始まりの日本祖代、「くにのかたち」を探る(3)

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4万年前頃、南方のSundalandから北上した子孫たちが、曙海の畔での暮らしから家族で越えて九州にやって来て北上して行き、北海道にまで拡がった日本祖人の暮らしに迫ります。

下図のように、先ず、列島全域に拡がった「海の民」の暮らし振りの基層の上に、大陸からの第2層の人々が、北の樺太からと西の曙海越えの両方向から流入しました。

そのためその特徴は、西と東・北に別れ、人と文化の流れから太平洋側と日本海側に別れ、更にこの2つの流れの重なった中央部分に重心があった、重層そして熟成されたものと言えるでしょう。

(今に繋がる特徴と思いませんか?関ヶ原戦が話題ですし)

他国と違って、行き止まりと言われる日本列島における人々と文化の分かり易い特徴です。

因みに、祖代後に縄文時代を経て、弥生時代に西から米文化を持った第3層の人々が渡来して関西に重心が移り、徳川時代にまた実は大昔のように戻ったと言えるでしょう。

これが、長い旧石器時代と言われる後期の日本祖代における全国の遺跡・遺物(主に石器形式)から導かれる暮らし振りの「くにのかたち」です。

西からのA西型と北からのB北型という異なった石器形式に別れ、更に、黒曜石をみますと図のように、原産地を中心に円の広い地域の仲間で交換され、北海道の白滝産や北部九州の腰岳産は、域外にも出て行っていました。

更に、祖代から縄紋時代に移行していく頃には、細部の石器道具の作り方が地域ごとに違いを見せて来ていて暮らしぶりもグルーピングできそうな特色があったものと思わせます。

結構、道州制の議論とかみ合っていたり、今も見られる西と東・北の様々な違い(丸餅と角餅などなど)を思わせる驚きの附合と言えるものです。

日本祖代の時期的な区分は下記の前回投稿をご参照ください。

祖人分布10.5

さて、このように日本祖代を見てきますと、日本史は、近世以降を知れば十分という人もいますが、不遜でしょう。

海の民の暮らし、どんどん重なって行った4万年にわたる暮らしぶりは、精神面を含めていろいろ繋がっていることでしょう。

(了)

 

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