃が大きいだろうと課長は考えている。

「衣服を切り裂くなどの作業のためだったのでしょうか、黒耀石のナイフ形石器を作った際に生ずる小さな屑破片が、纏まりを持って散らばっていました。『その不自然な分布の写真は、教授が直ぐ理解する筈の証拠です』、と考古学の専門家が保証しています。

 『考古学もモノからコトへと主張する沢坪教授ですから、やったことをひと目で納得されますよ』、と太鼓判を押された物証です」、課長がにわか耳学問を控えめながら披露した。

 何しろスクリーンには、沢坪の類似の教科書写真が、横に比較できるように付いているのである。

 「昨日訊いたところでは、MS大の島の調査の際は、黒耀石を叩いて石器を作るなどの作業は、あそこでは全くありませんでしたよね」

 沢坪は、反論することもなく黙っており、視線を落として観念したように見える。課長の素人説明だが、『モノからコト』への沢坪の決め言葉が、得意げに出されているのである。また、夜を過ごせば記憶が戻るに違いない。

 翌日、担当官から沢坪が落ち着いているという様子を聞き、10時から再び聴取が始まったが、課長が宣告する感じで伝えた。

 「専門家は、目立たないですがもう一つ発見しています。それは、概ね『北斗七星』のような形で並んでいる現場のこれら7つの石なんです」、スクリーンの該当の黒っぽい石に、赤い丸が一つ一つ次々に付けられていった。確かに北斗七星に見える。

 「AIは、これを人為性あるものと判定しました。それらは木浜さんが取り上げた石のうち、持ち帰りの選に漏れた不要な石を、二度手間にならないように元のその辺の海水などには戻さず、次から次にポイポイとかなり上に投げた、石の軌跡と判断しました」

 流石に沢坪の顔から血の気が引いたように見え、じっと見入っている。

 「それから、昨日のと先程スクリーンでお見せしたものを、実は、名輪准教授と院生2人に別々に見せました。3人ともナイフ形石器を作った際の屑破片の分布であると認めました。また、北斗七星の人為性にも異論はないと言われました」、沢坪がスクリーンから課長に視線を移した。

「法廷でその旨を証言することも、はっきり了承してもらっています」、沢坪の目が、驚きで大きく見開かれた。課長は言わなかったが、名輪は此処に来て沢坪の容疑を告げられた時に、「何か証拠はあるんですか。あの『東静海峡』の島で教授が……、とても信じられません」と言った。課長がご内聞にとして、「木浜さんの『渋谷買い上げピアス』が見つかってましてね」と言うと、絶句して頭を垂れたのだ。

そのまま課長は、否定もせず、何も言わない沢坪の様子を凝視した。

 「否認されますか」、課長が念押しで訊いた。

 「いえ、……」

 「ナイフ形石器は、どう使われたんですか。物を切ったんですよね」

 衣服を切り裂いた、堅いジーンズで、ロープと遺体を結び易くするためにも使った。全ての衣服が残らないないように剥ぎ取った、長い頭髪も刈り取った、錘の岩石を抱かせて縛り、最後は黒耀石ナイフでロープに結んだ遺体のジーンズ紐を切り離し、深海に沈むようにしたとかいう答えを期待した。

 「……」、やはり沢坪は、頭を下げたまま何も語らない。

「遺体は、何処で切り離しましたか。小型船舶一級免許のお力で海域の海図の座標を、お教えいただけませんか」

 ボートで遺体がスクリューに絡まないように、舳先からロープでボート横に曳航して、途中の駿河湾南方で海底に遺棄した。両手を合わせて葬送した座標は、北緯、東経のこれこれである、という答えを期待した。

 「……」、沢坪は、これにも依然として頭を下げたまま何も語らない。

 「やはり、弁護士がいないとダメなんですか」

 「……」、黙秘である。

 最も重要な物証に係る内容については、完全黙秘の考えのようだと課長も判断した。

 課長の目配せで係長が部屋から出て戻ると、担当官と沢坪の3人で留置場に向かった。

 課長は、沢坪の核心の自供については、部下たちの証言というショックのおさまりを待って、揺さぶりながら迫らざるを得ないだろうなと考え始めていた。急ぐまでもない。何しろ犯行の方は、弟子たちの証言によって裁判でも十分意味を持つ内容で、流石の沢坪も一言の反論も無く、既に実態上は白状しているのである。係長の方は、課長と沢坪の言わば一対一の勝負を横から見ているようなものであるが、これだけ決定的な物証を突き付けられた沢坪が、ガラスの城のインテリ考古学者にしては、屁理屈も言わず取り乱しもせず、静かに口を閉ざして姿勢も崩さない。思ったほどの動揺の反応を見せないことに、実は驚いている。長い経験で初めて出会った被疑者のタイプだと感じていた。

 昼食休憩後、沢坪は再び課長の前に座らされた。課長も、沢坪が決定的な物証を見せつけられ、檻の中で寝たせいもあって、反駁する気を見せないことにほっとしている。

 課長は簡単な質問から始めた。「では、あの日の舟出は、何処に行こうとされてましたか」やり取りが始まり、恩馳行きや2人の関係と橋高明穂について一つ一つに沢坪が答えていった。

 「木浜さんが恩馳島をどうしても見たいと言うので、乗せて出ました」、「恩馳行きは、彼女が望んだ黒耀石の採取のためでした」、「私たちは、古い歴史や陶芸が取り持つ関係で、結婚という話は頭に全くないです」、ボートでの完菜の半狂乱については、言わなかった。

「それは‥‥、橋高さんの方は、将来的には望んでいたようでした」「木浜さんが、障害にならないかと言われても……」、「逃れ難い状況ですが……」、「事件の原因かと問われれば、……、ええ、まあ……」

「逆玉の輿を狙うなんて考えていません」、「ただ、政界とも付き合いの広い橋高さんは、学長や大学にとって大事な方で、周囲が結婚を望んでおり、……とても断れません。お断りすればどういう事になるのか、……、ちょっと、……」

但し、沢坪は、木浜の焼餅だとか世間の言う三角関係とはちょっと違うのだが、理解できないだろうと思い控えた。

課長も、沢坪が木浜と深い付き合いにある状況で、それを知らない学長や政界に顔が効く橋高から結婚を望まれていて、とても断れない沢坪の置かれた難しい状況はよく理解した。そういう状況で、木浜が諦めきれずに騒ぎになれば大変なことである。

犯行の動機については、沢坪も素直に説明しているので、難しい問題はない。

これまでの聴取では、法廷で犯行と動機について言を翻したり、否定する事は無かろうと考えている。明日は検察側の取り調べだが、送り出して問題はないと思われた。

課長は、沢坪が検察に呼ばれている間に、これまで2日間の取り調べを整理し、午後も遅くなって係長が飛び込んできたとき、目がしょぼつく分量の多い調書の作成を進めていた。そんな作業の手を一時休めて、改めて係長と共に赤バッジをつけていない情報提供者と別室で話を聞くことにした。終えて出てきた課長の顔が緊張しており、作業を中止して慌ただしく動き始めた。一方、検事の取り調べから解放された沢坪は、インスタントではあるがワカメ豆腐の温かいみそ汁と仕出しの海苔弁当という6時の夕食を終えた。9時の消灯時間が来ても、蒸し暑く感じて眠くはならなかった。取り調べには否定や反駁することはしなかったが、核心部分の物証に関しては。黙秘を続け通すことが出来た。ここのところの取り調べを反芻し、それにしても教え子を登場させた捜査一課長のやり方は、胸が痛み余りにも辛かった。煎餅布団で、寝返りを繰り返しながら寝入った。

 翌日の週刊文秋が沢坪の事について、参院選ニュースに次ぐ話題として文秋砲を放ったが、むしろ選挙の解説以上に世間の注目を集めた。神津島の漁師たちのちょっと変わった噂に、「ん?」と思った者から話が飛び込んで来た。追わせてみると警察が極秘に動いているようだという話なので、執拗に調べ続けた者たちがいたのだった。無論、東京や静岡の警察の昼の捜査の対象に当たるだけでなく、時間外の夜の動きも追い、シーズ・サービスの直接の担当でない者たちや大学の方にも当たったのである。

