日本祖人・祖代、「曙海」と「米臨海」の2つの海に注目!

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下図の列島史始まりの4万年前頃(氷河期)、海水面が数十m低かったため、北東ア平野が出現していて日本列島南西部との間に「曙海」が形成されていました。

南方から北上して来た人たちの中から、渡海して九州にやって来た人たちが現れ、異質の種族の大きな流入も無く(石器の痕跡から)同様の人たちが北海道にまで拡がりました。

下図左の「曙海」は、列島史がどのように始まったにしろ、その畔が重要な海であり、此処から舟で家族が九州にやって来て始まりました。

一方、下図右の北のベーリング海峡は陸地で閉ざされ、北極海の冷水が流れ込まない、正にハワイに繋がる海でした。

そして、陸地南岸は、「昆布kelpハイウェイ」と呼ばれる海産物が、海獣・鳥が豊かな地域が、オホーツク海~北海道~カムチャッカ半島~アラスカ湾岸~米西海岸と続いていました。

3万年前頃に北海道の降雪寒冷の暮らしに慣れた日本祖人は、そこに留まる訳もなく、次々に見える食料豊かな処女地の千島列島に舟出して行ったことでしょう。

一番遠い島間でも九州に渡って来た時より短いくらいでしたから。

さて、世界の学界は、最初に人類がアメリカ大陸に来たのは、昆布kelpハイウェイからのようだが、時期は最寒冷期LGM(2万年前頃)をすっかり過ぎて暖かくなってからとしています。

しかしその名のとおり、そのLGM後が暖かいだけでなく、その前も比較すれば暖かかった訳で条件はあまり変わらない事です。

欧米学者にとっては、単に遺跡が無いだけでなく、とてもそんな時期にシベリアから人が来たと思えない状況にあるからです。

しかし、北海道にまで日本祖人が来ていた事、千島列島を越えられたこと、何よりも「米臨海」が比較的温かく周辺の沿岸環境も悪くなかったことなどを考えれば、理論的にはLGM前に日本祖人が渡米し得た事を否定するものは無いと考えます。

有り得たか否かの理論考古先史学の推論上、当時の「米臨海」及び周辺の環境分析(動植物含む)が待たれます。(なされてきていない事が、不思議です)

近年のDNA分析による研究では、日本列島通過遺伝子が沿岸を渡米しています。

(了)

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