(夏休み宿題参考) イエズス会の情報力、北千島~(伊勢)神宮の宝物ルート、白老元陣屋の仙台藩に注目!

カテゴリー: 最新情報

図右、人類史のアメリカ新大陸移住問題についての学界主流の見方はA、Bですが、日本に派遣された中世イエズス会宣教師(アンジェリス、大谷選手と関係なし)の報告はこのA、Bを認識するのみならず、ベーリングが海峡を発見する100年前、あのクック船長一行の150年も前に認識しており驚きです。

更に、当時宝物であったラッコの毛皮と大鷲の羽の出所について、北海道の北(千島)の3つの島で、島民の特徴はアイヌに比し①色はあまり白くない、②ヒゲは生やさず、③アイヌとすっかり異なる言葉(3百年後の1899年・明治32年の鳥居龍蔵の北千島調査では既にアイヌ語と同様)としていることが注目です。宣教師アンジェリスの報告は、北千島の人々はアイヌと直接接触せず、本道・樺太のアイヌのような小人伝承などもなく、一部には小人コロボックル(仮称:留頓ルートン)とは和人の事というアイヌとは異なる人々という一般的な賤視・神秘化認識の線上にあります。北(中)千島のこれらの宝物は、10世紀には交易品として根室地方を経て擦文人により函館で手にされていましたが、平安時代末に北海道を統括する地位にあった奥州藤原氏が12世紀には大鷲の羽を重要な財源とし、(伊勢)神宮の20年ごとの式年遷宮の神宝(4千本の矢羽)として供給していたことが注目されます。つまり北千島は、その宝物の原産地として津軽海峡を越え神宮に繋がる重要な供給ルートの一翼を担い組み込まれた存在でした。北千島―根室―函館―青森―仙台―伊勢という訳です。かつての国宝白滝・八ヶ岳・神津島の黒耀石ルート、沖縄~北部九州~北海道のオオツタノハ貝や新潟翡翠などの宝物ルートの中世版です。そして藤原氏が源頼朝軍に敗れた際も、落人部落でなく海峡を越えて北海道へと藤原泰衡(途中で殺害された)以下多くの臣民が向かいましたが、宝物ルートと無縁とは思われず、また、驚くことに北千島島民が誇りをもって源義経の千島北上伝説を語っていたそうで凄い事(ジンギスカンでなくインディアン大酋長か)です。

図のアメリカNativeインディアンのTシャツが、白頭鷲の羽をあしらってますが、ロシアの東西向いて統一支配すると言うような双頭鷲とは違った趣です。19世紀、いよいよロシアの進出で北方が厳しい状況になった際も、江戸幕府直轄として東北大藩の仙台藩が道央南沿岸の白老に元陣屋を構え、東北海道の大半と択捉・国後というあのルートに加え樺太警備にも任じましたが納得です。これらを教室で教え、内外の誤解を正し、世界に発信です。

↑トップへ