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アジアの楽園Sundalandでは、陽気は1年中まあ変わりません。晩秋から春の雨季に、一般的には午後遅めでざあーと強い雨、しばしば驚かされるすごい雷というところです。

8月は、お国も当地も特に現代史的に重要な時節です。

純白制服に中は赤いシャツ(国旗と同じ赤白)の女性兵士が登壇して、大統領から直接、国旗を拝受して掲揚隊の男性兵士に渡します。

女性no兵士

(18日付KOMPAS紙から)

その大赤白旗が晴れた空に翻り、また、戦闘機群が式場上空を飛行するという、当国のドラマチックだった独立の記念式典があります。

街でも国旗が林立する中、この月は様々な行事が行われ賑やかな雰囲気に包まれます。

日曜日の歩行者天国で、日本語を勉強しているいろいろな大学の学生さんのグループの行進にも出会いました。何しろ日の丸の小旗を振りながら堂々と歩いてます。

日の丸no学生

スンダの伝統文化を守ろうというグループは、いつものようにPRと工芸品の販売などをしています。写真は気取っていかめしくなってしまいましたが。

スンダG

当国はやりの健康サイクリング、家族の楽しみ、歌と踊りなどがありました。

自転車 2

CFDno家族

CFDkazoku

CFD歌と踊り

さて、私も気分は時期外れのショートバカンスとします。

 

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アジアの楽園Sundalandの探訪も暑い夏の8月は、当国含めて近現代史になりましたが、また、先史に戻ります。

先般シンガポールで、専門家1年生向けという考古学の良い教科書を入手しました。こういう本を一般書店に置いているところが流石のシンガポールです。

当国1、2の名門のバンドゥン大学は、工科大ですが流石に旧版は所蔵していてかねていい内容だと思っていました。

最新第6版は、考古学関連全分野をカバーして新たな内容を相当増補しているほか、カラー写真となり、かつ、量も広範多岐にわたり多く、世界をリードする英国らしい素晴らしいものです。

テキストsyuku

特に、考古学は単に事実の記述に留まらず、事実の歴史的な意味合いを 「説明」Explanationすることだとする、New Archaeologyを標榜しています。

それに関する諸説の変遷、今の議論の最前線の内容が図解、図表等とともに充実している正に「考古」のテキストです。

無論、地道な発掘等の内容は、近年の種々の機材も含めて方法論としての基本が十分記述されています。

また、総合的な発掘プロジェクトの事例も意義とともにその実情が多数紹介されています。

先日紹介しました「氷河期以後」After the Iceは、正にこの考古「説明」の流れの先端を行く、コンピューターを駆使した科学的な方法に基づくもので、著者もこの教科書に採りあげられています。

そして、日本では考えられませんが、私が拙著(アジアの楽園探訪記)で「石器人に対する認識を大きく変えた。」と紹介しました驚きのトルコ東南のギョベクリ・テペGobekli・Tepe遺跡が、早速入っています。

教科書のGT

万年頃・万年を越える人類先史の焦点と考える時期について充実していますので、私には素晴らしい選手たちのサッカー・ワールドカップを真近の席で観戦している気分です。

但し、欧米中心と成りがちなためのみならず、実証が不十分とみているのでしょうか、東南アジアは少なく、アジアが全般に少ないのは残念ですが。やはりあちら系のワールドカップに出るのは大変なのでしょう。

さて、現生人類がアフリカを出てからの中東、アジアは世界先史の中心的な意義を有し大変重要だと考えています。

地球規模の気候の最終氷期最寒冷期LGM(2万年前頃)と寒戻りYD期(1.3~1.1万年前頃)には、欧州の殆どの地域は人が住めない状況でしたが、赤道地域のアジアの楽園スンダランドは、一貫して恵まれた条件にありました。

人類進出縮

また、英国の誇るストーン・ヘンジStone hengeなどの欧州巨石遺跡(地中海地域の物より古い)が、何故か大西洋岸に偏っているのはどこから?という謎。

遠いマダガスカルMadagascarに何故、楽園地域の人の末裔がいるのか?

遠く離れたドラヴィダ・タミルTamil語が、日本語に共通する言葉が多く近いと言われるのは何故か? 何故、中国、沿海州など近い大陸の言葉でないのか?

