「歴しニア」報告 人類史、北海道遺跡が余りにも知られていない問題!

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1図下、出アフリカの現生人類がアジアに到達し、「最初のアメリカ人」としてアメリカ新大陸に向かうのに、A:北海道人、B:シベリア人があったと認識され、図からは、Bが早いイメージです。

1図上、確かにかつてはB一本で、「シベリアの狩猟族がマンモスを追ってベリング地峡・ベリンジアを越え、内陸の無氷回廊が開いて入って行った」でした。その後、南米、そして北米でも無氷回廊が開く14,800年以前に入って来たとしか考えにくい遺跡が多数発見され、「1.7万年以前に、北太平洋沿岸から、入って来た」が主流です。しかも有力な説として、ベリンジアへ来たけれど氷床で入って行けずに何千年間も滞留standstillしたと考えられています。候補となるA北海道人、Bシベリア人が、早くにベリンジアに到着したが入って行けずに留まったという訳です。それは、③アメリア先住民やアジア人の広範なDNA分析で、アジアにないハプログループの型がアメリア先住民に発見されていることから、数千年以上、ベリンジアで留まっている間に新たな型に変化してから入って来たという訳です。アラスカから逆に、アジアへ戻って行った種族が居る事も分かっているのです。

但し、Nature誌が3万年前のメキシコ遺跡に消えた種族の可能性を報じてますので、最初に入って来て今のDNAに何も残すことなく消えた種族もアリエナイ訳ではありません。さて、④1.アジアから進入のA及びBが。3波と言う説あり。2. 地峡に滞留は、 2.3万より早くなく、1.4万より遅くない、2.14~1.68万年の間で、寒地性潅木などで動植物による衣食住と「火」が確保されたという事です。3.北太平洋の沿岸から入って行ったわけですが、最新説では、ベリンジア南岸にポツポツと小島が「一時的な列島temporary archipelago」として出現しており、最終氷期最寒期LGMが終わって、温暖化で氷床が融けて海水面上昇のために小島におれなくなり、追われるように米海岸に入って来たのではと言う説が出ています。依然として、DNA分析学者と考古学者の意見は必ずしも一致しておらず、米国やメキシコ遺跡のなどを巡って考古学者間にも意見の相違がある興味深い争鳴状態ですが、問題は、①日本学界が論議に参加せず、学生・生徒に教えていない事、②海外の北海道遺跡の認識に誤りが多く、よく知られていない事です。ウポポイ膨大予算を、世界に意義ある国際共同の北海道人類史跡の研究・保護に投じましょう。

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