「歴しニア」報告 人類移住史と日本始まり祖代の状況(まとめ)

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1図出アフリカ後に東進、私達の揺り籠(Sundaland)で沿岸・熱帯雨林暮らしでインマレイド化(ジンギスカンに驚かされた欧米学者の旧モンゴロイドの名称は不適切)して北上、西進と新大陸渡米に注目です。

2図は白線の最終氷期最寒期LGMの線で、2万数千年前から1.9万年前頃までは移住はムリでした。従って、基本的にシベリアからの東進移住はLGM後の温暖化してからという事で、最初のアメリカ新大陸進入に北海道北上ルートが挙がっています。また、やはり西進です。3図は、Sundaland遺跡7万年前、続く学者が驚きの急行で約90km渡海のニューギニア、豪への進入です。日本に来る前に人類は渡海能力を有していたことが注目されます。バイカル湖地域遺跡2.4万年前、青森から北上(津軽海峡は狭かった)した北海道3.5~3万年前、シベリア北極海正面のRHSヤナ遺跡は3.2万年前ながら一時的とみられ(東京大 海部教授)、沿海州地域は1.5万年前程度ですから、始まり時代の樺太から北海道南下は考えにくく、マンモス・ハンターも来ませんでした。「最初のアメリカ人・先住民」問題では、北極海の冷水が陸峡ベリンジアでstop、南の「米臨海」に流れ込まなかったので正にハワイに続く海であり、沿岸北上を支持します。ベリンジアは、英国チームが、南は海水面低下で島々が現れた「一時的列島(Temporary Archipelago)」であったと考えられ、どんどん水面が上がる状況に追われるように東進し新大陸進入の説を出しています。そして、おそらく南北米大陸沿岸を急速にチリ・モンテヴェルデ遺跡の方へ南下したのでしょう。

なお、明治の時代でも石器を使い竪穴住居に入り、カムチャッカ南部と千島列島で旧石器時代人のように1000kmの「遊動」暮らしをしていた「ルートン海民」が、海のスペシャリストで近代になってやって来たロシア人をビックリさせたアレウト族を思わせ、北海道祖人Proto-Japanese Hokkaidoの北上可能性を支持します。そして、一般に軽視されている言語について、元日本言語学会長の松本克己博士は、東部アジアとアメリカに共通する環太平洋言語圏の特性(RとLの区別が苦手など)を挙げられています。、4図巷間本は、列島に閉じこもるような南①・西②・北③の3方向黒線渡来図が誤りで、①は慶良間ギャップを越えられず、②西も内陸ルートが有ったにしても実際にはインマレイド系で大差なく、③は、沿海州が北海道より新しく、誤解のある「マンモス・ハンター」も来なかったので、これまでの1・2・3図と符合せず、伊豆の海を行き来した38,000年前の古い活動と北上史の列島拡がりの動きを説明できていません。そして、重要な事はその後の渡来を含めて、 祖代・縄文時代に基層となった 日本祖語文化の
近隣と違う孤立的古さの成立や「列島発・自醸成」文化の重要性が認識されていません。5図は世界史界論議の「最初のアメリカ人」について、遺伝子学者は「ベリンジア滞留説」を唱えており、先入・後入の区分ができ、北海道祖人が沿岸から先入の可能性があるという訳です。結論的に、現生人類移住史は、北上から最後の影響大なるモンゴロイドの南下までとなります。

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