などは、早い時期の海のルートの伝搬を考える必要があると思いますが、テキストには記述されていません。

海川伝播syuku

当地に住んで動いてますと、軽易に乗り降りできるミニバス、隣の県への大型バス、隣の州への長距離夜間バスなど独特の運輸様式とバス停留所があり、休暇の帰省を川上に上がると表現するなど万年の舟人、海の民の優れた交易行動力から理解できます。

各地に舟着き場、租界があったと思いますが、木・竹の施設や船は残らないですし、租界もその後の陸勢力に溶け込んだのでしょう。巨石構造物は残り、人や言葉は端や島(陸の孤島含む)に残ると言えます。

教科書も認めている通り、東南アジア熱帯地帯は、遺骨・遺物が残りにくいですので、楽園スンダランドの巨石遺跡グヌン・パダンは、地中に時代を異にする3層以上を有する大変古いもので注目されます。

GP写真縮

当地でも認識されてきていて、書店に並んでいます。

本屋noGP

また、11月、英国ロンドンで、先史遺跡についての公開会議が行われますが、前述のギョベクリ・テペなどとともに当地グヌン・パダンもテーマの一つです。

Nara Akiraさんの写真
 万年を越える先史遺跡が続々と声を上げてきています。
 いつの日か、アジアの楽園の万年の遺跡が、先史ワールドカップに出場してアジアの意義が認識されることを期待していますし、この面で日本が地域を支援できれば大変良い国際協力になると考えています。
 今日は、中央から文化大臣ご臨席のもと、当国文学の第1人者Ajipさんとともに、文学及び母国語と地域の文化の継承を大切にするスンダロギーの文学賞授与イベントが、西ジャワ州都バンドゥンでありました。
 西ジャワ州知事さん、西ジャワ言葉(親善)大使(優勝者女史)にご挨拶し、研究のことなど自己紹介する機会を得ました。大使は、来月、東京と京都に行かれるそうです。
 作家縮
イベントsyuku
州知事syuku
言葉大使syuku

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楽園Sundalandの現代史です。70年前の今日、闘士スカルノとハッタは、太陽が昇った10:30過ぎに、スカルノ邸に設えられた演壇に上がる歴史的瞬間を迎えました。

集まった皆の前で闘士スカルノは、これまでの皆の努力を述べた前言の後、独立を宣言し、権力等の移譲事項が遺漏なく、かつ速やかに主催されることを宣しました。

しかし、宣言や唱えるだけで独立や平和がもたらされるわけではないことを青年活動家たちも認識することになります。

戻ってきた特に蘭軍に対し、血を流す抵抗を伴って幾多の曲折の中、4年半の歳月がかかりましたから。

何しろ勝利した連合国側として戻ってきた蘭軍の司令官は、なあにまた300年、同じことをしてやるだけさと答える意識でしたので。

(尤も、日本によって覚醒し訓練されたインドネシア人の力を見誤っていましたが。)

そしてこの独立戦争の中で、この地に残った元日本軍人の命を賭した関わり、独立勢力への巧妙な武器・弾薬等の支援などがありましたが、細部はまだ歴史の中に埋もれています。

但し、前回報告しましたスカルノ初代大統領が、日本の地に元日本軍人に対する記念碑を建てたという前例のない行動が、実情を何より雄弁に語っていると思います。

さて、当地では各地で式典が行われ、競り合う楽しいイベントが行われました。

テレビで見た独立(大統領)宮殿での式典では、150m四方くらいの前庭に代表の軍部隊等が整列する中、大統領臨場、女性兵士による大統領からの国旗の受領と男性兵士による掲揚、宗教指導者の辞、戦闘機部隊の飛行、音楽演奏などがありました。

特筆すべきは、大統領の式辞はなく2名の中学生男女が、一節づつ交互に語る未来を見据えたインドネシアの方向を述べました。独立宣言が行われた頃の時間にです。

来賓席には、近郊から招待された生徒が沢山見えました。

画面を見ていた限り、観えた女性兵士比率が高く、また、来賓側に生徒さんが多かったことは、お国も参考にしたらと感じました。

街の方では笑い声の中、いろいろな競争イベントが行われていました。宝取りは柱に油が塗られています。煎餅食い競争と綱引きは、ここと日本くらいでしょうか。しかもジルバブ女性が。

柱上がり縮

柱上りsyuku 登りsyuku

観客syuku iguanaの縮

喰い競争syuku

女綱引き

万年の歴史の厚みを持つ山の神の力の強い民だと感じました。そして小さい子供が多く目につきます。

本日、新聞は休刊でした。(?)

