日本の始まり、「祖代」の激動を経て縄文の熟成へ 

カテゴリー: 最新情報,祖代(Sodai)・祖人(Sojin)

石器に残された(第1図)当時の暮らしぶりの変化から、わずかな発見人骨や遺物(海を越えた黒耀石採取・交換、陥し穴猟、釣り針などを含む)を基に、年表を作成する(第2図)と表題のように思われます。教科書では「旧石器時代後期」という用語ですが、当然に欧州とは違いますので誤解の元です。

始まりの「祖代」(Sodai)は、列島中に拡がって地域に応ずる海・川辺と内陸での同様の生活が確立された①前期、九州はもとより西日本に大きな災害をもたらした姶良大噴火と世界的な最寒期に襲われた自然対応の②後期、そして寒冷から温暖化によって草が減って大型動物が絶滅に向かい、中型以下の動物を獲るに適した細石器の工夫を携えた北方系の人々が北と西から影響を加えた変革の③晩期と区分されるでしょう。この長かった祖代は、現代の我々から見ても激動期と言って良いと思います。この時代を乗り越えた経験は大きな特色であり、縄文時代にも噴火や寒冷化・温暖化はありましたが、総じて定住・弓矢・土器の行き渡った四季に応ずる生活文化の熟成が果たされた「縄文文明」期になります。

「祖代」は原始時代とされ、何かというと縄文から語られることが多いですが、2万年を超える激動のこの経験なしにはとても縄文文明は語れません。何を信じタブーとし、良し悪しとし、旨いと感じ、物作りして交換し・・・、長かった祖代に基礎は築かれたのだろうと考えます。そして、 この祖代・縄文時代が習俗・文化の基層となって、その後の渡来文物や激動を吸収し発展させて来たものと考えます。


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