2.3万年前の少年・子供たちの衝撃の足跡が昨年9月末、①米国ニューメキシコで発見され、米国史は数千年遡りました。衝撃から約1年間、「誰が」「どのように」を改めて一貫して説明したものは、未だ動画登場していません。

これまでの授業の説明も崩れ、②西海岸を沿岸ルートで舟で南下して来て、南米へもゆっくり普通に拡がり、カナダ~アメリカの無氷回廊が開いてシベリア狩猟族が南下して入って来る迄の約1万年間、南北アメリカの内陸へも展開して行ったものと考えられます。①実は、この足跡地域はよく知られた米南西部のインディアン古文化地域であり、何よりもその人たちの言語が、欧州系スミサナ氏の研究によれば、6千年は遡る(縄文前期)日本語からである(新しい時代にはアメリカから日本へも)という驚きの出版なのです。食料や水という生活や精神的な意味合いを示す重用語句という「言語基準」とインディアン言葉の「文脈」から考察すると明らかになるというものです。そもそもの研究の端緒は、米北東部ウィスコンシンの人々が、大戦でラジオから流れて来る戦地の島の地名などを聞いて余りに馴染みがあるインディアン語に似ていてびっくりしたという事だったそうです。IBMコンピューター技師として戦後日本における占領行政に関わる傍ら、専門の言語学者ではないものの日本語と生活文化の研究を精力的に行いました。③米国州名で半分、各地の地名などもインディアン語が多く残っていますが、それがインディアン語 (イヌイット・エスキモー、アリューシャン列島のアレウト族を除く) からフランス語そして英語表記で分かりにくくなっていますが、意味からは元は日本語だと言う主張なのです。

例えば③図のように、穴居族がいたアナサチは穴幸であり、あの海幸・山幸対応であり、ギラ川は綺麗・陽であると言うように、全米132例も挙げてあり関連は間違いないと記述しています(言語学的には異論もあるでしょうが)。足跡発見の衝撃で、この1年間、「最初のアメリカ人」First Americans動画説明は影を潜め、学界への影響の大きさが感じられます。アジア系でないNative先住民が感じ共通性があるとのスミサナ氏の主張に、訳者の吉田信啓氏(広島大英文科)が協力した労作(1992年)は、その場所からも興味深いモノであり、新たな光を、です。こんな話もと子供に教え世界に発信を。

人類移住史の最後の謎とも言うべきアメリカ大陸へは、「誰が、いつ、どのように」について、最新の動画がアップされています。

①2万年前(足跡考慮なく、再掲か)、カムチャッカ半島沿岸からのルート(薄黄)をboatsで、がupされ沿岸ルートが定説化しています。この時代は北米氷床の「無氷回廊」は開いていないとして沿岸ルートが描かれ、カムチャッカ半島南端がスタート(近年の研究で、北千島ルートン石器人がカムチャッカ最南部に進出していた痕跡!)となっています。そうなれば当然、北海道が注目され、図のA(千島列島は、次々に島が見え渡海北上は可能。既に本ブログで説明), Bのルートが一応考えられます。動画のアリューシャン列島ルートは、ロシアのコマンドル諸島と米側のアッツ島の間が300kmを越えます(335km、現在の海流は激しい)ので、この時代の多くの家族の渡海はムリだったでしょう。考古遺跡も、本土アラスカからの西進を示しています。そして②、沿岸の食の豊かさを示して理由にもしていますが、特に北の方では海獣、海鳥と卵、海藻が重要で、時にクジラが打ち上げられ(獲るのはムリだったでしょう)、流木は住まい造りなどに重要だったでしょう。

また、③日本側と向こう側北米沿岸の食・環境が、昆布ハイウェイで繋がる、比較すれば鏡合わせのように似ていたことは幸いでした。丁度、富士山に登って下山したようなものです。学校は子供に教え、学界は、列島遺跡や特に北海道・千島列島の次々に島が見えた渡海可能性を含む状況を世界に発信を。

図左甲で南ルートの8000年前のラオス古人(最古6万年前)と愛知・伊川津縄文人DNAが近縁で、しかも祖人初期とみられる古さであることが驚きでしたが、なんと長崎、佐賀、千葉のみならず礼文島縄文人とも特筆すべき近縁という驚きです。

