(日本史最前線) 「最初の日本人FJ」問題の海民家族の渡海、その先が見えて来た!

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FJ: First Japanese 約4万年前の海民家族の北部九州への渡海始まり(学界大勢)の歴史の先が、最新のDNA分析(1.愛知・伊川津貝塚人のDNAが南方類縁、2.北京・田園洞人4万年前は河川食だった)で補強されてきています。

①世界の人類史では、西太平洋沿岸海民(モンゴロイドは未だ登場せず、南方インマレイド系)の北上が考古学・DNAの有力ルートとして挙げられており、考古学的にスンダランド(7.3-6.3万年前)、ラオス(6万)、フィリピン(6.7万)などが報告されています。②ルートの細部は、当時の「パンカル海」の1.西沿岸と2.渡海したフィリピン・バシー海峡の島々伝い(日本祖人の渡海始まりから注目)が考えられ、台湾東沿岸で集約されます。「曙海」の島々の多い西岸・北東亜平野沿岸を北上、亜熱帯越えには適応に期間を要しやがて対馬海峡をフネ・筏で越えて緑の大地(五島~壱岐~出雲)に至ります。巷間の「大陸・半島から来た」は誤解で、朝鮮半島は無く山地であり大陸もその沿岸の北上です。③30-40kmの対馬海峡の家族の渡海は重要で、地中海では歴史時代になっても沿岸から離れておらず、西太平洋海民のフネ造り(鉄器の無い時代)と海流・気象を理解した操舟渡海の能力は、原始人ではアリマセン。北部九州から北海道、沖縄に拡がりますが、➃愛知・伊川津貝塚人のDNAが古い南方系に類縁なのは注目され、西太平洋北上ルート説を補強しています。ここで愛知東方である静岡の浜北祖人骨(1.8万年前)が、形質的に縄文人に繋がっていることが既に明らかにされており、対馬渡海と3.8万年前の祖人の伊豆渡海・3.7万年前の長野高地での多様な石器作りの祖人に挟まれた、3.9万年前頃の「三河祖人」から貝塚人への繋がりが推定できます。


バシー海峡や対馬越えを考えれば、新聞が謎と報じた伊豆の海における黒耀石採取の行き来25km(当時の陸地拡大、黒潮流無し)は謎でなんでもアリマセン。 やがて津軽海峡を越え、千島に乗り出していくことになります。問題は、このような事を教室で全く紹介されておらず、現下の賑やかな台湾・シナ海における情勢のみならず、東洋史の重要な歴史構造である「南船北馬」の理解が不十分な事です。抜本改革を期待です。

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