Nature先生、それはトンデモ無茶、約4万年前に北部九州に多くの家族が渡海し、3万年前には沖縄から北海道の列島中に拡がっていた日本祖史から縄文史の基層をよく知らない誤解です! 当然に祖語を話し 事物に命名し、言葉を交わす作業・交易・交歓の諸活動が有りました。 言葉の事なら、先ず、元日本言語学会長松本克己博士の環太平洋言語圏を理解してからの事です。


図左、巷間本・博物館の3方向渡来図は誤解を招く誤りで、北部九州からの沖縄南下、北海道への北上史が基本です。その後の流入による入れ替わる(先住者が全滅する)大変化は確認されていません。

元日本言語学会長 松本克己博士の環太平洋言語圏がお仲間で移住痕跡。

図左、出アフリカから東進し、変化した東南アジア・インマレイドが北上して寒気等に適応し顔・身体変化したモンゴロイドとなり、逆に拡散南下しアメリカへも。右図、北上南下しムリなく最初のアメリカ人に関わり得る状況でした。

世界でこれほど万年の古さで年表を描ける国は無いです。考古学史上の金メダルもたくさんありますので。何より縄文からしか語れない人は、周回遅れです。よく分からないと凄さを説明しない学者・先生はおかしいです。

アメリカ学者には、最初のアメリカ人は、北海道からという仮説を言い出している人がいますが、それをサポートする東南アジア~日本列島の海民性の史実があるのに、日本学者は発信しない教えないという問題です。

世界によく知られていませんが、日本には旧石器遺跡が1万件超え、北海道に701件で、図のシベリアやアラスカとはけた違いの充実した基盤に裏付けられているのです。

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「アジアから来た」は学界で認識が一致、そして前回の顔と無氷回廊の開閉からの考察で、一般に何となく今も思われている大陸の内陸モンゴロイドのマンモス・ハンターが「最初の」ではないことが導かれ、環太平洋の沿岸民(語族:元日本言語学会長 松本博士))に光が当たりました。

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そもそも①私たちの原郷と言うべきスンダランド(今は過半が海面下)地域は、洞窟絵に舟を描き、世界初の約90kmは海を越えてからオーストラリアに入って行き、その帆掛け舟(ラピタ人)は縦横無尽に広大な太平洋に乗り出して行った海の民で、近現代のスラウェシ海民は特に有名です。沿岸を北上し②約4万年前に北部九州に「渡海」し、何よりも3.8万年前と言う昔に伊豆の海を東京諸島(神津恩馳島)に黒耀石採取に行き来していた事が圧巻です。その始まりと島国である事から、③中世には倭寇と悪口を言われる東シナ海の覇者であり、その後、北前船が列島で活躍し、沖縄糸満の厳しい鍛錬の海の男たちがサバニを操る漁撈のスペシャリストとして知られている海民性(太平洋側も)を示しています。そして、④アジア人が、アメリカ北西岸をフネで入って来たとなれば関りが注目される北海道は、旧石器遺跡が701件とゲートウエイ発地に相応しい基盤で、東部シベリアやアラスカとは全く桁違いの充実です。

北千島・カムチャッカ南部に居たルートンは、石器・骨器を使っていた、縄文人的な竪穴住居を使用する、一家で移動して島々で暮らす、千kmを「遊動」した旧石器時代的 な海民であり、昭和12年の調査人骨からアイヌではない・以前であることを窺わせる注目の種族(現在は消滅)で、海民の伝統を受け継ぐ北海道祖人の関りの可能性を支持しています。関りが指摘されるアレウト族は、ロシア人もびっくりの北の海の海獣猟のスペシャリストです。問題はこれらのことが十分に世界に発信されず、子供に教育されていない事であり、北海道祖史・ルートンの研究解明が世界に期待されていることの認識が無いことです。抜本的な改善と国際共同研究が必要です。

前回の顔話の続編です。1図出アフリカの現生人類が東進して、海辺・熱帯雨林等の暮らしから、東南アジアSundaland地域でA「インマレイド」に変化し、その後、高緯度へと北上(環太平洋系)し B 大陸系を混じえて寒気・降雪・強風で顔・身体が大きく変化し C モンゴロイドに。そして、一般的にこの大陸系モンゴロイドが、ベーリング地峡からマンモスを追って入って来たと長く考えられてきました。

