(東京札幌五輪)  日本祖人の原郷は、水辺の漁撈・農耕に注目の地!

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現生人類がアフリカで誕生し、どのように世界に拡がって行ったのか、引き続きいろいろな研究成果が出て来ています。そして、日本人の原郷は、やはり図の樹林草原系の南方Aであって、砂漠系の西方Bとは思われません。図の植生図は、 最終氷河期 の最も寒い時代のものですので、より程度が厳しくない4~3万年前とは若干異なりますが、各地域の比較の特色は表れています。

アフリカで30~20万年前に新人が誕生し、着実に生活文化を進化発展させました。欧州で言われたような5~4万年前に、現生人類はビッグバンのように認知力が進化し石器の改善や洞窟絵など画期的な進化が生じたというものではありません。そのアフリカの注目すべき痕跡は、19万年前の河川・湖沼、16年前の海岸というように、サルや原人・旧人とはっきり異なる水辺での魚貝食で、拡がった多様な食域は気候変動に対応でき、脳にもよい効果を及ぼしました。そして出アフリカ後、海岸地域を速い進度で豪州にまで達し、東南アジア地域では狩猟もさることながら、フネで外来魚を取って食し、農耕の最古と言われてきた中東より2万数千年も早く、漁撈暮らしの地で根分けすればいい簡単なイモ・根菜の農耕を始め、鶏・ブタの家畜飼育を伴い、遂には淡水漁撈と水田稲作へと進化(静岡の登呂遺跡の水田遺構も同様)させていった(島泰三 説)ようです。認知力の面でも、約4万年前の最古の洞窟手型や絵もインドネシア地域で豊富に発見されており、欧州の独壇場と思われていたことを覆しています。

即ち最初の農耕問題からも、これまで以上に水辺の漁撈の重要性の認識が高まっていて、そのA地域から北上して約4万年前に北部九州に家族がフネで渡海し、日本祖人Proto-Japaneseがまず沖縄から北海道にまで拡がって、列島史が始まった訳です。縄文時代と呼ばれるこの言わば下地・基層を踏まえないために古来諸説の混迷があります。騎馬民族は来なかった、出戻りを含めた大陸からの五月雨の人を北から西から加えながら列島で、島国で日本人・日本語は作られました。従って近隣でさえ、探してもこれだと言うルーツは見つからない事情なのです。   

 他方、今や米国の多くの人類・考古学者 (7割) が、「最初のアメリカ人Natives」は、1.7万年以前にフネでベリンジア・北太平洋沿岸の昆布ハイウェイから入って来て、速い進度で太平洋沿岸を南米南端まで進出したと言う沿岸(水辺)ルート説に注目しています。これらのことから、当然にして、日本学界がこれまで殆ど触れてこなかった北海道からの北上の可能性が、世界的に注目されて来ているのです。

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カナダ太平洋岸の先住民の一部は漁撈・採集の民の痕跡を残し、南米では海藻を求める沿岸遠隔のアンデス高地族、マゼランに万年前のままと感じさせた漁撈採集族、アマゾン古部族のDNAがA地域に類似などのことが、環太平洋言語痕跡(元日本言学会長 松本克己博士)とともに環太平洋の原郷を裏付けます。そして「最初のアメリカ人」に関し、シベリア方面からとともに、今や沿岸ルート上の北海道から千島列島そしてアメリカ新大陸への移住の可能性を全く教えていない事は問題です。まずは最新状況を子供に教え世界に発信しましょう。

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