 【MS大教授に、三角関係の清算の疑惑】、記事の大要は次のとおりである。

 《MS大S教授(48)は2年前に妻を亡くし、昨年からK子(41)と交際していたが、最近になって往年のテレビ女優である橋高明穂(51)と付き合いが進んでいた。6月上旬になって、教授はK子と一緒に、彼女に買ってもらったプレジャーボートで伊豆の海を航行した。しかしその後、K子の行方は不明で捜索願が出ている。2人は、黒耀石で有名な神津・恩馳島という無人の孤島に上陸した。少し離れた海域は、千メートル級の深海である。橋高との逆玉の再婚チャンスをモノにしようとするエリート教授が、邪魔になったK子をその上陸で『清算』したのではという、疑惑が浮上している。警察は、近く深海探査艇により駿河湾南方での遺体捜索をも検討している模様である》

 記事には、MS大のガラス貼りの学舎、橋高明穂と『億ション』、ボート、恩馳島と黒耀石などの写真が付されている。捜査関係者、大学、調査会社や芸能事務所、現場地元の漁業関係者等の言が出ているが、警察による『駿河湾での捜索を検討の模様』は、一部の推測に基づく飛ばしだった。

 警察から漏れて来る話は限られていたが、新聞、特にテレビ、週刊誌等は賑やかなことになった。コメンテイターたちが、殺人事件の背景や島での犯行の手口などを見てきたように得々として語っている。午前、午後と正に持ちきりだ。トボけた芸人に、黒耀石ってダイヤモンドみたいなものかと言わせ、拳ほど大きいのもあるっていくらぐらいするのか、「行きたい,行ってみたい」、と騒がせている。

沢坪については、学生の頃から上昇志向が強かったと紹介し、学長へのすり寄りとワンマンで部下に厳しいエリート臭さが強調された。一方で、悲劇被害者の木浜は伊豆の名家の結婚に破れた一人娘で、魅力あふれる和風お嬢様であり、伝統陶芸家というイメージになっている。例によって視聴者からもたらされた情報をも含め、チャンネルを変えればいろいろに語られている。中には捜査員たちが、そんな事ならそれを早く教えといてくれよと言いたいのもあるが、今となってはまあ仕方がない。

メディアの騒ぎから、アホらしいと言えば、沢坪の真似をして恩馳島へ『東静海峡』のコンテナ船通りを横断して、渡ろうとするバカ者達が出て来ている。危険だという事で自治体から自粛が求められ、無免許の取り締まりとボート横断禁止の通達が検討されていると報じられた。

 〈シーズ・サービス〉では、鶴沼が水希と哲男を小部屋に呼んで一報を入れた。

 「なんだか、恩馳で、のん何とかが見つかったらしいぞ」

 「はあ、何ですかそれ」、水希が突っ込む。

 「ほら、以前小物が見つかったって言ったろ。なんか、ほら、耳にする小さいイヤリングみたいな物の新種らしい」

 「ああ、ノンホールピアスですね」

 「なんだ、それ」、攻守が逆転した。

 「いや、耳に穴を開けなくていいピアスなんですよ。ちょっと高めなんですけどね」

 「へ~え、そうなんだ」、哲男も知らない。

 「哲ちゃん、アンタそんなことも知らんのじゃ、女の子をモノにできんぞ」

 「よく言うわ」と水希が呟いて、警察捜査の裏話についてのぺちゃくちゃになった。

そして社の営業は、世間に少し名が出るようにネタを小出しにし、お得意や大企業に対して、「実は」と言う話を持って売り込みを静かに手広く進め始めていることを鶴沼が2人に教えた。木浜叔父さんは、覚悟はしていたもののやはりショックは隠せなかった。会社は暫く休みにし、家にこもって叔母さんとテレビにくぎ付けになった。あらためてとんでもない中年オヤジに持て遊ばれたものと、怒りの叔母さんとテレビに毒づいた。

息子の雪雄は、突然、オヤジさんからちょっとしたことがあるが、心配せずに学業に励めというおかしなメールをもらって驚いた。ところがスマホのニュースで文秋砲を知り、びっくり仰天した。ちょっとした事なんてもんじゃない。ゼミの永町教授に直ぐに連絡を入れ、とりあえず早い夏休みに入って東京に帰り、目立たないようにオヤジさんの支えになろうと考えた。萩岡弁護士から電話があって、何か相談があれば遠慮なく連絡してほしいと言われ、上京するので、オヤジさんに必要なことがあれば言ってくださいと伝えた。帰る準備に取り掛かった。つけてるテレビには、びっくりした。テレビもネットでも、オヤジさんがボロカスの極悪人にされている。幸いにも永町教授が、君に罪はないと言ってくれた。東京の経済研究所などの内定の取り付けに、これから動いていくから心配するなと励ましてくれた。

 橋高が文秋砲の記事について最初に聞いたのは、事務所の野杉社長からの電話だった。

 「明穂、文秋砲だ。大変なことになったぞ。沢坪教授が伊豆の愛人殺しで取り調べされていて、アンタのマンションが出てる。事務所としては知らぬ存ぜぬ、大人の女のプライバシーは、あっちで聞いてくれで行くからな」

 「……、はい」、やっと絞り出した言葉だった。愛人殺し?何かの間違いだろう。そんなバカな、アリエナイ。あのおとなしい沢坪が、私に隠れてだなんて……。K子?ホントはどんな女だ、と怒りが湧いてきた。浮気された古女房の反応と変わらない。コケにされた、可哀そうな、いや案外歳くった橋高が迫っていた、といった内容がメディアに出て来ている。もう何処にも動けない、暫く籠城だ。先ずは今のうちに食料の注文をと、電話のメモリーを見ながら、かけまくった。

 大学では、週刊誌に載ったガラスの城が割れるかという、蜂の巣を突ついた騒ぎになった。沢坪の私行とは言え、教育者の考えられない凶悪事件であり、子供たちを預けているので親だけでなく世間が騒いでいる。しかも一部では学長が、政界に顔が効く女優に対し逆玉狙いを進めたと、悪い噂が出て来ているのだ。それもあって、遺憾の意を表明する会見コメントを出す羽目になった。何しろ連日テレビで学舎が登場し、学生を含めて大学自体がカメラにたかられ、学生の中にはインタビューに応じて、目に黒枠が入った顔で「恥だ」とか、怒りのコメントを出しているのだ。ガラスのお城の学長などの事や内部の派閥争いの裏話まで、付け加えて味付けされた。

「だから言っただろう、アレはダメだって―」、が、部内外のあちこちで聞かれた。

「国際学会向けの印刷した資料はどうするね」学部長が、名輪に訊いた。

「もう、日がありません。皆さんも分かってますし、名前を貼り替えることで行かせてください」

「そうか、発表は君がやってくれな」、力無く指示した。

ダブル・アイの枝山は、通勤電車の中吊りで文秋砲を見てよっしゃと思った。これで村藤の払いは五割増しでいい。払いを渋るようなら、「教授、宜しいんですか、話が外に漏れて行って」と言ってやれば素直になるだろう。

村藤教授には、何本か電話が入った。永田町の先生からは、「当分、アンタの所とは付き合えないんだ。分かってくれるね」という事だ。これで業者や在京の国際関係の者など、いろいろなパイプが途絶えることだろう。先生あっての自分なのである。そして、ダブル・アイの枝山からも、抜け目ない声で電話が入った。「お取込みのところ、誠に申し訳ありませんが、調査料の方、請求書をお送りしましたので宜しくお願いします」、ということで、額を訊いたら思っていたよりゼロが一つ多い。フザケルナ、と言いたいが騒ぎには出来ず、今回は請求が来るだろうが、2度も老酒を呑ませたんだから、その分を差し引けとも言えない。調査の手間には変わりがないと諦めた。もう、電話には出たくない。まさか沢坪のボートが、座礁じゃなくてその辺を巻き込む大爆発を起こすなんて、想定外の事態である。窓のシルキーを下ろしていないのに、室がすっかり暗い。

ライバル村藤が喜びを表さずに室に籠っているので、何故なのだろうと給湯室小雀たちの話題になっている。ネクタイは、昨日のとはちゃんと違うのだが。

麻衣と美香は、驚きで言葉も無い。美香は溝山に言われて調べて伝えたご褒美で、箱根に遊んだこともさることながら、憂さ晴らしのショックを与える悪戯がとんでもないことになって、びっくりのショックで言葉も無い。