これらA、B、Cが「最初のアメリカ人」First Americansに関わり、現在ではベリンジア南岸の一時的列島(Temporary archipelago:英ケンブリッジ大等チームが命名))から進入し、北太平洋沿岸を南下しました(基本①)。図2当時の北米大陸は、厚い氷床(最大時2-3km)に覆われていましたので、無氷回廊は開かれておらず、今に至る大陸モンゴロイドの大きな影響に惑わされますが、沿岸・昆布ハイウェイのルートよりも後の進入だっただろうというのが新説(基本②)なのです。これらを踏まえて、アメリカ新大陸の発掘復元の顔を考えると、万年前のロス・テキサス女性やまあケネウィック・マンも大陸系・モンゴロイド(BC、朝青龍の祖先)の影響をあまり受けていない環太平洋系(祖人・縄文人含まれる)の顔であり、その後の米先住民インディアンの例えばシッティング・ブルの大陸系・モンゴロイドの影響を受けたキツめの顔とは異なっている(基本③)ことが分かります。これらの事から、ロス・テキサス女性よりも古い、オレゴン州で糞石を残した人(1.6-1.4万年前)、ニューメキシコの足跡子供(2.3万年前)はインマレイド環太平洋A系となり、沿岸北上A-1の祖人(次代が縄文人)は有力候補なのです。無氷回廊が開いた後に入って来た大陸系、モンゴロイドの今に至る影響力が大きく、また、何でもモンゴロイド(新・旧)としてしまっている欧米学者には、これらのことがよく分からないようですが。

なお、1図北上Aのみならず東進Bの影響もあるとみられる複雑なモンゴロイドC化及び東西進・南下は、最寒期LGM以降で比較的新しいとみられています。ともかく「最初のアメリカ人」は、1.北太平洋沿岸からの、2.モンゴロイド影響のないインマレイドA北上の環太平洋系で、3.時代的に北海道祖人Proto-Japanese Hokkaidoは有力候補であり、4.米の足跡子供は日本祖人と、オレゴン「糞石人」は時代的にまあ縄文人と同系である、ことなどが導かれるのです。何でも「よく分からない」として無視し教えないのは、今や周回遅れの大きな問題なのです。北海道・日本の状況を世界に発信、子供に教え、国際共同研究の推進を。

前回の日本列島ルートから1歩進めた米専門学者の北海道発進図です。原図では空欄になっている祖代前期(4~3万年前頃)の遺跡を下図で付しました。

関連の地域遺跡とは、桁違いの充実な事がよく世界に認識されていないのではと懸念します。また本件論議のあちこちで、鎌倉時代登場のアイヌの名がしばしば出てくる誤解も正す必要があります。「よく分かっていない、はっきりしない」と言う態度でなく、積極的に日本が見解やデータを発信して参加することが求められています。新たな発見があれば修正が学問です。熊や北キツネが石器を扱うことは有り得ませんから、来なかった北のマンモス・ハンターではなく、狭くなっていた津軽海峡を越えて北海道に適応した青森人の生活痕跡なのです(北海道祖人Proto-Japanese Hokkaido)。できれば本件の国際共同研究の主導を、北海道いや日本の祖代史を知ることですから。まずは子供にこの事を。

米国の歴史サイト動画が、初めてはっきり人類移住史における日本列島通過の環太平洋沿岸ルート(赤細線)を描き、図中の沿岸と内陸の2ルートに関しても説明して多くの視聴を集めています(日本祖代研究会のMPOR説に同じ)。

さて、当時の北米が厚い氷床に覆われて無氷回廊は未だ開通していないので沿岸が注目され、英ケンブリッジ大等が当時のベリンジア南岸の地形は、小島が連なる一時的な列島Temporary archipelagoと命名しているルートが新定説です。すると「誰が」については、A沿岸ルートは北海道が注目され、北上の2ルートが。問題は内陸で、南方北上のA-2(おそらく先)と西から東進のBが1.を、これに2.a-2も絡むことが考えられます。そしてベリンジアでこのXは、地峡を東進してカナダの方へと、沿岸へ南下して海民化が一応考えられる複雑な様相となります。実はその古さから無視されてきたブルーフィッシュ遺跡(2.4万年前)もニューメキシコの子供足跡2.3万年前で光が射すと、A日本列島経由の海民系がユーコン川を遡上した可能性(赤点線)が出てきます。

