米国New Mexicoで発見された最終氷期最寒期LGM(2.6~1.9万年前)時代の確かな子供の足跡に、世界の学者が驚き沈黙です。

コレを分かっていませんので。

図の様な寒気・乾燥の厳しい時代に、シベリアの狩猟族がベーリング地峡(ベリンジア)に入り、米新大陸内陸の無氷回廊(Ice Free Corridor)の未だ開通していないのにどのように入って存在し得たのか、公言できる整理がつかないのでしょう。しかし、かねて日本祖代研究会(SGPJ)が指摘していますように、3.5~3万年前には青森から当時は狭くなっていた津軽海峡を越えて、既に東北で経験済みの雪と寒気と海獣等食材の北海道に適応して拡がり、昆布ハイウェイKelp Highway沿いに北上を継続してベリンジアBeringiaに向かい、北海道祖人Proto-Japanese Hokkaidoが、アメリカ新大陸の沿岸を入って行った可能性を考えれば驚くことではありません。学界は、子供に教え世界に発信です。

無論、シベリア狩猟族が動けたような寒さがやや厳しくなかった3万年前頃に入ったという可能性はありますが、バイカル湖遺跡は24,000年前頃でムリ、北極海正面のRHSヤナ遺跡は32,000年前頃乍ら一時的な利用で東進移住したとはとても考えられません。いずれにしても北海道に比べれば、シベリアには匹敵する遺跡は発見されてません。他方、気候変動でそんなLGM時代ながら一定期間、シベリアが温暖化した可能性も無いわけではありませんが、ともかく北海道に注目すべきで、①シベリアしか思わない、②アイヌ (鎌倉時代・12世紀登場―北海道大学のDNA分析) と言う誤解、がある世界に、今こそ伊豆の海を行き来(3.8万年前~)し、沖縄に人骨(3.6万年前~)を残した日本祖人Proto-Japaneseの祖代史を、学界は世界に発信して論議に貢献せねばなりません。「まだはっきりしないから」で沈黙を続けるのは学問の否定であり、子供に対する責任の放棄です。膨大なウポポイ予算を国際共同研究に振り向けて、そろそろ世界について行くだけでなくリードしましょう。

1図出アフリカ後に東進、私達の揺り籠(Sundaland)で沿岸・熱帯雨林暮らしでインマレイド化(ジンギスカンに驚かされた欧米学者の旧モンゴロイドの名称は不適切)して北上、西進と新大陸渡米に注目です。

2図は白線の最終氷期最寒期LGMの線で、2万数千年前から1.9万年前頃までは移住はムリでした。従って、基本的にシベリアからの東進移住はLGM後の温暖化してからという事で、最初のアメリカ新大陸進入に北海道北上ルートが挙がっています。また、やはり西進です。3図は、Sundaland遺跡7万年前、続く学者が驚きの急行で約90km渡海のニューギニア、豪への進入です。日本に来る前に人類は渡海能力を有していたことが注目されます。バイカル湖地域遺跡2.4万年前、青森から北上(津軽海峡は狭かった)した北海道3.5~3万年前、シベリア北極海正面のRHSヤナ遺跡は3.2万年前ながら一時的とみられ(東京大 海部教授)、沿海州地域は1.5万年前程度ですから、始まり時代の樺太から北海道南下は考えにくく、マンモス・ハンターも来ませんでした。「最初のアメリカ人・先住民」問題では、北極海の冷水が陸峡ベリンジアでstop、南の「米臨海」に流れ込まなかったので正にハワイに続く海であり、沿岸北上を支持します。ベリンジアは、英国チームが、南は海水面低下で島々が現れた「一時的列島(Temporary Archipelago)」であったと考えられ、どんどん水面が上がる状況に追われるように東進し新大陸進入の説を出しています。そして、おそらく南北米大陸沿岸を急速にチリ・モンテヴェルデ遺跡の方へ南下したのでしょう。