「あの話、完菜にしちゃったの?」、仕切りの麻衣に訊いた。

「ええ、だって、知らないで夢中になってたら可哀想じゃない。まさか、こんなことになるなんて。完菜が話をさっと切り替えて陶芸の展示の話にしたんで、やっぱりと思ったわ。でもこれで完菜も上手くやるだろうと思ったのに。今となれば、完菜は必死に耐えて、私とうわの空で話してたんだわよ、それがこんな事になるなんて……」、泣き出してしまった。美香も殺人に繋がってしまった仕出かした事の大きさを改めて思い知らされ、つられて泣き出した。渋谷のホテルの喫茶店の他の客の視線が二人に集まった。

 マンションの住人たちも困っている。「全く知らない人」といくら言っても通勤時にマイクを向けられ、マンションが画面に出たりしている。

 そんな世の中の騒ぎの中、高円寺北口スナックの小粋な真理ママは、この前珍しくサーさんがあんなに酔ったが、まさかの事情が分かってびっくりした。信じられない。それでも逆玉狙いなんて有るもんかと憤慨しつつ、棚から沢坪のボトルをそっと降ろした。無論、誰が来ようと何か言う気は無い。

 捜査一課長は記事が出たことで、警察内の上への対応に追われた。そして求められて、隣の検察庁へも出かけたので、沢坪の取り調べの再開が告げられない。係長が昼食に出て来た沢坪に、週刊誌やテレビが報じて騒いでいることを何気に匂わせた。

 「教授はいつも読まれてる週刊誌はありますか」

 「……、いや、何でですか」

 「大砲が暴発したらしいですよ」、係長がちょっと心配そうに言ったら、沢坪が「ん?」という顔をしてから、ニャッとしたので驚いて引き上げて行った。3時半に再開された課長の取り調べに対し、沢坪はこれまでとは打って変わったように、言い繕うこともなく素直と感じられるくらいに答え始めて、課長をむしろ驚かせている。

 その頃、四谷三丁目交差点の消防署横の小さく遠慮している交番に、マスクをした中年女性が入って来た。眼鏡をかけた小太りの若い警官に、話しかけている。

 「すみません。署長さんにお話が有るのですが」

 「しょ、署長ですか。どういったご用件で?」

 「大事なことで、どうしてもお会いしてからでないと」

 やり取りがあったが結局、若い警官が署に連絡して話をすると、間もなく中年の署員がパトカーでやって来た。少し話をして女性を乗せて走り出した。建て替え移転で引っ越ししている、新宿一丁目の方の坂を上がった四谷署に連れて行った。そこで彼女の話を聞いていた周りの皆はびっくり仰天、一人は大事な書類にコーヒーを吹き出してしまった。電話を受けた本庁も上に伝えているようで、やり取りがゴタついている。結局、桜田門の本庁に連れて行くことになった。木浜完菜はロールスロイスに乗ったことはあるが、今日は初めてのパトカーで、駅前の工事を終えた四谷大学やお堀端の国立劇場を横目に見ながら、桜田門に向かう事になった。今月の終わりに、新装の四谷大学で予定されている沢坪の国際学会は、どういう事になるのだろうかと、ふっと思った。

それにしても乗る車によって、景色がこんなにも違って見えることの不思議を感じながら、見納めのように窓の外を見つめていた。尤も、大阪から、神戸、京都、奈良、そして横浜なども、この世の見納めのようなつもりでこれまで動いて来たのだった。

 捜査一課は、実は係官が深海艇による遺体捜索の打診に密かに着手していた。

 尤も、深海捜索を請け負う浜山製作所の部長から、海底の物は海流で動くことから、遺棄した座標がたとえ分かっても、容易なことではないと言い聞かされているところだった。木浜完菜が着いたと言う連絡を聞いた捜査一課長の最初の指示は、「女に足があるかよく見ろ!」、だったと後日になって笑いを交えて噂されることになる。木浜が開口一番、この狂言事件は自分の発案だと言ったので、聴取がひと段落してから留置場に入れられた。「自分が企画した」という事以外も素直に正直に答える気なので、記憶を取り戻す必要も、もはや逃げ廻る気もなかったのだが泊められた。ただ、此処に泊って一晩寝ると、普通の者は、自分がホントに悪いことをしたという気にさせてくれる。

 メディアの方もびっくりの大騒ぎになった。週刊誌によればとはっきり付けていないので誤報なのだが、警察によればは、まあ付けているので頬被りである。

さて、木浜が現れ、警察から流れて来た「身勝手な狂言殺人」が新たな見出しになって、メディアは様変わりした。一部のコメンテイターは姿を消したが、大方は口を拭って2人の狂言の背景と新たに間抜けな警察という塩味を効かせながら、2人の心理分析を得々と語り始めている。午後のテレビは、中年の男と女の色恋と三角関係の賑やかな話になっていったし、ある意味で、天下の捜査一課と文秋砲をキリキリ舞いさせたことが、ネットの一部では喝采を浴びている。その一方、はっきり「身勝手者たちの被害者」になった橋高明穂への同情の町の声もテレビで出て来て、昔のメロドラマやかつての午後のミステリー番組などがちゃっかり再放送されるようになってきた。

悲劇の木浜は、伊東の名家ながらバツ一の我がまま娘に替えられ、かなりのテレビやネットでは、今回の事件は沢坪を焚き付け操った悪女に様変わりした。東京に出る陶芸や地元クラブでのゴルフにボート遊びなどを、贅沢者の好き勝手と誹謗する話が、いろいろに紹介されている。他方では殺人騒ぎが生きてるおかしな狂言になったので、2人の事件に関りのある伊豆や東京諸島の「散歩番組」が、見物に食べ歩きを含めて花盛りとなってきている。

 木浜叔父さんは、伊東署に呼ばれて状況を聞かされた。帰って知らせた叔母さんも、最悪を覚悟していたのでホントにほっとした。しかし、叔父さんが、渋い顔でうめくように言った。

「おい、生きててよかったけどな……。男と共謀して仕組んで狂言をやらかしたんだ。警察に大迷惑をかけて世間を騒がせたとなると、こりゃ、お上に罰せられるぞ」

 叔母さんは、「まあっ!」と言ったきり黙り込んだ。あの子、結構思い切った事をやるからなあと、一時期少し不良化した完菜の中学時代の家出騒ぎを想い出した。母親が派手で完菜に金だけ与え、放ってあちこち動き回っていた時代のあれこれを想い出したが、ともかく面会に行き、差し入れをしてやらねばならないと思っている。

 雪雄は、急ぎこっそり高円寺に戻っていて、萩岡弁護士と連絡を取っていた。出入りには通勤や食事時を避け、窓から外の様子を窺った。短時間でコンビニでの買い物を、メンズバッグに忍ばせ済ませた。ともかく、メディアとの遭遇は警戒している。そして、朝一のテレビが木浜の登場を報じ、事件の性格の変化に対応しつつ騒いでいることにびっくり仰天した。それだけに、まずは殺人犯でなくてホントに良かったと、ゴールネットに逆転のミドルシュートを蹴り込んだような、逆転サヨナラホームランを打ったような気分になった。しかし落ち着いて考えれば事件には変わりなく、オヤジさんはやはり全てを失いそうだ。この狂言の裁きの量刑は、どうなるんだろう。ま、後で法学部の者に訊こうと自分を落ち着かせた。オヤジさんは大丈夫だと萩岡弁護士は言っているし、ともかく殺人ではない。暗く見えるスマホの画面で、あれこれチェックしながら、これで人生の航路が変わることは確かで、覚悟しなくちゃと思い定めた。

 橋高は、注文の食品が届き出してひと段落したところで、何とテレビが、K子さんは生きていた、狂言!と報じている。またまた、びっくりですっかり頭が混乱し出した。

しかし、ハイエナたちは何も変わりが無いだろう。食料は要るのだ。そして、テレビは、若い頃の張りのある肌の自分を映している。先生に囲われたような小料理屋の女将になる前、まだ明日に夢を見ていた時代、目が生き生きしている自分に会って、画面がにじんでボヤけた。愛し合った2人が共謀しての狂言だなんて、今は恥かかされのコケにされる役だ。社長からも何もないし、世間からの同情も余り期待できないだろうととやけ食いし始めた。

