環太平洋海浜・舟行ルートRLPP説(1)―Teori RLPP yang manusia purba tersebar lewat pantai dan ke seberang laut

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Nara Akira    http://www.sunda-wind.net

当サイトは、昨年の十大ニュースのトップにHarvard Medical School の遺伝子専門家Prof.David Reich教授チームによる先史人のDNA分析結果を挙げました。

それは、南米アマゾンAmazon流域の先住3部族のDNAが豪アボリジニAboriginと最も近く、隣といっていい北米インディアンとは違うberbeda dengan Amerika Indianという驚きのものです。

これまでの人類史の定説は、2万―1.5万年前頃、ベーリング地峡からアラスカを通って北米に入った人類は、南米に入って1000年くらいの間に南端に達し南米域に拡がったというものです。

*ベーリングBering海峡 – Wikipedia

最狭部はデジニョフ岬プリンスオブウェールズ岬の間で、86km。深さは30–50m。海峡

の中にはダイオミード諸島がある。7月から10月以外の間は結氷状態になる。(問題にして

いる時代には、海水面は100m以上現在よりも低下していました。)

ハーバードチームは、アマゾン族の祖先2%は、豪アボリジニにとリンクしていること、南北アメリカへは複数波で現生人類が来ていることを明らかにしました。

また、出アフリカ後の古い人類であるアンダマン諸島人やニューギニア人と近い豪アボリジニの子孫は、may be を付けてますが、ベーリング地峡から北米に入ったインディアンよりも早い時期に南米を「colonize植民地化」 したとしています。

そして、may haveをつけていますが、広大な太平洋を横断してcrossed the vast ocean expanseと。しかし、北側の氷床ice sheetsを通って北に来ることもできたがと。

(下図のDNAの近親性は、最も近い赤から暖色の順に。白色は近親性がない。)

即ち、人類がベーリング地峡を通って北米に入ったと言われているよりも早い時期(2万―1.5万年前puluh ribu tahun lalu以前)に、①舟で豪から南米に渡る ②氷床を通って北米に入り南米に至る。の2ルートが言われています。

しかし、

①は、ラピタ人が3千年前頃、楽園Sundaland地域から漕ぎ出し東方の太平洋の島々nesia(ミクロ、メラ、ポリ)に展開していったと考えられており、それ以前のしかも万年前の古い時代の横断の裏付けは全くなく無理でしょう。

②も人類はベーリング地峡手前で数千年以上の足踏みをした後、地峡を通ってアラスカへ入っていったと考えられています。

それ以前の時代において、言われる氷床通過は難しいでしょう。また、チーム自体が北米大陸通過に否定的なDNA分析の評価です。

従ってこれらのことから、人類が展開していった時代における北回りbalik utara馬蹄型penbentukan tapal kudaの環太平洋海浜・舟行ルートRLPPの存在を提案するproposalものです。

南回りルートは、文字通りとりつく島がありません(南極経由は論外ですし。)、また、時代は下りますが関連で、米太平洋岸で縄文土偶が、南米北部で縄文土器と同様のものが発見されるなど日本列島人との関わりが発見されています。

(RLPPとは、当サイトの下図中のインドネシア語拙訳の頭文字をとり、海浜のpantai・舟perahuの2つのpは・で結ばれる内容から1つにしました。)

RLPP説は、紹介してきました豪アボリジニとアマゾン部族の問題から、むしろ今の世界に生きる肌の色も違う全ての人々の祖先、即ち出アフリカを果たした後の現生人類の展開の歴史に関わる問題を提起することとなります。

それは、アボリジニAboriginの豪とアジアの楽園Sundaland、日本Jepang列島の関連の重要性hugunbang pentingを浮かび上がらせるものです。

更にこのことは、実は報じられていない注目すべき重要なことが秘められていると考えており、次回更に説明していきます。

 

 

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