(東京・札幌五輪)人類史は、北海道正史を認識し、お・も・て・な・し!

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いよいよ7月、オリンピックです。ところで、下右1図 世界人類移住史の最後の謎、「最初のアメリカ人・先住民Natives」は、シベリア狩猟族が、マンモスを追ってベーリング地峡から入って行ったと思っていませんか、日本は関係ないと思っていませんか? 

実は問題は、1図の世界人類史オリンピックに、シベリア、カムチャッカ、アラスカの遺跡(黒丸、黄下線)はありますが、北海道は半分しかも真っ白で遺跡(数701か所)が全く参加させられていない上に、千島列島が書かれていませんから移住のルートもないという酷いモノです。世界の学者の世界でさえまだまだこの歪んだ認識があり、子供に学校で教えられることもありません。実際は第2図、約4万年前に北部九州に渡海して拡がり、青森から当時は海水面低下で狭くなっていた津軽海峡を越えて3.5~3万年前ごろには北海道の雪と寒気に適応して拡がり、1図の地域で見渡しても発掘遺跡は桁違いの生活痕跡であり、食豊かな昆布ハイウェイ沿いの次々に見えた処女地を北上して行った(http://www.sunda-wind.net/news/9577)可能性があります。その最初のアメリカ人については、1図青線のように、最新説は、厚い北米の氷床で進めなかった時代(1.7万年以前)に、ベリンジア南岸・米大陸太平洋岸から図の青線のようにフネで入って行っただろう、です。

となれば、冬の北の海では30分も海水に浸かれば死の厳しさですから、シベリア狩猟族がそう簡単に水が入らぬフネを造り、操作して猟をできたのか、容易でないですから、当然に北部千島ルートン人・北海道祖人Proto-Japanese Hokkaidoと千島列島(オホーツク沿岸も)ルートに注目で、関りがあっただろうと考えられます。既に、米学者Dr.Erlandsonなど北海道ルートを挙げている学者が出ています。北海道正史を正しくシッカリ子供に教え、世界の誤解を解いて至当に認識されるように発信です。

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