なお、明治の時代でも石器を使い竪穴住居に入り、カムチャッカ南部と千島列島で旧石器時代人のように1000kmの「遊動」暮らしをしていた「ルートン海民」が、海のスペシャリストで近代になってやって来たロシア人をビックリさせたアレウト族を思わせ、北海道祖人Proto-Japanese Hokkaidoの北上可能性を支持します。そして、一般に軽視されている言語について、元日本言語学会長の松本克己博士は、東部アジアとアメリカに共通する環太平洋言語圏の特性(RとLの区別が苦手など)を挙げられています。、4図巷間本は、列島に閉じこもるような南①・西②・北③の3方向黒線渡来図が誤りで、①は慶良間ギャップを越えられず、②西も内陸ルートが有ったにしても実際にはインマレイド系で大差なく、③は、沿海州が北海道より新しく、誤解のある「マンモス・ハンター」も来なかったので、これまでの1・2・3図と符合せず、伊豆の海を行き来した38,000年前の古い活動と北上史の列島拡がりの動きを説明できていません。そして、重要な事はその後の渡来を含めて、 祖代・縄文時代に基層となった 日本祖語文化の
近隣と違う孤立的古さの成立や「列島発・自醸成」文化の重要性が認識されていません。5図は世界史界論議の「最初のアメリカ人」について、遺伝子学者は「ベリンジア滞留説」を唱えており、先入・後入の区分ができ、北海道祖人が沿岸から先入の可能性があるという訳です。結論的に、現生人類移住史は、北上から最後の影響大なるモンゴロイドの南下までとなります。

約4万年前の日本の始まり祖代・祖人Proto-Japaneseに注目し、夏の課題では何処から?そして何処へ?を見て来ました。

さて、活字での日本史始まり時代となれば魏志倭人伝がありますが、実は「曙海」周りが注目な事に変わりがないのです。①目が行く魏、呉・越、燕、北倭、当時の倭の国々であるB1、B1-2、そして千里余の海を越えてもやはり倭種であり東B2でしたが、列島を俯瞰すれば、東・北と南のAが併存していました。今次の北の縄文の世界遺産認定で実証された、A:伝統の縄文的な社会が東・北と南に依然存在する一方、新たな米食によって身長も容貌も変わり戦が多くなって組織化が進んだB社会に区別されます。違いの特徴を示す②人長3尺の記述が注目です。まだアイヌが北から侵入する前の北海道の蕗の下の小人コロボックル(アイヌ伝承)と南方の人々が、近代科学のDNA分析等により、こんなに遠く離れていますが、種族の類似性があることに符合しているのです。更に今、「最初のアメリカ人」先住民が、ベーリング地峡南岸~北太平洋沿岸から入って来た事で指摘され注目される北海道ですから、北千島地域の後の「ルートン」遊動海民とこの「十勝から千島の方へ逃げた小人コロボックル」は、全くあらたな光が当たって注目です。

さて倭人伝に戻れば、④魏と対抗した呉・越や燕などは、実はかつての曙海の沿岸に住んでいたも海民が、海岸線の後退に伴って現在の状況に徐々に上がった痕跡を暮らしに留めて居たことを認識する必要があります。それが、魏から見れば呉越と倭が似ているとなります。曙海の対岸と言うだけでなく、そもそも呉越の沿岸を北上して北部九州に渡海した親戚であることに思いを致す必要があります。倭は一見遠い「燕に服属」すると記述されていますが、西部九州の正に対岸から遠く北上した事になります。また、⑤女王国から船で1年と記述された遠方に裸国、黒歯国があるとされておりながら注目されませんが、まさしくその様子を示すフィリッピン・ネグリトやマレー山地の黒人、また歯が黒くなる檳榔ビンロウを噛むインドネシアからミャンマーに至る広域が該当し、何故、知っている付き合いがあるのかと言えば、これもそもそも倭人祖先が「パンカル海」沿岸地域を通過して来た遠い祖先の地であり付き合いも続いていたであろう事として興味深く、総じて倭人伝は、十分有益な資料と言えます。後は、魏志倭人伝の様な「呉志倭人伝」を、東洋史・日本史学者が山梨の呉鏡などを踏まえてプロジェクト研究し一例を作成すれば、興味深い有益な資料になるでしょう。

これらを見れば、アイヌ・ウポポイの膨大な予算を、コロボックルや「最初の渡米」研究や遺跡遺物の保護・復活、更に、東・北だけでなく南の原郷の世界遺産登録申請や更なる研究に充当すべきであり、学生・生徒向けの資料を作成し、世界にも真実を積極的に発信し、アイヌに関する誤解も正すべきです。

