日本祖人、“海の民”性を人類史の始まりの方から探る

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前回は、縄文人より2万年も早かった陥し穴猟から日本祖人を探りましたが、今回は人類史の始まりの方から探ります。

学界をリードする欧米は、遺跡遺物が豊富なネアンデルタール旧人、クロマニョン新人という陸地で活躍した人たちの暮らし振りから主に先史を捉えています。

しかし、猿や旧人とはっきり違う新人・現生人類の大きな特徴の一つは、「海・川辺のサル」というべきものです。

最古級の新人遺跡である南アの海岸洞窟は、主に水産物を食し、オーカー塗料での彩色や貝ビーズで装飾したヒトの知力ある生活を明きらかにして世界を驚かせました。

アフリカを出た初期の人類にとって容易な海岸移動ルートでは、水産物や小動物・植物食料の得られるマングローブやサンゴ礁などは、万年の痕跡発見は困難ですが重要であった事でしょう。

更に、祖人が出て来た東南アジアSundaland地域では、当時の陸地は恐ろしい巨獣・蛇などが跋扈していましたので、海の民性は地上での重要な暮らしぶりであったと考えられます。

当時の海・川辺の「見つからない暮らし」は、他所や現代にも痕跡が見られる「有ったであろう暮らし」です(理論考古先史学の原則)。

「曙海」を家族が舟で渡り九州にやって来て、列島中に拡がって行った日本祖人は、そういう先人の子孫です。

であるからこそ、北海道で留まることなくアメリカ新大陸へと「昆布Kelpハイウェイ」を通って入って行ったのです。

(了)

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