 大学の方は、依然として連日のテレビで学舎が登場し、殺人事件の扱いが狂言に変わったところで不祥事には変わりがなく、学生を含めて大学自体が今もカメラにたかられ続けている。それでも凶悪な殺人事件で無かったのは、ホントに良かったと皆が胸をなでおろした。

給湯室の小雀たちもピーチクだ。何しろ中年男女の色恋狂言に変わったので、さえずりは止まらない。ネクタイ娘がドヤ顔で、「ほ~ら」と、話をリードしている。学部長が、学会の準備についてとりあえずの確認と指示を行い、自室に戻る前に総務課長の所に寄った。学長は永田町の方に行ってますと、そっけなく言われて引き上げた。国際学会に向けた準備の修正はもとより、沢坪ゼミが伊豆半島・東京諸島や相模湾地域で今後に計画していた野外研究は、当面中止されて理論研究のみとなった。野外分は、関東・甲信越に振り替えることで、名輪が調整に走り出している。

麻衣と美香は、またまたびっくりだ。だが、ともかく良かった、良かったである。それにしてもあの完菜のどこに、そんな凄さが潜んでいたのかということである。エリート旦那にいじめられて泣いていたあの完菜が、男や警察を手玉に取ったようなものである。今度は2人の笑い声で、他のお客の視線を集めてしまっていた。

高円寺北口スナックの真理ママは、驚きつつもやっぱりそんな人じゃなかったとほっとした。新しいボトルに〈Sir〉と横書きで入れ、目立たない所に置いた。時々自分が呑みながら気長にあるかも知れない来店を待つのである。誰かに訊かれたら、「さあ?」と答えればいい。

 〈シーズ・サービス〉は、木浜が登場という事案の展開には全く驚かされた。が、木浜叔父さんが請求書に文句もなく、礼さえ口にして既に謝金まで付けて支払ってくれている。営業の方も期待どおりの拡大を見せており、これらは、事件のキーパーソンを抱えている効果と言ってよいのだろう。一連の報道後、そのキーパーソンたちが、会社傍の混んでいる居酒屋で「お疲れ残念会」をして、かなり呑みながら語らった。

 鶴沼が、「まあ結果は的外れの無駄骨だったが、会社の成果が十分挙がっているのは救いで良かったな」と少し力無く言った。水希が、「おやっさん、しかし何なんですかねえ、この事件。教授は騒ぎで全部失いますよ。社畜の男って、学長さんや橋高さんに、ムリですって言えないんですか」

 「あのなあ、そんなこと言ってみろ。冷たくなった組織がどんなもんか、日常の手の平を返されることがどんなものか。失うより酷い茨の道を歩いて生き続けることになるのさ。温かくこっちの仕事を世話してもらったアンタには、とても想像もつかんことなのよ」、県警を辞めざるを得なくなった鶴沼の言葉には、実感がこもっている。

 「水ちゃん、それより普通は女の方がこれはもうしょうが無いって、諦めるんじゃないのか」、辛いアンタだって諦めたじゃないか、を言外に込めた。

 「ムリでしょう―」、結婚を誓い合った男の女問題で、事務所に分かってしまったほどの修羅場を演じて帰って来た水希の言葉かと、男2人を驚かせた。

 「女が相手の男の人への愛情を失ってない、それよりむしろ世間に抵抗する場合は、おそらくムリでしょうね。私の場合は、アイツに心底嫌気してましたから―」

 「……、それなら、逆に、愛する男のために静かに身を引こうってならないんかね」

 「そこなんですよ。離れられないっていうそこから先の男と女の事は、お子ちゃまの私には未だよく分からないんですよ。奥さんやお母さんを亡くした中年の男と女の揺れってことなんですかねえ、不惑なんですけど。それともライバルの相手に、負けたくないっていう気が起きるんですかねえ。ま、ちょっと分かりませんね」

 こういう話になって来ると、いずれにしても鶴沼も哲男も、ガサツな男たちには連いていけない。首をかしげるだけである。

 哲男が、「それにしても参りましたね」、とグラスを片手に話を変えた。

「ボートは、木浜のPCを開いてちょっと気になったんですけどねえ。考古学者が土を掘るんじゃなくて海辺だというのが、何ともでしたねえ。スマホがあればなんですけど、無いものねだりでしたしねえ。それにしてもいい大人の男と女の仕掛けした狂言だなんて、我が辞書にはないですよ」、ビールをグッと呑んだ。確かに、ジム通いのコンピューターとFX取引き男に、色恋狂言は分かるもんじゃない。

 「話は違うんだが、いやあ、オレもよう、大島行って水ちゃんとのやり取りの後で、なんで沢坪が鮨屋に来て足跡を残したのかちょっと気になってたんだ。持って帰った砂がばっちりだったんで浮かれちゃったんだよなあ」

そして、聞いていた水希が、グラスを置いて続けた。

「そうでしたよね。ちょっとどうなんだろうとおもったんですけど、おやっさんが、犯罪者は腹が減ったりするんだって言った話が、妙に腑に落ちちゃったんですよね~。しかし、全く姿を見せないと2人で潜ってるってバレちゃうと心配にでもなったんですかねえ。それにしても、車もですが、ノンホールピアスを置いといただなんて。もう、ずっと前から計画してたのか、ホントにボートに乗ってからあっちで仕組んだのか、よく訊いてみたいもんですよ。いやあ、実はずっと前にも熱海で車が見つかって、その後東京から空振りで帰って来た後の休みに、熱海の駅員が似てる気もするがはっきりしないと言ってましたんで、フッと思ってダメもとで小田原に行ったんですよ。動きをひよっとして押さえられないかなと。ま、お母さんにカマボコは買えますしね。ホシはこっちには熱海と思わせて、お金を掴ませて一般人の車でなんとか小田原に行き着けば、一般電車で紛れますから、事はホシが考えた木浜さんの失踪のようになりますよね。静岡県警は管外だし、選挙の神奈川県警はどれだけ本気で追うことになるかなと。ま、警察さんが力を使って熱海駅で見つけてしまえば、それだけの事ですけどね。一応2人の写真を持って小田原でいろいろ訊いて廻ったんですけど、結局、当然ですがダメでした」

 「ええっ、アンタそんなことを追ってたんか」、鶴沼が焼酎グラスを置いた。

 「こんな追っかけは、ダメ元の雲を掴むような話ですから言えませんよ。皆さんをかき回すだけですから。実は木浜さんが出てきた後、すぐに西へ行く来宮駅を追ったんですが、これもダメでした。改札でトラブら無ければ分かんないですよねえ。ま、表参道もどこもみ~んなダメでしたねえ」

 「う~ん、しかし、よくそんなムダを休みに追っかけてたなあ。なんでだ」

 「いや~、まあ、事件のストーカーですよ。『私の事件』は、私には、こんなのに出会うのはもう一生に2度とないだろうなあって思ったんですよ。こんな山はもう今後登ることはないなって。だって、現に警視庁の捜査一課だってシッポを掴めなかったじゃないですか。ま、殺人犯でもない普通の女の動きなんて、分かんないですよねえ―。ボートに潜ってたなんて、やってくれましたよ―。考えてみればクルージングの滞在型でしたよねえ。帰った伊東マリンでも、教授が様子を見ながら目立たない所で木浜さんを降ろして、ボートだけ堂々といつもの位置に係留すればいい訳ですよね。お店に入らなければ、誰も人の事なんか気にしてませんしね。ホントに、やられましたよ」

 おやっさんと哲には、やるもんだの水希に言葉がない。そうなのだ。自分ら田舎の二軍には、こんなでかい山なんて2度とあり得ない。鶴沼は、一生の想い出に残るヤマを追っていた水希に、涙腺が緩んできたのを何とか抑え、おしぼりで鼻を拭いて焼酎をあおった。水希が、抑えられないように続けた。

 「私、ほら、高円寺で木浜さん格好で教授に当たったじゃないですか。おやっさんからピースのサイン出せ、反応を見せろ今だって、イヤホンに指示がありましたよね。で、よく思い返すと、そもそもあん時の教授って最初から少しヘンだったなと。