このように興味深い複雑性を帯びますが、分析はベリンジア周辺を注目するだけでなく、シベリア・バイカル湖や日本本州、南米モンテ・ヴェルデ遺跡などのように、遠隔地の解明が大きな影響を与える可能性もありますので、水中考古学分析などと共に広い視野から追究されねばなりません。実証されてないからと全く扱わない教えないは学問ではなく、こういう状況だと紹介し論議すべきです。いずれにしても、日本の祖代史、特にゲートウェイである北海道祖史を子供に教育し、世界に発信、鎌倉時代に樺太から登場(北海道大学のDNA分析)のアイヌは関わらないので誤解も正しましょう。日本が主導して国際共同研究の推進を。

英ケンブリッジ大 Professor Eske Willerslev ・ Lundbeck Foundation GeoGenetics Centre 等は、シッティング・ブル(1831~90年、本名タタンカ・イヨタケTatanka Iyotake:大酋長・統率者は白人の誤解、戦士であるが部族の調停者・偉大な呪術者、ララミー砦条約時代の有名なNativeインディアン)の 5-6cm piece of Sitting Bull’s hair のDNA分析(This research was funded by the Danish National Research Foundation)により、Ernie Lapointeさんを現存直系で最も近いと「ひ孫であることを認定」したと Science Advances が報じました。

Autosomal DNA from Lakota Sioux leader Sitting Bull’s scalp lock was compared to DNA samples from Ernie Lapointe and other Lakota Sioux.

Sitting Bull’s bones currently lie at a site in Mobridge, South Dakota, in a place that has no significant connection to Sitting Bull and the culture he represented. He also has concerns about the care of the gravesite. There are two official burial sites for Sitting Bull – at Fort Yates, North Dakota and Mobridge – and both receive visitors.

With DNA evidence to back up his claim of a bloodline, Lapointe now hopes to rebury the great Native American leader’s bones in a more appropriate location.

問題は、左図の人たちの顔とブル・イヨタケの顔の関連をどう理解しますかというモノです。次回に説明します。

現生人類は、出アフリカから東南アジアに東進し変化した「インマレイド系」が北上し、寒気・雪・強風に適応して右下「モンゴロイド」に大きく顔も身体も変化。写真からは、日米の古い人々は「インマレイド系」、また、日本列島人はまあゆっくり変化で今に。

米Harvard・ハンチントン教授、田中英道教授等の慧眼が理解されない一端は、 祖史の無理解にあります。 残念ながら学問的に強い実証を強いられる、関連する国内名著の関心記述にあります。

図右上段、確かに静岡県河津(桜の名所)の縄文・見高段間遺跡は黒耀石の工房があった素晴らしい遺跡ですが、世界の関心は38,000年前からの大昔にフネを造り(伊豆の木材は船材として有名)操って、①(おそらく専門集団が)伊豆の海を行き来し、②静岡東部から関東・長野でも黒耀石が発見される広域の交易の痕跡が金メダルですが、「よく実証できない」と広く世界に伝えられていません。始まり祖代は、黒潮が四国沖で太平洋に東進し伊豆には来ていませんでした。従って、むしろ親潮の分岐流があったか、流れのない状況で、重要な伊豆半島東部~大島の最短距離を漕いで行っても、今のように相模灘から房総沖へ流され、太平洋にもっていかれて漂流する危険はなかったのです。大きく見える大島に漕ぎ出せば、ともかく諸島に達し、神津・恩馳島で黒耀石を採取した帰りは宝物を積んだフネをかなりの部分で海岸沿いに引き、所によっては漕いで大島に至り、そこから漕ぎ出れば流されても伊豆(分岐流が有れば河津)に戻れたので、不思議でも、朝日新聞が報じた「謎」などでもなかったのです。更に、この地域(静岡~神奈川)では少なくとも3万年前と言う古さで企画・穴作り大作業を要する「陥し穴猟」があちこちで行われている高い認知レベルにあり、「原始」などではなかったことが重要です。

