先史の「補助線」、アジアの楽園Sundaland-”Garis tambah”dari dalam prasejalah

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これまで出アフリカ後の現生人類の展開、古さを誇るタミル文化と先史時代のアジアの言語について考えてきました。

人類の展開言語11.16peg

A. 日本語は、地理的に遠いタミル語が近しいし、アルタイ語の影響もあると言われながら、隣の中国語と異なるのは何故か?

B. 男性ミトコンドリアDNAが、地理的に遠いチベットやインド洋のアンダマン島の人たちと近しいのは何故か?

これらのことを考える参考図が下図です。人類の進出展開から考えて行けば、ABそしてC-Fまで太古の東部ユーラシアは共通性ある言葉でしたでしょう。

言語図アジアpeg11.23

その後、強い内陸族の言語が拡がってE,Dなどでは痕跡が失われたのでしょう。

人の古いタイプのDNAや基層と言われる言語の痕跡は、タミルと島々(日本など)や陸の孤島的な地域(チベット、雲南など)に残ったということでしょう。

3500年前頃に、台湾-比とタイ-マレーの両ルートから大陸人の大きな南下移動(図の青線)があり、楽園の祖先・祖語Aは大きく変容しましたa’。

丁度、縄文人の暮らしている所に新たに大陸や朝鮮半島から弥生人や渡来人がどんどん入ってきたようなものです。

従って、単に現在の状況を見ただけではよくわかりません。その基層に注目する必要があります。

よく日本とポリネシアの近さが言われますが、ポリネシアは、たかだか3千年前くらいに楽園地域のラピタ人が進出展開していったものです。

黒潮流が両者の関係のロマンを生みますが、日本にはポリネシア人よりずっと前の3万数千年前から現生人類が、1万数千年前には土器を持つ縄文人が暮らしています。

従って、Aから進出していったポリネシアAPからというよりも、長い間にA,C,Eから沖縄諸島や朝鮮半島経由で日本列島へと伝わった影響が大きいと考えるべきでしょう。

日本、ポリネシアという島々に共通の痕跡がある事情は、先に述べたとおりです。

即ち、双方の基層となった「南方語」と言われる楽園Sundalandの言葉を認識する必要があります。

木、石、果物など生活の基本的な言葉の起源がA,Cであり、アルタイや朝鮮語にはなく、魚、酒なども同様で、古語で箱・bakoは竹で編んだ篭のことで朝鮮含め起源はAだそうです。(村山七郎 日本民族文化誌)

今私が使ってる辞書でも、篭はbakul、そして行商のオバさんもbakulなのは納得させられます。

問題は、単に「南方語」と表現されるためイメージがはっきりせず、軽視されていることです。

我らの万年の祖先や祖語であるアジアの楽園Sundalandの人々や言葉に固有名詞が無いからです。

実は、西ジャワにスンダ人がいますので、蘭学者によるSundalandの命名も適切でなかったです。ジャワ人たちはもとより、マレーシアなども納得しないでしょう。

同様に、インドのネシア(島々)という附属的な国名もひどいものです。これら植民地支配者によるネーミングを変えることが、正しい認識に至る第1歩と考えます。

Indonesia, artinya nesia India, nama negari itu harus diubah.

無論、固有名詞が無いのは陸地過半が沈んで今は無く、また、先に述べた2ルートからの現在に及ぶ民族南下の影響が強かったこともあるでしょう。

しかし、このアジアの楽園Sundalandを祖先・祖語Aと認識することは重要で、アジアの先史理解の言わば「補助線」です。

言語図アジアpeg11.23

この補助線Aを認識すれば、これまで採り挙げた日本と台湾、比、江南、チベット、雲南、インドネシア、タミル、アンダマン、ポリネシアなど、例え遠隔地との関係であっても歴史の流れの中で理解できます。

次回は、活字資料に登場する昔の日本、倭について、楽園地域などとの興味深い関係を紹介し、考えます。

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