(日本史の始まり) 曙海の畔から来た狩漁採集の民、祖人は原始人ではなかった!

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図右上のDNA分析から、印アンダマン諸島、ラオス、北京近郊の田園洞などと愛知・伊川津貝塚の縄文人の古さを示す遺伝子に親和性がある南方系で、約4万年前に図左曙海の畔から渡海して来ました。

多様多島の沿岸で海・川辺の動植物を食す暮らしを経て、祖人Proto-Japaneseは、家族で約35kmを渡海したフネの造・操舟力の認知性を有し、右下伊豆の海で3.8万年前から黒耀石を求めて舟で行き来し広域で交易、鉄器の無い時代に1m級・169基の陥し穴を構築した社会性などを示し、最新発掘の長野香坂山遺跡では既に多様な石器群を有しており、原始人ではありませんでした。太平洋側と大雪の降らなかった日本海側の両方から北上して狭かった津軽海峡を越え、3.5万年前後には北海道に適応しました。道内発見最古の帯広を越えて北上した 遠軽町白滝の遺跡群(2.7万年前~、 黒耀石の大原産地)が、この度国宝指定となります。        

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