そのことは、 3万年前の航海として、台湾から黒潮を渡って沖縄・与那国島に渡海する貴重な実験航海がなされ記述出版されていますが、 そもそも図右下始まりの約4万年前に北部九州に多くの家族が30-40kmの海を越えて来た祖先の事が、世界的には注目すべき事柄なのです。問題は、①日本始まり祖代は約4万年前で海水面低下で生じていた「曙海」沿岸と「北東ア平野」と出アフリカの現生人類の北上の認識、②対馬と壱岐から五島までの当時の海岸線までの30-40km(陸地で繋がっていたは誤解)を越えた、③多くの家族がフネ(筏)で渡海して来て、その北部九州を起点に沖縄から北海道にまで拡がり、④今、2.3万年前のニューメキシコ子供足跡発見で改めて注目されていることなどが、国内で祖史がしっかり教えられていません。

子供に教育し、世界に発信し、国際共同研究で特に北海道の祖史の研究充実を。

米ニューメキシコの2.3万年前の子供足跡発見に学界は沈黙で、それは「最初のアメリカ人」はシベリアの狩猟族マンモス・ハンターとしてきたのが、どうも疑問だからでしょう。

発見の時代は最寒期LGMでシベリア東部の移住行動はムリ、それより早い時代だと無論考古学的に移住遺跡は無い(一時的使用とみられる1ケ所のみ)し、そもそもアフリカを出てから到着できたのか、また、北米は長く氷床で閉ざされ沿岸進入となるが、冬の北の海で海水に浸かれば死を意味する事から、マンモス・ハンターが小舟を操り猟をするのもイメージがしっくりしないのでしょう。そして今、北米で既に発見され、人骨の造形が復元されていたモノが実は注目なのです。欧米学者は、み~んな「モンゴロイド」としているので気づきませんが、前回説明のように、1.南方インマレイドと、北上して来て寒気・降雪・強風に適応して大きく身体変化した2.北のモンゴロイドでは違っていて、米国南西部で発見されていた古人骨復元写真は、南方インマレイド系の顔立ち、即ち日本祖人例(27,000年前の復元石垣島祖人)と同類なことが分かります。すると、ゲートウェイ北海道の祖人Proto-Japanese Hokkaidoは、候補に はっきり 挙がります。

①そもそも、30~40kmを家族で越えた北部九州への渡海始まり、②3.8万年前からの黒耀石を求めた伊豆の海の行き来、③仙台以北、津軽海峡越えで海獣猟や海藻などの昆布ハイウェイ暮らしに既に適応、④明治時代の調査で驚かされたアイヌではないルートンの旧石器時代の様な「遊動」海民の暮らしの存在などから、ベリンジアへ北上を継続して行き、一時的列島(Temporary Archipelago,英ケンブリッジ大等の命名)からの進入にぴったりです。今、世界人類史の研究最前線で、北海道祖人・祖史が注目で、日本祖代研究会SGPJの環太平洋移住MPOR説も補強されています。 日本学界もこれに積極的に参加し て周回遅れをキャッチアップし、世界に発信、子供に教育、国際共同研究の主導を。

「最初のアメリカ人」を数千年前の昔に遡らせ、世界の学者先生はアタマ抱えてコメントしませんが、出アフリカ黒人が東進してインマレイド、1図南方から北上して寒気・雪・風に適応し変化したモンゴロイド(2万数千~数千年前に変化)にという、移住の流れを「新・旧モンゴロイド」と言う誤解の元の欧米用語を正して理解すれば見えてきます。

2図ニューメキシコの足跡子供の他に古い人骨として、テキサス州のリアンダー女性、加州のロス女性の復元はモンゴロイドではなく南方インマレイド北上系を示しており、大いに議論を呼んだ米北西部コロンビア川岸のケネウィックマンは、①南方インマレイド北上系と②ミックスの2つの図があり興味深く、これら3人骨を考えれば、足跡子供は南方インマレイド北上系、つまり日本祖人・石垣島に近いことが導かれ、環太平洋移住(MPOR)説を支持し、日本からのゲートウェイの北海道祖史、北海道祖人Proto-Japanese Hokkaidoが注目なのです。