日本人が属するAのアジア人は、①30~20万年前にアフリカで誕生した現生人類・黒人が早いスピードで東進して、始まりました。

②東南アジア地域で「インマレイド」に変化(当方アジアのジンギスカンに心底驚かされた欧米学者は、コレを「旧」モンゴロイドと呼んでいるのが大きな誤解の元)し、東部ユーラシア・西太平洋沿岸を、河川を内陸に遡行し北上して拡がり、その後、③北部で降雪寒冷適応化したモンゴロイドに変化して今度は南下して拡がり大きな影響を与えたのが基本です。この間、西から人々が流入(逆に西へ行き)し、アメリカ新大陸へベーリング地峡を越えて、南岸から入って行ったと考えられ、世界史界が研究中であり北海道が注目です。Bの日本の始まり歴史は約4万年前の北部九州からで、実は、黒耀石を求めて38,000年前から20km以上の伊豆の海を行き来し交易していたこと、世界驚きの刃を磨いた石斧、鉄シャベルのない時代に1m以上の大きさ深さの穴を多数準備して行った陥し穴猟の社会性、環状のキャンプ、釣り針など、世界に誇り得る内容の年表で次代の縄文に繋がっている、「原始人」ではない状況なのです。祖代、祖人Proto-Japaneseという語がないために、「よく分からない原始」と嘘で放置されている大問題なのです。

因みに、巷間言われている語の問題を指摘します。「後期旧石器時代」は、縄文・弥生・古墳と違う和語に対し違和感かつ世界では各国で微妙に時期が違う問題があり、説明が必要です。「先・無土器時代」は英語で言えば、最初不明かつ「無かった」と言ってるだけの訳ワカメ。 後期旧石器時代を開いた故事からの 「岩宿時代・人」も、北海道の岩宿人が「最初のアメリカ人」に関っているかと言う訳ワカメ。「ヤポネシア人」に至っては、縄文人と関係ないのかと言われる誤解の元で論外です。最後に、CのNHK番組などの説明は、パロディ風にしていますが、要は渡来・拡大、そして個人差・地域差を過剰受け止めの誤解で、一皮めくれば大差のない日本人なのです。問題は、自虐や隣国忖度の歪みではいのかと懸念されることです。歴史を正して次代に、世界に発信です。

日本人とは、「日本人のルーツを問う人」と言われるくらい関心が高いですが、それだけに自虐・隣国忖度と言うべきか、実に歪んだ誤りの論文・書籍・メディア番組・youtube動画等が溢れています。この過てる状況に終止符を打つと銘打たれた「長浜本」は、確かに決定版です。

①上段図中に挿入した南方から北部九州への渡海・沖縄への南下・本州北上は、海水面が数十m低下した当時の状況(北東ア平野、曙海)を踏まえた補備です。そして上段図右の5項目と多数の科学的な納得の史実は、巷間の誤りを論破したモノにもなっています。北海道にマンモスハンターは来なかった、「渡来」弥生人も騎馬民族も来なかった、祖人は青森から北上、水田は日本から大陸・半島へという訳で、NHKの日本人ルーツ番組は大嘘です。さて次なる補備は下段です。第1に、欧州学者がインマレイドをジンギスカンにびっくりして雑に旧モンゴロイドとしているのが誤解を生む間違いです。出アフリカ人が東進し①インマレイドになり北上、②降雪寒冷に適応していってモンゴロイドに成り南下したのがアジア人の基本構造で、西へ行き西から来てもいるのが加味されます。第2に長浜本は、本当は縄文先代の「祖人」Proto-Japaneseだった!とすべきなのです。学界が(はっきり記述したくない?)怠慢なため、縄文先代の適切な表現が無いのです。

後期旧石器時代―縄文時代―弥生時代―古墳時代・・・明らかにおかしいですね。縄文以降は日本特有(土器・古墳)なのに、初代・縄文先代は他人の様な酷さです。しかも英語にすれば、 「後期旧石器時代」は 各国で微妙に違うため、一々補足説明が要る代物なのです。他方、先土器時代、無土器時代、岩宿時代、ヤポネシア、・・・色々出ていますが、英語にすれば首を傾げられ、北海道祖人の渡米が注目になっている時代にとても通用しません。祖代、祖人Proto-Japaneseが一番です。第3に年表もあり、何よりも教授が議論している縄文Jomonの始まり(1.65~1.3万年前のいずれか)とも 途切れはないので す。全 国の1万件を超える遺跡が示してます(北と西からの細石器文化の自発か渡来かの影響は有ったとしても)から、「日本人の祖先は、南方から渡海して列島に拡がりその後の渡来者を混じえた、多数の取り換えのない(戦争痕跡無し)祖人Proto-Japanese、すなわち縄文人の先代だった」で良い(だから祖人と名付けている)のです。

