始まりの日本祖代に注目しよう!

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よく、日本史は○○時代以降を知れば十分と言う人がいますが、何と浅はかな事かと思います。

列島4万年史を知って言っているのだろうかです。

その大半である概ね4分の3に当たる日本祖代は、南方から北上して来た知的レベルのある現生人類が、曙海を越えて渡来して日本祖人となって本州における急速な拡大と雪と寒冷の北海道への進出を果たした事が始まりです。

その後、鹿児島姶良大噴火の災害によって九州地域はもとより、西日本が大きな被害を受け、そのAT火山灰は東北にまで及びました。

主に海辺、川辺の植物採集や漁撈の暮らしでしたので、土地に大きく依存する農耕よりは回復が図り易かったでしょう。

内部の人と渡来してくる人々によってその回復がありました。約9,000年間でした。

更に、最初の渡来に次ぐ2度目の大きなそして異質な大陸狩猟族の進入と拡がるその文化との混じり合いの地域化、変容などの多彩なドラマの経験が約8,500年間でした。

元々の海の民系の人々と新しく入って来た大陸の狩猟系の人々は、婚姻し合うというよりは混在するということだったでしょう。

しかし、狩猟系文化の影響は大きく、新旧の接触の刺激は、大きかったと思います。此の後も我が国では弥生時代にも新たな人々と稲作技術の進入が大きな影響を与えてますね。

この祖代末期に世界に誇る土器が東北で生まれました。知恵の進展、新たな異質な進入者の刺激やまだら気候の温暖化の故であったのかも知れません。

時代は、氷河の更新世から温暖化した完新世に世界史的にも大きく移り変わりました。

縄紋土器(土器には文でなく紋が入りました)が広く使われ、その後の鉄砲に比すべき画期的な弓矢が使用され、竪穴に定住して暮らすような時代へと替わっていきます。

そして、中央の関東地域にウエイトがあり、かつ、太平洋側と日本海側、南北に長い事の両面から地域性ある今に繋がる暮らしの特性が育まれました。

その習俗や精神の基層は、その後大陸や西洋から文化の大波があっても取捨選択と変形をして採り込み、日本文明と呼ばれる独特の文化の熟成が果たされています。

他方、現生人類が、出アフリカから南北アメリカ新大陸に進出していく途上の重要な世界史上の位置を占めていることも注目すべき点です。

幸いにしてこの時代の万点にのぼる遺跡が全国に有りますし、当サイトでは既報告の通り、日本祖人こそが定説より早い時期に、アメリカに初めて渡って行ったとも考えていますので。

(了)

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