 

 

アジアの楽園Sundalandの現代の雄インドネシアの独立宣言ドラマのあった日から70年後の今日、日曜日のバンドゥンは、いつもの歩行者天国CFDカー・フリー・デイです。

賑わい縮

タバコ・フリー・デイは、タバコ煙の禁じられた日という訳で、日本ではフリーが誤解されてませんか?

それはともかく、通りは出し物でいつもよりにぎやか、やはり人気は音楽と踊りです。子供劇もありました。

70年pura 自転車kumi踊り

音楽縮ドラエモン縮

キャラクター縮 子供劇 (1)縮

スンダ人の文化を伝えようとするグループの出し物は、今日は蛇でした。子供を産んだお母さんは強いです。万年の伝統を受け継ぐ使いこまれた竹製のバドゥイ族のバッグは売り物ではなく、宝剣クジャンを付けたいわばお店の金庫です。

スンダ縮 蛇syuku

竹カバンsyuku

若い学生さんの行進は、緑を守れ、若者に明日をというまっとうなものです。

学生no行進

さて、今日の新聞Kompas紙は、独立宣言に関する博物館などのルポが載っています。

写真には、独立宣言をまとめる雰囲気の様子として左からハッタ、スカルノ、スバルジョ(奈良注:後の外相)、壁には宣言が拡大されて掲示されています、宣言起草博物館にてと説明されています。

打ち合わせsyuku

記事中には、日本海軍の前田少将の家族用食卓テーブルの3人と書かれていますが、博物館を訪れている人たちに意味合いが伝わっているかなあとも思います。

記事では、ともかく日本から与えられた独立と誤解されないようにという強い意志を主張していた青年活動家たちが、一度は壮年闘士スカルノとハッタを拉致し隠した場所(今では家はゴミの山)から、探し連れ戻した事情も紹介されています。

そして今夜、大日本帝国海軍武官府の前田少将公邸で打ち合わせを重ねつつ、ドラマはいよいよ宣言が起草され集まった代表たちにスカルノ邸で発表される大団円へと向かいます。

当地、外では花火の音が聞こえました。

 

 

アジアの楽園Sundalandの雄インドネシアは、今、赤白国旗が至る所に飾られ17日の独立記念を迎えようとしています。

おめでたい赤白は、国旗を見ると日本、マレーシア、タイはもとより、フィリッピン、台湾、そして要素が似てると言えばカンボジア、ラオス、ミャンマー、東ティモール、ネパール、更に韓国、北朝鮮も似た系統と言えるでしょう。

私には、現生人類の展開の北上ルートに沿った興味深い類似性です。中国、ベトナム、バングラデシュが、仮に主義や宗教を除いたとしたらどういうものになるか大変興味深いです。

さて、我が地区では橋にまで彩色していますし、沢を越えた自然公園などではペンキを塗ったり、階段を補修したり準備に余念がないです。

橋no国旗

ペンキ塗り

独立については、小学校から大学まで内容の深みに差はあれ、教わる国の原点の重要事項です。

何と言っても独立の闘士スカルノ(初代大統領)・ハッタ(副大統領)による70年前の独立宣言は、手書きの一部修正の跡も残るリアルなものが、スカルノによって読み上げられたドラマチックなものです。

独立no宣言

(SEJARAH untuk SMA Kelas Ⅹから)

