世界の学界が、〇万年前という大昔の祖先の暮らしを探って時に騒ぐ一つの訳は、猿たちと何が、いつ、どれだけ違っていたのかという事があります。

人骨・石器と言わず、洞窟で絵が見つかれば、釣り針が、いや糞が見つかっても驚きの騒ぎです。

今、トルコで見つかった「ギョベクリ・テペ」遺跡が、石器時代人に対する世界の認識を一変させるほどのものとなっています。

さて、大きな無人島に初めて外洋を越えて多くの家族が舟でやって来た我らの祖先については、世界が注目する事象ですが、それがどうしたの?という方もいるでしょう。

しかし今、AI(人工知能)が登場してきて将棋などの名人を負かし、ニュースを読み、姿かたちを替えて工場でオフィスで様々な所で活躍し始めています。

そして、近いうちに家庭に入り込んできます。

こんな時代ですから、実は猿と人の違いを見つめる事は、重要な意味を持ってきています。

何故なら、歴史的に見てAIとは何者か、AI開発はどうあるべきか、そもそも全ての人・子孫が幸せに生きていくにはAIとの関係において、私たちはどうあるべきかを明らかにすることが課題ですから。

大変だあ~と巷では言ってますが、祖先も大変な変化の時代を何度も乗り越えてました。

(了)

日本人の英語能力は、世界の49位、5段階評価の下から2番目の「2」だそうです(通信簿で見た事ない)。

日本人が悪く言われた始まりの文書は、「魏志」倭人伝でしょう、下図の左右上のとおりです。

つまり、ユーラシア内陸発の人たちから見ると、はっきりヘンな奴でした。

しかし注目したいのは、第2図の赤丸のとおり、ヘンなのは和だけじゃなかったんです。

4万年前頃の日本祖代・祖人の曙海のほとりの暮らしの頃ではない、「魏志」の時代でさえ、ユーラシア東端に残る人々、台湾や海南島の人々も同類でした。

第2図のとおり大雑把に言って、内陸と沿岸・島々という、2種類の人たちが居ました。

実は、日本語は仲間の見つかり難い変わった言語ですが、島国のために古い痕跡が残ったと言うべきなんです。(仲間は、「環太平洋言語圏」)

そして第3図のように、150年前頃に撮影された人のような入れ墨は、私も子供の頃にこの目で見たことがあり、食べ物に至っては今も大好きなモノなんです。(誰だ、トロの味を教えちまったのは!)

アジアの海辺の仲間も万年のうちにすっかり内陸の人たちの影響が及び英語もうまいのかも知れません。

ま、オリンピックも近いし、勉強しましょう。

(英語?海草?それがどうした、古い民族の痕跡なんだよ!)

(了)

初代・日本祖人(4万年前~)が、伊豆諸島の神津・恩馳島に黒耀石を採取するために、黒潮分岐流を越えて37,000年前頃に舟で行き来していたことは、世界の学界の驚きです。

しかし、あまり知られていませんが、2代目の縄文人が、7千年前頃から黒潮本流を越えて八丈島に渡り、家族で住んで生活し遺物も残しています。

オリンピックに古い離島行動種目があれば、金メダルの快挙なのです!

操舟行動・自活力を発揮して、絶海の島に、そんなに古い時代に、家族の住居はもとより土器や装飾品など驚きの文化を遺しています。

人体が男・女・女と実証的に発見され、猪を積んで行ったことも驚きの学問的成果です。近世になってすら、鳥も通わぬ島抜け絶望的と言われた所にです。

世界のライバルでは、モアイ像のイースター島(新し過ぎ)、宮殿のクレタ島(小島伝いに行ける)、旧石器があるアフリカ西部・カナリア諸島(途中も周囲も多くの島々)などが思い浮かびますが、負けないでしょう。むしろ、国内にいるかも知れません。

伊豆大島、神津島など快挙の裾野もしっかりで、一発屋ではありません。

では、何故そこ迄に?

黒耀石や貝などの宝物を求めてと考えがちですが、もしかしたら、遠い海の彼方と思われていた「神の御許に」という事だったかも知れません!

