(人類・日本史最前線)米足跡衝撃の新時代、東部アジア・日本・米移住の祖史を見直そう!

カテゴリー: 最新情報,祖代(Sodai)・祖人(Sojin)

図右、米ニューメキシコにおける2.3万年前の足跡発見は、「最初のアメリカ新大陸移住」(FPAC: The First Peopling of American Continent単数)問題について、近年の考古学やDNA分析等を踏まえて考えれば、単に祖史を数千年遡らせるだけでは無い幾つもの見直しと検討を迫っています。

図右、第1に欧米では大西洋ルートとの対比で、シベリアから”陸橋“ベリンジアを経てアジア人が入って来た事が今や自明となり実質的に決着しました。その「シベリアから」は、マンモスを追ってモンゴロイドがやって来たというものでしたが、マンモスを大型動物やトナカイと修正したとしても疑義が生じています。それは、ベリンジア直前のシベリア東端に至る南回りと北回りという問題です。現状は巷間のDNAの拡がり図でも北回り図が主流となっていますが、南米をよく見たDNAや考古学等 の分析から南ルートでしょう。先ず新旧と区分しているモンゴロイド用語問題です。東部アジア祖史は、出アフリカから東進しインド亜大陸を経て南方へ、そして北上に転じシベリア南部で寒冷適応の身体変化をしてモンゴロイド化し(第1段階)、今度は南下して東南アジアにまで拡がった第2段階という「ローラーが往復したかのような構造」にあります。この第1段階である現生人類移住の「往きのローラー」が北上を継続してシベリア東端にまで至ったのが南回りルートであり、日本列島の種々の痕跡はその中で重要な意味を持っていますし、始まり時代の日本祖史もその中で位置づけ認識せねばなりません。そして亜熱帯を越え裸体・野原で1年は暮らせない「北インマレイド」の図のような豊かな参考に満ちた南回りの諸事象に比し、一方の北回りは出アフリカ後に黒人が北上した後、どのように人が変化して2.5万年以前にシベリア東端に行ったのか、実はイメージは示されておらず様相がはっきりしていないのです。

第2に図左A図、マンモス・ハンター説ですが、実験考古学によってマンモスの厚い毛と皮膚に対する北米で発掘された石器による実験から、巷間の大槍持つ数人がマンモスを襲って狩りする図は否定されています。またB図、2.5万年以前にシベリア東端に至った人々は未だモンゴロイド化していない人々でしたので、巷間のモンゴロイドが槍担いでベリンジアを越えて行く図は、有力な沿岸進入説も登場しており、誤解の元です。そして図右で詳説しますが、そもそも東部アジア祖史は、出アフリカから東進し南方・スンダランド地域に拡がり(豪州にまで)、海川岸域・マングローブ・熱帯樹林・草地・山麓等の種々の環境と時の経過で黒人が「インマレイド」化(これを旧モンゴロイドと称したのが誤解と混迷の元)し、北上して裸体に近い状況で暮らせる亜熱帯を越えました。シベリア南部に至り(西方からの種族も交え)、寒冷に適応して身体が種々の変化を生じて2.5-1万年前頃にモンゴロイド化(Dr. Howells, Harvard大学 )した第1段階(往きのローラー)。次に、このモンゴロイドが南下(東西・北にも)して東南アジア地域にまで拡がって行った今も続く第2段階(復のローラー)、即ち「東亜往復構造」を認識すべきであり、日本人2重構造説も単なるその一部なのです。重要な事は、亜熱帯を越えた事と時の経過で変化したと考えられる日本列島人が含まれる「北インマレイド」で、新旧モンゴロイド区分の問題点はこの重要な点の認識が曖昧で不十分な事です。

巷間の先史書の問題は、当時の状況は今と環境を全く異にしていた事をよく認識していない問題です。散在する湖沼と河川網の「北東亜平野」(今の東シナ海一部・渤海・黄海で、朝鮮半島は無く朝鮮山地であったので、巷間の日本列島へは朝鮮半島から来たと言うのは誤り)及び時代により伸縮した「曙海」の畔、日本列島、おそらく樺太・千島、アムール川地域などに北インマレイドが拡がっており、北上を継続してシベリア東端に至ったと考えられるFPACの最有力候補なのです。DNA分析においても、アメリカ新大陸特に南米先住民との類縁性をはっきり示していて、明らかに古いミトコンドリア母系ハプログループDを欠く北上黒人の北回りとは大きな違いです。日本祖史の最古の実証活動の痕跡を残す伊豆祖人、沖縄・静岡愛鷹・長野などと共に静岡浜北祖人が、隣の南方系の伊川津縄文人と仲間の浜北縄文人に同地の遺跡で繋がっている事が重要です。即ち、始まりの祖人と南方系を示す縄文人との繋がりで、先人たる祖人の南方系性をも補強しているのです。最後に図左、大きな問題が祖史を世界にも説明し教室で議論する用語です。人類史、日本祖史上の始まり時代として、重要であるにも拘らずよく知られていません。実は教室でFPAC問題が論じられない周回遅れの状況の原因は、用語にもあります。海外では日本の始まりを縄文Jomonと受け取れる紛らわしい誤解すらありますし、日本の教授やSNS動画でも「縄文人は何処から来たのか?」と愚問を発しているものがあります。2代目ですから、日本列島に決まっています。

さて図左下、日本祖史を表現する用語ですが、「日本原人」は現生人類・新人を扱っていますからダメです。「ヤポネシア」(人)では、生徒は縄文人の親は異質な外国人かと誤解します。「先土器人」では、始まりが青天井で不明です。ではそこを明らかにと「後期旧石器人」としても、世界語であるので国よって時代・期間を異にしていて英語にすれば誤解され、対の語である新石器人は縄文人に溶けて日本史には出てきません。そもそも、縄文―弥生―古墳・・・江戸、明治と言っている話の始まりが、世界語の「後期旧石器人」では木に竹を繋ぐ違和感であり不適当です。また、用語が長過ぎます。人類史や日本祖史を論ずるのに、生徒が舌を噛みそうなのも適切でないです。結局、世界に知られた縄文Jomonの前、約4万年前からの日本史始まりの祖先は「祖代Sodai」の「祖人Sojin」が相応しいでしょう。Jomonのように世界に理解してもらい定着させるには、祖人Sojinを国内で汎用しJomonの初代誤解も解くことです。教室の周回遅れを取り戻し、世界に発信、国際共同研究による更なる探究の推進です。  -日本祖代研究会(SGPJ: Study Group on Proto-Japanese)

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