05と見える年号は、皇紀2605年というものです。西暦ではなく、植民地イメージを避けたとも言われています。

そして、宣言後も復活を目論み戻ってきたオランダに対して武器をとって抵抗し、血を流して4年5ケ月後に勝ち取ったものです。

植民地化から約350年の長い抑圧の時代から解放したドラマです。

この戦いに加わった元日本兵の約千名が戦・病死したと言われており、帰化してインドネシア人となった人たちは、今はジャカルタの英雄墓地に眠っています。

しかし、独立の闘士や青年層を前にして行われたそのドラマチックな独立宣言が何故、直前の深夜長時間、ジャカルタにあった大日本帝国海軍武官府の前田少将の所で打ち合わせがなされたのかという面でのそこに至る日本の貢献はあまり知られていません。

そして日本の敗戦を正規に確認し、宣言文書を作成して読み上げるに至るまでに2日を要したドラマもあります。

まして、港区の青松寺に特に2名の元日本軍人ため、肩書きの無いスカルノ名で記念碑が建てられていることは、此処では殆ど知られていないでしょう。

また、碑にはこれも肩書きの無い氏名のみの2人へとして、独立は一民族のものならず全人類のものなり。というちょっと不思議な文言が刻まれています。

正にこれこそ、その後続々と植民地から解放されたアジア・アフリカ諸国が参加したバンドゥン会議をやり遂げた後に碑を建立した、スカルノ大統領ならではのものです。

前田少将ほか数名がインドネシアの叙勲を受けていますが、特に貢献し亡くなられた元日本軍人2人に対する最高の歴史評価と謝辞と言えるでしょう。

あなた方の貢献は、一インドネシアのためだけじゃなかったんですよと。

さて、最初に述べた近くの自然公園には、かなりの内部構造を有する日本軍の洞窟もあります。

この地域は今は、人々のリクリエーションの場となっており、ブランコなどの遊戯施設、自然博物館や売店も多い西ジャワ州森林局の管理です。

清掃された洞窟も普通に(懐中電灯を借りて)見学されています。

入口no付近

洞窟人だかり

そして本日、日本時間正午頃、気さくに応じてくれたここの様子を撮りましたので報告といたします(肖像権不明のため小さいですが)。数百m離れたオランダ軍の洞窟も同様でしたでしょう。

集合no写真 洞窟no前

当時は少年も作業に参加させられ苦労していますが、今の子供たちには、上に見えるJepangは、好感ブランドとしての受け止めなのかもしれません。時は経ちました。

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アジアの楽園Sundalandの中心部のシンガポールは、その南にインドネシア・スマトラ島リアウ州のリアウRiau諸島があり、昔の地図で見ると島々は、海面上昇で沈んだスンダランド陸地の残った丘たちであることがよく分かります。

シンガno南島

そして、丁度建国50周年でしたのでマレー系遺産博物館でもイベントが行われていましたが、今勉強してる言葉が外国で通じるのがいいですね。

西ジャワのスンダ人が大切にしている短剣クジャン(クリス)が飾られていたり、伝統の人形劇ワヤン、元祖系タコ焼き道具もあったりして嬉しくなりました。

マレー系 sinngaクジャン人形ワヤン タコ焼き具

当たり前ですが、楽園で元々一緒だったところに、人口比を大逆転するほどの中国南部の人たちが来てシンガポールになっています。万年の昔から楽園は、人々の北上と南下が繰り返されて文化が育まれています。

人類の展開を考えれば、ここでタミル主のインド人とアメリカインディアンが一緒に居て何の違和感も有りません。

印とインディアン

さて、テーマのブキテマ高地(164m)ですが、先の大戦でマレー半島を日本の自転車銀輪部隊が南下し、守備する英豪軍と激戦となりました。今は自然保護区となり静かな地域になっています。

ブキテマ 高地 ブキテマ入口

ビザ更新の短期滞在観光客として、サル君に会い丘に少し入りましたが、雨にあって一人休憩所で雨宿りし、つわものを偲ぶこととなりました。

ブキテマno猿 つわものと一人

実は日本軍は、弾が尽きそうな勝利(日露戦以来の伝統?)でしたが、白旗を掲げた英軍に対し山下将軍は勝者の席に着きました。

交渉で通訳に訳をはっきりさせなさいという意味の「はい」か「いいえ」かと聞いたのが強圧的と伝えられ、今の慰安婦問題と同様に誤解に基づく悪いイメージが拡がってしまいました。残念です。

