「歴しニア」報告  人類史、先ず北海道と伊豆を世界の舞台に!

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1図最初のアメリカ人は、シベリアとアラスカを繋ぐ地図で語られますが、歴史を知るためには、A北海道とBバイカル湖地域の遺跡が基礎として重要です。

図左下、学界をリードした欧米では、ロシアからアラスカを購入しましたので、シベリアは近く向き合っているのは知られますが、北海道は極東Far Eastの端と認識されていることが影響しているとも言われています。そして、モンゴル・ジンギスカンに蹂躙された強烈な記憶からか、アジア人を単に新・旧モンゴロイドで大雑把に命名したことも問題で、人類誕生のアフリカから出て東進し沿岸・熱帯雨林の暮らしで「インマレイド」に変化してから、緯度を北上して行ったのが始まりで、北の寒冷・積雪・強風の地に適応して顔も身体も変化しモンゴロイドに成ったのが基本です。その後、今度は逆にそのモンゴロイドが南下して拡がり混血もしましたのが東部アジア史です。従って、シベリアを西から東へ移動した線だけでは全くダメなのです。②北海道は、氷河時代にあって太平洋に面した海獣・海鳥・海産物に恵まれた食豊かな処女地で、当時の宝物の黒耀石にも恵まれて(日本一の白滝モノなど)864の遺跡を数えますが、シベリア、アラスカ合わせても1桁違う多さなのです。千島列島越えは次々に島が見えましたし、北海道祖人は、伊豆の海を越えて3.8万年前から黒耀石を採取していた(世界考古学史上の金メダル)海民の子孫なのです。その基盤となった青森は、太平洋からと当時は大雪の降らなかった(対馬暖流無し)日本海側の両側から北上した文化融合の先進性があり、津軽海峡も狭く冬季は歩いて渡れたでしょう。これらから、米2学者が北海道ルート仮説をすでに動画発表し、取り込んだ他の歴史解説動画も出ているのです。

アラスカに迫る移住ルートですが、③aは食豊かな昆布ハイウェイで、明治32年に北千島を調査した鳥居龍蔵は、その石器時代的な「遊動」海民の暮らしをしている(「第1アイヌ」である)自称「ルートン」の人々が結局はアイヌ伝承の「コロボックル」であるとの心証を得たなどのルートを支持する痕跡もあります。③2aは、松本博士の「環日本海諸語」族による陸地部~オホーツク海北岸地域~陸地部をベリンジアへと狩猟移住したものです。内陸バイカル湖地域からの③bは、巷間書ではシベリア東部中央をアラスカにまで線が無造作に引かれていますが、「ヴェ」ルホヤンスクと「スン」タルハヌスなどの山脈が立ちはだかる地で、始まり時代のそんな線の東進はムリだったでしょう。北の北極海沿岸地域にRHSヤナ遺跡がありますが、東方に通常ペースで移住して行ったとは見られず、寒さ緩和期の一時的な使用だったと考えられています。東部シベリアは、現代でも冬季には最寒―70度Cで、2名の死者を出している厳しい地であり、遺跡空白地域でもあって、移住があったとしても図赤破線オホーツク北岸からの陸地移住だったでしょう。

いよいよ米本土進入ですが、今回の2.3万年前の足跡発見で、➃内陸の無氷回廊の開いていない時代の「北の舟乗り」による沿岸昆布ハイウェイからの第1多波移住となります。北の冬の海は転覆・浸水などで海水につかれば、凍傷や死となる厳しいものであり、狩猟族が簡単に成れるのかという問題もあって、ここでも伊豆を行き来していた海民史は、再度想起されるべきです。子供・学生、世界に、北海道と伊豆史を。国際共同研究による更なる深化を。

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