地域史は、曙海の畔・北東ア平野沿岸に注目!

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日本史は約4万年前、南方から北上した現生人類が、北部九州に「曙海」を舟で渡って来て「日本祖代」が始まり、2代目縄文Jomonに続きます。

中国史は約4千年前、下図の長江から進んだ「夏」王朝を始祖とし、北西草原の民に滅ぼされて2代目「殷」王朝となります。いずれも始まりは南方発で、渡海しあるいは河川を遡行したものです。

さて、結論的にこれまでの地域史は北部偏重で、大陸の中原 洛陽 が、そこで陳寿が書いた魏志倭人伝・邪馬台国が論じられてきました。尤も、陳寿も「倭は会稽東冶の東の海中」という当時のみんなの常識に抗えずに里程を記述したために、その後の日本の邪馬台国論争を招くことまでは分かりませんでした。しかし、魏志でなく呉志・孫権が、「夏」王朝と呉・越・亶(タン)洲の関係が、九州中南部の天孫降臨や神武東征、亶(タン)洲 の話が、我が国の歴史を考える上で極めて重要であり、注目されてきています。何と言っても「曙海」周辺の関係の深さを示し、驚きなのは中国「夏周」王朝と呉・越の元になった3兄弟の父親が、亶洲人(九州中南部・種子島か?)だという話です。倭人は、太伯(呉国)の子孫という話もあります。

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学閥に捉われず古代の真実を追求したと言われた作家の松本清張氏が、「曙海」・北東ア平野沿岸を認識できなかったことはやむを得ないとしても、重要な呉志孫権・呉越・亶洲など と古代の我が国との関係に ついて殆ど触れていませんが、不思議なことです。まさか、北部九州・小倉出身だからではないですよね(失礼しました)。いや~歴史研究は、誠に難しいものです。

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