北海道礼文島・船泊縄文人DNAとの古さの近縁は、始まりの北部九州からの日本海ルートにしろ、太平洋(瀬戸内)側―道東ルートの北上にしろ、祖代から縄文時代への祖人の2万年の列島拡がりを考えれば、有りうべきことではあります。そして、礼文島縄文人が東南アジア・南方系であることが万年保たれたものであることも巷間の誤解を解く重要なものです。更に図右乙、近年の発掘で多数(20)の人骨が発見された27000年前の石垣島祖人(Proto-Japanese Ishigakijima)は、海民特有の外耳道骨腫の痕跡があり、母系ミトコンドリアB4eが確認されており、現代日本人に繋がるのみならず、前々回説明のアメリカ南西部の先住民ピマ族と希少類縁(英オックスフォード大 Stephen Oppenheimer)である事も驚きで、「最初のアメリカ人」問題で注目されます。これらのことは現生人類移住史における日本列島北上ル―ト関わり説を支持するものと考えられます。子供に教え世界に発信、国際共同研究により世界人類史に貢献するのみならず日本人祖先の解明のために、人と予算を充当し更に深堀りすべきものです。

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AIG社の広告ポスターを見た「日本祖代研究会」会員はびっくり。ちょっと加え変えればピッタリ。下図の日本列島陸上部分の薄く白い部分が、日本列島史始まり祖代Proto-Japanese period(縄文先代)の人々の暮らしの存在イメージにピッタリなのです。考古学者(旧石器時代)も大半が納得でしょう。

しかし、何故か学校は教えないので、この問題に子供の関心が向いて芽が出ることはなく、従って学問発展の花も咲かない。今、「最初のアメリカ人」問題で、2.3万年前の足跡が米国南西部ニューメキシコで発見され、数千年もアメリカ先住民First Americans史が遡り、沿岸・昆布ハイウェイの現生人類移住ルートの定説化で「日本列島通過ルート」が候補として注目されているのに。「よく分からない」からと教えないが、「よく分かって教えた筈の定説」が崩れているのに。

先生は幅広く、①古い南ルート人骨のモノから現代人まで、DNAを並べてその近似性を調べてびっくり。2500年前(今では弥生時代とされている)愛知・伊川津遺跡の人骨と8千年前のラオス古人骨が他に比しダントツで極めて近い。

更に、時代は大分経過しているのに、②巷間では日本人に影響強いとされるシベリア南部の北ルートで東進したユーラシア大陸狩猟族の要素がこれらに含まれない事(⑤赤線、後の時代に入る)も驚き。しかしこれは、現生人類移住史の出アフリカ後に南方・東南アジアから沿岸を「パンカル海」、「曙海」へと北上し、内陸へ河川を遡行した始まり時代の状況を考えれば、驚きではアリマセン。③曙海から約4万年前に対馬西水道(30~40km)を渡海し、(日本)祖人Proto-Japaneseは列島を北海道へ、南下して沖縄へ拡がりました。一方、➃当時の北東亜平野近くの北京・田園洞の種族は、淡水魚を食していた特徴からマンモス・トナカイ狩猟族でない、曙海から河川を遡行し西進した海民系と考えられ前回の移住史図が理解できます。

さて、8千年前頃は、北ルート狩猟人も東アジアに来ているのに、ラオス人が長い旅を経て他のDNAを交えずに渥美半島にまで来たとは考え難いですから、やはり始まり時代の西太平洋沿岸系の祖先が、列島の太平洋側、日本海側、中央山地・長野を含めて北上し拡がって行った時代の痕跡が、愛知とラオスにも残っていて発見されたと考えるべきでしょう。⑤がそれを示しています。始まりの祖代については、巷間、シベリア南部北ルートから狩猟族が、朝鮮山地(当時は半島でない)から九州へ進入とか、沿海州・樺太から北海道に進入したと言われますが、時代を混交させて論じてしまっている問題のみならず、少なくともこの伊川津・ラオスの近似が浮かび上がったDNA調査からは、南方・北上の沿岸系ルートの先行が主流であり、暮らしぶりの後代への影響が残った重要性(かねてより日本祖代研究会は主張)を認識し、修正されるべきです。

特に、昨年アメリカのニューメキシコで2.3万年前の足跡発見で、北海道からの昆布ハイウェイ(Kelp Highway)の沿岸ルートは注目です。海面数十mの上昇で、沿岸考古痕跡の発見は困難ですが。そして、子供に世界に南方からベリンジアに至る間の日本列島ルートについて発信すべきであり、祖先解明に国際共同研究を主導すべきです 。

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