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人骨も沖縄や静岡などで十分に祖人を窺わせるモノが発見されています。因みに、縄文始りは、①人々が定住し②弓矢・土器の使用、が列島に定着した時期であったのが、今は土器が青森に登場した(発見最初の)16,500年前となってきています。ともかく政府は、学生・生徒に、世界に広がっているこの歴史の誤り訂正と適切な加味を、速やかに重視して施策せねばなりません。膨大なウポポイ予算をこの貴重な事項の国際研究に、遺跡遺物の保護に。

日本の世界的な論文提出が危機的な低下で、一因は日本学術会議・権威教授の抑圧(憲兵よりもよっぽど酷いの声も)にあるとか。日本史始り「祖代」の「祖人Proto-Japanese」による「伊豆の海の行き来」も「謎」扱いされ、行き来が検討された様子がなく、学校でシッカリ教えられることもない酷い状況です。

ここが分からねば、日本史の始まり時代の北部九州、沖縄、北海道が見えず、近隣との比較研究も出来ず、 「最初のアメリカ人・先住民」関り可能性の渡米話も出ず、 右図右下の3方向渡来図のように背骨が歪んできます。学問は、色々な見解を抑圧することなく自由に挙げて議論することからでしょう。メディアの 折角の 知的な報道も、中途半端なことで、残念な出来上がりです。おそらく多くの分野でこんな状況が散見されるのでしょう。若い学徒の皆さん、勇気を持って「上手に」声を挙げて行きましょう。まさか「日本は凄い、素晴らしい」って言っちゃいけない訳ないですよね。

図左①列島の石器は、まず4万年前に九州から本州へと拡がり、次いで②3.5万年前から北海道に拡がって行ったものである(時代はそれぞれ約年)ことを示しています。

図中、現生人類の出アフリカ史の流れ、今と異なる当時の北東アジア地域の地形、気候等の環境、我が国は1万件を超える、地域の旧石器遺跡の状況などから、北部九州に渡海して沖縄に南下、北海道にまで北上移住したものであり、北海道からも北上を継続した、現生人類移住聖火が通過したものと考えられます。しかし、出回っている図右の誤解を与える3方向渡来図は、①アフリカからそこへどのようにいつ来たのか、②世界史界の動向と違い、「最初のアメリカ人・先住民」話への関りが出て来ようもない、人類史の行き止まり、掃き溜めかと文句を言いたい状況です。正に、どんぶりに、御飯とみそ汁と刺身を入れて混ぜて食べているような異常であることが認識されていません。矢印の量もそれほど大きかったのかも疑問です。

また、祖人Proto-Japaneseの祖代を、始まり青天井の「先土器、無土器」時代や世界で異なる「旧石器・後期旧石器」時代と呼称し、アメリカ先住民が話題となっているのに、北海道「岩宿人」時代などと訳分からない状況で放置している問題です。将来を担う大学生は、何故、日本始まりの重要な歴史が、一般的には「原始」時代としてさらっと描かれ、こんな歪んだ扱いの状況になっているのか、「日本史は応仁時代からで充分」などという現代の世界人類社会史の科学的な解明の進展に全く無知な傲慢をこそ、よく考えほしいモノです。

米国Erlandson博士(オレゴン大)は、最初のアメリカ人First Americansについて、主流であったシベリア~ベリンジア~無氷回廊の陸上ルート定説に対し、北太平洋沿岸進入説で異を唱え、少数派ながら昆布ハイウェイKelp Highwayや日米の石器の類似性などで自説を補強し、今では定説は覆されて沿岸進入が新定説と受け止め(7割)られています。勿論、鎌倉時代に登場のアイヌは、この先住民話に全く関わりありません。また、学校で教えず、出版物もない日本の状況は周回遅れです。http://www.sunda-wind.net/news/9748

