新聞TV・科学誌はもとより、40を超える動画でニューメキシコの子供足跡ニュースが伝えられ解説されていますが、それでは入って来た祖先は?について全く語られていません。

これは異常で、本来は「今後、この子供の祖先はシベリア狩猟族(B)か、北海道祖人Proto-Japanese Hokkaido(A)なのか、熱い議論になるでしょう」と結ばれねばなりません。何故、全く結びが無いのか? ①シベリア狩猟族と思ってきたが2.3万年前なら最寒期でムリ、もう訳が分からず。②アメリカ先住民は、「自分達は最初からアメリカに居た」と言っているので、触れて無用なクレームをつけられたくない。③シベリア狩猟族には疑問符だが、何しろ日本学者が日本からの事を何も言ってない。④ともかく最寒期で、その前に来たとも考えられ何とも言えない。⑤とりあえず専門家と大学関係者の公式発表だけで、問題はない。・・・色々考えられますが、日本学界が、北海道祖人の可能性をしっかり世界に発信して認識されていないのは罪深いことです。

今後の発見で仮に否定されることが有り得るとしても、現下の発掘遺跡、DNA分析などの状況から、何も発信して来ていないのは、学問に貢献しない態度だと意見を述べます。

日本人は何処から?近い隣の大陸・半島族と 、何故 違う?一部の米国学者は人類史最後の謎「最初のアメリカ人」関りで、北海道の名を挙げているのに、日本の教科書・教室・巷間本・博物館で は、何故 全く見聞きしないのか?

この1枚をゆっくり見てもらえば分かるでしょう(前回 sunda-wind.net 参照)。祖代は「原始でよく分からない」と何故言うのでしょう?大昔にしては十分分かってる方で、日本学界は周回遅れであり、始まり時代で日本史期間「60%」の祖代知らずに、縄文から昭和が分かった積りの人たち。東京・札幌オリンピックは、誤解を正し日本史を理解してもらう絶好の機会でしたが、アイヌをPRすることで果たされませんでした。真実へ一歩一歩、子供に世界に、膨大なウポポイ予算を北海道祖史研究や遺跡の発掘・保護に投じ、 国際共同研究を日本が主導して 世界に貢献。

右図Timesは、1.6万年前の遺跡から、『「最初の定住アメリカ人」はアジアの舟乗りだった』を見出しにしました。

その後、メキシコで3万年前の遺跡が学者の議論に、遂に先般、石器などと違い「少年たちや動物の足跡」、植物種子が2.3万年前と米国専門家・大学チームが発表し科学誌が報じましたが、長い間の「シベリア狩猟族がベリンジアから来た」イメージから、メディアはもとより、40を超えるyoutube動画も一切が、その祖先を語っていません。本来は、「足跡の子供の祖先は、シベリア狩猟族か、北海道祖人Proto-Japanese Hokkaidoか、今後熱い議論になるでしょう」となるべきところなのにです。大きな理由の一つは、これに関する日本側学界の発信が何もない(周回遅れ)からでしょう。①出アフリカからの現生人類史を考えれば、沿岸ルートA-1、一部が主張する内陸ルートA-2で、4万年前頃は似たような人々が30~40kmを渡海して北部九州へですが、シベリア南部からBは到達していません。実証最古は、②原産地が特定された東京諸島の神津・恩馳島Onbasejimaの良質の黒耀石が、静岡東部から関東、驚きの長野(良質・大規模原産地が所在)でも発見されており、年代測定の最古は38,000年前で、20~55km幅の海峡の様な海を行き来したことと広域の交易は、世界に類例のない考古学史上の「金メダル」なのです。