ともかく世界に発信して人類史オリンピックに参加、子供に教え、国際共同研究の主導を。

1図、現生人類史は出アフリカからの東進・北上(着色矢印)により、海辺・熱帯雨林暮らしなどで変化したA:南方インマレイドが、西方からの種族(B)も混じえて寒気・降雪・強風などに適応し大きく身体変化したC:モンゴロイドとなりました。

これを、ジンギスカンに心胆を激しく寒くされた欧州学者が、モンゴロイド旧、新という大雑把な区分で命名したのが誤解の元で分かり難くなっているのです。2図中央にモンゴロイドの特色ある人物一例図を出していますが、左側の日本における南方系の祖人から縄文人と異なることがよく分かります。問題は、今回アメリカ・ニューメキシコで発見され2.3万年前の子供などの足跡について、祖先は誰なのかです。一般人はもとより欧米学者も、「最初のアメリカ人」は内陸が大氷床に覆われていた時代なので北太平洋沿岸から「昆布ハイウェイ」を入って来た(沿岸進入説)と多くが考えていますが、それでは人はなるとシベリアの狩猟族と思っているようです。しかし、今アメリカ古人骨で復元されているのを見ると、9,500年前のテキサス州リアンダー・ウーマンもカリフォルニア州ロスアンゼルス女性も見て分かるように南方インマレイド北上系であり、その上の9,000年前で少し新しい、論議を呼んだケネウィックマン(ワシントン・オレゴン州境コロンビア川で発見)は、2つ図があり①南方系Aと②混在ACになっている大変に興味深いシロモノです。

この3人骨から導かれる結論は、2.3万年前足跡子供は、どれかと言えば石垣島人骨に近く、モンゴロイドではアリエナイ事が分かります。従って、発見に際しいつの時期のどんなシベリア狩猟族だったのか、そして何よりもゲートウェイ北海道の祖人Proto-Japanese Hokkaido(3.5~3万年前以降)が浮上し簡単な紹介が付記されねばなりませんでした。今後の注目点ですから。問題は、世界が不勉強なのではなく、学界が世界に祖代史、伊豆の海を行き来した子孫の北海道祖人について発信していない事なのです。

日本の祖代は大昔にしては十分に分かっている方(1万件を超える旧石器遺跡の分析から。近隣は数十件)なのにです。子供教え、世界に発信し、国際共同研究の主導を、です。

子供に内容充実の日本史始り祖代の年表(1万件を超える旧石器遺跡の分析による。例えば隣国は数十件)で教えましょう。よく分かっていないと、重要な始まり時代が「原始」として軽く流され放置されている巷間本等は、周回遅れの大問題です。

メキシコ(3万年前?)やアメリカ・ニューメキシコにおける2.3万年前の足跡発見で、最寒期にベーリング地峡からマンモスを追って無氷回廊から入って来た(従来の定説)のでないことははっきりです。人類展開移住史の最後の謎、「最初のアメリア人」は、北太平洋沿岸から、「誰が、いつ」について、今再検討で、北海道祖人Proto-Japanese Hokkaidoは、はっきり候補として浮上です。約4万年前に北部九州に渡海してから始まった日本列島祖代史、特に伊豆におけるフネでの行き来や交易、始まりの北海道祖代史は世界史的に注目なのです。従って、世界に発信する日本史の始まり祖史は、出アフリカから北部九州に至る前座と、北海道から昆布ハイウェイの北上を継続しベリンジア・アメリカ新大陸に至った「最初のアメリカ人」関りの可能性の末尾も付加しましょう。日本史の60%(最近知られるようになった宇宙の「ブラックマター」の如く)を占め、世界史において、今や日本文明(ハーバード大 Dr.ハンチントン教授)と呼ばれるようになったことの基盤(縄文時代と共に日本文化の基層)である重要性もです。世界史に貢献を、子供に教育を。国際共同研究の主導を。