 だって、突然あそこで木浜さん格好の私が現れたんですよね。そりゃ、びっくりしますよ。でも、殺して、警察も怖くて暮らしてたんなら、私を見て引くと言うか、びっくりで後ずさりしますよね。でもあの時って、『びっくり』も私が思うのとちょっと違うし、何よりもびっくりした後、優しい目で体が前に動きかけて思い留まったようなそんな感じだったなあと思えるんですよ。つまり、もめてる女を殺して始末した男が、突然、前に現れた女を見たときの私が思う男の反応と、ちょっと違うなあと。あの時は、膝がガクガクした役目を無事に終えて何も考えられなかったですけど。みんな、後知恵ですけどね」

 「そうかあ、そうなんかあ。オレは、門戸君が渡してくれたアップ写真の中で、パッと見てよく撮れてる、アンタが現れたときと、ピースを見せたときの教授が一番びっくりしてるヤツを、部長に2枚見せて置いて来たんだよ。部長も大喜びだったしな。だけどよく考えてみれば、優しい抱き着きたいような顔をしたモノや自分を抑えて思い留まってるシカとした顔のが、あったかもしれないんだよなあ。インパクトの無い微妙な顔したやつがさあ。そうかあ、いやあ参ったな。ま、後で探してみるわ。いずれにしても、水ちゃん、ご苦労さんだったね。アンタはすごい、ま、ほら、グッと空けて。おい、ほら、哲ちゃんも行けよ」

 「……」、グラスを出しながら、哲は水希を見つめている。

 伊豆と諸島の地元では、お蔭で殺人事件の恐さが消えたので、予約がぐっと増えた思わぬ町興しになっている。殺人から狂言に至る大騒ぎで、列島に最初に現れた『日本祖人』の恩馳島への舟での行き来や河津の見高段間遺跡などが解説されたので、知識として世間に一挙に広まった。関連の地味な歴史や考古学の本、高額のプレジャーボートまでもが売れ出している。新たに歴史や観光関連のテレビの番組が作られ、恩馳島巡回漁船での見学ツアー(上陸なし)が新たに組まれた。ホテル・旅館、関係のレストランや食事処は、ペアの客も増えて嬉しいことになっているのはご愛嬌だ。 そしてこれらの事を萩岡から伝え聞いた沢坪と木浜は、実はこれでもう何も思い残すことは無いとまで喜んでいる。訳が分からない留置場の担当さんたちが、明るくなった顔の2人を怪訝な目で見ている。

 尋問で沢坪は、狂言は行き詰った自分の企画だと言い、課長が説明した黒耀石による犯罪の痕跡を作為し、不自然な車を始末したことなどを認めて詳細に供述した。 実は実際には木浜の方が、いろいろよく知恵が回って驚かされたのだが、それは言わなかった。課長は、最初は手こずらされたのに、教授のこの変化は何だろうと不思議に思った。

 「どうして最初から手間かけずに、答えてもらえなかったんですか」

 「……、申し訳ありません。ちょっと動揺してまして―」

 ウソだった。ともかく逮捕され、殺人がメディアで報じられて木浜が登場できるように、はっきり怪しい殺人犯を演じなければと決めていたのである。最初から素直に答えて、警察が狂言に気づいてしまったならば、二人の重要な目的は達せられない。事は中年男女の単なる三角関係のもつれ話で、世間的には下品なままで終わってしまうことを、最も恐れていたのである。

 「いつ、やろうと決めたんですか」、と課長が訊いた。

 「ず~と、その頃は悩んでいました。6月8日の恩馳に向かうボートでの言い争いの中でも、波の上の木の葉のように気持ちは揺れていました。結局あんなことでしか、逃れる道はないと思うようになっていったんです。そして『ルビコン海峡』を渡る決断をしました」、課長も、シーザーのルビコン川の事かと理解はした。

 「相談し持ち掛けたのは、どちらから」

 「私からです。木浜さんを実際に消すことも、2人で消えることもできないねと言ったんです。狂言でアピールを狙おうと。『そうですね』という答えが返ってきました」

 「ピアスは、作為でしたか、知らぬうちに落ちていたんでしたか」

 「はっきり彼女の痕跡を残して事件と思ってもらう事が重要でした。金属ですから大丈夫でしょうけど、流されないような自然な場所を選んで置きました」

 「石器の方はどうですか」

 「ワザとらしくなく、一寸分らないように、……、石器作りの作業を実際にしました」

 「北斗七星はどうですか」

 「あれは私もここで聞いてびっくりしました。木浜さんも作為じゃないでしょう。天の神様のなせる業ですね」

 課長の矢継ぎ早の質問に、沢坪は今は見違えて素直に答えていった。

 「車については、どうですか」

 「車は、伊東マリンに置いとけば海と島に直ぐ警察の目が向いて、簡単に事件が終わってしまうと思ったんです。2人が、特に木浜さんがタクシーかなんかで動けば覚えられますし。私が仕出かした事件性を感じてもらえるようにと動かして不自然な細工をしました。木浜さんがフラッと旅にでも出てるんだろうと全く誰も関心を示さなければ、橋高さんとの話がどんどん進み、国際学会が近づくので一番の問題でした。熱海駅でも新幹線でも、私が見つかるのはまあいいですが、グリーン車で簡単にはっきりは、犯人としてまずいかなと自由席にしました。彼女は、メイクも髪型も地味なものにボートの中で変えて、私が辺りを見て、離れた気付きにくい所に上げて車に直行させました」

 「大島では、やはりボートに潜ませたんですか」

 「ええ。クルージングのタイプですから。ただ、ボートの備品は使わないように言いました。ホテルは、一人で泊るのはいかにも犯人らしいのでキャンセルしました。夕食の準備してしまうと申し訳ないんで直ぐ連絡したんですが、後でまずかったなと反省しました」

 「どうして鮨屋に出掛けたんですか」

「ボートに潜ってるか迷ったんですが、大島でこそこそと犯人1人を印象づけないと、2人で潜って居る可能性がバレるかもしれないと心配になったんです。凶悪殺人が現れませんとね」

「2人が別れて、という事にはならないんですか」、課長は、沢坪が橋高話を断れない事情は理解している。

 「……、実は行き詰った2人で遠くへ消えようかという話から、それじゃ余りに情けない負け犬だと思うようになり、恩馳島の黒耀石の話をどう残すかとなりました」

 「何故、あんな殺人狂言をする気になったんですか」

 「そもそも状況に流れた自分の蒔いた種ですが、仕事も二股の私生活も行き詰って意に添わなくなって来ていて、レールの上を行くのはもうムリでした……。2人とももうダメだと思いました。終わりとなって考えたのは、何とか『日本祖人』の恩馳島の偉業話だけは、世に出したいということで、彼女も強くそれを望みました。ともかく一度は島に上がって想い出になる黒耀石を手にと。そして、世間に凶悪犯罪話に載せた恩馳島をと思い至ったんです」

 「我々が、木浜さんを探さなかったらどうなったんですかね」

 「誰も木浜さんの行方を調べなかったら、は問題でした。でも逆に簡単にバレてしまえば愚かな狂言で終わり、恩馳島を世間にアピールできず、むしろマイナスになります。

幸いにもゴルフの約束があるのに連絡も取れずに居なくなる訳ですし、取りに来ない不自然な車の放置ですから、調べは有るだろうと。そうなれば、いずれ恩馳のピアスに、大島の鮨屋に、そして石器の屑破片などに、警察は辿り着くだろうと思っていました。

自然に辿り着かない場合は、伊東署などに恩馳島殺人のたれ込みですね。それよりも日本の警察力から、余りに不自然で簡単に事がバレてしまい、先史話が世間に伝わらないうちに中年の色恋の狂言騒ぎで、早々に終わる方をむしろ心配していました」

「ところで、木浜さんは何処にいたんですか」

 「木浜さんには言いました。熱海や東京の方をウロつくのはまずいよって。で、反対の三島の方へ向かう熱海の1駅向こうの来宮駅の傍で降ろすから、三島まで行って、新幹線で西に行った方がいいと教えました」