このブキテマ高地ですがブキ・ティマ、Bukit(丘)Temah(Tin錫)ということだそうです。錫と聞くと歴史ニアとしては、何!となります、青銅の重要な元ですので。

イギリスは、貿易戦略上から選んだのでしょうが、近くのジャワ海には、水をかけるだけで錫が採れると言われたその名もブリトゥン島も手に入れてます(後にオランダへ)。

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アジアの楽園Sundalandは、陽気がよくて食糧が豊富というだけでなく、火山地帯のもたらす豊富な宝石・鉱物(今は石油)等に恵まれた地域です。

このため、まずは溢れた、冒険心ある人々が北上して巣立っていき、氷河寒冷期には楽園に人々が南下して集まってくる所でした。幸せは父祖の地、温暖で豊かな南の島にある、です。

かって幸せを求め南に向かい、この地で安らかに眠る日本人の先人たちを偲ぶ石碑があります。

先人偲ぶ

残念ながら、今は書かれているような広く安全で強固な貿易の南シナ海ではなくなってきていますが。

 

 

I want to make comments about that, is based on chart of Great Journey of Homo Sapience as below, though I’ve got the news in far away island Java by private e-mail on Book Review of some Japanese News Paper .
人類の進出
1. It’s written about history of homo sapience from 20,000-5,000 BC .
   It’s amazing for me because the theme and the duration are the same as mine and written by a specialist professor on history  has written, not by an amateur as I initially handed over e-book draft of my idea on that theme to e-publisher in June last year.
2. Prof. Mithen wrote on begining of agricuture, but should pay attention to the point that no ice age existed in warm Sundaland and banana is very old selected breed by homo sapience.
3. Yes. In that period, Human Civilization took off far before Mesopotamia though it depends on diffinition of civilization. I’m interested in human characteristic society of large enough, long enough period one which was fully different from that of monkey and ape. When, where and what society was our origin ?
4. Prof. Mithen should study more on Sundaland as he visited almost all over the continents area. He should pay more attention  on it as an important region of Human Great Journey.
5. Yes. Now, we have to think about what human beings are, what human society, civilization should be. People in modern society has to  know about Out of Africa, era of Sundaland “civilization”.
6. Methodology is good. We should study not only from contemporary situation to the past, but from origin of Africa, Great Journey to now.
7. Yes. Results of historical excavation is Evidence. So, I’m interested in Gunung Padang and under water situation in Bay of Thailand.
8. Prof. Mithen has orchestrated many fields of science and picturised initial Human civilization. And it should also be mentioned on analysis of Nenkou, DNA, high-tec electro magnetic survey etc.
9. One Book Review express its greatness as a fine music on Creation of World. But, I think it’s too much. In creation of world, Adam and Eve are black Africans though I don’t know how ordinary Wetern People feel to it. As like they’d got out from the garden of Eden, homo sapience got out of Africa and prevailed to the world.
Now, we should face up to relity of ancient prehistory for one of main issues of ineternational society, humanism.
10. Prof. Mithen touched upon little about Sundaland. It’s a pity, really.
By the way, it’s said by some in study community in Japan that this theme should be discussed not in University but by Rekishinia(retired ordinary seniors who are interested in history) in salon.
But, it’s delightful for me that a  University historian of UK, leading level in the field of history, has finalised contents by scientific method.
I hope more progress will be achieved in this theme near future.
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私のアジアの楽園Sundaland、グヌン・パダン巨石遺跡の研究(「アジアの楽園探訪記」http://www.sunda-wind.net)に関連して、驚きの大著「氷河期以後」After the Iceが、英オックスフォード・リーディング大スティーヴン・マイズン教授により書かれました。
著者は世界各地を訪れてますが、残念ながら東南アジアを研究訪問しておらず、また、世界をリードしている英国歴史学界には、このテーマで注目すべき研究もありますが反映されていないようで遺憾に思っています。
新聞書評等の風の頼りから、以下、人類のグレート・ジャーニーを基にする私の赤道を越えた島からの所見を述べます。
人類の進出
1.紀元前2万年から同5,000年に的を絞っての人類史ということです。
テーマの問題意識、先史の対象時期が私と一緒の歴史専門家が俯瞰した学術研究であり、実に驚くほかないです(私は昨年6月から、原稿「アジアの楽園探訪記」を出版社e-ブックランドと調整開始)。
2.氷河期が終わって地球が温暖化する中で、農耕が始まりという記述のようです。
寒戻りのヤンガー・ドリアス(YD)期(1.3-1.15万年前)後ということかもしれませんが、アジアの楽園Sundalandには、欧州などのような氷河期は無いです。バナナの改良から栽培・農耕は始まっています。
3.今に続く文明の基礎ができた時期とのことで、その通りでありメソポタミアのずっと前です。文明の定義によりますが。私は、サル社会と全く異なる特質を有する規模の大きな、期間も長い、文明と呼べる始源の人間社会は、いつごろ、どこか、どんなものかという今に繋がる原点、源流を追っています。
4.西アジア、ヨーロッパ、アメリカ大陸、オーストラリア大陸、
東アジア、南アジア、アフリカ大陸を巡って記述しているようですが、ものの見事に、最重要のアジアの楽園Sundalandを外しています。
5.結論的に考えさせられるのは、人間とは何か、文明とは何かということだそうですが、その通りであり更に全ての現代人は、温故知新、出現のアフリカ、「文明」を生み出したアジアの楽園時代に思いをいたすべきでしょう。
6.現代からの類推で過去を復元するのではなくということのようですが、良いですね。私は前掲のとおり、アフリカの始源から復元を図る考察に努めています。
7.発掘成果はその証拠として働くことはその通りで、私もグヌン・パダン巨石遺跡、タイ湾海下の運河・灌漑遺構の状などを追っています。
8.人類学、古気候学、動物学、植物学、堆積学など、過去に向き合う諸学問が統合され、一霊長類に過ぎなかったヒトが「文明」を生み出したことを明らかにした。
という点はその通りです。近年の年縞分析、DNA分析、電磁気調査などの重要さも書くべきでしょう。
9.天地創造の楽曲を奏でるような大良著ということらしいですが、言い過ぎでしょう。一般の欧州人の受け止めはどうかですが、アフリカの黒人が新人類の始まり、言わば天地創造のアダムとイブです。エデンの園から追放されたかのごとく、前掲のとおりやがてアフリカを出て世界に拡がりました。
 そして、イエス・キリストやマリア様を今描くなら、皮膚の色は褐色にすべきでしょう。そうすれば、国際社会の最重要課題の一つである真のヒューマニズムが生まれるものと考えます。
 また、自分たちの遠い祖先に最もよく似た人たちを奴隷にし売買したことが、その後の特に欧米白色人の人たちが背負っていく「人間仲間内の原罪」と言えるでしょう。
10.アジアの楽園Sundalandについての記述は、極めて不十分なようです。
 いずれにしても、「歴史ニア」のお遊びと言われた先史のこの時代、始源の文明研究が、世界をリードする英国の大学の歴史専門家によって科学的になされ公にされたことは、誠に喜ばしく今後の更なる解明に期待が持てます。

