(人類・日本史最前線) 「最初の日本人」First Japanese の推定

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ー祖人Sojinはどこからどこへ、コレ1枚
四万年前の日本列島人・祖人の始り5W1Hが島国であるが故に、考古学、古環境やDNAなどの分析から推定できる(図の8コマ)世界の驚きです。当然に、欧州などの時代枠組みとは異なり、磨製石器を有した(欧州では新石器時代から)祖人は4.2万年以前(最新の広島石器発見)からですし、また、静岡・浜北祖人も1.6万年前からは縄文人Jomon Peopleと名前が変わって呼ばれる時代は、農耕を画期とする欧州等の新石器時代(人)ではなく、あくまで「自然と調和する暮らし」・神道の日本人の原点です。

➀現生人類が出アフリカ・中東後(10-8万年前)、東進しスンダランド地域に達した南方は揺り籠Cradleであり、何とDeep-DNAは第1波南米へ(欧米学者設定の最古第1波の先住民、Population-Y)と繋がっています(Harvard Medical Schoolが発見の驚きのミステリー、発表と意地の記者の質問に博士は「渡って来たんじゃないの?!」と冗談でかわしました)。(その後、ブラジル考古・DNA学界も同様の確認)

②最初の南方人「インマレオイドInmalayoid」(祖代研が命名)(ジンギスカンに肝冷やした欧州先生の「古モンゴロイド」名称は誤解の元)が北上して亜寒帯入り後、更に北の寒冷で身体変化の(真正)モンゴロイドは、ずっと新しい第2波(Dr. Howells, Harvard大)の南下という東部アジアの2波特性です。

③曙海沿岸・小島(今は海面上昇で海中)から時計回りルートの渡海で北部九州へ、五島~種子島経由で沖縄へと拡散しました。台湾東部先住民のAmi族が、南米アマゾン先住第1波古部族とDNA類縁性(前述のミステリー)があり、北上して祖人と関わった可能性(痕跡は消えて)があります。

➃始まりの沿岸ルートには、A:半島主体と異なる沿岸民、B:魏志倭人伝記述、C: 前方後円墳、土器や人骨に見られる縄文Jomon、などの“倭”性の驚きの諸痕跡あります。日本人は、今は海面下の曙海沿岸・小島から海民が来て始まったのであり、巷間の「大陸・半島(当時は無く、山地)から来て始まった」、は誤解です。

⑤曙海沿岸・小島の民が海象・気象を理解し、筏を造り操作し波静かではありましたが約35kmもの対馬海峡を家族で越えた祖人は、祖語も話しその認知力は原始人ではアリマセン。最新の広島石器発見で、水産物食の北京・田園洞人(分岐点から北上?)より2千年早かったことが分かりました。

⑥世界最古(3.8万年前~)の生業航海(良質の黒耀石採取)は、陸地の現出により実質最長20km(神津島から恩馳島までフネを曳いて歩けた)で黒潮分岐流はなく、対馬海峡を越えて来た祖人にとり、屈強な男たちの海の行き来は、新聞が報じた「謎」ではなかったのです。今、最初のアメリカ人の新大陸西海岸南下説の高まりで、この海の活動は大いに注目されています。

⑦北上して来た祖人が、当時の海水面低下で現出していた陸奥平野(四谷・迎賓館の標高)において東西が合一し、その賑いが北への進出の基盤であり実は既に仙台から寒冷対応(海獣食など)の予行練習をしてきていました。当時の日本海側は大雪は降らず、津軽海峡は狭く流速は早くなかったです。北海道は3.5万年前後から、道東石器は北陸と類似、という研究者の説があります。

⑧北海道から次々に島が見える千島、始まり祖代の北千島における国宝・遠軽白滝石器及び6千年前の縄文遺跡、坪井命名・鳥居認定のコロボックル・留頓(るとん)は余り知られていませんが重要です。Gatewayの北海道東・発射台からの北上継続を否定する要因もない祖人は、渡米(「最初のアメリカ人」問題)参加資格があるからです。

周回遅れの教室に新風を―日本祖代研究会(RSoJS)

#祖人
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