造舟、操舟、専門集団、交易などは、やがてこの地域で見られる陥し穴猟と共に、その知的レベルと社会性はもはや「原始」などでは全くありません。朝日新聞は「謎」と報じましたが、20km向こうの大島から東京諸島のかなりの部分は舟を引いて陸地を歩けますし、海流は今の様な北上する黒潮分岐流で房総の方から太平洋へ流される危険もありませんでした。③九州から南下しトカラ列島を越えて沖縄へ、2.7万年前の石垣島人骨から復元された南方Sundaland系の祖人・石垣島は、祖史時代の「曙海」沿岸の人々が同様であったでしょうから、祖人イメージを代表できます。因みに➃最寒期には海獣が、北海道に似て仙台あたりまで居ました。既に本州中央部で連接connectionが果たされていましたが、⑤本州北端の青森の特色は、太平洋側と大雪のなかった日本海側の北上による諸経験が合一する所で、文化程度が高かったことでしょう(ずっと後にも、最古級土器、高度縄文土偶などが出現)、狭くなっていた津軽海峡を越えて北海道に拡がりました。

⑥3万年前までには達していた十勝地域は、北上の継続により千島とオホーツク沿岸からベリンジアに向かった玄関口・ゲイトウェイと考えています。この十勝の石器が、⑦北陸のモノと似ていると言われており、興味深いことです。最後に、北千島とカムチャッカ半島南部に存在していて、明治時代以降に鳥居龍蔵らが調査した旧石器時代を思わせる遊動暮らしの自称“ルートン“海民は、十勝からアイヌに追われたと伝えられる「コロボックル」や祖人・北海道の子孫とも思われ、かつてはカムチャッカの広い範囲におり、カムチャダールに南端まで圧迫されたように思われます。半島中部のウシュキ遺跡の埋葬副葬品が、2万年前の函館知内町のモノと似ていると言うことが関連を思わせ、そこまで至れば、ベリンジア到達の可能性を窺がわせます。祖人は関りある有力候補であることを、子どもに世界に。いずれにしても今回の東京・札幌オリンピックに際し、各方面にこのような見解を伝えましたが、折角の機会に世界にPRすることなく終わった事は、大きな問題で大変残念です。令和の行政と学界・日本学術会議の「汚点」として、ここに記述し残します。

既に右図の特色ある「伊豆の海の行き来」など6事象は前回説明しました。

左図を見てください、実は現在の日本の夜景の名~神地域と、北海道の北と東を少し触りましたが、列島に拡がった祖代半ばの沿岸・川岸での暮らしの人々の所在イメージは現代に似ていて驚かれませんか。対馬暖流が流れ込んでいませんでしたので、日本海側に大雪が降る事も無く、出アフリカの現生人類も列島両側を同様のスピードで北上したことでしょう。因みに、北陸と十勝帯広の石器が似ていると言われています。そして中央部(東京諸島の神津恩馳島含む)に宝物の黒耀石の現産地が充実していたこともあって広い関東平野地域が輝いています。北海道・白滝、九州・腰岳、島根・隠岐の島、香川・奈良のサヌカイトなど各地の石器素材の充実もラッキーでした。厳密にいえば難があるでしょうが、子供や世界に参考にと発信したらよいと思うのですが・・・

新たに先史本が出ましたが、残念ながら列島史始まりの「祖代」については旧態依然であり、左図重要な伊豆の海の行き来、佐野市の環状キャンプ、陥し穴猟などの説明が説明されておらず、素気無いモノです。最終氷期最寒期LGMやその前の時代である日本の「祖代」を知りたいという世界のニーズには全く応えていません。

原始Primitiveという語は使用しないとしていますが、本の記述内容は原始時代です。既に世界の現生人類学では、右図「最初のアメリカ人」は昆布ハイウェイKelp Highway沿いに、ベリンジアBeringiaから北太平洋沿岸を南下して来た説が有力です。メディアでは、「アジアの舟乗りsailorsが最初のアメリカ人」と見出しが書かれています。そこに先日、ニューメキシコで2.3万年前の子供の足跡がと騒ぎになり、疑問符?は付いてますが、メキシコの3万年前の遺跡発表と共に、欧米学者もメディアも足跡の子供の祖先であるアジア人については見事に全く触れていません。アタマの中は、シベリアの狩猟人と思っているんでしょうが、発見遺跡の時代すなわち最寒期LGMのシベリア行動なんて無理、その前の3万年前頃となると、バイカル湖地域遺跡が2.4万年前ですし、その東北の北極海正面のRHSヤナ遺跡は3.2万年前ながら、一時的な使用という認識で全く遺跡も無い東方に移住を続けたとはみられていません。

