イマイチな質問が来ますので、確認の補習です。始まりの基本は、現生人類の出アフリカからの足跡に思いをいたし、①「曙海」の時計回りです。

仮にインド北部(ヒマラヤ南部)から大変な雲南地域(山脈・大河)を超えて来たにしても人は似たような者、結局、北部九州にフネ(筏)で家族が約4万年前に渡海して来た訳です。そして、石器遺跡などの示す所は鹿児島から南下して那覇です。何より実証の最古遺跡の発見は、②列島中央部です。流石にこんな天孫降臨は有りませんから、熊本と併せれば、北部九州に来た事で①と整合です。こんな基本を「周回遅れ教授」がはっきり言わずに惑わせている酷い現状なのです。特に伊豆の海の行き来は、謎でも何でもなく、迫って見える大島があって可能です。但し、この古さで20km以上を行き来した専門集団性、造舟・操舟の知力が驚きなのです。そして近年、世界人類移住史の最後の謎である③「最初のアメリカ人・先住民」について、長い間の「シベリアからマンモスを追って」定説が、アメリカ大陸あちこちで、内陸の「無氷回廊ルート」が融けて開く前の遺跡が発見されて崩れ、「沿岸から」「昆布ハイウェイから」(関係7割学者の支持) となっている のです。

そこから北海道が注目され、マンモス・ハンターなど来なかった北海道は、内陸でなく海沿いの千島・昆布ハイウェイルートやオホーツク沿岸ルート(アメリカ学者が言及) が注目され、そうなれば②伊豆の海の行き来や北千島地域の遊動海民ルートンなどが 、新たな光で俄然重要な事になり ます。その痕跡は、アリューシャン列島のロシア人を驚かせた「凍える北の海のスペシャリスト」のアレウト族との関りを窺わせるわけです。周回遅れ教授は、こういうアメリカの状況も一切説明しませんので、学生もなかなか連いて来れないのでしょう。始まりからアメリカ新大陸まで俯瞰すれば、ムリなく最新の研究状況が見えてきます。

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