(3)史上の「宝の島」からフェニキアPhoeniciaについて考える

カテゴリー: 前線ルポ,最新情報

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前回お伝えしましたように、フェニキアPhoenicia人の一般的なイメージは、地中海貿易で活躍し、その後の欧米文明の源とされるギリシャ(サラミス海戦 480BC)、ローマ(ポエニ戦役第1~3 最終146BC)に敗れた助演、いや敵役というところでしょう。

 しかし、その地には7千年前の宗教施設、居住跡等の遺跡が残り、DNA調査ではこの地で12,000年前に遡れる人たちだそうです。
十字路と言われる地で北には貿易ライバルのウガリットがおり、ヒクソス、ヒッタイトそしてエジプトなどに侵入したSea Peopleと呼ばれる盲動集団、更には東方のペルシア帝国などの攻防、興亡の地にあって、長期にわたるその遺跡に破壊された痕跡がないということが発掘した研究者を驚かせました。
ライバルのウガリットの地には破壊された痕跡(BC1182 陥落)があります。

興亡の中、常に地位を保って生き延びたことはフェニキアの特異な性格を示すものでり、その魅力、政治性や町の防護力などを示しています。

下図は、フェニキアの中心ビブロス(エジプトのパピルスの語源と言われる)周辺の興亡の地です。東方のシリア・パルミラは、最近ISISにより貴重な遺跡がかなり破壊さたことで有名です。シドン、タイアを含め3地の勢力が特に活躍しました。(wikipediaから作成)

そしてよく知られる貿易網は下図のとおりで、ギリシャ、伊ローマを除き一集団としては傑出した広域性を示しており、ローマの制海権の中、ヴェニスにも拠点があったという資料もあります。

ギリシャとのサラミス海戦(紀元前480年)に敗れてカルタゴに重点を移し、結局ローマとの長期3戦役(ポエニ戦役 紀元前264年から紀元前241年)も一時は遠征した名将ハンニバルが仏からの「アルプス越え」で進入し、ローマの心胆を寒からしめましたが留守の本国がローマ軍に崩されて結局敗れました。

最後は地域も人も徹底的に破壊されて歴史の波の中に消えていきました。しかし、各地の貿易拠点など受け継がれたその文化はあった筈です。

 

アラブキャラバンなどとの陸上貿易もありますが、フェニキアと言えば以上のようなイメージです。

他方、それ以前のあまり知られていない東方での貿易・輸送は、紀元前26世紀エジプト第4王朝クフ王の時代、プント国”Punt”から黄金がもたらされたという記録があるということからそれ以前からの活動も推測されます。

全盛である紀元前15世紀  Hatsyepsut女性ファラオの時代にはヒエログリフに”Punt”の記録がかなり細部にわたりはっきりあり、また、3千年まえのユダヤ栄華のSolomon 王のほうも3年に一度”Ophir”からもたらされる金等に関し記録があります。

正にこれらの大スポンサーのAが望むものを見つけ、基本的には入手先のBが望む物をアレンジすることで大きな財を成しました。

有る物を届けるだけというよりもサイドビジネスの記述もあり、前回お伝えした近年のOphir情報では、更に現地開発事業というべき状況にも至っていたようです。(海外で活躍する日本商社のはしりのようです。)

そこで疑問は、地中海東岸の小国フェニキアが何故、東方でもいわば独占的に広域にわたる貿易を成し得たかです。

実は万年前のDNAから推測し得るそもそもの始まりから、舟を操り海に馴染む特性有る漁民として理解されています。(ここに至る以前も興味深いです。)

そしてフェニキアのレバノン杉と松が、アカシアや葦程度のエジプトなどにとって権威の源の宗教施設等の建設のための貴重品であり、かつ、フェニキアが伐り出して波のある外海を(カイロ河口まで)運び得たことが何処も成しえない決定的なことでした。

そして、Solomon 王には、東方において3年に一度という長期の大航海・滞在力という真似のできない行動力を発揮して金 、また、ヤハウェの神殿や王宮の欄干及び歌唄い達の竪琴や琴を造ったアルムグの木、その他各種の貴重品を届け財を成しました。

この「海の王子たち」と形容される傑出した操船航海、恵まれた木材による当時斬新な竜骨ある船体の造船、広域情報・交渉・海賊対策等の貿易力などに注目すれば、活躍の中から西洋文明の基礎となるアルファベットを生み出してそれが広域に拡ったのも不思議ではないです。

時代は下りますが、ペルシアアケメネス朝haxāmanišiya紀元前550年紀元前330年)とも折り合いをつけて生き延び活躍しています。

 

フェニキアは、当初はアラブキャラバンの運び込んだ香料、香辛料などでギリシアとの貿易も扱っていました。

が、ペルシア帝国下で地中海の貿易相手・拠点を競う同種の海運ギリシア、また、制海力を有し大帝国に発展していく異種ながらローマというこれらの眼前のライバルたちとは、結局折り合いはつかず、戦いに敗れ消え去った訳です。

基本が大帝国を指向しない・できない海の貿易大商人であったということでしょう。前述のファラオやSolomon王といった大スポンサーがいなくなった時代は、フェニキアが縦横に活躍する時代ではなくなったとも言えるのでしょう。

一つ注目したいのは、エジプトにとっての宝の島”Punt”、Solomon 王にとっての宝の地”Ophir” が今もって研究者を迷わせるその秘密保持、あるいは多少分かったとしても全く真似できない独占的な航海貿易力です。

フェニキアの長期にわたる東方航海貿易は、上図の紅海からアラビア海を経てのものですが、それではペルシアやインドの昔の状況はどうだったのか?その更に東方はどうか?については、次回、お伝えします。

以上

 

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