(号外 海の日特集)良識の府・参院、海に関わる始まり日本史理解の国際人を(2)

カテゴリー: 最新情報,祖代(Sodai)・祖人(Sojin),遺跡

図左:「最初のアメリカ人」沿岸ルート説で注目の千島の痕跡は、コロボックル(列島の先住石器人であり、北千島民・留頓るとん)に係るものです。推定期間は始まり時代(祖)縄文から20世紀初頭であり、縄文遺跡、カムチャッカでの存在痕跡、外国人船の出現及び明治期の開拓の苦労、色丹島引き上げ後の苦難と消滅などが知られています。

名は、坪井教授(東京帝大)の北海道調査におけるアイヌ説話から問題の生起しない研究・論議の観点から命名され、作成の(全国)遺跡図から実は縄文人であったことが今では分かります。

図右:鳥居龍蔵が北千島調査(明治32年・1899年)から、竪穴住居に住む古い第1アイヌ・石器人で実態はアイヌ説話のコロボックルそのものであると学術的に認めた(学会講演・専門誌記述、大正6年)千島史のキーマンなので、祖代研は千島のアイヌ」ではなく北千島の「留頓るとん、Routon」と仮称しているのは、彼ら自身が「西Routonの人」と自称(実は、東の人・カムチャッカ在住の人が主体)していた事からです。不幸にして鳥居の調査直後には、北千島民が「コロボックルなんて聞いたことも無い。遺跡は全て誰のものでもなく我らが祖先の物」と答えた事で、「北千島にコロボックルはいなかった」と世間に伝わり、後の妖精や悪戯者などと全く無縁の話になって行きます。しかし、考えてみれば鳥居の北千島出身の助手老人が「コロボックル(小人など)だなんてバカにするな」と言ったように、侮辱する伝承を当人達が知らないのはむしろ当然で、「居なかった」としたことに大きな問題がありました。大正時代になって、鳥居が学術的に認めたのは幅広いフィールドワークの成果もありますが、噂問題に気付いたこともあったでしょう。今も学界が「北千島民がアイヌ伝承の、坪井教授制定の(北千島民が祖先と言う先住者)、コロボックルである」と教科書に載せずに放置していることが大問題なのです。

国際共同研究で、埃を被っている埋もれた資料に光を当て、世界注目の海越え史の更なる解明を!

コロボックルを教室に―祖代研究会(RSoJS) 
#祖人

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