日本祖人・縄文人と言えば、髪ボーボーひげもじゃで毛皮のパンツに槍・弓矢を持ってのイメージは、修正をお願いします。飾っていた女性たちとも合いませんし。

(了)

都会のマンション暮らしとスマホいじりですっかりひ弱になってしまった現代人。アウトドアの生活を知らない子供たち。

最近、「我は海の子」が教室で歌われていないらしいと聞いて、驚き「浜っ子」としても大変がっかりしています。

歌詞の言葉が古いのは、先生が意味を教えることで逆に教育効果があると思いますが。

何よりも重要な、世界の歴史理解と我が国の伝統の継承に繋がることですので。

まあ、海、山に(モンスターペアレントの)子供たちを引率される先生方のご苦労は察するにあまりありますが。

考えてみますと、上図のような暮らしは、考古学的には何も残らないかも知れませんし、ン万年前に比し海水面が100mも上昇してしまっては海中です。

でも、「見つからないモノは無かった」史観はいけないことを子供たちに教える良い教材です。

魏志倭人伝のみならず、ちょっと前まで日本人は、生の魚と海の雑草を喰う変なヤツと言われていました。

(誰だ?トロの味を大陸人に教えちまったのは!)

島国日本の、いやアジア太平洋の歴史的な海の暮らしを先ず子供たちが理解し、2020東京五輪でもアピールして欲しいなと思います。

(了)

現生人類は、アフリカを出て東進し東南アジアSundalandへ、北上して台湾に5万年前以前に至り、九州に4万年前、北海道に3万年前そして更に北上を続けた歩みでした。

いずれにしても台湾を経由(長濱文化遺跡の古さ)しており、曙海を越えて来ています。

ここで注目すべきは、台湾5―九州4―北海道3と各区間1万年という大変長い時間を要しています。

考えてみれば、アフリカを出て赤道地域を行動してきた人たちですから、基本的には緯度を北上しての気温の低下や正に北海道の降雪寒冷に適応して暮らす事が大変だったことを示しているのでしょう(津軽海峡越えは短くたいしたことありません)。

もしかしたら曙海の数十kmの外洋を家族で舟(筏)に乗って越えられるようになるのにも足踏み長期間を要したのかもしれませんね。

上図の石垣人より色黒だったかもしれませんが、背は高くない似たような人たちだったろうと考えています。

そして最寒期である2万年前頃、日本列島の北と西から大陸の狩猟族が入って来て、やがて縄文時代と呼ばれることになって行きます。

日本文化の基層となった日本祖代2万数千年間は、海の民が列島中の海辺に、高原の川辺にまで上がり、遅れて入って来た異質な大陸の狩猟族と混じり合い、正に「日本祖人」として原型が形作られた時代です。

その後も混じり合い(近隣含む)は続いて変化しつつ、縄文人から現代に至ります。

(了)

祖先である現生人類の日本列島史は、曙海を越えて家族で渡って来た事から始まります。その状況の謎に迫る実験航海プロジェクトが動き出しています。初めて縄文時代を越えて私たちの祖先の歴史(日本祖代)が明らかにされていく試みを応援します。

(了)

 

ぜひ私たちの仲間になって、一緒に3万年前の大冒険に出ましょう!

主催:国立科学博物館  共催:国立台湾史前文化博物館
協力:与那国町 沖縄県立博物館・美術館 NPO法人国境地域研究センター 石垣市 竹富町 竹富町教育委員会
後援:沖縄県 沖縄県教育委員会 日本台湾交流協会

誰もが参加できるプロジェクト 新たな「クルー会員」を募集します!