巷間本・動画などが、「原始」扱いでサラッと流す祖史・祖代ですが、②どこから? ③伊豆の海における祖人の偉業、①人間理解の基本である環太平洋の言語の共通性という特色から、祖史・祖代 の理解が進んでいます。

一方で今、新し気な鳴り物入りのインド太平洋構想で欧米から艦隊がシナ海で行動し、環太平洋パートナーシップTPPには入りたい入れろ入れるなの協定交渉を巡って賑やかな騒ぎの時代です。 実は、万年前からの祖先の動きの温故知新なのです。そもそも物事は、始まりをよく知らずしてその後の何を語れるのか、です。(注:MPOR(Migration along Pacific Ocean Rim) 説とは、最初の現生人類が出アフリカ後に東進、東南アジアSundalandから北上し、米臨海のベリンジアを経て、アメリカ新大陸を南下して南米南端までの「沿岸」、昆布ハイウェイKelp Highwayにも着目する展開移住ルート説)

祖代・祖人Proto-Japaneseを論じてきました。米国の日系4世がハンバーガーを好み日本語はしゃべれず、星条旗のために闘う人ならば、彼はどんなに私たちと姿・形や何よりDNAが似ていても、日本人ではなくアメリカ人です。

①最近ややもするとDNAで全てが分かったかのように、類似性をその違いを殊更に強調する教授が居ますが傲慢な誤りです。巷間本なども分からないとして、「言葉」について語りませんが、元日本言語学会長の松本博士は、優れた研究で普通(せいぜい8000年前くらいまで) では辿れない コトの痕跡を捉えています。アメリカ教授は知らないでしょうが、例えば、私達が教室で苦労するRとL、図のA系であるアメリカ先住民も苦労するのです。この「環太平洋語族」という博士の認識をTPPで騒いでる人たちが分かっていない事も、予算を投じ日本がリードして研究・普及していない事なども問題です。そもそも日本語はどこからで口角泡を飛ばしていますが、②出アフりカ(言葉をしゃべっていた) から 東進、北上した人類史の歩みから、概ねの結論は図を見れば出ていて子供に教えればよいのです。

③3.8万年前に宝物の黒耀石を求めて伊豆の海を行き来し交易していた事実が何故重要かと言えば、造舟と操舟の能力、争いもなく宝物の広域の交易をしていたことは、当然、そんな大昔から会話していたことを、海フネ山川太陽月星動植物・・・、名があった (北海道でも) に決まっています。3.8万年前から続いている日本祖語という基層に、高々1世紀から入った漢語・漢字を、12世紀からのアイヌ語を殊更重要なように言うのは笑止な事です。九州にアイヌ語がって、それ逆ですよ。今、習近平が日本語の使用は禁止だと命ずれば、中国におけるちょっとした政策や、経済活動、諸研究にたちまち齟齬をきたして立ち行かなくなりますが、それで、中国語なんて最早ない、あるのは日本語などと言う者は世界にいません。松本博士の労作について、予算を投じて更に国際共同研究で発展させ、成果を子供に教え世界に普及すべきです。

日本史の始まりを扱う巷間本・動画は、現生人類が出アフリカ東進から北上した北部九州への渡海の歩み、ホントの始まりを記述していないので、その後の特に「曙海」を巡る古代史(魏志倭人伝など)がよく理解されません。

じっくり第1・2図を見てもらえば説明は要らないでしょう(既述)。そして北上した北海道から、プーチンはいないので食豊かな処女地の北上を続けアメリカ新大陸に至った可能性が、米ニューメキシコで2.3万年前の子供などの足跡が発見された騒ぎで、今、史界の注目なのです。

ただ、リードした欧米学者が、ジンギスカン侵攻の衝撃から、下2図大味に新・旧モンゴロイドと用語を定めたのは問題で、出アフリカからスンダランド地域で変化したインマレイド(古)が先ず北上し、北で最終氷期最寒期LGMころ以降に寒冷・降雪・強風に適応したモンゴロイド(新)に変化発生し、これが多様に東南アジアまで南下していることが特色です。

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日本史は応仁の乱からで十分って井の中の蛙の傲慢で、変わったのは科学技術・生活であり、人間は万年それほど変わっていません。子供に教え、世界に発信です。

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