当然、日本列島史・北海道史が正しく伝わっていれば、有力候補として挙げられ、今回の足跡発表も、「最初のアメリカ人は、シベリア狩猟族か、北海道祖人Proto-Japanese Hokkaidoか、混じり合いの複雑な祖先だったのか、今後の研究進展が待たれます」、となるところでしたでしょう。何しろ左図伊豆の行き来などは、その知力と共に社会性が注目されるレベルです。誰もかれもがフネを創り海へ漕ぎだした訳でなく、専門集団が居たでしょうし、鉄スコップも無く1mを越える穴を多数適切に配置する計画・指導力も上下の社会性を窺がわせます。3万年前の環状キャンプにはアメリカ先住民インディアンもびっくりでしょう。という訳で、学界は何故6事象を記述しないのか、子供に教え世界に発信し」ないのか、が今問われています。用語を正しくし、無論、鎌倉時代から登場のアイヌ先住民族という世界の誤解を解き、膨大なウポポイ予算からこの「最初のアメリカ人」に関わる「北海道祖人」などの国際共同研究にシフトし、子供に教え世界に発信し貢献すべきです。

「最初のアメリカ人・先住民」①に関わる事だけに、特に米国では新聞・テレビで報じられネット動画も考古学者の説明を交えて20近いモノが出ていますが、南のニューメキシコで2.3万年前という衝撃のせいもあるでしょう。これまでは、ベリンジアを巡る1万数千前の話でしたから。で、日本の新聞・テレビ・SNS動画などが報じない事が不思議な「謎」です。

実は、②既にシベリア・マンモスハンターが、ベリンジアから追って陸路で入って来た定説は崩れていますが、欧米ではそのイメ-ジを強く引きずっているためか、北海道(日本側の発信無し)、バイカル湖などを並べて検討、説明している
① 図はありません。今回は、③湿地における子供の様子(9~14歳)や多種の動植物を含めてよく復元されています。④テレビでは、既に絶滅した動物を含めて驚きの足跡の様子を報じていますが、それは足跡と種子の科学年代分析という議論になり難いはっきりした対象を、多くの科学者と大学研究者が関わって慎重に検討した信頼性が影響しているのでしょう。さて、本来なら、「沿岸から入って来て拡がった、この子供の祖先はB内陸のシべリア狩猟族でしょうか、それともA沿岸の北海道祖人でしょうか、今後の研究と解明が待たれます」となるところでしょう。

しかし、米国も全てのメディア、SNS動画が触れていません。最終氷期最寒期のシベリアの厳しい気候では来るのはムリ、そのずっと前だとよく分からない、北海道祖人Proto-Japanese Hokkaidoも聞いてないしよく知らない、というところでしょうか。もう、日本学界は罪深いと言わざるを得ません、①を見れば分かるように、古く遺跡充実のA北海道祖人は有力なのに、子供に教えず世界に発信していないのですから。膨大なウポポイ予算を、この研究教育と世界への発信に。国際共同研究の主導で世界に貢献を 。

It’s very strange, but no book, no TV program , no youtube movie at all on the beginning of Japanese History, “Sodai” era before Jomon. Proto-Japanese “Sojin” should be paid attention more in discussion on First Americans, as surprising discoveries continue recently.

①They crossed the Izu sea to get obsidian at Tokyo Islands and exchange in broad area f region since 38,000 years ago! ② Bones, 27,000 BP were found in the Ishigaki island, Okinawa. Those weren’t so different from the Sundaland type. ③ Polished stone tools, found in all over Japan are 10,000 years earlier than those in Middle East and in Europe. ④ Remains of Stone tools’ fragments were discovered in Sano city and those indicate ancient circle camp life just like a native Indian’s. ⑤Trapping pit hunting holes were discovered in sites from south to north. Big and many holes were made without metal shovels, in well organized settings. ⑥ Old fishhook were found in south island.

Proto-Japanese crossed the narrow Tsugaru strait and migrated to Hokkaido, prevailed along “Kelp Highway” of rich maritime materials by 30,000 BP and seems to have continued going up north to Beringia, because Putin wasn’t at that time.

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