私たちは実際に古代舟をつくり、実際に海へ出て、失敗もしながら、祖先たちが航海に成功した謎を探っています。どなたでもプロジェクトの経過を見ることができますが、「クルー会員」になって頂いた皆様には、最新情報を定期的に配信し、時に直接・間接の交流の場でご意見も頂き、プロジェクトにもっと深く関与して頂いています。そんなクルー会員をこの【完結編】で新たに募集しています。

航海プロジェクトのご支援(クラウドファンディング)については
こちらをご覧ください。

 

ネットで見つけたミトコンドリアDNAから見た現生人類の展開史に考古遺物からのものを加えました。

そのポイントは、やはり、8千年前頃に過半が沈んだ半島大陸地Sundaland は、沈んだがために現代の調査に反映されにくい人類史を読み解く補助線です。

そして、旧石器遺物で明らかな4-3万年前の日本列島の意義が、なかなか世界的には認識されていません。

(了)

環太平洋パートナーシップTPP協定が結ばれるそうです。

世界の私たちに直接繋がる祖先の現生人類が、アフリカ地域からSundalandに拡がり、日本列島からベリンジアを経てアメリカ新大陸に渡り、南米南端まで拡がったとする当サイトの万年前のMPOR(Migration along Pacific Ocean Rim) 説とよく符合しているお仲間たちの肩組みです。

日本史は、○○時代から知れば十分という人、無知傲慢です。

なお、このスタートが、あちこちの30万年前の人骨か?という発見で、現在、揺れています。

(了)

マレーシアにおける金 正男の暗殺が分かり易い直接の引き金と言えるでしょう。実行犯2人の女性の国籍も実行された場所も意味合いを持っているものです。

4発の脅威度を増した北のミサイル発射、米韓演習、尖閣諸島海域での中国勢力の行動の活発化、シナ海への米空母機動艦隊の進出と東シナ海での海自との共同訓練、そして、何よりも韓国の大統領弾劾決定と混乱及び今後の大統領選挙戦の波乱含み、アジア情勢は、目の離せない燃え始めている状況になってきています。

現在、アジアは普通に見て、中国による周辺小国の占領抑圧、国際法を無視した力の誇示による南シナ海等での荒っぽい露骨な行動と北朝鮮の危険な核・ミサイル開発と実験、体制の不安定さが大きな2大特徴です。

(西村幸祐Facebookから)

この状況に対し、米国は南及び東シナ海への空母艦隊派遣、THAAD韓国配備に踏み切ってます。そして、北朝鮮による白昼のクワラルンプル空港での暗殺を契機に益々、国際無法への対応機運が盛り上がってきています。

仮にヒラリー大統領であったなら、現下のアジア情勢はどうであったろうか、どう推移して行くだろうか、それは我が国にとってどうだろうか、と言う意見が見られない、そして「解放」という視点が無いのが我が論壇、メディアの欠陥です。

冷戦の残滓への対応だと言う人もいます。確かに、朝鮮戦争、ベトナム戦争は冷戦対応であり、代理戦の色彩もある戦争でした。

アジア史の視点で見れば、その要素よりもご主人植民地主義者たちが支配した桎梏を多くの国が脱した先の大東亜戦争に次ぐ、共産独裁勢力による国際法無視の力の使用、威嚇抑圧といった地域を広く覆う不正からの「解放の闘い」と言えるでしょう。

言わば共産独裁の軍事勢力に対する国際法に基づく自由民主体制勢力の闘いという性格と見られます。

この共産独裁の軍事勢力は、地域に根づいているだけにご主人植民地主義者たちよりも或る意味において厄介で手強いです。

日本の被拉致者・メディア支局・多くの企業などが、いわば人質に取られているような状況での政戦経済の総合的な闘いです。

こういう視点から私は、アジアでは戦後に冷戦の代理的な戦争はありましたが、米中の大国を中心とした国際法秩序、自由民主体制という価値を巡る抑圧と軍事脅威からの解放のための大東亜地域における第2次の戦争と捉えています。

今回は闘いの意義も異なり、日本は主役でなくプレーヤーも先の第1次大東亜戦争とは様変わりです。

そして、冷・熱戦は、やはり地域の歴史的な特色である朝鮮半島をまず焦点として複雑な様相で始まりそうな気配ですので、推移によっては一衣帯水の我が国に火の粉が飛んで来るという極めて大きな影響が及びます。

我が国の態勢整備、国際連携と協力、そして何よりもまず国民の意識改革が求められていると考えます。

(了)

