我が国の学者さん達は、この列島史が始まったのは約4万年前頃と皆さん考えている。そして、下記のように縄文と弥生について、納得できる話が遺跡の発掘などの実証の裏付けを持って語られるようになってます。しかし、縄文人の先代については、2万数千年の積み重ねがあるのに誰も語らない。「日本祖人」が居なくなって主役が縄文人になった訳ではないです。問題は、「日本祖人」という言葉がないため、まともに議論され考えられていないだけなのです。先ず、語りそして修正していく事で、語らねば何も始まりません。DNAが万能ではないです。日本の、北部東北・北海道の「先住」民は、鎌倉時代からのアイヌではないです。国連をはじめ、世界に誤解を撒き散らしているのです。

(譽田 亜紀子 :文筆家)東洋経済online3月2日抜粋 

縄文人がいなくなって、日本列島の主役が弥生人にすり替わったわけではない。九州早良平野のように、縄文人と一定の距離を保ちながら渡来の人々が暮らし始め、いつしか両者が混じり合って、水田稲作を広めたのである。つまり、水田稲作は縄文人が選択したことだった。1980年代に盛んに欧米に言われた日本批判は、縄文人の気質だったのではないか。ほかの文化や技術を受け入れ、模倣し、オリジナルに仕上げる姿は、日本人に受け継がれている気がしてならない。いくら時代が下っても、「お天道様が見ているよ」と思う日本人の中には、DNA以上に色濃く縄文人の息吹が残っているのだと思う。

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