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位置としては、アジアの楽園Sundalandの中央になりますシンガポールに行きました。modernでcleanで花々もきれいで豊かな現代の楽園でしょう。

建国50年を祝う賑やかさの中にライオン(シンガ)と大きな船、水に親しむ海の民を見ました。そして、19歳で全員例外なく2年兵役につき、その後もずっと練度維持を図って楽園を守り維持します。(スイスの例を出して恥かいた先生にこの例も教えたいです。唱えるだけでは楽園は守れません。)地下鉄規律でもしっかりです。そして、何より戦略的思考のお手本と言うべき国と思われます。

マーライオン

海の民

海の子

徴兵

規律

さて、万年ハンターの本題です。残念ながら、まだ当地の視野は国立博物館では700年前でしたが。

当地の第4公用語はタミル語です。イギリスがプランテーション労働力としてインド亜大陸南部から連れてきた人たちですが、あのインダス川岸のモヘンジョ・ダロを築いたドラヴィダ人Dravidian系でその寺院の台型造形の基礎は、既に報告のスクー寺院、マヤピラミッドに似ています。

国立博

700年

タミル寺院

遙か大昔に海に沈んだ(Sundaland?)栄光の民の末裔神話を大事にしているだけでなく、新人類の出アフリカ後の東進・北上ルートの始まりの方の人たちで私は注目しています。

