人類史・世界ふしぎ発見、「誰が」の候補コロボックルは飛んだのかフネか?!

カテゴリー: 最新情報,祖代(Sodai)・祖人(Sojin)

北海道の小人コロボックルは、ジョン・セーリスの「日本渡航記」(1613年)が初出でその後も種々記述され、①北海道調査の松浦武四郎も注目して絵にしており、伝承はアイヌが入れ墨を真似た、背丈低く漁に巧みで、アイヌとのトラブル被害で道東から北に(千島)去ったとされ、樺太、北海道、南千島で広く伝承(北千島では無し)されています。

②文明開化期の明治時代に、日本人類学の祖とされる東京帝大の坪井教授は、北海道における竪穴遺跡と石器・土器やアイヌからの聴き取りなどの現地調査を行いました。そこからアイヌの伝承は信頼できるとしてそれを踏まえ、学術用語コロボックルという仮り名を定めて列島史始まりの石器人問題を学界として活発に論じ合いました。結論的に、弟子のフィールドワーカー鳥居龍蔵は大正6年に学会講演で、明治32年の調査から広まったそれまでの巷間の誤解を改める「北千島民(仮称:留頓ルートン)は相当古い第1渡道のコロボックルである」と明言しました。札幌大の瀬川教授も現代の学界人として本件を扱い、坪井説と同じく現地調査を重ねたジョン・ミルンの研究に仮託しつつ事実であるとの認識を示しています。注目は③この小人コロボックル伝承は、(独)ベルクマンが唱えた寒冷地の動物は同種他地域のものに比し大型化するという説に反している事ですが、逆に言えば南方から北上した古い「北インマレイド系」(仮称、東南アジアの古種族インマレイドを、古モンゴロイドとした呼称は欧米学者の偏見用語で、モンゴロイドとは寒冷・降雪・寒風環境で身体変化した新種族)で、青森から北上したとされる遺跡・遺物の考古学分析 (全国1万件超え祖代遺跡) と符合します。➃鳥居調査で、あの竪穴は父が、祖父が、・・・ずっと昔の祖先がと北千島民は答えており、近年の北千島の研究で6千年前の縄文遺跡が確認され(ワシントン大 Dr. Ben Fitzhugh)、また、北千島民はカムチャッカ南南部がむしろ主体だった(北大 高瀬克範)事が明らかになっていますが、気候条件がより厳しい地域に遥かな昔に「道東ゲートウェイ」から北上して行っていたというこれらの事は重要です(食豊かな処女地の魅力だったか)。

今、人類史の「最初のアメリカ新大陸移住First Americans」問題で、北米が大氷床で覆われていた時代に南のニューメキシコWhite・Sandsで2.3万年前の子供達の足跡が発見され、カナダ西海岸では1.4万年前のここは氷床に覆われていなかったTriquet島で海獣食の村人の木槍・銛などの暮らしの痕跡が発見されて沿岸ルートが注目される重要な内容をテレビが報じているのです。「誰が」の候補は、日本列島・千島樺太ルートでは縄文人ではなくその前・先代の祖人コロボックルということになるのですから、学説史としてのコロボックルとともに現代の課題に関わるこれらの事を教室で教え、世界に発信すべきであると日本祖代研究会(RGaPJ)は政府に対し、声を大にし強く要求します。

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