オレゴン州立大のDavis博士は、昨年youtubeで北海道・上白滝遺跡の名を挙げて石器の細部の類似状況などを論じ、北海道からオホーツク沿岸陸地を図のように移住する具体的なルート図を出しました。日本祖代研究会では千島列島ルートを挙げており、米国の一部にはカムチャッカ半島からアリューシャン列島という近回りルートを示している動画もあります。しっかり支持するルートを説明して結論づけて提出しましょう。参考ヒント sunda-wind.net

②38,000年前に伊豆の海を東京諸島に黒耀石を求めて行き来したことは、石の原産地分析、関東東海で発見された遺物の年代分析ではっきりですし、伊豆東部から大きく見える大島迄約20km、当時の海流はおそらく北から、黒耀石の神津・恩馳島まで全てが見えますので謎でも何でもないのに、学校は教えず世界に発信しないのは異常です。

前回説明の出アフリカ族が、東南アジア・スンダランド地域に至り北上して環太平洋移住した海の民の痕跡は諸所に窺われます。なんと言っても数万年前の揺り籠の①洞窟に舟の絵を描いている、その操舟・造舟、描画の知的レベルは驚きです。そして、約90kmの海を越えてともかく6~5万年前に「急行」の豪行きです。当時の海水面の数十m上昇で陸地が拡がっていたパンカル海、曙海を北上して約4万年前に舟(筏)で北部九州に渡海し、沖縄へ南下し3.5~3万年前には北海道へ東進北上しました。注目は祖代・縄文時代の痕跡が窺われる③千島とカムチャッカを行き来した石器・土器・竪穴住居の「遊動海民」暮らしのルートン人(日本祖人系、13世紀アイヌより早くから)で、今後の更なる解明が期待されます。
はっきり海民性を残す、④厳しい北の海のスペシャリストでロシア人も兜を脱いだアレウト人は、少年から鍛える海での海獣などの漁、水を入れない縫製の舟造りなどが、正に第1級の海民です。

今、「最初のアメリカ人」先住民は北太平洋沿岸からというのが新定説ですが、⑤カナダ沿岸には海民の暮らしをトーテムポールと共に守っている人々がよく知られ、近くの動物を狩猟できるのにせずに海辺の暮らしを続けている種族もいます。また、⑥カリフォルニアのチャネル諸島では、大陸本土と異なる万年前の精巧な石器と暮らしが発掘され、一度も本土と繋がったことが無いので海の民の南下です。環太平洋は語族の共通性(元日本言語学会長 松本克己博士)の他、まだいろいろ紹介すべき内容があり、研究が期待されるこの現生人類移住史の重要ルートです。⑦フロリダ博物館には、海辺の民のはっきりした暮らしが残されていますが、世界の多くの沿岸では痕跡は既に海中です。この状況と海からの歴史視点を子供に教え、世界に発信し、共同研究に予算を投じましょう。

図左約20万年前にアフリカで誕生した人類が出アフリカを果たし東進、インド・東南アジアの①沿岸・雨林生活で身体変化を生じ「インマレイド」(X)となったとみられますが、これを「古モンゴロイド」と学界が呼称しているは誤解の元です。

モンゴロイドよりもはっきりネグロイドに近かったでしょう。このインマレイドの北上が始まり時代の東部アジアであり、「A」と「移住困難ルートのA‘」があったにしてもいずれも南方系人が、②約4万年前に「曙海」時計回りで北部九州に渡海(多く旧石器遺跡と38,000年前の伊豆地域の痕跡から)して来て、沖縄へ南下、北海道へ北上です。そして③このA,A’の言葉が、環太平洋言語圏(元日本語言語学会長、松本博士)で、南北アメリカと共通性のあることが重要です。つまり始まり時代のA、A’系が、ベーリング地峡を越えた「最初のアメリカ人・先住民」関りを示しています。これらの事と同時に、④出アフリカ後に北上し、シベリア南部を東進した種族がアジア東部にまで至った継続的な痕跡が無く、北部九州への渡海に関っていない事を示しています。このように初期の東アジアに人類が拡がった後、図上Y:降雪寒冷に適応し、身体変化したモンゴロイドが生まれていきました。

