日本列島史始まりの時代のイメージ

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歴史の裏付けのない「アイヌ先住民国会決議」は名称変更を!
我が国先史における皆さんの議論は、まだまだ「縄文」で留まっているようです。結論的に、4万年前頃からの列島史始まりの「日本祖代」は、少なくとも3つの大きな出来事が挙げられるようです。
1. 現生人類の移動及び我が国の旧石器遺跡分布の状況から、南方の現生人類・海の民が、4万年前頃、初めて曙海(仮称)を越えて九州(八重山含む?)にやって来ました。
 
そして太平洋側と日本海側を北上し、3万年前頃には北海道にまで拡がり至り、また、内陸高地にも拡がりました(当初の列島の原風景)。
2. 2.9万年前頃、鹿児島・姶良大噴火があり、特に九州は壊滅的に、西日本も大きな被害を受け、火山灰は東北にまで降りました。当時の人々が、海辺川辺で暮らしていたので、農業ほどではなかったとしても寒冷化や灰汚染は厳しいものでしたでしょう。
他方、この大災害が人々の精神心理に及ぼした影響も極めて大きかったものと思われます。
実は私は日本祖人が、北海道から千島~新大陸アメリカへ渡ったと考えていますが、この大噴火が人々を北方に押し出す契機になったのかも知れないと考えています。

3. 氷期最寒期の2万年前頃、大陸から樺太を経て北海道へ、また、北東ア平野から九州へと狩猟族の渡来があり、列島人は圧迫されあるいは混じり合い文化的に大きな影響が及びました。

因みにアイヌの先祖は、早くてもこの時期の渡来とみられ、我が国の南方発「先住民」からは史実の裏付けの無い政治的な国会決議(2008年)は名称変更が必要です(例えば、「アイヌの人権を尊重する国会決議」のように)。
何よりも、簡単に「先住民族」などと言える人がいないことが、万年熟成の長い歴史を有する我が国の特徴ですから。
なお、アイヌの古い言い伝えでは、小柄な海の民・先住民を北に追いやったとなっており、明治時代にこの事は一旦否定されてましたが、現生人類の出アフリカということなどが分かってきている現代の歴史認識からは、納得できる伝承です。
お雇い外国人のモース教授が大森貝塚を発見して考古学を導入し、坪井教授が唱えた先住小人コロボックル説は、今こそ見直されるべきと考えます。

そして、最寒期の終わる寒暖乾湿の変動の激しい状況の中、土器が出現し(1.65万年前頃)、生活の変化が始まって縄文時代(万年間強続く)と呼ばれていきます。
主たる海の民・日本祖人と大陸渡来の一部狩猟族の混じった縄文人という訳です。
地域によって違いがありましたが、何しろお国の始まりの事ですので、研究中だがとして、子供たちに教えて良いのではと思います。
遺跡から出て来る人骨は、水産物・植物を主に食し、多くが毛皮パンツで槍持って大型獣を追っていた訳ではないようです。
少し前までは、日本人と言えば生魚や海藻を好む変なヤツと言われていましたが、列島史始まりからの特徴をよく表していると考えます。
ところで祖代末期の最初の土器は、私は、堅いアクの強い植物や暖かくなって臭くなり易い水産物などを煮たのでは、と思っています。
そして、百年前の日本人を撮った写真は、魏志倭人伝に書かれた海の民・倭人そのもののようです。曙海を越えて来た日本祖人の子孫であることを感じさせますね。
(了)

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