 課長は、公判を考えて沢坪の心情に迫った。

「今は、どう感じていますか」

 「2人が警察さんや大学や親族、世間に多大なご迷惑をお掛けしたことは、何の申し開きも出来ません。如何なる責めも受け止めて罪を償うつもりです。私は励ましてくれる木浜さんとわさびのしっかり効いた史論を、納得できるまで研究して行くつもりです」、課長にはよく分からない『わさび』の話が出た。

 課長に訊かれた木浜の方も沢坪と矛盾するのは、「私が発案して頼み込みました」のほか幾つかある。しかし、要は2人とも自分が狂言の罪を主導したと言って、相手を守ろうとしてつくウソ、というくらいのことである。その解明は容易ではないが。

 課長が、「上手く沢坪教授を捕えましたね」と、軽く挑発した。

 「……、気持ちは求めていますが、自由な関係のあくまで継続です」

 「では、教授が結婚しても、お付き合いすればよかったのでは」

 「いやムリです。相手方を欺くことは出来ずに修羅場になって、みんなも恩馳話も壊れますね」

 流石に課長も、澄んだ目で素直に供述する木浜に、アンタが身を引けば、忘れれば良かったのでは、とは訊けなかった。

 「スマホはどうしてましたか」

 「恩馳島で乗り込んだ帰りのボートで切りました。私はもう居ないと沢坪さんに見せながら、『ルビコン海峡を渡りましたね』って言って切り、四谷の警察に向かう昼に、久し振りに電気を入れました」

 「波浮のボート宿はどうでしたか」

 「ボートの備品は使わないようにしました。沢坪さんが買ってくれたお寿司がホントにおいしかったです」

 「どこで、何されてました?来宮神社は行きましたか」

 「伊東は勿論ですが、熱海や東京の方には近づけないと思い、西へ行こうと来宮駅の傍で降りましたが、神社には行ってません。駅員さんに注意しながら、2人連れの女性に紛れて改札で分からないようにしました。沼津に向かい、新幹線で大阪に行きました。そこを拠点にして、神戸、京都、奈良を目立たないように廻り、戻って横浜を拠点に回っていました。PCを使わない登録なしのネカフェで夜を過ごし、恰好を変えて、見納めの観光地巡りや映画や読書で転々としてました。沢坪さんのカードで現金にして、買い物したりしました。御代は、後で返します。ともかく銀座線と東横線で、ウロウロするのだけは避けたかったんです」、課長には分からない地下鉄路線の話が出た。

「ピアスを落としましたね」

 「いや、教えてあげたんです。ここに置けば、殺人の話に都合よく持っていける材料になりますよって。ピアスは、渋谷で最近よく行っていた所の物です」

 「北斗七星の石の並べはお見事でしたね」

 「はあ?何の事ですか」

 「いや、拾って持って帰らない余りよくない石を上に放ってましたね。それが丁度、そんな形になっていました」

 「えっ、そうでしたか。ああ、そうなんですか」

「いや、まあいいです。ところで何故、四谷で出頭したんですか」

「四谷交番には申し訳ありません。『お岩さん』をお参りしてから行きました」

 ―有名な四谷怪談では、浮気な婿養子に毒殺された『お岩さん』が復讐する恐い話になっているが、真実は夫婦仲睦まじく2人で立派に家を再興した話なのである。商売繁盛、夫婦円満の神社と縁結びのお寺が道を挟んで在り、特に女性のお参りが多い―。

「狂言は、いつから考えましたか」

「狂言は……、『東静海峡』の波の上で気持ちも揺れているうちにです。沢坪さんから身を引く事が、どうしても出来なかった情けない女です……」、目に水滴が浮かんで来て、ハンカチを取り出して当てた。

「結局、沢坪さんと別れて一人で生きて行くことも、実際に自分で消えてしまう事も出来ませんでした。『私を消して』と叫んでいました―」、ハンカチを鼻に当てている。

「そうすれば気持ちはあの方と切れずにお傍に居れますから。しかし、考えてみれば、そんな事を助けるあの方は、罪に問われて全てを失います。それでも『消して楽にしてあげる』と言ってくれました。それは2人が潰れる事ですが、2人が『生きてる心中』をする事に成ります。そうなら、この世に何も思い残すことの無いよう、恩馳の先人の偉業を世に広められるよう、ニュースになる『狂言殺人』という凶悪事件にすることに、私の考えは行き着きました」

課長は、『生きてる心中』か、随分と文学的な人だなと思った。

「なるほど、ただでは転ばないという訳ですね」

 「重要な話なので、そう成るように努めようとした訳です。沢坪さんは、祖先の偉業を世に出そうとされてます。伝統を大事にしたい私は、それを強く支持しています。沢坪さんは、疑問符の付いた歴史モノではなく、神話や謎としてでもなく、行き来のルートも示して、祖先の実在の偉業として世に広めようとされてるんです。そして、東海から房総にまで広く散在している遺跡の点を、線にし面として理解しようとされているんです。相互の繋がりから実在をはっきり意義あるものとして浮かび上がらせ、更に深め、そして関東の方とも総合して世に広めようと、ホントに苦労されているんですよ。受け売りですけど」、ハンカチを握りしめた熱弁である。

 「そうですか、よく分かりました。ところで、実は高円寺の駅前通りで舟出したときのアナタにそっくりな恰好をした女が、突然、帰宅途中の教授の前に現れましてね」

 「ええっ、そんな事、えっ何ですか、それって。警察さんがやったんですか」

 「いや、まあ、いろいろありましてね」

「で、びっくりして寄って来ちゃったんですか」

 「いや、踏み留まったようでしたよ」、木浜がほっとしたような表情になった。沢坪が頑張ったことに、感じ入っているようである。

 課長は、アイシャドウが少し崩れた木浜を見ながら、彼女の沢坪に対する思いは、ちょっと世間でいう男を愛するというのとは違うなと感じている。それは、男である宗教的なリーダーに対する感情と言った方が、ぴったりするようだ。尤も、すがられる男の方も最近は煩悩に揺れて、神仏を求めてすがりたい気持ちで日々を送っていたのだが、木浜も最終的にはこれを理解するようになったのであろう。そして2人は、相手を思う気持ちがよく通じ合った状態で、あんな狂言をやらかしたのである。どちらかの教唆や押しつけという事ではなかった、正に共謀だと確信した。さて、桜田門の捜査一課長が、生きてる心中者たちの尋問という、初めてコケにされたおかしな経験の山を越えた。

それにしても、「波の上で揺れてるうちに考えた」って、大騒ぎさせおって、フザケルナと怒鳴ってやりたかったが、これは抑えた。

「S1Sの赤バッジ」者を、よくもコケにしてくれたものだと憤懣やるかた無く、缶でもあれば蹴り飛ばす勢いで取り調べ室を出た。それまでの穏やかな顔が、般若のように変わっていた。廊下に靴音が響いている。

 課長は、一息入れた後では何とか普通の顔を取り戻し、再び沢坪の尋問で、『彼女が消える事のほう助』について訊いた。

 「確かに彼女は、『この海原で世間から私を消して』と言いましたが、彼女も私が『もう、消えたい』と思っていることを薄々分かったんです。つまり、『もう、二人で消えましょう』という訳で、ほう助ではないです。そう事なので、恩馳に向かっている今、このチャンスに、ニュースになる私の『狂言殺人』という事に、考えは行き着きました。

恩馳話の売り込みを狙う、もう、ためらいも悔いも無い、ずっと悩んで来たこの世の決着でした」、一通りの尋問が終わった。

 「教授、ガラスの城じゃあ、研究に光が見えなくなったからですか」

 「……、有難う」、沢坪が初めて課長の目をしっかり見た。

終 章

「起訴祝い」の打ち上げを終えた課長は、家へ帰って一杯やっているうちに、実は悔いが残る決め手があった大島、波浮の港の歌が、何故か浮かんできた。

 島の娘たちゃ 出船の時にゃ

 船のとも綱 ヤレホンニサ 泣いて解く

 木浜は『とも綱』を解けず、沢坪は仕事の出舟が出来ずに掟破りを、2人が共謀して狂言仕立てにし結末をつけた。ただ、課長は、男の方が漁に希望が持てなくなっていたことも、大きな原因であったと思っている。沢坪がホントに清算したのは、ガラスの城での研究生活と橋高との再婚話だった訳である。確かに切羽詰まって身勝手な狂言をした2人は、共謀した偽計の殺人事件を仕出かし、業務の妨害を行って世間を騒がせた。