そして始まり時代が終わると⑤ 日本の北と西から大陸の細石器文化が流入し 、「モンゴロイド南下」は やがては東南アジア地域にまでの長期・広域の大影響です。但し、日本史で は人の大きな入れ換えはその後も無かったと考えられています。この始まり時代約2万年間強の「祖代」と縄文時代は、列島文化の基層と言えるもので、習俗・信仰等を形成し、その後流入してくるモノの取捨選択に影響を与えたと考えられます。これら人類史、日本先史を踏まえて図右Martin線で、a.マンモスとb.狩猟族ハンターとc.北海道の歴史の関係が明らかとなり、旧石器遺跡の状況からも青森祖人の北上と拡がりが北海道の始まりであることが明らかです。そして、北海道祖人の北上継続でd.北部千島ルートン地域人、e.「最初のアメリカ人」関りなどが、今、注目なのです。この北海道の始まり史、特に北海道祖人・ルートン地域人のアメリカ先住民Nativesへの関り可能性と辛苦の北海道開拓史が重要なのです。子供に教え、世界に発信を。


世界(新)人類移住史の最後の謎「最初のアメリカ人・先住民」First Americansは、大きな話題で研究も新たな内容が続々と出ています。

①1図では、これまでの議論の内容、どういうルートが論じられて来たのか、現在はどれが有力かと丁寧に説明され、沿岸説を支持しています。②生徒もアメリカ先住民の歴史という事で学んでおり、サイトでは近年の新たな発掘遺跡が紹介されています。特に、学界に衝撃を与えたのが赤丸南米モンテ・ヴェルデの14,500年前の遺跡です。と言うのは、③シベリアからベーリング地峡を南下して氷床が融けた「無氷回廊」から米国に拡がったという定説よりも古い遺跡だからで、北米でもいろいろ発掘されています。融けても草木が生え動物が動き人がそれらを食しながら移住できるようになるのは、早くて13,500年前くらいだろうとみられるからです。そうするといろいろなルートを検討しますが、やはり④北太平洋沿岸ルートが浮上します。⑤最新の研究でもベーリング地峡南岸には、当時の海水面低下で小島の連なり(temporary islands)が出来ており、その小島伝いに、昆布ハイウェイ沿いに東進したと考えられています。そして有力な理由が、⑥食豊かな「昆布ハイウェイKelp Highway」であり、魚介類のほかに海獣、鳥・卵などが豊富なしかも獲ることが簡単な処女地があった事です。

こうなると、⑤それまでのシベリアのみならず、沿海のアリューシャン列島と千島列島が注目され、それまでと違って図を見てもちゃんと来れそうなモノになっています。アリューシャン列島の遺跡は東から西への移住を示しており、カムチャッカの方から渡海するなら約400kmですので当時はムリだったろうと思われ、米国の学者には「北海道」を指摘する者もあらわれて来ています。ルートを更に検討すると、⑦図の青森~北海道から北上の祖人系「遊動海民」である「ルートン(占守島)地域人」(アイヌではなく、オホーツク系でもない)が注目されます。祖代(旧石器時代)・縄文時代のような暮らしぶりで、明治30年代に調査に行った鳥居龍蔵を驚かせた人々で、今、考えればアイヌ伝承の北へ逃げた小人「コロボックル」を思わせます。最初のアメリカ人問題は、実は始まり時代の日本問題であることがよく理解されていない周回遅れです。子供に教え世界に発信し、関係国の共同研究をという事です。

世界人類史「最初のアメリカ人」については、1図(赤い線で日本列島を通過)、今では関係の米国学者の7割方が「最初のアメリカ人沿岸進入説」に様変わりで、北太平洋North Pacific、日本列島Japanese Archipelago、北海道Hokkaidoが普通に出て来ています。

12年前からオレゴン大のErlandson博士は指摘していますが、孤立的だったようです。そして、沿岸移住説と同じである食豊かな「昆布ハイウェイkelp highway説」で、何とか話が広まって行ったと自嘲気味に話しています。博士の思い出話を聞いていると、「ケンジ、(北米で発掘された石器は)どうかね?」、「ええ、(北海道のと)よく似ていますね、そっくりです」というのがありますが、留学か調査研究で渡米していたケンジさんが、日本でしっかり沿岸説を紹介した様子は、残念ながらないようです。日本では、学校はもとより、書店・図書館、youtubeでも始まり時代のこの沿岸進入説、北海道・千島列島の重要性を見ることがない、周回遅れの状況です。

