「歴しニア」報告 北海道史の誤解を正す、コロボックルは存在し「ルートン」系!

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先達の鳥居助教授は、明治32年の北千島調査によって、大森貝塚のモース博士(Edward Morse, 1838-1925)と師である人類学会長・坪井博士(東京帝大教授坪井 正五郎、文久3年(1863年) – 大正2年(1913年))によるプレ・アイヌ(アイヌ以前の北海道先住民)説を、現地調査に基づき否定したと受け止められました。坪井博士が亡くなられ、コロボックル(蕗の下の小人)話は、その後は漫画も出ておとぎ話のように扱われて全く学界の議論の対象になっていません。

しかし実は、図右、鳥居助教授は現地調査の整理等も行い4年後には各地のアイヌ伝承に共通するコロボックル4要件に、北千島第1アイヌ(遊動海民「ルートン」)が符合し、これは軽々に看過できない、つまり明言こそできないものの存在認識に至っていたのです。調査後に言われた「北千島アイヌは、コロボックルなど全く知らなかった」は、落ち着いて考えれば、彼の北千島アイヌ調査助手が話を聞いて怒ったように、小人だとか悪口を言われている当人たちが全く知らないのはありうる、むしろ当然で、逆に彼らこそと考えられるのです。いずれにしてもその後の広域のフィールドワーク研究も踏まえ、大正6年にはコロボックルを学問の対象として捉え、調査後の当初の同調者であった小金井博士とたもとを分かち、師の坪井博士によるエスキモー説も否定し、(コロボックルは存在)、北千島第1アイヌ(遊動海民「ルートン」)であると思うと日本学会で講演し、人類学雑誌に投稿して活字にしているのです。

鳥居助教授の掘り下げた研究は、図左上、当時先進の第1、第2、アイヌ論ともなっていたのです。コロボックルが土器製作の土を求めて本道にやって来たという話も特徴的な具体性ある意義深いものです。さて、現代における諸研究から、コロボックルは第1アイヌと言うよりも、遊動海民「ルートン」(北千島からカムチャッカ半島南端)の祖先と言うべきです。何よりも3.5-3万年前には北海道に拡がり、また昨年9月の米ニューメキシコにおける足跡発見で遡った2.3万年前以前の渡米関わり可能性の北海道祖人Proto-Japanese Hokkaido(伊豆の海を行き来した伊豆祖人子孫)の系統子孫だったであろうと考えられる事が、現下の最新の論点です。ともかく教育に採り挙げて子供・学生に理解させ、世界に発信、研究の深化を。

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