 分別あるべき中年の男と女が、みんなに迷惑をかけた裁きは自明である。だが、どっちが先に言いだしたのかと詮議しても、気持ちを通じ合った2人共が、私が企画しましたと相手を庇おうと白状しているのである。いずれにしても、教授は大学に大迷惑をかけて地位と名を失い、巻き込んだ橋高には全く合わせる顔も無い。木浜の方も〈伊東〉の名家を汚して年寄りの叔父叔母を苦しめ、もう、罪を償ったからと言っても、以前のように自由に世間には出て行けず閉ざされるだろう。

それでも長くはない罰の時が経てば、2人でひっそりと伊豆の地に復活し、草花や岩礁の波を見ながら歩いては行ける。小さな幸せという訳である。だが、世間の厳しい目の中で、長い人生の最後をそんな風に終えられるかは、それなりの茨の試練だろう。実人生はおとぎ話のように、「お2人は末永くお幸せに暮らしました、シャンシャン」とはなかなかいかないものである。2人の事情もまあ理解でき、尋問の苦労がそれほどでもなかったからか、不思議にそれまでの2人に対する怒りは薄れて来た。次の日、部長と共に総監室に行き、事案についての報告を行った。それには、夏休みが迫っていた故の焦りの失敗、捜査の反省点も付け加えた。副総監、総務部長が同席し、室から出た帰りに、総務部長が、「これで長官も永田町の方に説明に行けるなあ。いやあ、ご苦労さんでした」と、言って自室へ向かって行った。

翌日、鶴沼にダブル・アイの津田課長から電話が入った。枝山部長が転勤だと言う。鶴沼が流石に大手はご栄転の人事が早いですねと言うと、そうじゃなくて、どうも永田町の先生を怒らせたらしくてと言うだけで、任地もポストも言わない。部長は、長男が大学、次女は高校の受験で、マンションも三年前に買い替えたばかりだと言う。いずれにしても、今回の件で清水野部長から何か言われる場合は、そこを踏まえて宜しくお願いしたいという事だった。訳が分からないが、早速、部長にその旨を伝えると、「ふ~ん、そうですか、はいはい」とだけ言った。清水野は、枝山が調査ではなく、手出しのやり過ぎでしくじったんだろうと思った。手出ししなくても、結局、事態の進行は遅れただけだったかも知れない。しかし、自分の利益や面白がりの為なら、そんな手出しは、調査マンへの信頼を失う禁じ手である。

 水希が鶴沼を恩馳ツアーに誘った。下田から汽船で神津島に渡り、海鮮の昼食を味わってから、チャーター漁船で恩馳島を廻って景色を堪能し、神津島港に戻って下田に帰るという、一泊しない日帰りコースのBだ。

 神津・恩馳島が事件で注目され、新たに設定されたものである。夏休み中で混んでいるが、何とか平日の予約を手にし休みを取って出かけた。水希にとっては大島に次いで二回目の島渡りである。汽船の甲板で風に吹かれて景色を見ながら、事件について、お通夜の気分で帰って行った日々を想い出していた。膳に並べられた種々の海鮮料理を久しぶりに満喫して、苦労のご褒美をもらっているような気分になった。

漁船は、どんどん大きく見える恩馳島の南小島の方に近づいて行く。上陸する気分にさせてくれる接近のサービスだ。横に背広の袖が見えるので、何となくロマンチックな雰囲気に浸っていたが、おやっさんに話しかけられて現実に引き戻された。漁船が島への接近から離れて行く。

「島から離れたところで、木浜が『ルビコン海峡』を渡りましたねって言ったそうだよ。そして、教授の前でスマホを切って『これで、私は消えます』ってね」

「へ~、そうですか~。……、じゃあもう、木浜さんは教授と気持ちが繋がり一緒になって、自分探しは必要が無くなっていたんですねえ―」

「確かに、みんなは彼女を探したけどな。心が繋がって、消えたんだよなあ」

「そうですね~、海峡を渡ってしまって、全く違う人生海道が始まったんですよね」

「まあ、脱線しちまったけどなあ」

「しかし、やっぱり思うんですよ。男って何で木浜さんがいながら、橋高さんと男女の関係になるんですか、行き先が分かりそうなもんじゃないですか」、再び以前も持ち出したような、水希ならではの修羅場を踏んだ女の意見が吐き出された。

「オレには分からんよ。どうもならん流れじゃないの。教授も橋高と再婚なんて全く思ってなくてもさ。ズルズルで、気付いたら二股になっちゃってからは、木浜の方にはたまに付き合う事に出来ないかとか、引いてくれるのではと思ったとかさ。こればっかりは、訊いてみないとなあ。当人たちにもよく分かっていなかったのかも分らんしな。ま、オレには男と女の混み入った話はムリだ」

水希や鶴沼には、宗教的な心の繋がりにおける枯れていない中年の男性教祖と女性信者という『男と女』のパターンは、あまり認識されていないようである。

「ところでよ、教授は、ボートを島から出す頃に目撃されてたんだそうだよ」

「えっ、どういうことですか」

「うん。神津島飛行場から東京の調布飛行場に向かう、東から西に離陸した小型機の便があの時にあったんだよ。んで、それを思いついた警視庁の婦警が、7、8人の左席の該当者を追っかけて、やっと神津島に居る目撃者を探し当てたって訳さ。手術で通院する中年のオヤジだそうだ。で、島に出張してオヤジに訊いたら、滑走路を飛び立って島を見てたらボートと人が見えたって訳よ。ビキニだったらよく分かったんじゃないかって言って笑ったそうだ。オヤジ、婦警にセクハラじゃないかコレ。ま、お手柄の上陸目撃証言のゲットよ」

「(婦警じゃない、女性警察官です!)へ~、凄いですね。いろんな人が、忘れられない海峡越えをしたんですね」。

「んだね。オレは変わり映えしないけど、アンタは課長補佐殿に昇進するし、その交通課の中年のネエさんは、ピアスの店も探し当てたとかで、新宿署の刑事課に引っ張られるらしいから、いずれは本庁の赤バッジ者で戻って来るだろう。女の活躍する時代だね」

「(そのネエさんは止めなさいよ、ったく)おやっさんも特別昇給するんだから、きっと退職金もらう時にも増額されますよ。私は、ともかくあの2人が出てきた後も、ず~と注目していきますよ。私の忘れられない事件の主人公たちですから―」

「んだな。で、話は違うけどさ、哲と一緒になるんかい」

「ええ、まあ……」

鶴沼は、「んじゃ、今度は2人でAコースで此処に来るんだな」と言った。オレも暇になるから付き合うよと言おうとして控えた。お呼びじゃないのだ。

その後の捜査一課は、以前の様子に戻った。しかし、流石の給湯室の小雀達にも分からなかったが、実は今度はみんなとは逆に課長が、一人静かに落ち込んでいたのだった。

課長は、大島のボート泊と共に、実際には無かったが伊東マリンや熱海からの木浜だけの逃亡の可能性に、思い至って無かったのである。木浜に色目と金で頼まれれば、『一般人タクシー』をする男がいるかも知れず、普通の女のする事は調べようがないだろう。

しかし一言、その可能性をはっきり静岡県警に伝えていれば、今回の来宮駅や沼津駅発を明らかに出来たかも知れなかったのである。

ともかく島での物証を得ることに頭が行ってダッシュしたが、神津島に海の日が、夏休みが近づくというプレッシャーに負けたのである。捜査記録にはこの点を失敗として書き残そう。

そこに思い至っていれば、捜査は殺人事件と狂言の殺人・失踪の複線の絵が描けていたのであるから、やられた沢坪にとても石は投げられないと感じている。反省点は、総監報告でも述べたとおりである。

結局、沢坪と木浜は脱線し、課長は複線が見えていなかったのである。

 沢坪と木浜は、世間を騒がせた身勝手な『生きてる心中』者のような、留置場暮らしとなっている。心中はよく一方が生き残って、『片割れ』としての辛い人生を生きて行くことがあるが、この2人は、言わば『心中の両割れ』である。但し、意外なのは、ある意味で世俗のすべてを失い社会的に抹殺される事になった2人が、様変わりした辛い此処での暮らしを、実に起居淡々と過ごしていることである。世間の罵倒や嫉妬混じりで語られる冷たい風が、ここまでは届かないからなのかも知れない。しかし臭みが無くなったとはいえ、此処のメシを食べ、これから多くの人に合わせる顔もない日陰の道の人生を共に生きて行く訳である。