建国記念の日に。

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Facebook:Nara Akiraにも投稿

今次、安倍首相の訪米において、ドナルド・トランプ大統領は、「日本は豊かな歴史と文化を持つ誇り高い国である。アメリカ人は貴国とその伝統に深い敬意を抱いている」と語ったそうです。
報じないメディアは、何か理由があるのですか?建国記念の日に不思議に思います。あれほど選挙報道で失敗し反省したんですから、意味ある事実は目を向け伝えましょう。
長い長い間の熟成の歴史を有する我が国の記念すべき画期の誇らしい記憶遺産も子・孫に語り伝えていきましょう(歴しニア)。

「歴しニア」のこぼれ話—我が国の始まりは、東亜地中海の畔(ほとり)

当サイトをご覧の方は既にご存知ですが、標題の内容をFacebook Nara Akiraに投稿提起しました。(本記事の字の何故かの濃淡は意味ありません。facebookに加えた分です。)

4万年前頃、海水面は数十m低く東アジア平野があり、我が国により囲まれた東亜地中海の畔で海産物を主に食す「海の民」が育んだ暮らしが原点です。

我が国へは外海を越えて、容易でない操舟による幾つもの家族の渡来が必要でしたので。例えば、沖縄の糸満の人たちやアリューシャン列島のアレウトの人たちの海の民として生きる、今に伝える厳しい鍛錬の痕跡からも窺がえます。

さて、始まりの主ルートは、上図の①台湾正面から八重山Bか、更に北上して②北部東アジア平野から北・北西九州Aか、我が国への一番乗りは大変興味あります(いずれも町興しに宣言出来ます。肯定も否定も学者先生はしないでしょうから)。

トカラCは、当初の学説では動植物状況から島での持続的な生活は厳しかっただろうと言われましたが、その後、植生状況も良くて暮らせただろうということのようです。

厳しい黒潮流越えがありますが、あり得たかもしれませんね。この場合は、南九州は有明ルートでなく南西諸島ルートとなり、かつ、相当の外洋航海力があったことになります。

3万年以前に伊豆神津島の黒曜石取りに渡海し頻繁に行き来できてますので、「海の民」の実態は大変興味深いことです。

主ルートは、渡海の難易や現在発見されている旧石器時代の遺跡状況などから、個人的には後者の図Aからかなと考えますが、実はたいした問題ではないでしょう。

いずれにしろ今と全く違って緩やかに歴史が流れていたあの時代、畔は似たような肌の黒い小柄な人たちによる似たような海辺・川辺の暮らしぶりでしたので、まずは九州に拡がっていった始まりの日本祖人像に大きな違いはなかったことでしょう。

決め手は、東亜地中海のほとりの「海の民」の暮らしぶりでしたので。

その後、日本列島の今よりも拡がっていた沿岸地域を北上して行って、約1万年かかって北海道太平洋岸に至ってますが、後半の寒冷降雪に慣れるのに時間を要したのでしょう。

つまり、3万年前頃、我が国ほぼ全域の沿岸地域で、外洋の渡海を果たした当時としては高度の知識・技能を有する「海の民」・子孫を主とする我が国の原風景が形成されたことが重要です。

真の遺跡は海中ですが、島や沿岸に残された古い遺跡から窺がい知れます。黒曜石産地で豊富な遺跡群でも有名な遠軽町白滝、その古さから日本祖人が大平洋岸の十勝、釧路の方から回って行ったものと考えています。

実はこれらのことは、大陸内部で大型哺乳動物を狩猟する人たちの生活との対比において大変重要な意味を有するものと考えています。DNAの変化問題もありますし。

さて、南から更に人の流入が続いている中、2万年前頃には大型哺乳動物を狩猟する人たちが陸続きの北海道へも稚内から南下して入って来ました。

この狩猟民族は、当然にして西からも入って来てますので大きな変化をもたらしました。

温暖化した状況での1.65万年前頃からは縄文時代と呼ばれていきます。何故、こんなに古い時代に日本で土器が登場したのか? 私は、温暖化によって生ものが腐りやすくなった、採集植物と組み合わせした、煮炊きが契機なのではと思っています。

