日本祖人の初渡米(2)

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Youは、何しにAmerica へ?

TVインタビュアーの質問に対し、日本祖人が、答えました。

3万年前に、引き続き北海道から次々に見える処女地で手つかずの食料がある島々や沿岸陸地を越えて北上して行ったら、入っちゃったんです。

そりゃ当時はカムチャッカからベリンギア地峡沿岸を入って行けば、国境標識も無いですから気が付くことも感慨を抱くことも当然なく、カナダを経て米本土への進入もそういう同じ事情でしたね。

偉大かつ幸運だった、昆布ハイウェイ

当時、北極海の冷水は地峡があったためにベーリング海に流れ込まない、ハワイに繋がる比較的温かい海でした。

世界の学者は長い間、最初にアメリカに来たのは、シベリア(B)からだと考えてきました。

近年、Bのルートで米国本土へ入った時期とOregon州で見つかった遺物(実は南米の遺物なども)の時期などから、特有共通の石器を使うクロービス文化人を含めて北太平洋沿岸ルートが注目されています。

しかし、依然として何となく、B人が来たというイメージがあります。

それは、①A海の民の日本祖人が、北海道にまで北上して3万年前に雪の中でしっかり暮らせていた事、また、千島列島越えは次々に行く手の島々が見えていたこと、

②北太平洋沿岸が比較的暖かく、北海道と最寒のBeringia地域の真冬の温度差は想像に反し差が小さく、また、「昆布ハイウェイ」と呼ばれる海の民の移動生活に適したルートであったこと、

③何よりも海水面の数十m上昇により沿岸生活痕が海中で、残る痕跡は後から来た強いBのものが殆どであることなどが、よく認識されていないからでしょう。

極東シベリア東部チュコト地域でのBの時期・状況もはっきりしません(15,000BP頃?)。簡単に海の民への切り替えは、出来ないでしょう。

そして、④今もって、当時の温かったベーリング海沿岸の気候、地形、食料になる動植物の状況、移動生活の要領などが、学際的に研究され想定されていないからでしょう。

従って、今もって日本祖人が新大陸アメリカへ渡って行ったことをしっかり研究記述した論文は世界に有りません。(欧米人にとっては、地図の一番右と左を繋げていくことが思いのほか難しいのかも?)

いずれにしろ最寒期(LGM)には、ルート上で最も緯度が高く寒いベーリング地峡沿岸を、舟で既に通過して行ったA:日本祖人の家族群の南下した移住成功確率が一番高かったでしょう。

海中の遺跡が見つかっていなくても、周辺の遺跡等の諸状況から、理論的にこういう提唱をすることがあっていいTheoretical ancientology「理論歴史考古」(遺跡・遺物の学でない)分野もまだまだ低調、未熟です。

沿岸をシベリアから来た人たちが海に慣れたB’の人たちとして生まれていれば、Aに続きましたが。
Mr. President Trump, they were the first Americans !
https://youtu.be/BGrhO1ntyYo

(了)

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