日本祖人・子孫の環太平洋進出

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標題につきまして、新たな興味ある内容がFacebookに紹介されていましたので、整理し紹介いたします。

Nara Akira : https://youtu.be/BGrhO1ntyYo 海の民の復権を!
既にお伝えしましたケネウィックマンKennewick manよりもずっと古い下図の南米チリのモンテ・ヴェルデ遺跡(14,000年前頃)が多くの遺物と共に発見されています。

そして、南太平洋東部に人類が達したのは紀元後数百年、この両者は万年と千年で全くゼロが一つ違います。他方、雪の寒冷地の北海道に3万年前頃には日本祖人が遺跡に遺物を残し生活しています。

既に人類は、豪Australiaに海を80km位渡って5万年前頃に進出しています。当時の千島列島の島間距離はそれ以下でしかも次の島はいずれも見えていましたので、渡って行ったことでしょう。

当時は、ベリンギア地峡Beringiaによって北極海の冷水が入らない、ハワイに繋がる沿岸は氷河期とはいえ2.5万年前ころは寒冷が緩和され、北海道を経験した日本祖人は沿岸を移動して行けたことでしょう。何しろ、食糧豊富な地でしたので。

その地峡をシベリアSiberia内陸方面から大型哺乳動物を狩猟する民が渡っていったのが15,000年前頃以降ですので、日本祖人「海の民」が、米大陸に初めて渡ったと考えていますし、更に子孫は南米にまで沿岸を拡がったと考えます。

後でシベリアから来た人たちに押されて主役の座を失いましたが。

加えまして、関連の第1は、下図中央の鏡面対称性です。アジアと北米の海岸性環境や例えば昆虫に見られる類似性など生物群集の比較が興味深いと北大の大原教授が言われています(「モーリーNo39号」)。

時代に応じ寒暖・氷床などが緯度を上下しましたし、陸路、鳥、風、海流での生物移動もありました。

日本祖人は、言わばベリンギアへ登山し北米に下山して行った感じで誠にラッキーでした。しかも環境は祖人にとって厳しかったですが、山の高度は丘というべき北海道からの沿岸ハイキングでした。

第2は、Dhani Irwantoさんが、プラトンとSundalandに関して詳細な研究を本にしていますが、同地について、万年の昔に恵まれていた言わば始原の楽園であったことはもっと注目されて良いと考えます。

この楽園地域での多くの部族の文化を携えて海の民が、日本列島へ北上したことを考慮する必要があります。フィリピンからのルートもありましたでしょう。

また、南米チリの古い遺跡はどう解釈すればよいのかと言えば沿岸南下と考えるほか道がないですし、カナダで獲れた最大級のエビは、北太平洋の海獣、鮭など恵まれていた沿岸食料を象徴しています。

そして、既にお伝えしました2タイプ論を踏まえますと、沿岸地域を日本祖人が最初に渡米して行ったことが整理され理解できます。

以上の事から、現生人類の出アフリカから南米まで、この環太平洋進出説によってムリなく理解でき、この日本祖人「海の民」の人類史おける重要性を提言したいと考えます。

(了)

 

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