「歴しニア」報告 「最初のアメリカ人」、沿岸ルートの難所問題の検討

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シベリア・ハンターがマンモスを追ってベリンジア(地峡)を越え拡がったという長い間の定説は崩れました。さて、主流化した「昆布ハイウェイ」を沿岸ルートで南下して行った説も、海民にとってベーリング海峡の渡海は問題ではないですが、深堀りすると他に問題がない訳ではありません。

実は1図、①正に「取り付く島の無い」アラスカ南部の長距離区間(Yakatanga-Yakutat, YY区間)の海岸にまで、一般に考えられているように氷床が迫っていたらどうだったのか。②東京から名古屋位の距離が写真のようであれば、フネで4日・雪上を歩いて9日くらいの行程を、旅ではなく初めて家族が少しづつ移住進出していく訳です。草木無く、まあ動物もいない氷床荒野ですから厳しいです。ところが、3図4万年の気温変化を見ますと、最終氷期最寒期LGM-Last Glacial Maximum の前、2.8万年前頃に2回著しい温暖化の時代がありました。この事から➃ハワイに繋がる海の波に洗われ、海岸処々(1図の岬や湾など)の氷床が融けて陸地が現れていたのではと考えられる所では、動植物が存在した可能性が十分あり南下できたものと思われます。この事は2.3万年前のニューメキシコの足跡とも時代的に整合するのです。この温暖化は、内陸のkm級の厚さの氷床を融かし動植物を存在させて内陸ルートを開いたのか。ことは重要で、足跡論議の古さが先ずは理解されるだけでなく、「最初のアメリカ(本土)人」は、誰が、いつ、どのように入って来たのかという問題の根本に迫るモノでもあるのです。先ずは沿岸ルートを更に次回に検討します。

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