人類拡散史の最初のアメリカ人は、未だモンゴロイドが登場していない時代に、アメリカ新大陸西海岸を南下の沿岸ルートで拡がり(北米足跡等の遺跡、古環境、DNAなどの分析から)、北米最初期AUTの旧石器の制作・形態が遠軽・奥白滝などの北海道物に酷似していると伊豆の海民祖人Sojinの子孫である青森・陸奥平野から北上渡道の北海道祖人が今世界的に注目されていますが、肝心の日本列島の始まり祖代Sodai史に誤解が多いのです。

(誤解を招く3方向及び同種の多数方向渡来図)
博物館等に掲示の誤解を生む3方向渡来図は、時代は新しくかつ3つの方向が実は渡来時期がバラバラなのです。

特に西からの渡来は、よく見ると当時の北東亜平野から朝鮮山地に上がり山地暮らしの後に下ってフネで対馬に渡海した有り得ない種族の移住ルートにしている偏向の不自然さです。沖縄へは鹿児島からですし、樺太へは北海道祖人が黒耀石を持って先に北上した事が考えられます。何よりも現在論議されている北海道祖人の渡米を、学術封殺する吹き溜まり・閉じ籠りの図になっていることと、最も可能性が高い「南方から沿岸を北上して北部九州に渡海、沖縄へ南下し北海道以北に北上継続」の始まりの人類拡散ルートが描かれていない事なのです。日本史の始りは、一筆書きの同一種族の列島拡がり定着だったのであり、そのことから島国故に世界が驚くDNA「東アジア古層EAA」がチベット(陸の孤島)と共に今も残っているという重要な内容を学術封殺しているのです。

1.始まりは曙海北沿岸の時計廻りで、4万年前に対馬へ家族渡海(約35km)であり、博物館などで掲示している朝鮮半島(当時は山地)からでも台湾~沖縄のルートでもアリマセン、誤解です。
2.沖縄へは、対馬~五島~九州西岸を南下し、鹿児島からトカラ越え島伝いで移住です。
3.伊豆で良質の黒耀石を求めた3.8万年前の神津・恩馳島(当時は合体)への生業航海は、難しい「謎」(朝日新聞)ではなく、河津からの実質渡海25km以下(海水面低下でかなりの諸島海岸はフネを曳いて歩けた)、黒潮分岐流はなく(当時、黒潮は四国沖で太平洋へ)波静か、屈強な男たちの渡海であり、対馬やトカラ越えの家族渡海より楽で驚きは無いのです。その子孫が青森・陸奥平野(当時は大雪は降らなかった日本海側から北上の祖人と東西合一)から渡道し、渡米参加標準を突破の有力候補なのです。
4.渡海のための造・操舟の能力はもとより、種子島や三島の陥し穴猟は動物習性を理解し1m級の穴を鉄器無しに多数作成して設定する認知力・作業の言語会話・社会性(リーダーシップ)・定住性を示し、磨製石器使用(世界より1万年以上早い)の祖人は「原始人」などではなかったのです。図書館・本屋の「原始時代」区分は誤解です。
原始でない祖代SodaiのSojin(Jomon・Ainuは誤解)を世界に、教科書に―祖代研究会(RSoJS)
#祖人
*注: 国際的エビデンス(DOI取得済み)
祖代研は、学術リポジトリZenodoにおいて国際的な識別番号(DOI)を取得し、先行知見としての先取権を確立しています。DOI: 10.5281/zenodo.19181986(世界共通のIDにより、引用・参照が可能な公的知見として登録済み)https://doi.org/10.5281/zenodo.19181986