更に、大家の大野 晋先生によれば、世界で日本語に最も近いのはタミルTamilの人たちの言葉で多くの単語が取り入れられているとのことです。先生は、真珠交易などの諸点も挙げられて説明されていますが、両者があまりに離れていることもあり学界では未だ、?の謎です。

しかし、あんなに近い大陸の言葉と日本語、心根が違う方がむしろ不思議と思わねばならないでしょう。

アジアの楽園Sundalandと人類の東進・北上の海ルートを理解する私には、西と北の言わばはずれに残った2つの言葉が近いのは不思議でも謎でもありません。交易で栄えていたタミルの人たちは、ルート途中に多くの租界を持っていたのでしょうが、長い間に失われ痕跡も見つけられないということでしょう。

人類の進出

そして、シンガポールにはまだまだ注目すべき点がありますが、次回といたします。

 

 

 

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楽園Sundalandの遺産についてです。スクー寺院は、ラウ山腹にあり世界遺産登録を目指していますが、当国の世界文化遺産4件のうち3件(サンギラン、プランバナン、ボロブドゥール)が中ジャワのジョグジャ周辺に集中しており、他の1件は東のバリ島です。(下図参照)

ジャワの要図

スクー寺院の本殿ピラミッドの様式が、メキシコと中米で栄えたマヤのピラミッドに酷似している不思議さは前回述べました。

当国の研究家Samanthoによれば、スクー寺院(1,360年頃。1,186m)、近くのチュト(1,470年頃。1,400m)、東部のプナタラン(13世紀から1,415年頃まで。450m)のこれらヒンズー系3寺院の本殿及び伽藍内の構築物が、当国の遺跡の中で異質だと言います。

バリ島もヒンズー系ですが、中ジャワのプランバナン寺院のようにコーンアイスクリーム型かあるいは多重塔型で、インドでも見られるものです。

スクー寺院は、伽藍軸線は高山の山頂方向、石積み3段のテラス構造、地域に対する見晴らしの良さなどグヌン・パダン遺跡に通ずる点も見られます。しかし、本殿、彫像などジャワ王宮や地元の石工・木工による様式ではなく、また急造という指摘もあります。

テラスの段

下住民下の住民

そして、他の寺院もそうですが、この3寺院は本殿、あるいは彫像、レリーフにヒンズー・インドでなく、中東やメキシコ・中米のものと類似性があるものが多くみられるのが特徴です。

例えば、スクー寺院の彫像に羽がついてるものがありますが、幸い顔が残っているものがあり、鳥人です。人のようですが、顔は鳥であり、足の指爪も鳥です。また、はっきりしている写真左の彫像の顔も当国の人ではありません。

頸無の鳥鳥の万歳

 

Samanthoによれば、このような鳥人ものは、下の写真の左がスクー寺院、右上がマヤ、右下がユダヤ民族が過越祭の晩餐で読む有名な冊子にみられる鳥の頭を持つ人だそうです。

スクーの万歳

そして、鳥人はメソポタミアのシュメール(Samantho左)、バビロニア(同右)とも共通性があります。

鳥人のメソ 鳥人noバビロニア

他にもいろいろありますが、その一つはアッカンベーで、東ジャワ、バリ島とメキシコ・アズテック文化のものが類似です。

バリnoべろ

アズテックのべろ

日本では、相手をバカにする良くないことですが、チベットでは尊敬を込めた挨拶だということで(2枚舌ではない?)、おそらく上記の写真などは尊敬を込めたものに通ずるものでしょうから広域の話です。

そして、Samanthoは奇妙ともいえる彫像・レリーフの造形の数々、遠隔地でのその類似性から、現生人類が、巨人(鬼)族や類人猿と共存していた時代の記憶を伝えているとしています。

また、それらの寺院等の定説の建設年代とは別に、造形の元になったイメージは当地域発であろうとしています。

スクー寺院など、遠隔の他地域とこのような類似性を有する内容については、現時点では推測も憚られ、やはり「不思議」としか言えません。

更に、私には気になる点があり、次回報告といたします。

 

 

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