(夏休みの宿題提出) 人類移住史の北海道ルート千島越え、如何に、誰が?

カテゴリー: 最新情報

図右①右下、2.3万年前の米ニューメキシコの足跡ショックの「最初のアメリカ人」論議は、北太平洋沿岸からの進入説が強まり、依然として北海道ルートに光が当たっています。

約4万年前に九州に家族で渡海し、伊豆の海で黒耀石を求めて行き来していた経緯を踏まえ、寒冷当時は冬に南下した流氷を歩いて渡ったかもしれない千島列島越えを、フネで越えた場合を検討して可能性があった事は、難所を含めて次々に島が見えたことなどから導きました。

そこで問題は、フネの場合、具体的に如何にHowです。3万年前頃の実証はできませんが、候補として②A木の舟か、海獣の革舟ウミアック(腐らない寒冷限定)が挙がります。

画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: e85e9da7903e3a90b23b2fc0322b8b49.jpg

Aは、その後の温暖化した縄文人の太い丸木舟(161発掘実証例)系統の木舟で、明治期までの海民ルートンが使用していたものが写真の流木利用のものです。英人スノーが貧弱な工作道具、材料に比し「巧妙」に造られている独特のモノと褒めています。板と板を隙間なく繋げ、当て木を付け、鯨の腱や骨繊維で縛り、その孔は木釘で塞ぎ、内側合わせ目はコケを詰め込んでいます(千島列島黎明記、明治初年)。Bは革張り舟で、同じく流木で骨組を作り、アザラシなど海獣の皮をなめして覆い、同様に腱等で縫い縛ったモノで、孔は獣脂で塞ぎます。皮が腐らない寒冷で水温の低い所に限られます。5~20人用が造れ家財道具を積んだ移住に適しています。

実は1976年、中世から語り伝えられている聖ブレンダンが60名余りを連れて約束の地に革舟で赴いた伝説の聖ブレンダンの実験航海(アイルランドから北廻りでグリーンランドを経て北米カナダの東岸ニューファウンドランドの沿岸航海)が行われました。

人々がバカにした予想に反し、あのタイタニック号が沈没した海域通過でしたが、舟は柔軟で高波の衝撃を吸収し浅い喫水は暗礁地域の航海に強く、冷水で防水用の獣脂が固まって耐航性能が向上し、難しい航海を無事果たしています。また、日本においては、3.8万年前の伊豆の海における行き来は氷河期であり、目的の神津恩馳島にいたアシカの革が使われたのではという見解(明治大 池谷信之)が出されています。仙台にまでオットセイなどの海獣がいた時代でした。

画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: e85e9da7903e3a90b23b2fc0322b8b49.jpg

3万年前頃の事ですから、A、Bタイプの素朴な型でしたでしょうが、いずれも当時の千島列島北上(難所80km越え)の諸条件に適応します。ルートンは木舟、北の米臨海アレウト族は革舟というように、南から北へ上がっていく状況で、腐らないモノに型式を替えていったのかもしれません。が、ともかく可能でした。

最後に③「誰が」は巷間に誤解が多いので付け足します。先ず、北から南下移住をイメージさせるマンモス・ハンターは北海道にうかがわせる痕跡なく、しかも最近の米国における実験考古学では、マンモスの毛と皮膚・肉が厚く、北米や北海道で発見されている程度の石器の槍で、数人が襲い掛かってハントすることはムリだと否定されています。せいぜい群れから離れた、病気やワナにかかった、あるいは子供などの狩り程度の話です。千歳や帯広などの道内の最古遺跡と台形様石器の本州品との類似性などから、北海道の先住民は青森から狭くなっていた津軽海峡を越えて適応した北海道祖人Proto-Japanese Hokkaidoであり、3万年以前は確実、3.5万年前後の可能性が高いと考えられ(東京大 佐藤宏之、南山大 出穂雅実)ています。ずっと後の2万年前頃、細石刃文化が沿海州・樺太から伝わったとみられていますが、万年の時代違いで誤解の元です。ましてアイヌに至っては、せいぜい鎌倉時代(実証人骨は室町時代?)からで全く別の話であり、世界の学者にもある誤解を正す必要があります。子供に世界に、国際共同研究による本件解明の深化を、と訴えます。

画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: e85e9da7903e3a90b23b2fc0322b8b49.jpg

始まりの人類史は、あたかも今、宇宙ではその過半を占めるとされるブラックマターが注目されているように、100m級の 海水面の上昇によって海底に埋もれてしまっている見つからない海民の暮らしの歴史こそが、主体であって重要なのです。

↑トップへ