2図2013年出版本の中にこの問題も入っていますが、図下シベリア、カムチャッカ、アラスカの遺跡状況が俎上にのぼりながら、図上の充実遺跡の北海道が全く考慮されておらずに参加が無く、興味深い遊動海民の「北部千島ルートン人」(アイヌではない)が居た千島列島ルートも載っていない酷さですから、「参加」を訴えてきましたが、日本はまだこの状態で眠っているような周回遅れです。こういう説があると学校で教えなければ何の世界寄与も今後の発展も期待できないままです。最初のアメリカ人問題は、実は最初の日本人問題であることがしっかり理解されていないために、予算の充当もないまま放置されている残念な状況です。日本祖代研究会では、東南アジアのかつての大陸地スンダランドから北上して日本列島、ベリンジア、米大陸西岸を南米南端まで拡がった「環太平洋沿岸移住MPOR説」を提唱しています。子供に教え、世界に発信し、日米加露の共同研究を。

図左下の出アフリカから世界に拡がった人類移住史の最後のテーマ「最初のアメリカ人・先住民」First Americansは、それまでの定説であったシベリア狩猟族がマンモスなどを追ってベーリング地峡(Beringiaベリンジア)を通って入り、急速に南下したというモノでした。

が、図右北米氷床に通路が開かれる前の旧い遺跡があちこちで発掘され(最新は論議を呼んでいるメキシコ北部3万年前)て崩れ、最新主流は太平洋沿岸からフネを使い入って来て(Coastal Migration Theory,沿岸ルート説)、コロンビア・ジャンクションJktで内陸に入って行って拡がったとなっています。そうなると誰が、いつ、如何にベリンジアを越えたかが新たな謎・問題となります。最新研究でベリンジア南岸は小島が連なる一時的ながら列島の様相を呈しそこから入って来たとなっています。図右上、A.沿岸で浮かび上がるのが日本列島ルートで、日本祖人Proto-Japaneseは、北海道から千島列島の海峡(最大離隔77km、目視は可能)を超えて北上できたのか(それとも樺太からオホーツク海沿岸を廻ったのか)、B.シベリア狩猟族は、ベリンジアに出て来てアラスカで氷床に行く手を阻まれ、冬の30分海水に浸かれば死という北の海でフネを造り操り舟人に成れたのか、C.前2者が出会い、混合しベリンジア滞留で変化し入って来たのか、論議が、発掘努力が、DNAや当時の環境分析などが続けられています。

そして、沿岸ルートという事で、図中央上、明治時代の北千島調査で驚かされた、石器を骨・木・土器を使い旧石器時代のような遊動の暮らし振りの北部千島人(アイヌでない)、ロシア人が全くかなわない造・操舟力のアレウト族などが歴史の底から浮上しています。また、これらの関連で、北海道祖人の北上継続問題、伊豆祖人の東京諸島の行き来、そもそも賑やかだった日本列島中央部や曙海からの北部九州への渡海などに世界人類史の光も当たります。因みにこれらのことから、東南アジアの今は過半が沈んでいるスンダランドから太平洋沿岸をベリンジアを経て南米南端まフネを使い移住したとする 日本祖代研究会の 環太平洋移住MPOR(Migration along Pacific Ocean Rim)説が妥当です。子供に教え、オリンピックの世界の人々に発信を。

過半の学者は図の内容に異議なしでしょう。しかし現状では、よく分からないとして教えず、それでいて「原始人」とだけ言う大問題です。

A.アルカリ土壌のお陰で沖縄では人骨が多く発掘され、石垣島祖人に加え、約2万年前の沖縄本島での港川祖人が、次代・2代目の縄文人に繋がるとのDNA分析による認定です。B.日本列島史の始まりは曙海を約4万年前に家族で渡海し北部九州へ。北上して北海道へ、南下して沖縄へ3万年前までにはほぼ列島中に拡がりました。今と似て関東甲信越は、中央部が黒耀石の産地のせいもあり賑やかで、何よりも千島列島から 「北海道祖人」が 北上を継続しアメリカ新大陸に至った可能性が、今史界の注目です。そして、C.実は、島国で開発の発掘も多いことから、先史上の金メダルがゴロゴロという誇るべき状況なのです。まず第1に、約4万年前の始まりの祖人から令和人までが一気通貫で繋がっている世界にそう類の無い驚きの状況です。

