ギョベクリ・テペ及びグヌン・パダン合同シンポジウム

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2015.3.24 ギョベクリ・テペ及びグヌン・パダン合同シンポジウム

バンドゥンのインドネシア科学院LIPIにギョベクリ・テペ研究ジャーナリストのAndrew Collins(英国)を招いて行われ、グヌン・パダンについては、LIPIのDanny Hilman博士が実施しました。万年を越える両遺跡等について、興味深い説明がありました。

1.時期・場所
・3月24日 09:30-16:00
・インドネシア科学院LIPI 10号館1F,3F
会場1階には、関連パネルが展示されていました。

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2.興味深い内容
(1) Andrew Collins .
ア 北から来た人たち
遺跡建造に関わった人たちは、黒海北側のSwiderian地域に居たが、ヤンガー・ドリアス寒冷期(13,000-11,500年前頃)に黒海東側をコーカサスに南下し、トルコ東南のギョベクリ・テペに至った狩猟採集民族である。当時の住民数は分からない。数千~1万か。
GordonChilde等によれば、元々は、4万―1万7千年前頃、東欧で勢力を有していたGravettiansで、ドン川沿いの上中流でも遺跡が発見されている。(紹介された想像図では丸太小屋に住み、フード付の長いコートやマントを着ている石器時代人である。)

イ テペ遺跡
テペ遺跡は、11,500年前ころのものだが、近くの南東(約37km)にKarahanテペ遺跡があり、10,500年前ころで、同じくT型の巨石建造を行っており、巨石の切り口もシャープである。
まだ地下にも遺跡はある。地域は、200m×300mくらい。一時伝えられたほど多い数ではない。

ウ 寒冷気候変動
原因は、彗星群の衝突によるものと考えられ、オオカミの石彫りは尾が彗星、手足がその抑制のシンボルと考えている。シャーマンが戦っているものもある。

エ 遺跡軸線の方向と星座
遺跡中央の2大石柱の真ん中から入口の方向の軸線は、真北から18度北北西で白鳥座のデネブ星に向いているが、グヌン・パダンとこの点は同じである。中国や日本の織姫・彦星神話が相当する。

オ 黒曜石
テペ人は、洗練された手法の狩猟族で、シャーマンがおり、交易者で、鉱物特に黒曜石の使用に優れていた。15,000年前ころバンドゥンの山斜面にも黒曜石の製作場があった。グヌン・パダンとの黒曜石文化があった。

ギョベクリ・テペでは、金属でなく石工具で石柱及び動物描画作業等が行われている。

(2) Danny Hilman博士
ア カタストロフィによる人類史における気候変動及び人類数の増減について考えるべきで、1000年前、産業革命まで何万年も人類数は一定で少ない定説に疑義あり。フローレス人の存在とその消滅は、ヤンガー・ドリアスYD期のカタストロフィ気候変動によるのではないか。

イ YD期を終わらせ急激温度上昇をもたらしたのは、太陽プラズマの爆発かも知れない。プラズマの起きた場合の形態と古代人の絵に類似性がある。マンモス消滅、北米クロービス文化消滅、火山活動の活発化、ギョベクリ・テペ建設、スンダランド陸地の変化など画期的な事象が表れている。スンダ海峡では、音響探査で海中に港のような形が出ている。

ウ タイランド湾内の灌漑遺構
湾中央部で、海中に大河から枝分かれした網の目のような人工運河があるが、1万年以上前の灌漑遺構か。(まずは洪水の治水、乾季の食糧生産であることから灌漑遺構であろう。)

エ スラウェシ島等の巨石文化
おなかの前で手を組んだ石像は、ギョベクリ・テペと類似で、彫られた動物にも類似性がある。また、石器で作るのは容易でない滑らかな曲 線形状の巨石遺物がある。メキシコとスマトラ巨石像の類似性もある。

オ グヌン・パダンの概要及び石柱、構造及び年代、発掘遺物
スカブミ西(チケンバン)を中心とする50km圏内にグヌン・パダンの他に6ケ所の巨石ピラミッド等が確認されている。(やはりスカブミ地区は注目される。)
第5テラスは、石積斜面に土を盛った部分が大きい。
最下層は、蛇の鎌首溶岩の頭部上面の安山岩層である。(灰白色の柱状列石は、周囲が緑の中、目だった景観を呈していたことと思われる。)

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