他方で、狙いとした先人の偉業の話は世に広まり、いつの日にか2人でひっそりながら、伊豆の海岸を歩ける希望も無い訳ではない。木浜は、人の評価ではなく自分が納得できる新たな陶芸の道を求めるため、関連の本を読みだしているほか、写真と図表の多い沢坪のぶ厚いラフな素稿『日本祖代―黒耀石から探る』を、暮らしのコトを求めて聖書のように読み始めている。そして、いつの日か世に戻る時、また1人かそれとも2人で一緒に暮らすのか。それは伊東なのか、都会に紛れた高円寺かどこかであり、時に伊東の陶芸場やボート係留地に出掛けるのか、そもそも結婚はするのか。いろいろ考えられる悩ましいことではあるが、もう、ブランデーの助けは要らない。

 沢坪の方は、罪を争う気はなく、迷惑をかけたことに対しては誠実に対応しようと思っている。そのため、自分の専門分野だけでなく種々の本を読んだり、書き物もしている。雪雄は元気で大丈夫だと萩岡が言っているし、大学の方はむしろ名輪の方がいいくらいで、何よりも芯は強い完菜はもう心配ない。自身の新たな目標を定め得たことも大きい。これまでは手を出せなかった日本祖人がベーリング地峡の沿岸から入った「最初のアメリカ人」になった可能性の問題がある。北海道祖人にとって、陸地が増大していた千島列島越えはそう大きな問題ではなく、食豊かな処女地であり、ベーリング地峡によって北極海の冷水が止められて流れ込まなくなっていた正にハワイに繋がる*11米臨海の沿岸の昆布ハイウェイを行くことは、良い条件であった。 また、言語学の大家である松本克己博士の研究でも、*13環太平洋言語族である北海道祖人のアメリカ行きを押しており、最近の外国の研究も昆布ハイウェイのルートが主流化しているのである。 このことから、現生人類の出アフリカ~南米までの移住ルートが概ね見え、世界人類史における日本の位置と歴史が認識でき、北海道史を打ち出し、これまでの学説やアイヌの「先住民族」是正問題などについても、誰に遠慮することなく正していける見通しもまあ得られている。 そんなことで、時にじっと座ったまま目をつぶって瞑想しているように見える。

晴れた『東静海峡』の向うに、島々が、『日本祖人』が舟を漕いでる姿が、霞んで見えているのか。

それとも、岩礁に白波が寄せて、小さな白い花火が打ち上っているのが、少しぼやけて見えているのかも知れない。(了)

【参考文献等】

日本旧石器時代の起源と系譜 安蒜政雄 雄山閣

理論考古学 安斎正人 柏書房

黒潮を渡った黒曜石・見高段間遺跡 池谷信之 新泉社

資料 第四世紀の日本列島 郷原保真

夏島貝塚 杉原荘介 中央公論美術出版

世界言語の中の日本語 松本克己 三省堂

金目鯛の目は何故金色なのか 佐藤魚水 KADOKAWA

ホームページ神奈川の遺跡展 縄文の海 縄文の森 神奈川県教育委員会等 

ホームページ教科書を書き換えた貝塚 夏島貝塚 国府物語

ホームページ備前焼について知りたい 岡山県備前焼陶友会

【用語の解】

1.曙海 Akebono Sea

 現生人類が、約4万年前に海を越え、初めてに九州に渡って来た海域。北は対馬から南は台湾山地、東側は九州西岸から南西諸島、西側は朝鮮山地南端から台湾山地北端に至る当時の海岸の囲まれた海域。最終氷期最寒期LGMに最も狭かった。

 曙海沿岸を台湾山地から時計回りに北上し、渡海して九州に至り、東進しあるいは南下して列島中に拡がって行った。

2.北東アジア平野 Northeast Asia Plain

 現生人類が、約4万年前に海を越え、初めてに九州に渡って来た時代に現在の渤海、黄海及び東シナ海の一部が陸化していた。朝鮮山地南端から台湾山地北端に至る当時の海岸線の西側地域。最終氷期最寒期LGMに最も拡大した。

3.日本祖人 Nihon Sojin, Proto-Japanese

 約4万年前に海を越え、初めてに九州に渡って来た現生人類及びその後に渡海して来た人々とその子孫で、縄文人と呼ばれる時代以前の祖先。これまでは、後期旧石器時代、先土器時代、無土器時代などとあいまいに取り扱われてきた時代の現生人類の人々ということになる。

4.北海道祖人 Proto-Japanese Hokkaido

 初めて東北から家族で津軽海峡を渡り、北海道で暮らした日本祖人であり、3万年前頃から縄文時代までの間の祖先。同様に各地の祖人は、地域名を付して表わす。

5.日本祖代 Nihon Sodai, Proto-Japanese Ancestor’s Era

 現生人類が、海を越え初めて九州に渡って来て日本列島に拡がり、その後の渡来者を合わせて暮らした縄文時代までの期間で、約4万年前から1万数千年前(一例は1万6千5百年前)の時代。

6.昆布ハイウェイ Kelp Highway

 日本列島東側から環太平洋沿岸には豊かな食としての魚類、海藻の帯があるが、特に北方ではオットセイやアザラシなどの捕獲し易い海獣及び海鳥・卵が、食・衣・住などの材料として貴重である。

7.環状ブロック群 Temporary gathering tents group in ring formation

 石器同士の接合や製作するための石材の共有が見られるような石器が集まっているブロックが、円環状に配置されている集合体であり、活動の協力、石器・石材や情報の交換などのための一時的な環状ムラである。円環の中央空間は、集団の広場であったと考えられている。大型の環状ブロック群には、100から150人が暮らしていたと推定される。

8.東静海峡 Tosei Strait

 東京諸島と静岡県伊豆半島に挟まれた台形の海域である。北は城ケ崎~大島、南は石廊崎~恩馳島の間の海域であり、3万8千年前頃から黒耀石を採取するため行き来した現生人類最古の外洋航行として知られている海域である。日本祖代には、黒潮分岐流が北上していたのではなく、親潮分岐流が南下していたとみられている。

9.陥し穴猟 Pitfall hunting

 鹿などの行動を踏まえて捕えるために大きさも深さも1メートル以上の穴を整然と多数作って行われた猟であり、鹿児島、静岡、三浦半島で見つかっている。

10.本州中央横断路の開通 Opening of central crossing route of Honsyu

 越後~信濃~関東という列島中央部の横断路については、早い段階から太平洋側と大雪が降らなかった(対馬暖流が流れ込んでいなかったため)日本海側から遡上が進んだ。本州中央部の長野・霧ヶ峰地区が黒耀石の大産地であったことから、日本海側と関東平野・太平洋側の両側で同地区の黒耀石が利用されていた。北の千曲川と南東の古東京河川を航行する舟が、活用されていたものと考えられる。

11.日本祖史 Very beginning of Japanese History

 南方から北上した現生人類が曙海を越えて初めて日本列島に渡来し、北上しあるいは南下して北海道から沖縄本島まで、概ね列島中に拡がった正に始まり時代であり、日本祖代前期の約四万年前から2.9年前頃の姶良大噴火前までの約1万年間を対象とするものである。史的用語区分としては、祖史、先史、原史、歴史(狭義)である。

12.米臨海 Beringkai Sea

 ベーリング地峡時代には、北極海の冷水がベーリング海に流れ込まず、正にハワイに繋がる現在とは異質な海域であったので、氷河期にあって相対的に温かだった。現在とあまり差が無かった事であろう。

13.環太平洋言語 Languages in Pacific Ocean Rim

 数千年という比較言語学上の限度を越えた万年前以前からと考えられる太平洋沿岸種族に見られる言語上の共通性ある言語の事であり、ユーラシア内陸の言語とは異なるという松本克己博士の説。このことから、「最初のアメリカ人」問題において、昆布ハイウェイ進入説と相まって、シベリア種族ではない北海道祖人の渡米関与の可能性が注目される。

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