2.伊豆の海を南部東京諸島の黒耀石を求めて38,000前から行き来していたダントツの金メダルは、某大新聞が謎と書きましたが、大島は大きく見え、海流を考え、諸島の南部の島々は海水面低下で今よりずっと繋がっていたので浜辺を舟を引いて行けたことなどを考えれば謎ではなく、造・操舟力、誰でもが漕いで行ったわけではない専業とみられること、遠隔地との交易などからもはや「原始人」ではないです。3.磨製石器はネットで3千円という安値で売り買いされている酷い状況ですが、木工などの為か、世界を見れば1万年は早いぶっちぎりの金メダルなのです。4.陥し穴猟も、鉄製スコップの無い時代に大きさ・深さ1mを超える穴を何十個も作った、動物の習性理解、多数の穴の構成イメージ形成と作業指示などの社会性が見られ、計画性ある大作業力も「原始人」ではないです。

5.3万年も前に、 一時的セッティングではありましたが、アメリカ先住民にも見られた環状キャンプを作っていたまとまりの社会性、広場で行われたことの精神性などがうかがわれ、当然に山や川には名前があった知的レベルでしたから、鎌倉時代に入って来たアイヌが地名に名を付けたと言うのは誤解を招くモノです。6.沖縄で見つかっている釣り針もはっきり海民性ある技術で2.3万年前当時では金メダルです。D.始まり時代の年表は、祖代・祖人ではっきり祖先であることを認識しています。現行の後期後期旧石器時代人のように英語では訳分からない事も無く、「岩宿人」では沖縄や北海道を語り難く、「岩宿人」がアメリカに行ったかもと言えば、「何それ?」と言われますので、やはり祖人です。祖代前期、後半期、末期と石器の分析で得られた時代3区分も出来ており、旧さを考えれば十分です。

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図左上の北海道大学のオホーツク人南下の誤りだけでなく、シベリアのマンモス・ハンターが南下しても無く、アイヌが来るまでに3万年の長い豊かな歴史の積み重ねがあり、全ての川、山、岬、動植物・・・名前がありました。そして、
アフリカから北部九州、そして北部千島と考えて初めて、各地のアイヌの伝承で先住の”小人コロボックル“が北へ逃げて行った話が、納得できます。 何よりも、世界人類史の謎である「最初のアメリカ先住民」First Americansには、日本祖人のDNAが入っている可能性が、今議論されているのです(勿論、アイヌは本件に無縁です)。 以上、先人の旧石器遺跡の発掘努力は素晴らしく、世界に誇り得るものであり、また、祖人は「原始人」などではないことを子供に教え、オリンピックで来日客を東京諸島に案内するなど、世界に発信すべきです。

約2万年前(祖代末期)の沖縄・港川人のDNAが、現代にまで繋がることが分析で分かったようです(13日付の科学誌サイエンティフィック・リポーツ、総合研究大学院大、東邦大などのチーム)。

総研大の五條堀淳講師(自然人類学)は、日本列島のヒトの集団は、(祖代)・旧石器時代から現代に至るまで、遺伝的につながっていそうだと発言しており、これは、2.7万年前(祖代後半期)の石垣島人と共に、港川人も祖代を代表することになります。このことによって、図左下 1. 祖代始まりの北部九州への渡海と列島中への拡がり(北海道への北上と沖縄への南下)、2.現在を思わせる関東甲信越の連接と賑わい、3.北海道の雪と寒気に適応した拡がりという動態、図右 世界人類史における日本のポジション、北海道からの北上継続による「最初のアメリカ人」関りの可能性などが見えてきますし、 年表 の前期・後半期・末期という区分も出来ています。

1万件を超える旧石器遺跡の発掘と分析で明らかになっている暮らしぶりに係る豊富な内容は世界に類なく、北部九州への渡海、伊豆の海の行き来の造舟・操舟、磨製石器、環状キャンプ、陥し穴猟、釣り針など先史考古学の金メダル級の誇るべき内容が既にかなり分かっています。祖代・縄文時代が93%期間という日本文化の基層で、その後代への影響は大で重要です。もう、よく分かっていないからの言い訳は無用です、科学とは仮説を提示し前進を図るモノ、出版界は一気通貫となった今は、ゼロ扱いの祖代の特集を。子供に教え、オリンピックの世界に発信を。

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