そして当時の世界的なグルメだったのではないかと。

2.9万年前頃の南九州の姶良大噴火は、始まりの頃の日本祖人の生活に実に大きな痛手を与えた日本祖代の誠に残念な大事件でした。しかし、この大苦難を乗り越えたことは良い影響もあったと言えるかもしれません。

その後も、種々の人々が主に海を越えて入って来て海辺・川辺から全域へと文化が積み重ねられ熟成されていった長い長い独特の歴史です。

恵まれた日本列島に南・西・北から人が入ってきますが、通過して東の太平洋にどんどん流れていくことの無い、基本的には溜まる一方と言ってよい熟成という点が他所と異なる国柄を作った大きな特色と考えます。

まあ、このくらいの事は、子供たちに教えて良いのではないでしょうか。仮に大きく違う遺跡が発見されるようなら修正すればよいですから。通説を覆した驚きの三内丸山遺跡による縄文時代観の大修正も学界は行っていますから。

奇しくも建国記念日に記述しました。

https://youtu.be/BGrhO1ntyYo

(了)

番外 こぼれ話2

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歴しニア報告
4万年前、現生人類による我が国歴史の始まり時代の日本祖人が、九州から北上しやがて北海道太平洋岸、千島列島、カムチャッカ半島、ベーリング地峡からアメリカ新大陸へ進出・展開という当サイトの説に対し、Atlantis歴史グループ員から良い反応がありました。同好の輪の拡がりです。
Nara Akira: Ancient human Great Journey to Japan in 40,000 BP, then to American continent had started from Sundaland area, where the kingdom of “Atlantis” seemed to be existed later, around 11,600 BP. https://youtu.be/BGrhO1ntyYo

Suncana Diana Purbasari :Yes Nara Akira important piece of the puzzle! Thank you.

番外 こぼれ話

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AtlantisグループのFacebook記事にインドネシア科学研究所の有名研究者などと共に名前が紹介されました。

Breaking.. Part 1 New Interview with Carmen Boulter and Dark Journalist. Daniel Liszt
Latest developments Ancient Atlantis Culture related to Ancient Egypt. Connecting the dots.
Antonio Santos Chaedar Saleh Ahmad Yanuana Samantho Bruce Cunningham Dhani Irwanto Danny Hilman Natawidjaja Chris Dunn Nara Akira Lina Martha Roz Berekoven Ne Wilson

クリスマスの時期となりました。さて、

法医人類学という新しい研究分野の助けを借りて、英国Inggrisの研究者がイスラエルIsraelの考古学者とチームを組み、歴史上最も適切と考えられるイエス・キリストの顔を発表した、そうです。

英国の研究者、法医人類学の手法を用いてイエスの顔の「最も適切な再現」試みる

(Christian Todayから)

やっとという感じのリアルさのある実に素晴らしい、歴史愛好家にも納得のいくお顔ですね。

当地は、イスラム教徒の多い国ですので、それほど家の近くでは目立ちませんが、若者の集まる地域ではしっかりツリーcemaraなどが飾られています。

本来、イスラム教においてもキリスト様は預言者nabiとして認識されていますが、まあ仏教徒の多い日本と同じように商業的に大変大きなツリーが飾られ、特にイブmalam hari Natalには賑やかにクリスマスが祝われるというところでしょう。

但し、私などは半袖lengan pendekでということになりますので、今一つですが。

それでもイメージはやはりサンタさんの雪saljuが合うようで、雪だるまも登場しています。(人は半袖半ズボンですが。)

*/*-

実は、バンドゥン地域は標高が700mを超えてますし、各地から人が集まってますので結構寒がりの人も多く、またバイクに乗って風を切るため皮ジャンkulit mantel、ダウンジャケット、セーターなどの人も多いのです。

いずれにしましても、イスラム教における礼拝への呼び掛けのマイク放送のアザーンAzanが日々聞こえ、多くの女性がジルバブを被っているこの国で穏やかにクリスマスが祝われることは、万年のアジアの楽園Sundalandが重ねた時の厚みでしょう。

そして、正にこの国が標榜する「多様性の中の統一」 BHINNEKA TUNGGAL IKA の努力を私は感じます。

テロterorに悩む国連UNの標語にしてはと思っています。

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